風が吹くとき
作・絵: レイモンド・ブリッグズ
訳: さくまゆみこ
出版社: あすなろ書房
放送「本日午後、首相が・・・声明を発表・・・悪化する国際情勢について・・・国民に警告を発し・・・戦闘準備が進行し・・・戦争の勃発は・・・死の灰を避けるシェルターを・・・3日のうちに・・・」
ジム「ええっ!」
妻「どうしました?舌にやけどでも?」
ジム「とうとう、くるものがきたぞ!」
妻「(ソーセージを)もう一本いかが?」
妻「そんなに心配しなくたって。そのうち、なーんだってことになりますよ」
ジム「3日だと!ちくしょう!」
妻「まあ、ひどい言葉ね、ジム」
ジム「けさ、図書館からパンフレットや広報をもらってきてよかったよ」
ジム「ほら、これだ。『自宅でのサバイバル・ガイド
-上記は引用箇所です-
退職したばかりのジムとその妻の穏やかで平和な生活は、東側から放たれた一発の核弾頭の爆発により一変します。
政府が各家庭に作り方を広めたささやかなシェルターは、爆発の衝撃から身を守ることまでは出来ましたが、核爆発の時の放射線やその後にやってくる死の灰の危険から逃れることは出来ませんでした。
世界は息をしなくなり、読んでいる私は言葉を交わしている人間が世界でたったこの夫婦だけとしか思えなくなります。
それでも、二人は爆発の前と変わりなく、屈託のない夫婦の会話を続けます。
二人は毛が抜けて血を吐いても明日がやってくることを微塵も疑っていないのです。
そして、この二人を見て絶望したのは、何と主人公ではない読者の私でした。
絵本の中の二人に向かって、何度心の中で「もう終わりなんだよ!」と叫んだことでしょう。
世界が破滅に向かう状況下においても尚、絶望しない二人に対して絶望を強いる読者の私がいたのです。
決して絶望しない相手に対して、「無知だから」と言うのはたやすいことでしょう。しかしそれは、知っているつもりの人間のおごりか自惚れなのだと私は思います。
救いのない状況下の相手に向かって「絶望しろ!」と叫ぶのは、目の前の「絶望」を受け入れることが出来ないことの裏返しのような気がしました。
この絵本の裏書きに“Copyright ℂ 1982”とありますので、1982年の作品だと思いますが、東西の対立は続いていて駆け引きはあったものの、この頃に核戦争の恐怖を感じることはあまり無かった筈です。
日本では1998年に初版が発行されましたので、ソビエト連邦解体の後でした。
日本で出版された時の反響を今は思い出すことが出来ませんが、核戦争のキーワードとともにこの作品の名前の記憶だけはありました。
この作品の中の東西の指導者たちは、風刺漫画の如く描かれていましたが、この作品は核兵器や冷戦の導く結果の恐ろしさを伝えることが本意ではなく、読む私たちに「絶望」の意味を問いかけていたのではないでしょうか。