安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、masa710224*goo.jp(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

「逆神」状態の気象庁との正しい付き合い方

2013-02-08 22:51:12 | 気象・地震
気象庁、降雪予報またハズレ 挽回ならず「国民に迷惑」(産経)

今年の1月14日、成人の日を気象庁が「大雪にはならない」と予報したにもかかわらず、この日に首都圏が大雪となったことはまだ多くの方がご記憶だろう。振り袖姿の新成人が大雪に見舞われるのを気の毒に思ったものだ。

大雪と予報すれば降らず、大雪ではないと予報すれば降る。最近の気象庁は見事なまでの「逆神」ぶりだ。長期予報にしても、冷夏と予想すれば猛暑、暖冬と予想すれば厳冬というパターンがここ数年は続いている。冷夏と予想していたのが、暑くなり始めたら暑くなると予報を修正し、暖冬の予報の後、寒くなり始めたら厳冬と修正する。暑くなってから「暑くなる」、寒くなり始めてから「寒くなる」というのは実況であって予報ではない。

ここ数年は、気象庁よりも民間の気象予報士のほうが精度のよい予報を出しているように思う。なぜ気象庁はこんな体たらくになってしまったのだろうか。

明治時代に日本で初めて国立気象台による天気予報が始まった頃、予報精度は低く、「“測候所、測候所、測候所”と3回唱えれば、傷みかけた食べ物を食べても“あたらない”」という冗談が流行ったほどだ。最近では予報的中率は7割程度だが、「晴時々曇、所により一時雨か雷雨、山沿いでは雪」などという予報を出しておいて「的中」といわれても納得できないものがある。

最近、天気予報の精度が以前より下がったと感じている人が多くなったような気がする。実際には的中率は変わっていないと思うが、年末年始、GW、秋の行楽シーズン、大きなイベントや大学入試センター試験の日など、お天気が国民的関心事となる「ここ一番」のときに当たるか外れるかが予報全体の信頼性に大きく影響する。こうした「ここ一番」の日に外れが多いことが、予報精度の低下のイメージにつながっていると言えるだろう。

今から20年ほど前は、こうした「ここ一番」のとき、「迷ったら悪いほうに予報しておく」のが鉄則とされていた。晴と予報して雨だったら苦情が殺到するが、逆であれば苦情が少ないので、そのような「政治的判断」による予報が行われるときがあった。ただ、昔は良い方に予報が外れたときは苦情を言う人が少なかったが、最近は良い方に外れても苦情を言う人が多くなってきて、予報士・予報官にはやりづらい時代になった。世の中全体が世知辛くなったことの「とばっちり」の側面もあるだろう。

気象庁の名誉のために述べておくと、首都圏に大雪を降らせる「南岸低気圧」は天気予報の中でも最も難しいもののひとつである。実際には、発達中の低気圧が伊豆大島と八丈島の間を通り、なおかつ東京の気温が2度以下になったときに首都圏が大雪となることが経験的に知られている。低気圧がこれより北を通った場合は、首都圏には南から暖かい空気が流れ込むので雪ではなく雨となる。逆に、低気圧がこれより南を通った場合には、北~北西の季節風が吹くため、雪は首都圏ではなく日本海側に降ることになる。

こうした特性を知った上で、「逆神」状態の気象庁といかに付き合うべきか。気象庁を絶対視せず、数ある情報のひとつとして冷静な判断をすることである。気象予報士などの情報も参考にし、時には空を見て直接判断するのも有効な手段である。当ブログ管理人は、判断に迷ったときは天気図を見て直接判断することにしている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南太平洋・サンタクルーズ諸島で発生した地震について

2013-02-07 22:02:55 | 気象・地震
平成25年2月6日10時12分頃の南太平洋で発生した地震について(気象庁報道発表)

南太平洋・サンタクルーズ諸島で発生したM8.0の巨大地震で、日本にも津波が到達、最大で40cmを観測した。現地の情報はまだ伝わっていないが、甚大な被害が出ているであろうことは想像に難くない。

もっとも、過去にはチリ地震津波が日本を襲い、死者を出したこともある。地球の裏側からでも、津波ははるばるやってくることもある。

日本に津波が到達しなければ、まず国内では騒がれずに終わるはずだった地震だが、重要な点がいくつかある。まず、この地震がプレート境界で起きた海溝型地震、そして環太平洋地震帯上で起きた地震であるという点だ。オーストラリアプレートと太平洋プレートの境界である。

太平洋プレートの境界で起きた地震ということで、この地震がさらに太平洋プレートの端に位置する他の地域に影響する可能性がある。2011年2月にニュージーランド大地震が起き、1か月もしないうちに東日本大震災につながったように、次の地震が日本でないという保障はどこにもない。ぜひ警戒をしてほしい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書くこととしゃべること

2013-02-06 23:29:26 | 日記
妻が思うところあって買ってきた週刊「AERA」1月28日号の養老孟司さんのコラムを興味深く読んだ。普段の養老さんは、保守的な言論がかいま見えることもあって、当ブログ管理人はあまり好きではなかったのだが、「読み書きをおろそかにしたくない」と題した今回のコラムは私にとって大変好感の持てる内容だった。

『ここ最近の政治家を見て感じるのは、「しゃべる」ことには長けているが、書くものを読みたいとは思わない、ということ。書くといってもせいぜいツイッターかフェイスブックだろうが、それらは後々読みたい類のものではなく、あくまでも「瞬間芸」。その芸に、世の中がすっかり振り回されている。

 昭和を生きた政治家、とりわけ首相経験者であれば、その日記や回顧録には史料的価値があった。没後、仰々しい箱入りの本が出るのは一つの定番だった。平成以降、そんな本が出る政治家は果たしているだろうか』

『書くことは後世に歴史を残すことにつながるが、弁論はその場を制する手段である。その違いはかなり大きい』

『いま、日本でも書くよりしゃべるほうが優位になってきた。弁が立つことがもてはやされる。しかし、いかにもイデオロギー風の議論にどんな意味があるのか。読んで書くことを大切にしてきた日本語の本当の価値は、100年後か200年後かはわからないが、必ずや評価される日が来ると思う』

橋下徹・大阪市長が登場して以来、私がずっと感じていたモヤモヤ、違和感の正体を養老さんが解き明かしてくれたような気がする。橋下市長に典型的なのだが、最近の政治家は「今、この場で」相手を論破するのは大変うまい。それこそが政治家に最も必要な能力だと言わんばかりの風潮もある。

だが、こうした政治家には時間軸が欠落している。彼らにあるのは「今、目の前にある瞬間」だけだ。時間軸が欠落しているから、過去は「過ぎ去ってしまったどうでもいいこと」であり、未来は「そんなの知ったことではない」のである。だから、過去の自分の言動と今の言動が不一致であることに罪の意識もなく、その場その場のムードでヒラヒラと言動を翻して恥じないのだ。

『書くことは後世に歴史を残すこと、弁論はその場を制する手段』というところに、物書きとしての養老さんの矜持、意地を感じる。彼はここまではっきりと断言はしていないけれど、「しゃべることは『その場』で勝負することなのに対し、書くことは『歴史的時間軸』の中で勝負することなのだ」と主張したかったに違いない。

当ブログ管理人は、(おそらく養老さんも同じと思うが)書くことは好きだが、話すことは好きでも得意でもない。プレゼンや講演などのように、人前で何か話さなければならない場面ではいつまで経っても緊張から解き放たれることはないし、原稿を用意していないと要領よく話すこともできない。バラエティ番組に出演するタレントのような気の利いたアドリブなど決してできない。

それでも私は、しゃべることが得意な人たちに対し劣等感を抱いたことはあまりない。本当に大切なことは、これまでも会話ではなく文章で伝えてきたし、どんな形であれ文章に書いたものは残って蓄積されていくからだ。録音・録画技術が発達した今、書くよりしゃべるほうが得意な人たちも自分の言葉を記録して後世に伝える手段を得た。しかし、500年後に今のDVDと互換性を持つ再生機が残っているかはわからないし、ICレコーダーの使い方を500年後の人類が理解できるかどうかもわからない。それに対し、紙に文字で自分の言葉を書いておけば、500年後の日本人にも確実に伝わり、彼らに政治的、社会的影響を与えることができるだろう。結局のところ、最もシンプルな手段で自分の言葉を書き残すことができる者が歴史の上では勝利する、と考えることもできる。

私が、世間的には実にくだらないと思うようなことも当ブログに記録し続けているのにはこのあたりにも理由がある。当ブログのような思想・信条・言論を持つ者は今の日本社会では少数派だろう。口下手な少数派が橋下市長と同じ土俵で勝負することは得策とは言えない。「始末してやるから、さっさとかかって来いやコラ」と挑発するケンカ上手の相手に対し、ノコノコとリングに上がるのは愚の骨頂だ。それよりも大切なことは長い歴史を見据えて行動し「最後に勝つ」ことである。それには書くことが最も有効な手段といえる。

ケンカに負けた者が「覚えてろよ。最後に勝つのは俺だ」という捨て台詞を残して去る、というシーンはドラマや漫画、小説ではよくあるが、政治的な闘いではそれが冗談ではなく実現することもある。ケンカ上手のポピュリストに政治的に勝つため市民派は何をすべきか、このところインターネット上での議論が続いているが、そうした人たちもまた「憎たらしい橋下を今、この場で打倒してやりたい」と考えている時点で彼らの術中にはまってしまっている。残念なことだが、栄枯盛衰は世の習わし、そのうち時代が転換するときが来る、と気長に未来を見据えて頑張るしかない。

虎は死して毛皮を残し、市民は死して書を遺す。それに対し、しゃべることしか能がない馬鹿どもには死して遺すものすら何もない。今は時代の寵児として飛ぶ鳥を落とす勢いだったとしても、結局、彼らは虎以下で終わるのではないだろうか。

養老さんのコラムを読んで、そんなことを思い、なんとなく勇気が湧いた。当ブログも今、あわてて勝ちに行くのではなく、書くことの地道な蓄積を通じて「歴史で勝つ」ことに努めたいと思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笹子トンネル天井板落下事故現場を取材

