指差呼称 「安全・安心の心理学」より
———指先と口先で安全の確認
●視差呼称
危険予知訓練とならんで、指差呼称訓練は、安全研修の切り札の一つである。
注意すべき対象を指で差し、思い通りの状態になっているかどうかを確認して呼称するだけのことであるが、これが安全確認には効果がある。
旧国鉄の誰かが発明したらしい。社史の編纂でもする機会に、そのルーツを探してみてほしいものだが、それはさておくとして、ここでは、その指差し確認の心理学的な意味づけをしておくことにする。
●確認を確実に
確認行為を確実におこなうことは、うっかりミスを事故につなげないためには必須であるが、その確認行為もいつも万全というわけではない。そこで、確認行為をより確実なものにすることが求められることになる。
人はいつでも何かをするときには、そうするための意図、おおげさに言うなら行為計画を持っている。だからこそ、その意図と違った行為をした時には、ただちに訂正行為をおこなう。ところが、「意図」と「ただちに」のところで、確認をおそそかにさせるものがある。
まず、行為意図である。いつもいつも何かをするときに、そのことを明示的に意識しているわけではない。食事をするような習慣的な行為の時は、ほとんど行為意図を意識することなしにさまざまな行為がおこなわれる。コーヒーの中に砂糖を入れてしまった時にはじめて行為意図を意識して、しまったとなり訂正行為をする。
やってしまってから訂正すればほとんどのうっかりミスは事なきをえるのだが、車の運転のように事態が時間的に常に切迫している時では、エラーがただちに事故につながってしまう可能性が高くなる。「ただちに」訂正しても間に合わないのである。ちょっとした脇見が魔の一瞬になりがちなのである。
●指差呼称は、ダブルチェックである
いつものように部屋に施錠する。この段階でも、少なくとも無意識のうちに確認行為をしていることに注意されたい。さらに、鍵を指で差して「施錠よし」と呼称する。施錠を確認するという意図が、指差呼称という行為によって確実に(2重に)おこなわれることになる。
これなら、最初の行為意図が明確に意識化されていない時でも、指差呼称の段階で確認行為の意図ははっきりと意識化できるので、いわば一人でするダブルチェックになっている。
●さらに指差呼称にはどんな効果が期待できるか
指差呼称では、指で差すことで、そこに注意を焦点化することになる。注意を焦点化すれば、それだけ情報処理は効率的かつ精緻になる。ぼんやりしていたら見えなかったものが見えることもある。
これが指差呼称の効果の一つである。さらに、行為の意識化の効果も期待できる。習慣的な行為は意識的な努力をせずとも自動的にどんどんおこなわれていく。いつもと状況が同じなら何も問題ない。しかし、状況は時々刻々と変化する。コンロでお湯をわかそうと火をつけたら、子供が泣き出してしまうこともある。インターフーンに対応しなければならないこともある。
こんな時でも、コンロの火の消化というような、事故と直結する行為は必ず指差確認、と決めている(習慣づけている)なら、魔の一瞬を未然に防ぐことができる。
行為の意識化効果に付随して、行為が記憶に残る効果もある。よくあるのは、施錠したかどうか、火を消したかどうかがはっきりしないために、もう一度、部屋に戻って確認するというケースである。
現実モニタリングの混乱と呼ばれている現象である。意識的な努力なしにおこなう行為は、現実モニタリングが適切になされないために、こうしたことがおこってしまう。指で差して口で言うような行為は、しっかりと記憶もされているので、混乱は起こらない。
指差呼称の4つ目の効果は、行動調整効果である。指で差す、口に出すという行為、やや大げさな感じがするが、それが、習慣的になにげなくやっている一連の行為の流れを調整することに役立っている。危険、事故に直結する行為の直前では、指差呼称を必ずおこなうような仕掛けが必要である。
指差呼称の効果の最後は、周囲の人との情報の共有である。仕事をするような時には、周囲に仲間がいる。そうした人々に、自分の行為が目に見える、音に聞こえる形で示せることの利点は大きい。とりわけ、組織の安全風土の醸成には寄与するところが大きい。
●指差呼称の形骸化
指差呼称の効果をたくさん挙げきた。ところが、効果があるからいつでもどこでも指差呼称を、というわけにもいかないのである。それは、指差呼称ばかりしていると、それが形骸化してしまって、普通の習慣的な行為と一緒ということになりがちなのである。指差呼称はしているものの、その行為の実質が伴わないである。
形骸化の克服はなかなか難しい。指差呼称をより複雑にするとか、他の確認行為とセットにするとかといった確認の多重構造化も考えられるが、それがひどくなると、確認のために仕事が停滞してしまうというパラドックスに陥ってしまう。(K)