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メタ認知過剰にも注意が必要」人気過去記事の再掲

2021-02-03 | 安全、安心、
2007-10-31

メタ認知過剰にも注意が必要

  ongoing reflectionは、通常は、何か事が起こった時、とりわけ、失敗したり、仕事がうまく運ばなかったりした時に自然に働く。「あれ! どうしたんだろー」というわけである。

 それを、ここでは、通常の仕事をする事態であえて働かせることを想定している。それだけに、本来なら仕事のほうに注がれるべき注意資源をさいて、メタ認知を働かせるほうに費やしてしまう可能性がある。そうなると、仕事のパフォーマンスも下がってしまう。エラーをしない仕事をしようとしてメタ認知を働かせたのに、かえってエラーをしてしまったという、「むかでのパラドックス」(むかでさん、どうしてそんなに上手にたくさんの足を動かせるのですか、と問われたとたん歩けなくなってしまった!)が発生してしまう危険性がある。

 さらに、メタ認知過剰は、リスクのある行動を事前に回避してしまう(リスク・テイキングしない)可能性がある。いつも、安全な仕事しかしないということになりかねない。結果として、看護技術の練度がいつまでたってもあがらないことになる。

@@

メタ認知力のチェックリスト(松田文子らによる)

1)自分が用いる方法・方略がどのような問題解決のときに最も効果的なのかを知っている
2)どのようなやり方が有効か、十分考えてから課題に取り組む
3)問題の中の重要な部分に意識的に注意を向けている
4)自分がどの程度よく理解できているかについてうまく判断できる
5)問題が解けたとき、自分がどういう方法・方略を用いたかわかっている

6)問題に取り組んでいるときに、うまくいっているかどうか、定期的に自分でチェックしている
7)勉強するときは、その目的にあわせてやり方を変える
8)勉強したり課題を行うときには、計画を立てる
9)考えが混乱したときは、立ち止まり、もとに戻って考える





援助

2021-01-25 | 安全、安心、

援助ーー助け助けられは当然なのだが

●都会の不思議
 最近、立て続けに、マンションで、姉妹が殺され、さらに女子高校生が殺害されるニュース報道をみた。例によって、近隣の人々の顔を隠したインタビューがある。そして、「どさどさというような大きな物音が聞こえた」「きゃー助けて、という叫び声や争う音が30分くらいにわたり聞こえた」などなどという。
不思議なのは、自らがその時に積極的に何かをした形跡がないことである。「助けてー」の悲鳴が聞こえた時に、近隣の方々が一斉に表に出てみるだけでも、状況はかなり違った展開になるかもしれないのにと思うのだが。

●傍観者効果
そうは言っても、実は、援助行動も援助要請行動もそれほど単純にはいかないことが知られている。
たとえば、傍観者効果。
衆人のいるところで、突然、胸を押さえて倒れたとする。周囲の人々が一致協力して助けてくれるであろうか。実際にこんな実験をした社会心理学者がいたのである。注1***
結論は、そんなことにはならない、周囲の人々はあくまで傍観者のままとどまっていた、となる。そこで、これを傍観者効果と呼んだのだ。他者の存在が、素直な援助行動を抑制してしまったのである。
周囲の人々が冷静なのだから援助を必要とはしない事態なのかも、と考えてしまったり、何もあえて自分が渦中の栗を拾うようなことをしなくとも、と考えたり、もし自分だけが援助行動をして失敗したりすると恥ずかしい、と考えたりしてしまうらしい。
いずれにも、そう言われてみれば、というところがある。

●それでも困っている人を助けたい
多彩なボランティア活動の存在にもみられるように、それでも、誰もが心のどこかに、困っている人をみたら、素直に返報なしに助けてあげたいという気持ちを持っている。その気持ちを実現する行動を愛他的行動という。傍観者効果は、衆人監視の社会的な場面での緊急事態であるがゆえの効果と考えたい。
愛他的行動は、他者に対する同情が基本になる。他者のつらい気持ちや困った状況を見て、自分も他者と同じような気持ちになれないと、行動にはならない。ただ、防犯、防災、事故対応にかかわる場面では、同情だけでは不足である。困った状況にいる人を見たら助けるのは、社会的な義務でもある。周囲の人々が自分のできること、するべきことをそれぞれがすることである。

