ギャグ漫画巨匠・赤塚不二夫さん死去(スポーツニッポン) - goo ニュース
漫画家赤塚不二夫さん(72歳)が昨日逝去されました。
謹んでご冥福をお祈りします。 合掌
今時まだまだ頑張れるお年でしたが赤塚さんは97年食道がんが見つかりその後手術。手術後も強いお酒を手放さず02年には検査入院中に脳内出血で意識不明になったとか。兎に角ハチャメチャな晩年を過ごしていた様です。06年には2度目の奥さんが先にお亡くなりになりその後どんな生活を送るのか人事ながら心配したものでした。

72歳の若さで肺炎で死亡ですから体力と言うか免疫力が最低の所まで落ちていたのでしょうね。アルコール依存症と上品な書いた記事もありますがまあ要するにアル中のひどい状態が続いていたのでしょうね。

「おそまつ君」「天才ばかぼん」とか自分が漫画を買って読んだのか子供のお下がりで読んだのか記憶が曖昧ですが主人公の他に「目玉のおまわり」と言ってやたらに拳銃を撃つお巡りさんや「うなぎ犬」或いは「うなぎ猫」かもしれませんが尻尾がうなぎの動物が出る場面がありました。

人間上手に名声から遠ざかり静かに逝くのは中々難しい様です。
改めてご冥福を祈ります。 合掌
スポーツニッポン:
「天才バカボン」「おそ松くん」などのギャグ漫画で絶大な人気を集めた漫画家の赤塚不二夫(あかつか・ふじお、本名藤雄=ふじお)さんが2日午後4時55分、肺炎のため東京都文京区の順天堂医院で死去した。72歳。旧満州(現中国東北部)生まれ。自宅は東京都新宿区中落合1の3の15。葬儀・告別式の日取りなどは未定。喪主は長女りえ子(りえこ)さん。高度成長期に「これでいいのだ」などのギャグを飛ばした奇才が旅立った。
赤塚さんは2002年に脳内出血で手術して以降、闘病生活を続けていた。2日午前、今年2月に患った肺炎が悪化し、血圧が低下。容体急変を受けて長女りえ子さんらが駆けつけた。緊迫した状況が午後になっても続き、午後5時前、肉親だけに囲まれて眠るように静かに息を引き取った。最後まで意識が戻ることはなかった。
悲しい知らせを受け、漫画家仲間の藤子不二雄(A)さん、北見けんいちさんも病室に急行したが間に合わなかった。長年、赤塚さんのアシスタントを務めた北見さんは「安らかな顔でした。これまで赤塚さんは頑張ってきたのだからみんなで送り出してあげたい」と話すのが精いっぱいだった。
前夫人の登茂子さんが7月30日に死去した。りえ子さんは登茂子さんの遺体に付き添っており、赤塚さんの急変を他界したばかりの母の自宅で聞き病院へ向かった。関係者は「こういう状況なので赤塚さんの葬式の日程についてはまだ決められないが、ファンの皆さんにも来てもらえるようなセレモニーにしたい」としている。登茂子さんの葬儀は3日都内で営まれる。
赤塚さんは98年に食道がんの手術をしたが、その後各地で作品展を開催。視覚障害児向けの絵本も制作した。02年、検査入院中に脳内出血を起こし、周囲への反応がほとんどない状態が続いた。妻・真知子さんの付き切りの看護で、呼び掛けると顔を向けようとするまでに回復したものの、06年にはその真知子さんがくも膜下出血のため急死した。
終戦後間もなく旧満州から引き揚げ、奈良県、新潟県で少年時代を過ごし、中学卒業後、漫画家を志し手塚治虫さんを慕って上京。東京都豊島区のアパート「トキワ荘」で無名時代の漫画家、石ノ森章太郎さん、藤子不二雄(A)さんらと暮らし、共に腕を磨いた。
「天才バカボン」「もーれつア太郎」などの人気作を連発。イヤミ、バカボンのパパ、ニャロメなどのキャラクターを生み出す一方、「シェーッ」「これでいいのだ」などの流行語を生みだした。自由奔放でいてシャイな人柄は漫画のキャラクター同様、多くの人から愛された。(以下省略)
漫画家赤塚不二夫さん(72歳)が昨日逝去されました。
謹んでご冥福をお祈りします。 合掌
今時まだまだ頑張れるお年でしたが赤塚さんは97年食道がんが見つかりその後手術。手術後も強いお酒を手放さず02年には検査入院中に脳内出血で意識不明になったとか。兎に角ハチャメチャな晩年を過ごしていた様です。06年には2度目の奥さんが先にお亡くなりになりその後どんな生活を送るのか人事ながら心配したものでした。

