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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算309回目)でのスピーチ/3.11前に戻りつつある思考放棄、政府追随の裁判所

2018-10-05 21:29:21 | 原発問題/一般
 みなさんお疲れ様です。

 四国の伊方原発を巡り、9月末に相次いで運転容認の不当決定が裁判所で続きました。先週に続き、2週連続で裁判の話になりますが、今日はこのことについてお話ししたいと思います。

 福島第1原発事故後、裁判所が思い切った原発運転差し止めの判断をしていた時期も一時はありました。しかし今年に入ってからはすべて運転容認の判断でした。日本で原子力施設が運転を初めてから40年間でたったの2回しか住民側が勝訴できなかった3.11前に裁判所ははっきりと戻りつつあります。こうした不当な判断の背景にあるのは安倍政権への追随と思考放棄だと私は思います。

 9月25日、広島高裁で行われた伊方原発3号機の運転差し止め仮処分に対する異議審では、四国電力が行った異議申し立てを認め、昨年12月、同じ広島高裁の別の裁判長が行った運転差し止めの仮処分命令を取り消しました。昨年12月の仮処分命令が差し止めの根拠とした熊本県・阿蘇山の破局的噴火について、一転して想定を必要とせず、伊方原発の立地に不適切な点はないとの不当な判断です。決定は、阿蘇山噴火の可能性について「現在の知見では、その前駆現象を的確にとらえること」「具体的予防措置を事前にとること」はできないとした上で、毎日火山活動が続き、爆発的噴火もたびたび起こしている阿蘇山の噴火の発生頻度は著しく小さいと根拠もなく決めつけました。

 とりわけ許しがたいのはこの部分です。「国は、破局的噴火のような自然災害を想定した具体的対策は策定しておらず、これを策定しようとする動きがあるとも認められないが、国民の大多数はそのことを格別に問題にしていない」「破局的噴火によって生じるリスクはその発生の可能性が相応の根拠をもって示されない限り、原子力発電所の安全確保の上で自然災害として想定しなくても安全性に欠けるところはないとするのが、少なくとも現時点における我が国の社会通念であると認めるほかない」。

 これは、火山学者などの専門家でない原告住民側に火山発生の危険性の立証という不可能な難題を強いるものといえます。国が対策を講じていないから破局的噴火の発生可能性が低いといわんばかりの論理も完全に破たんしています。

 広島高裁に続き、大分地裁も9月28日、地元住民が行った運転差し止めの申し立てに対し「社会通念」を持ち出しました。福島原発事故後に改定された原子力規制委員会の「新規制基準」に基づいて、伊方3号機の危険性は「社会通念上無視しうる程度まで管理されている」としたのです。住民側の河合弘之弁護団長が「極めて無反省。『社会通念』で逃げるなら法律など要らない」と厳しく批判したのは当然です。

 火山リスクについて国民の大多数が問題にしていないとの指摘もきわめて不当です。日本世論調査会の今年3月の世論調査では、原発を「すぐゼロ」「将来ゼロ」にすべきとの回答はあわせて75%に達しています。国民の圧倒的多数は危険な原発の廃止を望んでいます。火山リスクを考慮せず、従来通り原発を運転してもよいとの「社会通念」などどこにも存在しないのです。

 今年7月、福井県・大飯原発3号機を巡って、名古屋高裁金沢支部は、原発そのものを法的に禁止・廃止することを「大いに可能」と認めながら「その当否を巡る判断は司法の役割を超えるものであり、……政治的な判断に委ねられるべき事柄」であるとして福井地裁が行った運転差し止めの仮処分を取り消しました。安倍政権に追随するあまり、司法が原発について判断を避け、実態のない社会通念などを理由に逃げる傾向が強まっています。かつて、自衛隊を違憲と認めるよう市民が求めた訴訟で、司法が憲法9条と自衛隊との関係について「政府による統治行為であり司法判断になじまない」として判断回避の不当判決を続けた時期がありました。最近の原発訴訟では、原発版「統治行為論」ともいうべき判断回避の論理が裁判所の主流を占めつつあるように見えます。

 しかし、裁判所が政府の「統治行為」を理由に自衛隊の違憲判断を避け続けても、市民の自衛隊に対する異議申し立てが減ることはありませんでした。2015年に強行された安保法制の国会論議でも、政府はまともな説明ができず、自民党が推薦する参考人でさえ現状の自衛隊を違憲と発言して政府与党を慌てさせました。法律の成立後も批判は続き、戦争法違憲訴訟は全国22地方裁判所の原告総数7516人まで広がっています。

 原発も同じです。裁判所は(1)実態のない社会通念(2)安全と証明されたわけではない規制基準への形式的な「適合」(3)地震や火山噴火がいつどこで起きると確実に証明できるものはない――の3点を主な根拠として住民の要求を退けたに過ぎず、原発の安全性を証明できたわけではありません。彼らのいう専門家、つまり御用学者の安全論を根拠に、形式的にでも原発の「安全性」の証明を「可能」としてきた福島原発事故前とは根本的に異なっています。原発を巡る矛盾はますます深まり、原発廃止を求める世論もこの7年半まったく揺らいでいません。その意味では、形の上で原告住民側の敗訴であっても、やはり3.11前に戻ることはできないのです。

 今後はこうした司法の弱点を突くと同時に国の原発推進政策を変えさせる闘いが必要です。この闘いは苦しく、時に希望を見失いそうになることがありますが、しかし沖縄県知事選では基地に反対する玉城デニーさんが勝ちました。心をひとつにしたウチナンチュのように、私たちも心をひとつにしましょう。県民の方を向かずに安倍政権の方ばかり向く候補者を退けた沖縄県民のように、私たち道民も心をひとつにして、道民よりも中央の顔色ばかり気にしている、植民地の総督のような知事は追放しましょう。高橋知事、私はいつもはあまり言いませんが、今日は言わせてもらいます。道民の方を向かない知事、道民の立場で判断しない、できない知事は要りません!

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