●援助を良質なものにするために
地震災害地に援助物資として古着がどっさりと届き困惑している映像が報道されたこともあるように、助け、助けるにしても、ただやみくもに行動すれば良いというこものではない。
まず、援助要請行動のほうである。
何をおいても、援助してほしいことをしっかりと表現することである。
援助をためらわせる心理的な圧力もある。衆人に向けて援助の声をあげるのは、時と場所と状況によっては、かなり勇気がいる。警察に駆け込むほどには切迫していないのかもとの状況認識の甘さもある。これが、事態を悪いほうに向かわせてしまうこともある。注1*****
援助を受けるのは何も恥ずかしいことでもない。とりわけ、防犯、防災、事故対応の場では、それは当然の権利と言っても良い。それくらいの「強い」気持ちがないと、援助要請行動にためらいが出て、結局、どんな助けが必要かの表現が十分にはできないことになる。
さらに、必要な援助は素直に受けることである。日本人の美徳とて、遠慮と返報の心が強い。これが、援助の受け入れを屈折してものにさせてしまうことがあるので、要注意である。とりわけ、そすいたメンタリティを強く持つ高齢者では、その援助が必須であるにもかかわらず、そのことを言わない、受けとらないようなケースもある。
次は、援助行動のほうである。
援助要請行動ができないほど壊滅的、危機的な状況にさらされていることも多い。その状況の中から、何が最も緊急かつ重要な援助かを見きわめなくてはならない。事態認識力である。緊急時には無用な援助ほど迷惑なものはない。地震災害などにかけつけたボランティア活動の中に、そんなケースがたまにあったらしい。同情心に加えて状況認識力も必要である。
援助行動を効果的なものにするにはさらに、援助する人々の組織化が不可欠である。日本の行政組織は、その点、いつも見事な力を発揮する。上意下達型でもよい、あるいは、ネットワーク型でもよい。人々が組織の中で援助しているという意識を持つことが、円滑で効果的な援助行動につながるし、援助を受ける側にも安心感がある。一人でできることには限界がある。なお、別項で考えることになるが、その組織をより一層、効果的に機能させるためには、リーダー、サブリーダーの役割も、事態が緊急度を増すほど大切になってくる。日本社会では、この点が弱点ではないかと思うが、昨今の小泉政権をみていると、このあたりも改革が期待できそうである。(K)

注1 Latane,B, et al,1970   
注2 自宅には、防犯ブザーが5個、あちこちにおいてある。ある時、間違ってそのうちの1個を鳴らしてしまった。あわてていたので、止める操作をするまでにかなり時間がかかってまった。隣近所の様子をうかがったが、なんの変化もなかった。







これも詐欺メール???

2021-01-24 | 安全、安心、
lineに「宅配便、持ち帰りました。」とある。
心当たりはなかったが、いついつなら在宅と返信した。
電話番号もあったが、しなかった。
やや怪しいなーと今にして思う。
冷静に考えれば、宅配便がlineの番号をなぜ知っているか、不思議。

<<結局、何もなかったので、詐欺メール
「参考」朝日新聞デジタル
>
記事
宅配業者装うSMSに注意 スマホ乗っ取られ詐欺に悪用


としよりは騙されやすいと自覚はているのだが。
それに、外部とのつながりは、絶ちたくないからなー



状況認識

2021-01-18 | 安全、安心、

状況認識 ———何が起こっているかを知る

●緊急事態の特徴
緊急事態に慣れているのは、消防署員や救急援助隊員や警察官である。普通の人にとっては、緊急事態はほとんどいつもはじめて遭遇することになる。したがって、そこでは普段とはまったく違った状況認識や行動をすることになる。これも緊急事態の特徴の一つであるが、さらに3つの特徴がある。
一つは、時間切迫がある。心臓発作で倒れれば、ただちに蘇生手当が必要になる。
もう一つの特徴は、周囲の状況の中でそこだけが際立っているということがある。火災は、周囲の平静さから顕著に際立っている。
3つ目の特徴は、注目、注視である。ひったくりにあって大声をあげれば、周囲の人々はそちらのほうに目を向ける。
さらに4つ目の特徴を挙げると、平常な状況に早く回復するという目標が明確なことである。火事なら消す、交通事故なら怪我人を助け、車を片づけなければならない。

