● 回想ってどんなもの
記憶には、覚えこむ(記銘)、覚えたものを保存しておく(貯蔵)、保存しておいたも
のを思い出す(想起)の3つの局面があります。
回想は、想起の一つで、自分の昔々の経験(エピソード)を思い出すことです。
昔々のことを思い出すのですから、ちょっと前を思い出しのとは少し違っています。その違いのいくつか。
① 必ずしも事実が思い出されるわけではない
一般的に思い出せる量も思い出した内容の正確さも、時間に反比例します。名前、場
所、エピソード、いずれも、昔になればなるほど思い出は曖昧になってきます。したがって、思い出せたとしても、どうしても不正確なものになってきます。
② 回想には一貫性がある
回想された内容は曖昧で不正確だとしても、思い出した人にとっては、それなりに一
貫したものがあります。なぜかというと、一貫性があるように自分で記憶している内容を編集してきているからです。編集を促すのは、自分自身やあなたの周囲に常にいた家族などです。
先ほど、「物語作り」という用語を使いました。記憶内容の一貫性のある編集とは、この物語作りと関係します。
ここで少しやや面倒で長に道草をします。でも、大事なことなのでちょっと我慢してお付き合いしてください。できるだけ、わかりやすく説明しますので。
「あなたは何者?」といきなり聞かれても困ってしまうと思いますが、実は、中学生頃から、陰に陽に、こんな問に悩まされ続けているはずです。
・ 自分にはどんな才能があるのだろうか
・ 自分の性格は
・ 自分は人に好かれているのだろうか
自分なりの世界(自我)が広く深くなっていく時期だからです。
もとより「自分が何者?」かなんてビッグな問にただちに答が出せるわけではありません。でも、それが気になってしかたがないのが、青年期なのです。そして、青年期とは、その問の答を見つけるために、あれこれと格闘、葛藤する時期なのです。
時には、使命感に駆られてのボランティア活動にのめりこんだり、時には、怠惰で自堕落な生活にはまり込んだり、となります。こんな時、あなたは自分なりの一貫性のある自分作り、つまり「自分物語作り」をしているのです。
青年期は、その「自分物語作り」が混乱しています。というより、いくつもの物語作りが同時進行しています。過去と現在と未来とが渾然一体となって進行します。
だから大変なのです。あまりの混乱ぶりに、心が耐え切らなくなってしまうことさえあります。その混乱が収まってくると、つまり、一貫性のある物語が出来上がってくると、青年期が終わりに近づいたことになります。
さて話を元に戻します。
回想の一貫性の話でした。
高齢者の回想は、青年期のこうした自分物語作りの経験も含めて、その時々でやってきた物語作りの経験の総まとめになります。一見すると、ばらばらな回想内容のようですが、
たとえば、今の自分をしあわせだと思っているひとは、幸せ物語を作りあげているエピソードを回想します。それは、たとえ、経験したときは、つらく悲しいものであっても、「あの経験があったからこそ今のしあわせがある」というように編集されることになります。
③ 感情的な要素が入り混じっていることがほとんど
うれしいかったことや、反対に悲しかったこと、それも凄くうれしかったことや、反対に凄く悲しかったことがよく回想されます。
回想されるのは、このように強い感情を伴うエピソードが多くなります。いたずらしてひどく叱られた思い出、艱難辛苦のすえ試験に合格した思い出などなど。
ただ、その感情は、回想されるときには、客観的なものになっています。そういえば、涙を流しながら喜んでいたなーとなります。
さて、ここが、回想療法に関係してくるのですが、心を元気にする回想内容は、言うまでもなく、ポジティブな感情を伴うエピソードになります。
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