沼津市の大泉寺は、源頼朝の弟・阿野全成が源家供養のために建てたため、全成が開基と言われていて、本尊聖観音菩薩像は運慶作と伝えられています。
元々は全成の館があったところとのことで、寺には土塁を観ることもできます。
頼朝の弟であり、北条義時の妹婿でもあった全成に対する頼朝の信頼は厚く、この地からは伊豆半島が遠望でき、富士山にも近いことから、源家将軍の時に度々行われた富士の裾野での狩りなどで将軍の休息に使われていたのではないか?とのお話しも聴きました。
頼朝没後、頼朝の後継ぎ頼家と全成は対立し、建仁3年(1203)5月19日に捕縛されて常陸に流され6月23日に八田知家に殺害されたのです。
全成の首は常陸から館まで飛び、この地にあった松に掛かったとの伝承があり「首懸け松」と呼ばれていました。一説には首を持ち帰った家臣が警備の厳しい館に入れずに首を掛けたとの話もあるそうです。
首懸け松は、内部から虫にやられ倒れてしまいそこには切り株のモニュメントと石碑があります(本物の切り株も寺内に残っています)
倒壊時に門の瓦まで届いたとされています。
とんでもない距離なので、現地で実感して欲しいです。
さて、阿野氏は全成の四男時元が継ぎますが、承久元年(1219)2月11日に北条義時に対して挙兵し、北条勢に攻められ10日間の戦いの末に時元は自刃してはてました。
大泉寺は、阿野全成(左)と時元(右)の墓が並んで建っています。
また、源家供養の考えから三代将軍源実朝を暗殺した公暁(頼家の子)の位牌が安置されているのです。
御朱印