●はじめて状況に遭遇すると
 我々は、絶えず、今現在の状況がどうなっているかをチェックしながら行動をしている。そして、ほとんどは、その状況は、いつもの慣れ親しんだものである。したがって、無意識のうちに、行動にふさわしい状況認識をしている。
これが、旅行などではじめての場所にいったりすると、情報が一気に増えてくる。旅行なら、それは楽しみの一つであるが、これが緊急事態であったらどうであろうか。
緊急事態には、時間切迫がある。しかも、やらなければならない目標がある。周囲からの注視もある。そうした制約の中で、妥当な状況認識をするのはかなり難しいところがある。

●顕著なものに騙される
緊急事態には顕著性がある。それが、状況認識を誤らせる。手で胸を押さえてうずくまっていたら、すぐに心臓発作と判断してしまう。大声での言い争いは夫婦ゲンカと思いこんでしまう。つまり、注意を引きつける顕著な手がだけに基づいた判断をしてしまいがちなのである。
いつもと違った状況では、判断すべき情報が多く、しかも、あいまいである。たちまち何が何やらわけがわからないという状態になりがちである。しかし、状況は即断を求めている。となると、今眼前で目に付いた手がかりで自分なりの解釈ができるものだけに基づいて状況を認識しようとする気持ちになるのは当然である。
緊急事態の状況認識の方略としては、これはこれで有効である。いつまでもあれこれ迷って優柔不断のままでは、事態はどんどん進んでしまうからである。
問題は、こうした状況認識が妥当でない場合があることである。

●思い込みが怖い
普段の我々の状況認識は、認識の中核になる情報と、それを取り巻く周辺的な情報とが一体になっておこなわれる。いわば、ゲシュタルト的な認識注1***をしている。それが、妥当な認識へと導く。
緊急事態のように、顕著な手がかりだけを周囲から孤立して認識をしてしまうと、その顕著さと孤立ゆえの判断、解釈の思い込みエラーの可能性が高くなってしまう。
かといって、あらゆる情報を吟味してからおもむろに慎重判断をする、というのでは遅すぎる。

●緊急事態での状況認識を妥当なものにするために
ここでは、繰り返すが、緊急事態の仕事をする人々についの話ではなく、普通の人々が突然、緊急事態に遭遇した時の状況認識の話である。こんな心構えが有効である。
1)あわてない
時間切迫は、人をあわてさせる。事態の進行速度のほうが人の行為の速度よりも速すぎてギャップが大きくなると、それを埋めようとしてあわてる。限界を超えて行為のスピードをあげるので、ミスしがちである。あわてないためには、自分の行為を実況中継するような気持ちで言葉にしてみるとよい。言葉が行為を調整してくれるからである。
2)大局的、多角的に考えるようにする
 思い込みによる誤った状況認識を避けるためには、情報的に自閉しないことである。事態を鳥瞰図的に眺めてみる、一歩引いて観察してみる、観点を変えてみる、などなど。
3)思いを口に出して周囲と情報交流を活発にする
 思い込みは頭の中で起こる。それをできるだけ口に出すことによって、周囲からのチェックを受けられるようにする。さらに口に出すことの効果は、自問自答による自己チェックをも期待できる。
3)いろいろの人の意見に耳を傾ける
 「緊急事態で役立つのは普段は役に立たない人」という冗談がある。それは、事態に巻き込まれていないフレッシュ・アイを持った人の意見を聞けという忠告でもある。思い込みエラーを防ぐには、周囲からものを言ってもらえる環境が必要なのだ。(K)



