安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

平泉・猊鼻渓~八郎潟の旅(2)

2008-06-29 23:02:56 | その他社会・時事
いよいよ2日目。この日こそが今回の旅のメイン、八郎潟での農家との交流である。9時頃、ツアー一行でホテルを出て、大潟村に向かう。空模様が怪しかったので、最初に水田に入ることにする。10時半過ぎ、案内の車と合流し、大潟村へ入る。

交流を申し出てくださったのは、八郎潟干拓地で水田農業を営む農家である。彼は、大潟村で13ヘクタールの水田を耕作している。個人で4ヘクタール以上の水田を耕作していれば、農林水産省が次代の担い手育成政策として打ち出している「品目横断的経営安定対策」に基づく認定農業者になれるが、それには生産調整(いわゆる減反)に協力していることが前提条件である。減反をしていない彼は、認定農業者になれない。

早速、彼の説明を受けた後、みんなで水田に入り、草取りをする。農業関係の仕事をしている私は、入社時の新人研修で水田の草取りをしたことがあるので転んだりしなかった。だが、水田初体験の妻は見事に転んで泥だらけになった。

ツアーには6歳の子どもも参加していた。水田に入るのは初めてというが、10分後にはすでに田んぼを自分の庭のように駆け回っていた。やはり子どもは覚えが早い。

1時間ほど草取りをした後は、手作りのおにぎりや焼き肉、サクランボを使ってみんなで食事。どれもみんな新鮮で美味しい。都会ではまず味わうことができない。

ひとしきりお腹が膨れたところで、彼は最近相次ぐ食品偽装問題などに関連して、語り始めた。「よく偽装偽装といわれるけれど、自分たちで作れば偽装なんて起こりようがない。みんなで農業を粗末にして、食べることを安易に他人に委ね過ぎた。食べることを自分たちの手の中に取り戻す、少しでも自分たちに近いところに引き寄せておくことがこれからの時代の課題だ」という話が、とても印象に残った。

私は、この話を聞いて、体の中に引っかかっていたものが取れたような気持ちになった。最近、食品偽装が発覚するたびに、みんなでよってたかってバッシングをし、謝罪にならない下手くそな謝罪会見を見せられた挙げ句、責任も取れないトップの下で会社だけが潰れ、従業員が路頭に迷って終わり。そして数ヶ月も経てばまた新たな偽装が発覚…という不毛なスパイラルだけが繰り返されてきた。

私は、バッシングだけのマスコミ報道に精神的疲労を感じながら、ずっと「何かが違う」と思っていた。
確かに偽装は悪い。その背景に利潤至上主義があることもわかっている。しかし、批判しているメディアにも我々国民にも、食べることを安易に他人に売り渡した責任があるのではないのか? 自分たちが何もせず、作らないでおいて、作る人たちに「偽装けしからん」と言ってもなんの解決にもならないのだ。

同じことは、農業以外にも当てはまると私は思う。行動もせず批判だけしている人間のなんと多いことか。「評論家が何億人いても社会はよくならない」「行動する人間だけが社会をよくすることができる」という単純な事実に、もうそろそろみんな気付いてもいいのではないか。

そんなことを考えさせてくれる彼の貴重なお話だった。それと同時に、食べることこそ人間の営為の中でも最も厳しいものなのだということも再認識できた。
同時に、このような農家こそ「篤農」だと思った。そして、彼のような篤農が田園に踏みとどまっている限り、まだ希望を捨ててはいけないと思った。ロシアの諺ではないが、「希望は最後に死ぬ」のだ。

食事の後は、ツアー一行で大潟村干拓博物館に行った。そこで八郎潟干拓の歴史に触れることができた。
大潟村だけで年間85万トンのコメを生産しているという事実も知った。日本の年間コメ生産量は今800万トンくらいだから、大潟村だけで日本のコメの1割を生産していることになる。

このような大規模農業があちこちで可能になるなら、経済合理性に着目した農業展開もあり得るかも知れない。だが、国土の7割が山林である日本では、大規模な土地利用型農業を展開する方法が干拓くらいしかないことも事実だ。
経済合理性に着目すれば、自然を破壊してでも干拓を進めるしか方法がない。自然環境と共存しようとすれば、大規模化の道を捨て、小規模農業にジャブジャブ補助金を投入することによってしか農業を維持できない。国が佐賀地裁で敗訴した諫早湾干拓事業は、そうしたジレンマの象徴だといえるのである。

でも私は、小規模農業に生命維持装置を付ける所得補償政策しか当面は道がないと思っているし、それでいいとも思っている。それが国民にとって高くつく話であったとしても、そこを説得し、理解を得るのが政府の仕事なのだ。

食品偽装が相次ぎ、国民の食への信頼が地に落ちた今、何かがおかしいとみんなが考え始めている。こんな状況だからこそ、国民に「高品質、高負担」の農業への理解を求める千載一遇のチャンスと当ブログは考える。「食べることを自分たちの手の中に少しでも引き寄せておく」…彼の語った方法こそ、偽装も食料危機もなくせる最高の解決策である。

彼と別れた私たちは、夕刻、男鹿半島の先端、入道崎を訪れた。「岬めぐりのバスは走る」という歌があったが(「岬めぐり/山本コウタローとウィークエンド)、いつ見ても岬はいいと思う。

その後、安宿にばかり泊まっている私たちにしては珍しく「男鹿観光ホテル」に泊まり、宴会をした。食事後は旅館街で地元の民謡の演奏を聴きながら夜が更けていった。

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