心理学の応用研究と基礎研究
●心を知って、それでどうなるのですか?
昔、ある高校での講演で、「心の働きを知る」ことが心理学のねらいの一つであると話したところ、「心を知って、それでどうなるのですか」と質問されて、ぐっと答えに詰まってしまったことがあります。
一般に学問の有用性については、アカデミックな観点からと、プラグマティックな(実用的)観点からとの両方を考えてみる必要があります。「知る」のが前者、「それでどうなるか」が後者です。
アカデミックな観点からみた有用性とは、その学問領域の存在が、文化の生成・維持に貢献しているか、それを学ぶことによって精神的な豊かさが得られるかです。抽象的な言い回しですが、こうした表現しかできないところが弱みです。しかも、多くは、研究者の個人的な思考、ときには趣味(?)の世界が深化・普遍化されたようなところがありますので、ますます、その存在意義がわかりにくいところがあります。
プラグマティックな観点からみた有用性とは、言うまでもなく、生活の豊かさや利便性につながるかどうかです。高校生の質問は、こちらのほうを聞きたかったのだと思います。
学問分野によって、比重の置き方に微妙な違いがあります。
たとえば、文学や哲学などはアカデミックな有用性のほうに、工学などはプラグマティックな有用性のほうに重点がおかれています。最近は、プラグマティックな有用性のほうが強調されすぎている傾向がみうけられますが、これは1国の学問文化全体を貧弱なものにしてしまうことになりますので危険です。
さて、心理学はどうでしょうか。
最近の心理学ブームは、プラグマティックな有用性への期待からです。心をコントロールする理論や技術への期待です。
従来の心理学は、少なくとも日本においては、あまりにアカデミックなほうに傾きすぎていましたから、これで、ようやくほどよいバランス状態になったと言えます。
ところで、アカデミックな観点からみた心理学の有用性、つまり、心を知ることの有用性は、どんなところにあるのでしょうか。
抽象的には、前述したようなことになりますが、もう少し具体的に言うなら次のようなところに心理学のアカデミックな観点からの有用性を指摘することができます。
心理学の研究対象が心という人間にとって本質的なものですので、心にかかわりのある他の学問領域---哲学、言語学、人類学、社会学、情報科学、脳生理学など---に対して、中核的・学際的な役割を果たせることです。心理学を間において、たとえば、言語学と情報科学が協力することで、効果的な自動翻訳システムが作り出せることになります。
こうした事情を反映してか、心理学者としてトレーニングを受けながら、今では、工学者顔負けの情報科学者になったり、脳生理学者になったりしている人がかなりいます。その逆も、数は減りますがあります。
また、そうした心理学の役割を可能にするために、心理学の研究アプローチもかなり多彩になっています。哲学的なアプローチ、数学的アプローチ、医学的アプローチ、自然科学的アプローチ、工学的アプローチなどが、それになりに、心理学の中で有効かつ批判的に使われています。
●応用研究はわかりやすい
心理学に限らないが、科学の応用研究は、研究の目的がわかりやすいのが特徴の一つである。
「マニュアルをわかりやすくする研究」と言えば、誰にもただちに納得してもらえる。なお、これが基礎研究ともなると、テーマはわかってもらえたとしてもその意義まではまず無理である。時には指導教官にさえ理解してもらえないことさえある。たとえば、私の研究論文のタイトルを挙げてみる。
1.無作為図形の分類作業における手がかり利用の方略
2.漢字情報処理機制をめぐって
3.文字認識研究におけうウオルシュ変換の利用をめぐって
4.教育漢字の概形的特徴の心理的分析
5.先天盲の漢字存在感覚と漢字検索過程
6.メッシュ化されたカタカナ文字の視認性の精神物理学的解析
8.日本語の表記行動の認知心理学的分析
応用研究のわかりやすさは、ただちに、その結果の有用性を問われることになるところにある。ところが、心理学の応用研究一つでわかること、そしてその結果の有用性の程度は、ごくごく限定的である。ここでも基礎研究と同じで、たくさんの研究の積み上げが求められるのである。ところが、ここで基礎研究と違うところが出てくる。
●基礎研究はコスト・パフォーマンスが悪い
基礎研究は、他の多くは膨大な研究群の詳細な吟味から次の実験が計画され実施される。ある研究とそれを踏まえた次の研究との間に、論理的にしっかりとしたつながりがある。そのつながりがあるからこそ、理論が出てくるのである。
ところが、応用研究は、その時その場で解決を迫られていることがテーマとして取り上げられる。研究間の論理的な関係はあまり問わない。単純化して言うなら、計算のできない子供をできるようにするのはどうするかの方策を探すのが応用研究、なぜ計算ができないのかまで立ち返って研究するのが基礎研究なのである。
この違いは大きい。だから、基礎研究は必要なのだ。だから、基礎研究でのトレーニングが大切なのだ。となれば、よいのだが、財政的な不安をいだく官僚や政治家からすれば、そんなコスト・パフォーマンスの悪いところに資金は出せないとなりがちなのが、大問題なのだ。
●心を知って、それでどうなるのですか?
昔、ある高校での講演で、「心の働きを知る」ことが心理学のねらいの一つであると話したところ、「心を知って、それでどうなるのですか」と質問されて、ぐっと答えに詰まってしまったことがあります。
一般に学問の有用性については、アカデミックな観点からと、プラグマティックな(実用的)観点からとの両方を考えてみる必要があります。「知る」のが前者、「それでどうなるか」が後者です。
アカデミックな観点からみた有用性とは、その学問領域の存在が、文化の生成・維持に貢献しているか、それを学ぶことによって精神的な豊かさが得られるかです。抽象的な言い回しですが、こうした表現しかできないところが弱みです。しかも、多くは、研究者の個人的な思考、ときには趣味(?)の世界が深化・普遍化されたようなところがありますので、ますます、その存在意義がわかりにくいところがあります。
プラグマティックな観点からみた有用性とは、言うまでもなく、生活の豊かさや利便性につながるかどうかです。高校生の質問は、こちらのほうを聞きたかったのだと思います。
学問分野によって、比重の置き方に微妙な違いがあります。
たとえば、文学や哲学などはアカデミックな有用性のほうに、工学などはプラグマティックな有用性のほうに重点がおかれています。最近は、プラグマティックな有用性のほうが強調されすぎている傾向がみうけられますが、これは1国の学問文化全体を貧弱なものにしてしまうことになりますので危険です。
さて、心理学はどうでしょうか。
最近の心理学ブームは、プラグマティックな有用性への期待からです。心をコントロールする理論や技術への期待です。
従来の心理学は、少なくとも日本においては、あまりにアカデミックなほうに傾きすぎていましたから、これで、ようやくほどよいバランス状態になったと言えます。
ところで、アカデミックな観点からみた心理学の有用性、つまり、心を知ることの有用性は、どんなところにあるのでしょうか。
抽象的には、前述したようなことになりますが、もう少し具体的に言うなら次のようなところに心理学のアカデミックな観点からの有用性を指摘することができます。
心理学の研究対象が心という人間にとって本質的なものですので、心にかかわりのある他の学問領域---哲学、言語学、人類学、社会学、情報科学、脳生理学など---に対して、中核的・学際的な役割を果たせることです。心理学を間において、たとえば、言語学と情報科学が協力することで、効果的な自動翻訳システムが作り出せることになります。
こうした事情を反映してか、心理学者としてトレーニングを受けながら、今では、工学者顔負けの情報科学者になったり、脳生理学者になったりしている人がかなりいます。その逆も、数は減りますがあります。
また、そうした心理学の役割を可能にするために、心理学の研究アプローチもかなり多彩になっています。哲学的なアプローチ、数学的アプローチ、医学的アプローチ、自然科学的アプローチ、工学的アプローチなどが、それになりに、心理学の中で有効かつ批判的に使われています。
●応用研究はわかりやすい
心理学に限らないが、科学の応用研究は、研究の目的がわかりやすいのが特徴の一つである。
「マニュアルをわかりやすくする研究」と言えば、誰にもただちに納得してもらえる。なお、これが基礎研究ともなると、テーマはわかってもらえたとしてもその意義まではまず無理である。時には指導教官にさえ理解してもらえないことさえある。たとえば、私の研究論文のタイトルを挙げてみる。
1.無作為図形の分類作業における手がかり利用の方略
2.漢字情報処理機制をめぐって
3.文字認識研究におけうウオルシュ変換の利用をめぐって
4.教育漢字の概形的特徴の心理的分析
5.先天盲の漢字存在感覚と漢字検索過程
6.メッシュ化されたカタカナ文字の視認性の精神物理学的解析
8.日本語の表記行動の認知心理学的分析
応用研究のわかりやすさは、ただちに、その結果の有用性を問われることになるところにある。ところが、心理学の応用研究一つでわかること、そしてその結果の有用性の程度は、ごくごく限定的である。ここでも基礎研究と同じで、たくさんの研究の積み上げが求められるのである。ところが、ここで基礎研究と違うところが出てくる。
●基礎研究はコスト・パフォーマンスが悪い
基礎研究は、他の多くは膨大な研究群の詳細な吟味から次の実験が計画され実施される。ある研究とそれを踏まえた次の研究との間に、論理的にしっかりとしたつながりがある。そのつながりがあるからこそ、理論が出てくるのである。
ところが、応用研究は、その時その場で解決を迫られていることがテーマとして取り上げられる。研究間の論理的な関係はあまり問わない。単純化して言うなら、計算のできない子供をできるようにするのはどうするかの方策を探すのが応用研究、なぜ計算ができないのかまで立ち返って研究するのが基礎研究なのである。
この違いは大きい。だから、基礎研究は必要なのだ。だから、基礎研究でのトレーニングが大切なのだ。となれば、よいのだが、財政的な不安をいだく官僚や政治家からすれば、そんなコスト・パフォーマンスの悪いところに資金は出せないとなりがちなのが、大問題なのだ。
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