******

 
注1 ゲシュタルト的認識の例としてよく挙げられるのは、図に示す主観的な輪郭がある。全体的に見るからこそ、陽にはない四角が見える。








オレオレ詐欺の心理学」心理学基本用語

2020-12-09 | 安全、安心、
オレオレ詐欺の心理学

高齢者を狙ったオレオレ詐欺の中核になっているのは、高齢者を思い込みの世界へ誘導してしまうことである。

そのために使う3点セットがある。

一つは電話。電話はコミュニケーションの道具としては性能はよくないが、それが嘘を見抜けなくさせている。

二つ目は、孫や子どもなど最も関心の強い家族のトラブルのでっちあげ。3つは時間切迫の演出である。

この3点セットによって、高齢者を一気に認知的なパニック状態に陥れ、まともな情報処理ができないようにして、嘘の世界を真実と思い込ませてしまう。

思い込ませてしまえば、後は思いのままに高齢者を動かすことができる。



3重窓を全部しめてみた

2020-11-19 | 安全、安心、
いつもは、一番外側の電動シャッターは閉めない。2重のガラス窓になっているから。
いくらなんでも、これをつきやぶっての空き巣ねらいはないだろうと思っている。
でも、最近、ニュースをよくみるからか、空き巣、強盗、詐欺が多いような気がする。
きをつけるのに越したことはない。
特定屋なるものもいて、ブログなどを手掛かりに住所氏名を特定するらしい。
警戒するに越したことはない。




自転車が怖い

2020-11-17 | 安全、安心、
東国原英夫

@higashi_kokuba

② を当てられた。腰痛治療のウオーキング中であった。何とか転倒はしなかったが、その腰に激痛が走った。自転車の運転手はそのまま猛スピードで逃げて行った。社に文句を言っても、彼等は契約の個人事業主
@@

東京は、歩道が広い。
自転車と歩行者とが混在。
おまけに、我々のようなよたよた歩きのシニアも多い。
さらに、最近は、電動自転車のママチャリもさっそうと走っている。
そこに生活をかけて歩合制の配達自転車が加わった。

事故がおきないのが不思議。
規制と補償しか、解決策はないかなー
自分も、右肩癌なので、そこに当てられたらと戦々恐々。







これで3人目

2020-11-12 | 安全、安心、
いずれも若者でほぼ同じ年ごろ。
ジャンパー姿で呼び鈴を押す。
最初の若者、インターフォン映像からは安心できそう。
ガス屋さんが、電力会社と組んで料金を安くというセールスらしい。
結局、我が家は条件を満たさず、さよなら。
2日後、4日後に、ほぼ同じ風袋の若者が呼び鈴を
押す。
多分、同じ目的のセールスだと思うので、出なかった。

押し込み強盗が流行っているこの時期のセールス、
大変だろうが、身の安全を守るためには、申し訳ないが会えない。



安全研修

2020-11-01 | 安全、安心、
05/9/18
安全研修———研修は万全ではない

●安全研修のさまざま
組織に入るとすぐに、さまざまな研修を受ける。その一つに、安全研修も含まれる。
安全研修に限らないが、研修には大きく2つのタイプがある。
一つは、座学である。
椅子に座って、先輩や上司から話を聞くタイプである。提供される知識*は、もっぱら宣言的知識に分類されるものである。多くは、テキストに書かれるような内容(意味的知識)になるが、個人的な体験に基づいた知識(エピソード的知識)も一部含まれる。これによって、安全に関する組織の使命や内容の概要を知ることができる。
2つは、実践である。
仕事の現場、安全の現場ですることを身体を動かして学ぶのである。座学が、教え方にもよるが、提供できる知識量がかなり豊富であるのに対して、実践研修でできることはかなり限定される。そのレパートリも習熟レベルも初期段階にとどまることが多い。基本的なことに限定して、あとは、現場で、となる。安全研修に関しては、ここに、技能未熟によるエラー、事故の発生の芽がまかれる。「4月は病院にかかるな」との忠告も耳にしたことがある。

●研修と現場
研修はきれいごと、現場は3k(きつい、きたない、きつい)というように、ともすると両者は分離してしまいがちである。これがひどくなると、研修は組織が与えてくれた公認の休息時間になってしまう。とりわけ、安全研修の場合、安全な状態が長期間にわたり続き、誰もが安心し切ってしまっているような時———そんな期間が圧倒的に長く続くのが普通———には、こういうことになりがちである。
研修と現場とをいかにつなぐか、すなわち「現場密着の研修」をいかに企画実践するかは、研修担当者にとっては非常に悩ましい問題である。
これを解決するためには、現場から研修の課題を吸い上げる努力を怠らないことである。「こんなことで困っている」「こんなことを知りたい」との声が届くようにしておくことである。その上で、
研修の頻度、座学か実践かも含めた研修の形態ややり方を考えることになる。
もう一つは、OJT(on the job training)である。項をあらためて考えてみる。

●仕事をしながら安全を学ぶ
現場は学びの宝庫である。教師としては、仕事に熟達した先輩がいる。教材は目の前の一つ一つの仕事の中にある。しかも、いつもその気になれば、学べる環境がある。
したがって、OJTはうまく実践できれば、研修としては、その効果を期待できる。OJTは、T(訓練)をはっきりと意識しなくとも、自然に教え学ぶ関係ができてしまう職場もある。しかし、安全に関しては、自然のOJTに任せてしまうのはあまり適切とは言えない。それなりの研修体制の中に組み込んでおかないと、知識の空白や偏り、つまり当然知っているはずのことを知らなかったり、というようなことが起こりってしまうからである。
研修担当者は、誰に何を教えてもらうかをきちんと把握した上で、そのことを教師役に伝えておくことが必要である。

●OJTでは何を誰が教えるか
教える内容は、個別領域ごとの具体的なものになる。可能な限り、全体との関連づけ、座学で学んだ一般的、抽象化された知識との関連づけをしながらの指導が望ましい。
OJTのメンター(mentor;教師役  注1***)は、職場の先輩、エキスパートになる。
その多くは仕事に熟達している。時には職人の域に達している。教えるよりは仕事をするほうを好むタイプが多い。したがって、メンター役には不適ということもある。
乱暴な指導で新入社員が逃げ出してしまうようなこともあるらしい。師匠—弟子型の学びは、学びへの動機づけが高く、達成目標が明確な時には有効だが、会社での学びのモデルとしては、昨今の若者のメンタリティからすると、無理がある。
OJTを一つの教育としてきちんと位置づけて、ただそこにたまたまいた仕事のエキスパートをメンター役にするというような安易なやり方ではなく、研修指導の教育を受けたメンターのもとでのOJT教育を考えるべきであろう。
もう一つOJTで大事なのは、教え方である。
長年の経験の中で培ってきた知の多くは暗黙化されている。したがって、口で説明することがなかなかできない。実際にやってみせて学んでもらうしかない。実演と模倣による学びが必須である。
それを保証するためには、時間である。たった一度の学習機会だけでは学習効果はほとんど期待できない。要素動作の反復練習の積み重ねが必要である。その時間のスパンは、職人になると、何万時間に及ぶことさえある。

●現場力を高める
 最近、現場力の低下が叫ばれている。知識や技能の伝承がうまくいっていないためとの指摘があります。その背景には、大きな流れとして、コンピュータ化があると思いますが、やはり現場からの強い声もあるように、人の教育という原点に戻った対策が、とりわけ安全に関しては必要ではないかと思う。(K)


*脚注「知識の分類と教え方」
  宣言的知識 手続的知識

意味的知識 エピソード的知識

座学     実践

注2 楽天(株)では、ダブルメンター制度を取り入れている。
一つは、業務メンター。新入社員が所属する先輩社員がなる。言うまでもなく、業務全般のOJTの先生役である。もう一つは、マインドメンター。困った時の相談相手となる。別部署の先輩がなる。
(日経ビジネス associe,05/11/01号)



ガス屋さんがきたー!!

