義憤
ぼくは、絶対に私憤では噴火しないようにしている。どんなにバカにされても、アホだとか間抜けだと言われても、ああそうですかと笑っている。ぼくが噴火するのは、義憤だけ。かっこつけているようだけど、実際にそうなのです。
(茂木健一郎ツイッターーより)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
義憤と私噴。
見かけでは、区別がつきにくいところがある。
いずれも怒りがベースになっているからである。
しかし、その内容を知れば、区別がつく。
私噴は、自分をまもるための憤慨。
ばかにされて憤慨するのは、私憤。
義憤は、社会、周りをよくしたいとも思いから発する憤慨。
不正に怒るのは、義憤。
しかし、いずれもあまり頻繁はだめ。
かりに義憤であっても、その文句ない正当な言い分も、怒りの表出のほうの激しさでかき消されてしまいがちだからである。
でも、義憤は、かっこはよい。喝采をあびる。そして、それにおぼれて身を滅ぼすこともある。要注意である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます