2009年10月より姫路城が5年間の改修工事に入ると聴き、姫路城を訪問しました。
世界遺産にも登録されている姫路城の壮大さや美しさは今更ながらに語る物でもありませんが、その評価は世界でも高く、とくにフランスからのお客さんが多いそうです。
さて、そんな姫路城を遠目で見ると、管理人が彦根城を見慣れている所為でしょうか?「プラモデルみたい」と思ってしまいます。
これは管理人が約23年前(当時10歳)の時にやはり同じ事を感じたのを思い出しました。それくらい外装は白いのです。
さて、姫路城の城郭に入ると戦に備えた様々な仕掛けがあります。
階段を上に行くほど狭くなり圧迫感がある通路
広い所から急に狭くなる門の前
この先にある門は高さが低くなっていて大人は身体をかがめないと潜れなくなっています。
姫路城は江戸時代に徳川家康の娘婿だった池田輝政によって築城された城ですが、その前には羽柴秀吉が城主だった時もあり、それに絡む遺構も一部残っています。
それは、羽柴時代の塀だったり、
秀吉が築城する時に領民の老婆が寄進した石臼だったりします。
特にこの石臼は、姫路城築城の為に秀吉が領民に石提供の協力を請うた時、老婆が自分の使っている臼を提供し、その事で他の領民も石を集めてきた。という伝説がある物なのですが、管理人の感覚ではこの老婆は秀吉が事前に用意したサクラだったのではないか?と思えてなりません。
その方が秀吉っぱくないでしょうか?
さて、いよいよ天主の中に入ります。
外からは白い壁で映え「白鷺城」とも呼ばれる姫路城ですが、中は柱がむき出しの無骨な作りになっていてそこがまた魅力なのだそうです。
そんな姫路城に行って一番知りたかったのは柱の構造ですが、それを紹介した模型がありました。
柱だけで気が狂いそうになるくらいの精密さが必要ですね、しかし居住には適さないようです。
そして姫路城の面白さの一つは、天守にも籠城の用意があるこです。
それは厠や炊事場も設置された事でも証明されます。
炊事場はこんな感じです。
階を上がれば、攻撃用に作られたと思われる施設もありました。
こうして上からも下からも絶え間なく攻撃したのでしょう。
最上階には刑部神社があり、城を守っています。
ここは小説『宮本武蔵』で登場する姫路城の妖怪退治の場所ではないか?とも言われていますね。
天主から降りると西ノ丸へ…
同じ棟に千姫(徳川家康の孫)が過ごした化粧櫓がありました。
最初の夫である豊臣秀頼が大坂の陣で亡くなり、大坂とはあまり離れていない姫路の地で過ごす二番目の夫との生活がどんなものであったのかは想像もできませんが、ただ静かに過ごされた事を願うのみです。
そんな千姫が見たであろう化粧櫓からの天守はこんな形でした。
城郭を回ると、切腹郭という怪しい雰囲気の場所がありあたかも刑場のような雰囲気を醸し出していた場所もありますが、切腹が行われた事は無かったそうです
また、番町皿屋敷のモデルの一つと言われている、皿を数えるお菊の井戸がありました。
姫路城は内濠より内部の保存状態が良く残っています。
その事は世界遺産としての誇りでもあるようで、姫路城のガイドさんの話にたまたま耳を傾けましたら、他の国宝の城に比べていかに姫路が素晴らしいかを力説されていました。
しかし、城にはそれぞれに魅力がある物です。逆に言えば内濠より中しか残らなかった姫路に比べると中濠まで残している彦根城の良さもありますね。
また彦根城は、城郭に入られる前にいかに敵を殲滅するかの作戦が練られた様子が多く見られますが、姫路城の説明では城郭に入られてからいかに戦うか?が鍵となるように見えます。
戦い方も考えれば、城はそれぞれに違う顔を見せてくれることを新たに発見できる訪問ともなりました。
姫路城は2010年の桜の季節が終わってから天守を覆って改修工事に入るようですので、今から約半年が今の天守を観るチャンスかもしれません。
世界遺産にも登録されている姫路城の壮大さや美しさは今更ながらに語る物でもありませんが、その評価は世界でも高く、とくにフランスからのお客さんが多いそうです。
さて、そんな姫路城を遠目で見ると、管理人が彦根城を見慣れている所為でしょうか?「プラモデルみたい」と思ってしまいます。
これは管理人が約23年前(当時10歳)の時にやはり同じ事を感じたのを思い出しました。それくらい外装は白いのです。
さて、姫路城の城郭に入ると戦に備えた様々な仕掛けがあります。
階段を上に行くほど狭くなり圧迫感がある通路
広い所から急に狭くなる門の前
この先にある門は高さが低くなっていて大人は身体をかがめないと潜れなくなっています。
姫路城は江戸時代に徳川家康の娘婿だった池田輝政によって築城された城ですが、その前には羽柴秀吉が城主だった時もあり、それに絡む遺構も一部残っています。
それは、羽柴時代の塀だったり、
秀吉が築城する時に領民の老婆が寄進した石臼だったりします。
特にこの石臼は、姫路城築城の為に秀吉が領民に石提供の協力を請うた時、老婆が自分の使っている臼を提供し、その事で他の領民も石を集めてきた。という伝説がある物なのですが、管理人の感覚ではこの老婆は秀吉が事前に用意したサクラだったのではないか?と思えてなりません。
その方が秀吉っぱくないでしょうか?
さて、いよいよ天主の中に入ります。
外からは白い壁で映え「白鷺城」とも呼ばれる姫路城ですが、中は柱がむき出しの無骨な作りになっていてそこがまた魅力なのだそうです。
そんな姫路城に行って一番知りたかったのは柱の構造ですが、それを紹介した模型がありました。
柱だけで気が狂いそうになるくらいの精密さが必要ですね、しかし居住には適さないようです。
そして姫路城の面白さの一つは、天守にも籠城の用意があるこです。
それは厠や炊事場も設置された事でも証明されます。
炊事場はこんな感じです。
階を上がれば、攻撃用に作られたと思われる施設もありました。
こうして上からも下からも絶え間なく攻撃したのでしょう。
最上階には刑部神社があり、城を守っています。
ここは小説『宮本武蔵』で登場する姫路城の妖怪退治の場所ではないか?とも言われていますね。
天主から降りると西ノ丸へ…
同じ棟に千姫(徳川家康の孫)が過ごした化粧櫓がありました。
最初の夫である豊臣秀頼が大坂の陣で亡くなり、大坂とはあまり離れていない姫路の地で過ごす二番目の夫との生活がどんなものであったのかは想像もできませんが、ただ静かに過ごされた事を願うのみです。
そんな千姫が見たであろう化粧櫓からの天守はこんな形でした。
城郭を回ると、切腹郭という怪しい雰囲気の場所がありあたかも刑場のような雰囲気を醸し出していた場所もありますが、切腹が行われた事は無かったそうです
また、番町皿屋敷のモデルの一つと言われている、皿を数えるお菊の井戸がありました。
姫路城は内濠より内部の保存状態が良く残っています。
その事は世界遺産としての誇りでもあるようで、姫路城のガイドさんの話にたまたま耳を傾けましたら、他の国宝の城に比べていかに姫路が素晴らしいかを力説されていました。
しかし、城にはそれぞれに魅力がある物です。逆に言えば内濠より中しか残らなかった姫路に比べると中濠まで残している彦根城の良さもありますね。
また彦根城は、城郭に入られる前にいかに敵を殲滅するかの作戦が練られた様子が多く見られますが、姫路城の説明では城郭に入られてからいかに戦うか?が鍵となるように見えます。
戦い方も考えれば、城はそれぞれに違う顔を見せてくれることを新たに発見できる訪問ともなりました。
姫路城は2010年の桜の季節が終わってから天守を覆って改修工事に入るようですので、今から約半年が今の天守を観るチャンスかもしれません。