2020-10-26 | 安全、安心、
電気やガス関連の訪問強盗が頻発のニュースが流れている。
11時頃、若い男性一人、ガス屋さんが来宅。
怖いので、門扉越しにやりとり。
ガス会社と東京電力が共同することで、
料金が安くなるので、手続きをしませんか、というもの。
あれこれやっているうちに、条件に該当しないことが判明。
結局、なにもなしで一件落着でした。

でも、まだまだ騙されない知性は残っていることがわかり安心。
でも過信は禁物。



アクティブなリスクは、生命を失うリスクでも許容できる。 パッシブなリスクは、わずかの可能性でも許容できない。

2020-10-18 | 安全、安心、

アクティブなリスクは、生命を失うリスクでも許容できる。
パッシブなリスクは、わずかの可能性でも許容できない。
(KH)
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タバコのほうが放射能よりはるかにリスクが高いらしい。
それでも、放射能のほうは、許容できない。
それは、喫煙のように自らが向かっていくアクティブなリスクには、それなりのリターンがあるからだ。かりに肺がんになっても、納得できる。
しかし、放射能のようなどうしようもないパッシブなリスクは、なんのリターンもないがゆえに、リスクが低くとも、許容できない。
放射能ゼロを目指して除染作業が金が続く限り果てしなく続くことになる。


高齢者インフルエンザワクチン予防接種助成券

2020-09-19 | 安全、安心、
高齢者優先なのか、市役所から丁寧な封書で届いた。
今年は、新型コロナワクチンもぼちぼちだろうから、
それよりはやく高齢者にインフルエンザのほうをしてしまおうということか。
ありがたいことだが、これまで一度も、接種したことがない。
今年は、せっかくだから行くかなー
ちなみに公費負担額は2000円とのこと。


監視」安全・安心の心理学

2020-09-16 | 安全、安心、
05/11/17

監視
———監視していれば安心

●監視カメラ花盛り
監視カメラが花盛りである。犯罪の多発する繁華街には警察が設置しているし、ATMでも、また万引きの多い商店では、監視カメラはごく当たり前の風景になっている。
これを称して、「監視社会の到来」と危惧の念を表明している人々もいるが、富士総合研究所の調査では、設置を必要とする場所によって結果は異なるが、6〜9割の人々が設置を望んでいる。それだけ、安心、安全への不安が高まっているのであろう。
 なお、監視カメラのねらいの一つは、犯罪現場や違法現場を再現することで犯人逮捕と証拠保全をねらうものである。時折、ニュースとして、人物映像が公開されて犯人逮捕につながることもある。
もう一つのねらいは、監視していることをアピールすることで、「悪」を抑制することである。あえて、「防犯カメラ作動中」の表示を目立つようにしてあるのは、そのためである。

●監視の心理学
監視をカメラで代替できるようになるまでは、人がその役割を担っていたし、今でも、プラント制御や航空機管制などの仕事は、現場から送られてくる映像を人の目に頼ったモニター監視やレーダー監視が中心である。
心理学では、こうした監視業務をビジランス(vigilance)と呼んでいる。コンピュータの導入によるシステムの自動化が進行するについて、ビジランスの仕事は増えている。
ビジランス業務とそれに従事している人の心理的な特徴を挙げておく。
○ほとんどいつも異常なし
領域にもよるが、異常の発生、危険(標的)の存在は、高々数%である。コンマ以下のところもめずらしくない。しかも、発生は、その場所も時間もほとんどランダムである。したがって、ついうっかり見逃してしまう可能性が高くなる。
○それでも一定程度の注意を絶えず注いでいなければならない
そんなところから、持続的注意課題とも呼ばれることもある。
人の注意の持続には厳しい限界がある。いつも一定レベルの注意を長時間持続することはできない。過酷な場面でのビジランスなら30分程度が限界である。注意レベルを高めておくための次のような工夫が必要となる。
 ・バックグランド・ミュージックや照明など作業環境を整える
・疑似危険信号(ダミー)をあえて発生させる
・視覚だけに頼らないで、聴覚にも訴える
・ブリンキングや色などによって、目立たせる
・休憩管理を厳格におこなう
○虚報も発生する
危険を見逃すミスをしないようにしているので、虚報
(false  alarm)、つまり本当は危険は存在しないのに危険と判断してしまう確率が増える***注1  安心、安全のためには、危険(標的)の徴候を見逃さないように、規準を緩くしてあるからである。つまり、怪しい時には危険あり、と判断するようにしているのである。それは、時には狼少年の汚名を受けるかもしれないが、喜んでそれを受け入れる覚悟を持つことも状況によってはあってもよいし、組織としてもそれを認める雰囲気を醸成しておかなければならない。煙草の煙に火災報知器が反応してしまうのは困るが、火災を見逃してしまうリスクを考えれば、許容される。

●監視されるのはいや
何も悪いことをしていないのだから監視されていてもどうということはないとの思いを持っている人が大半ではないかと思う。しかし、これまた誰しもが、「万引き防止カメラ設置」の表示をみると、平常心より少し緊張したり、お客をこの店は信用していないのかとのちょっとした不信感を持つはずである。
これがもっと大規模になると、権力による監視への不安感、恐怖感となる。警察では主要道路を通る車の番号はすべて記録している。犯罪摘発にかなりの効果を発揮しているらしい。
しかし、こうした行政による無差別的な監視システムは、ジョージ・オーウエルの小説「1984年」にある「ビッグ・ブラザー」による国民総監視の世界にまで想像をたくましくすると、どうしても、ぞっとするような怖さを感じてしまう。
 これは、監視に関してだけでなく、安心、安全を考える時には、至るところで出てくる。つまり、「安心、安全であってほしい。そうかといって、窮屈なのは困る」という気持ちである。一般には、トレードオフ(trade-off)問題と言われている。
ぎりぎりのところで両者の兼ね合いを考えることしか、解決策はないのだが、大事なことは、兼ね合いをあれこれと考えることである。警察が監視カメラを至るところに、という動きに対して、それは困ると異義を申し立てる、逆に、子どもがもっと伸び伸びと自由に、という主張に対して、それでは安心、安全を保てないと親が異議を申し立てる。こうしたせめぎ合いの中で事を決めていくことが大事である。いずれか一方が強力になってしまえば、社会は混乱するか停滞してしまう。(K)
 




ハイリスク・ハイリターン社会

2020-09-13 | 安全、安心、
05/12/5海保博之

ハイリスク・ハイリターン社会

           ———危険だが便利、便利だが危険
  • リスク(risk )とは
 リスクとは、「生命の安全や健康、資産や環境に、危険や傷害など望ましくない事象を発生させる確率、ないし期待損失」である(日本リスク研究学会)。数学的な表現をするなら、リスクは、危険の発生確率と損失の大きさの積の期待値として定義される。
20世紀の科学技術の進歩は、ハイリスク(high risk)・ハイリターン(high return)社会を作り出し、多彩なリスクを受容しながら多大の便益を享受する社会構造を作り出した。これは、今後も止まることのない強力な社会的力として地球規模で展開されていくであろう。

●ハイリスク・ハイリターン社会
駅まで徒歩で行くより、車で送ってもらったほうが、ずっと楽で時間も有効に使える。しかし、車のほうがはるかに事故を起こしてしまう可能性が高くなる。これが、身近でのハイリスク・ハイリターンの実践である。
しかし、よくよく考えると、徒歩と車では、どちらがハイリスクかは一概には言えない。犯罪の多いところ、あるいは歩道の整備されていないところでは、徒歩のほうが、はるかにハイリスクになることもある。
この例からもわかるように、ハイリスク・ハイリターンと言っても、リスクの多彩さとリターンの内容の多彩さにまで立ち入ってみると、そして、ハイリスク・ハイリターン社会を支えている社会的な基盤や考え方にまで思いをはせてみると、それほど事は単純ではないことがうかがえる。
やや話が散漫になるが、図のような3つのケースについて考えてみることで、このあたりについての認識を深めてみることにする。注1****

●ハイリスク・ローリターン
こんな事をめざすことは普通はあまりないのだが、ところがよくよく考えると結構ある。なんのリターンも期待できないのに、というよりむしろ莫大な損失が予想されるのに、信念や心情、憎しみや競争心などに駆られて負けるかも知れないリスクの高い争い、時には戦争をするようなケースである。
社会も人も利害得失だけでは動かないがゆえに起こるケースである。

●ローリスク・ハイリターン
ここに属するケースの典型は、臆病者のギャンブルであろう。一攫千金を夢みはするが、かといって、大金を投資して一文無しになるリスクは避ける。こうしたややずるがしこい心性は、誰の心にも潜在している。
またハイリスク・ハイリターン社会では、ハイリターンのままリスクだけは低下させる努力をすることがおこなわれる。これをリスク補償と呼ぶ。安全対策やリスク管理**注2**がその最たるものである。安全対策やリスク管理が必要な機械やシステムは使わないという選択をすると社会の効率が落ちてしまうので、リスク低下だけを限定的におこなおうというものである。安全、安心が今日本社会のキーワードの如くなっているのは、それほどハイリスク・ハイリターン社会になってきていることの証とも言える。

●ローリスク・ローリターン
ハイリスク・ハイリターン社会の典型を狩猟採取社会とすれば、ローリスク・ローリターン社会は農耕社会になるであろう。この対立軸は比較的あちこちにある。たとえば、原子力発電に対して太陽光発電、グローバリゼーションに対してローカリゼーション、ハイテクに対してローテクなどなど。
この対立軸を外側から支援しているのが、今の日本では、コスト、環境、人権の三大テーマである。つまり、そんなにコストがかかるなら核融合発電は考え直そうとか、環境に悪いからローテクでいこうとか、人権を侵害しそうだからIT化はやめておこうということになる。

4つの象限に分けて思いつくままに話をしてきたが、実は、この4象限は、アプリオリに決まっているものではないことに留意されたい。リスク認知は人によってまったく異なるからである。無謀運転をする若者にとって、車は、ローリスク・ハイリターンと認知されているであろうし、慎重運転を心がけている人にとっては、ハイリスク・ハイリターンと認知されているであろう。

●人はリスクとリターンのみにて生きるにあらず
人も社会も複雑である。ある単一の観点だけに従って生きているわけにはいかない。リスク対リターンの観点も、今の日本社会ではかなりメジャーな観点ではあるが、そんなこととは無縁な観点に従って生きている人も社会もたくさん存在する。
安全、安心を取り上げている本書では、リスク対リターンは中核となる観点であるが、局所最適化の罠に落ちないためには、それを越えた、あるいはそこからはずれた観点にも思いをはせてみることもあってよい。
(k)


注1 リスクとリターンを組み合わせた4つのケース
     ハイリスク

ローリターン     ハイリターン

     ローリスク


注2 職場でリスの管理をすることをリスクマネージメント、その仕事を担当する人をリスクマネージャーと呼ぶ。想定されるリスクを洗い出し、その重要度を査定して注1***、リスクが顕在化しないような手立てを考えたり、ヒヤリハット体験や事故報告を分析して事故防止策を立案して公表することで、エラー、事故を減らそうとするものである。






 


ドコモ詐欺事件

2020-09-09 | 安全、安心、
キャッシュレス・アプリをスマホに入れた。
いまのところ、使う機会はない。
確か、支払いは、カード会社になっているはず。
カード会社は、1月に一度、私の口座からの引き落としになっている。
つまり2段階になっているので、今回のような詐欺事件には巻き込まれないと思う。

ドコモ事件では、買い物すると即座に口座引き落としになっているのだろうか。
昔、銀行カードを作ったが、買い物をすると、直接、口座引き落としになることがわかり、ボイドしたこともある。

それにしても、こういう事件が起こるといつも思うのだが、それほどの知恵と技術があるなら、まともな世界でも、十分やっていけるはず。