けんかのきもち作: 柴田 愛子
絵: 伊藤 秀男
出版社: ポプラ社
税込価格: 1,260
(本体価格:1,200)
発行日: 2001年12月11日
-絵本のカバーからの引用-
*けんかは 素手でやる。
*けんかは 1対1でやる。
*喧嘩は どちらかが
*やめたくなったら やめる。
*これが けんかのやくそく。
*けんかすると、
*まえより もっと
*なかよくなる。
-まえがきからの引用-
*これは、こどもたちのあそびば、「あそび島」のおはなしです。
*「あそび島」には せんせいもいて、まいにち たくさんのこどもたちが あそんでいます。
主人公の「たい」は、小学校の男の子で、毎日家の隣の「あそび島」で遊んでいます。
そのたいの一番の友達は「こうた」ですが、こうたとはよく取っ組み合いのけんかをします。
今日のケンカは、こうたの負けでした。
*「もう いやだ」
*ぼくが いうと、
*「おわりにする!」
*そういって、こうたが ぼくのかたをどついた。
たいは、悔しくて家に帰るとお母さんにくっついて泣きました。
いくらでも、いくらでも泣きました。
お母さんはひざの上に突っ伏したたいに手を置いて、にこにこと笑っています。
そこへあそび島の先生が、やって来ました。
先生は、子供たちと一緒に作ったおやつ(餃子)を一緒に食べないかと言うのです。
お母さんは先生と出て行きましたが、たいは家で大の字になってむくれたままです。
しかしひとりぼっちでいると、よけいに悔しくて仕方がありません。
たいが、家の玄関を開けてお母さんを呼ぼうとしたら、[あそび島]のみんなが見えました。
おやつを一緒に食べようと、たいを誘っているのです。
たいが、*「やだ! いくもんか。」と思った時、こうたがでっかい声で「ごめんな!」と謝りました。
*なんでだよ! なんでだよ! なんでだよ!
*なんで あやまるんだよ!
たいは、玄関の戸を閉めて泣きました。
たいの中で「けんかのきもち」は、まだ終わっていないからです。
そこへお母さんが、おやつの餃子を20個持って帰って来ました。
たいは、こうたとみんなが作った餃子を、ばくばくと全部食べてしまいます。
食べ終わると、たいの「けんかのきもち」は終わっていました。
たいは、お母さんに餃子の皿を洗ってもらうと、「あそび島」に返しに行きました。
たいは、どきどきしながら「あそび島」への階段を上ります。
2階の窓に、こうたが見えました。
二人になって、こうたは、たいに謝ります。
*「ごめんな さっきは ごめんな!」
*こうたが いった。
*「へへへ・・・」
*ぼくは ちょっと てれた。
*でも こんどは きっと ぼくが かつ。
けんかの理由は、ここには書いてありません。
でも子供のけんかは、実に些細ななことから始まるものなのです。
このお話は、男の子の心の成長をライバルとの関係を通して描いたものです。
腕力にものを言わせる男の子のケンカは、勝敗が明確です。
その時の勝者と敗者の心の中の揺れが、プライドの芽生えと絡み合いながら子供を成長させると思うのです。
たいにとっての「けんかのきもち」は、裏を返せばこうたにとっての「けんかのきもち」です。
こうたにとっては、たいに謝ることで「けんかのきもち」を終わらせることが出来たのです。
ここで大切なのは、子供を取り巻く環境であり、大人達の対応でしょう。
どんな状況であっても、どんなに些細なことであっても、子供(達)を育む心を忘れてはなりません。
けんかの相手や内容を見極めて、その時の気持ちの子供を受け入れたり、導いたりすることが必要だと思うからです。
絵: 伊藤 秀男
出版社: ポプラ社
税込価格: 1,260
(本体価格:1,200)
発行日: 2001年12月11日
-絵本のカバーからの引用-
*けんかは 素手でやる。
*けんかは 1対1でやる。
*喧嘩は どちらかが
*やめたくなったら やめる。
*これが けんかのやくそく。
*けんかすると、
*まえより もっと
*なかよくなる。
-まえがきからの引用-
*これは、こどもたちのあそびば、「あそび島」のおはなしです。
*「あそび島」には せんせいもいて、まいにち たくさんのこどもたちが あそんでいます。
主人公の「たい」は、小学校の男の子で、毎日家の隣の「あそび島」で遊んでいます。
そのたいの一番の友達は「こうた」ですが、こうたとはよく取っ組み合いのけんかをします。
今日のケンカは、こうたの負けでした。
*「もう いやだ」
*ぼくが いうと、
*「おわりにする!」
*そういって、こうたが ぼくのかたをどついた。
たいは、悔しくて家に帰るとお母さんにくっついて泣きました。
いくらでも、いくらでも泣きました。
お母さんはひざの上に突っ伏したたいに手を置いて、にこにこと笑っています。
そこへあそび島の先生が、やって来ました。
先生は、子供たちと一緒に作ったおやつ(餃子)を一緒に食べないかと言うのです。
お母さんは先生と出て行きましたが、たいは家で大の字になってむくれたままです。
しかしひとりぼっちでいると、よけいに悔しくて仕方がありません。
たいが、家の玄関を開けてお母さんを呼ぼうとしたら、[あそび島]のみんなが見えました。
おやつを一緒に食べようと、たいを誘っているのです。
たいが、*「やだ! いくもんか。」と思った時、こうたがでっかい声で「ごめんな!」と謝りました。
*なんでだよ! なんでだよ! なんでだよ!
*なんで あやまるんだよ!
たいは、玄関の戸を閉めて泣きました。
たいの中で「けんかのきもち」は、まだ終わっていないからです。
そこへお母さんが、おやつの餃子を20個持って帰って来ました。
たいは、こうたとみんなが作った餃子を、ばくばくと全部食べてしまいます。
食べ終わると、たいの「けんかのきもち」は終わっていました。
たいは、お母さんに餃子の皿を洗ってもらうと、「あそび島」に返しに行きました。
たいは、どきどきしながら「あそび島」への階段を上ります。
2階の窓に、こうたが見えました。
二人になって、こうたは、たいに謝ります。
*「ごめんな さっきは ごめんな!」
*こうたが いった。
*「へへへ・・・」
*ぼくは ちょっと てれた。
*でも こんどは きっと ぼくが かつ。
けんかの理由は、ここには書いてありません。
でも子供のけんかは、実に些細ななことから始まるものなのです。
このお話は、男の子の心の成長をライバルとの関係を通して描いたものです。
腕力にものを言わせる男の子のケンカは、勝敗が明確です。
その時の勝者と敗者の心の中の揺れが、プライドの芽生えと絡み合いながら子供を成長させると思うのです。
たいにとっての「けんかのきもち」は、裏を返せばこうたにとっての「けんかのきもち」です。
こうたにとっては、たいに謝ることで「けんかのきもち」を終わらせることが出来たのです。
ここで大切なのは、子供を取り巻く環境であり、大人達の対応でしょう。
どんな状況であっても、どんなに些細なことであっても、子供(達)を育む心を忘れてはなりません。
けんかの相手や内容を見極めて、その時の気持ちの子供を受け入れたり、導いたりすることが必要だと思うからです。