72歳の若さで肺炎で死亡ですから体力と言うか免疫力が最低の所まで落ちていたのでしょうね。アルコール依存症と上品な書いた記事もありますがまあ要するにアル中のひどい状態が続いていたのでしょうね。

「おそまつ君」「天才ばかぼん」とか自分が漫画を買って読んだのか子供のお下がりで読んだのか記憶が曖昧ですが主人公の他に「目玉のおまわり」と言ってやたらに拳銃を撃つお巡りさんや「うなぎ犬」或いは「うなぎ猫」かもしれませんが尻尾がうなぎの動物が出る場面がありました。

人間上手に名声から遠ざかり静かに逝くのは中々難しい様です。
改めてご冥福を祈ります。 合掌
スポーツニッポン:
「天才バカボン」「おそ松くん」などのギャグ漫画で絶大な人気を集めた漫画家の赤塚不二夫(あかつか・ふじお、本名藤雄=ふじお)さんが2日午後4時55分、肺炎のため東京都文京区の順天堂医院で死去した。72歳。旧満州(現中国東北部)生まれ。自宅は東京都新宿区中落合1の3の15。葬儀・告別式の日取りなどは未定。喪主は長女りえ子(りえこ)さん。高度成長期に「これでいいのだ」などのギャグを飛ばした奇才が旅立った。
赤塚さんは2002年に脳内出血で手術して以降、闘病生活を続けていた。2日午前、今年2月に患った肺炎が悪化し、血圧が低下。容体急変を受けて長女りえ子さんらが駆けつけた。緊迫した状況が午後になっても続き、午後5時前、肉親だけに囲まれて眠るように静かに息を引き取った。最後まで意識が戻ることはなかった。
悲しい知らせを受け、漫画家仲間の藤子不二雄(A)さん、北見けんいちさんも病室に急行したが間に合わなかった。長年、赤塚さんのアシスタントを務めた北見さんは「安らかな顔でした。これまで赤塚さんは頑張ってきたのだからみんなで送り出してあげたい」と話すのが精いっぱいだった。
前夫人の登茂子さんが7月30日に死去した。りえ子さんは登茂子さんの遺体に付き添っており、赤塚さんの急変を他界したばかりの母の自宅で聞き病院へ向かった。関係者は「こういう状況なので赤塚さんの葬式の日程についてはまだ決められないが、ファンの皆さんにも来てもらえるようなセレモニーにしたい」としている。登茂子さんの葬儀は3日都内で営まれる。
赤塚さんは98年に食道がんの手術をしたが、その後各地で作品展を開催。視覚障害児向けの絵本も制作した。02年、検査入院中に脳内出血を起こし、周囲への反応がほとんどない状態が続いた。妻・真知子さんの付き切りの看護で、呼び掛けると顔を向けようとするまでに回復したものの、06年にはその真知子さんがくも膜下出血のため急死した。
終戦後間もなく旧満州から引き揚げ、奈良県、新潟県で少年時代を過ごし、中学卒業後、漫画家を志し手塚治虫さんを慕って上京。東京都豊島区のアパート「トキワ荘」で無名時代の漫画家、石ノ森章太郎さん、藤子不二雄(A)さんらと暮らし、共に腕を磨いた。
「天才バカボン」「もーれつア太郎」などの人気作を連発。イヤミ、バカボンのパパ、ニャロメなどのキャラクターを生み出す一方、「シェーッ」「これでいいのだ」などの流行語を生みだした。自由奔放でいてシャイな人柄は漫画のキャラクター同様、多くの人から愛された。(以下省略)