2013-02-05 00:18:06 | 鉄道・公共交通/安全問題
2月3日(日)午後、当ブログは、予定通り中央自動車道・笹子トンネル天井板落下事故現場に入り、取材を行いました。

その模様が「レイバーネット日本」サイトに掲載されましたのでお知らせします。内容は、こちらからご覧いただけます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨夜の十勝地方中部の地震について

2013-02-03 09:38:59 | 気象・地震
平成25年2月2日23時17分頃の十勝地方中部の地震について(気象庁報道発表)

詳細はリンク先の通りだが、震源地は十勝地方中部、震源深さは108km。地震の規模はM6.4で、M7.2だった阪神大震災の約30分の1だ。発震機構(地震のメカニズム)は南北方向に圧力軸を持つ型である。圧力軸という表現から逆断層型という理解でいいだろう。「沈み込む太平洋プレート内で発生した地震」とあるが、震源地から見て北米プレートの間違いではないか。

この地域は、太平洋プレートと北米プレートの境界に近く、1982年以降の20年間にM6.5以上に限っても4回の地震が起きている。いわば地震の巣だ。通常の地震活動の範囲内のものであり、数年おきに発生する地震の一環と考えられる。今後、よほど目立った余震活動がない限りそれほどの心配はないと思われるが、数日間は余震に十分警戒してほしい。

なお、東通原発のある青森県東通村で震度5弱を記録、長い揺れが1分以上続いたとの情報もあることから、当ブログでは今夜、臨時に放射線量測定を行う予定である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【管理人よりお知らせ】明日3日(日)、当ブログが笹子トンネル天井板崩落事故現場に入ります

2013-02-02 17:49:26 | 鉄道・公共交通/安全問題
管理人よりお知らせです。

当ブログ管理人は、明日2月3日(日)、山梨県・中央自動車道笹子トンネル天井板崩落事故の現場に入ります。(参考記事:読売新聞

報道関係者向けの限定公開ですが、インターネットメディアのフリー記者も取材に入れることを確認しており、当日は、当ブログ管理人が記者資格を持つ某インターネットメディアとしての取材となります(取材申し込みは、2月1日(金)午後3時をもって締め切られました)。

当日の模様については、当ブログでも報告する予定です。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民圧勝でも…脱原発デモは続く 目立ち始めた“光り物”

2013-02-01 22:23:53 | 原発問題/一般
自民圧勝でも…脱原発デモは続く 目立ち始めた“光り物”(スポニチ)

毎週金曜日、首都圏反原発連合(反原連)が主催する首相官邸前行動はすっかり定着した。昨年6月、爆発的高揚を見せたあの20万人には遠く及ばないが、それでも毎週、6000~7000人の参加者が官邸前に集う。抗議行動は、大きく官邸前、国会前、「ファミリーエリア」の3カ所に分かれ現在も続いている。

そして、記事にあるように最近目立ってきたのがいわゆる「光り物」だ。当ブログ管理人が参加した昨年12月14日の官邸前行動でもLEDに「原発廃炉」と表示させて官邸に向けている人がいた。

これには、秋~冬は日没が早いという事情も関係していると思う。反原連主催の官邸前行動は午後6時に始まり午後8時に終わる。日没の早いこの時期は行動が始まる午後6時の段階ですでに周囲は真っ暗。せっかくプラカードや横断幕を掲げてもまったく見えないことが多いからだ。日没の遅い夏になれば、またプラカード中心のスタイルに戻るのではないだろうか。

行動参加者が長期戦を見据え始めたことはよい兆候だと思う。過去ログにも書いたとおり、大きな社会変革は一朝一夕にできるものではない。旧東ドイツでは市民のデモが8年間も続き、ホーネッカー体制の打倒につながっていった。どんなに情勢が厳しくとも、選挙がもはやまったく民意を反映しなくとも、ライプチヒ市民のように私たちは粘り強く原発ノーの声を上げ続けるべきなのだ。

国会前や官邸前は今、どちらかというと高齢者が多く若者はファミリーエリアが中心だ。だが高齢者は忍耐強いことに特徴があり、何度でも足を運び続ける。若者が個性豊かな運動を作り、粘り強い高齢者がこれに呼応する好循環の中で運動が維持され深化し続ける。官邸前行動は、そうしたダイナミズムの中にある。

問題は、この事態になってもメディアがまったく市民の闘いを黙殺し報道しないことだ。折しも「国境なき記者団」が報道の自由度で日本を53位とした(参考記事(時事))。報道の自由度で日本は、一昨年の11位から昨年は22位に後退、今年は一気に53位まで急落した。国境なき記者団は日本急落の理由を臆することなく率直に告白している--「東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で過剰な報道規制が行われ、報道の多元性が制限された」と。

旧坂を転げ落ちるように順位を下げ続ける日本の「報道の自由度」はこの間の日本の国際的評価の急落と軌を一にしている。官邸前に集う市民の間では、すでに政府・官僚・学者・マスコミは「情報を隠すのが本業」だというコンセンサスすらできているように思える。自覚する市民と劣化する一方の社会システム…日本はこの先、どこに向かうのだろうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする