語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『もうひとつの「カサブランカ」』

2010年05月01日 | ミステリー・SF
 映画『カサブランカ』はたくさんの謎をはらんでいる。たとえばイルザの夫ヴィクター・ラズロはリスボンからどこへ向かおうとしていたのか。あるいはリックはなぜ米国へ戻れないのか。
 こうした謎が残ったのは映画製作時の事情がからんでいる。

 本書は、作品としての『カサブランカ』、つまり観客が手にいれることができる唯一の情報に内在する謎にひとつづつ解を与える作業を通じて新たな物語を編みあげる。
 謎のひとつは、チェコの愛国者ラズロのその後だ。彼は、ロンドンで同志と落ち合い、英国諜報部の支援によってラインハルト・ハイドリッヒ暗殺作戦に取り組む。ハイドリッヒは、ヒトラーから自分の後継者と目された切れ者で、当時ナチス国家保安本部長官、ボヘミヤ・モラヴィア保護領総督だった。
 暗殺は史実で、映画『暁の7人』はそのいきさつを描く。
 リックもまたロンドンへ飛び、さらに、白系ロシア人に扮してハイドリッヒの司令部に入りこんだイルザを追って、ラズロとともにプラハへ潜入する。

 謎の別のひとつは、前日譚の形で明かされる。リックの生い立ちから米国脱出までが、後日譚が進行する間奏曲として適宜挿入されるのだ。この前日譚が詳しいから、本書は二つの物語が同時平行で読者の目にふれるしくみだ。

 登場人物はハンフリー・ボガードほか、俳優たちのイメージをそっくり借りている。やたらと煙草をふかす性癖や言いまわし、人間関係も映画の資産を最大限に活かしている。
 本歌取りの手法、伝説の再生である。ただし、断るまでもなく、本書は映画とは別個の作品である。
 冒険小説としては、リックたちのチェコ潜入後が荒削りで物足りなさが残るけれども、映画『カサブランカ』のファンには満足できる出来だと思う。

□マイクル・ウォルシュ(汀一弘訳)『もうひとつの「カサブランカ」』(扶桑社、2002)
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【旅】イスラエル ~ネゲブ砂漠~

2010年05月01日 | □旅
 エルサレムの周辺をとりまく衛星都市を過ぎて南下すると、荒野が広がる。ヨルダン川西岸地区である。1992年当時、ゴラン高原及びガザ地区とともに占領地区であり、私たちのバスの前部には国連の旗がくくりつけられていた。
 しかし、第一次インティファーダは下火になった頃で、運転手の顔には余裕がある。

 岩と土砂ばかりの大地に人影はなく、わずかに枯れた草木が点在するのみ。ごく稀れにベドウィンの羊を追う姿が目にはいる。
 濃い蒼色の空には雲ひとつなく、燃えさかる太陽が苛烈な熱と光を投げかける。乾季には、雨は一滴も降らない。年間降水量はわずかに20センチにすぎない。しかし、雨季には水があふれて鉄砲水となる。今は涸れ川の、その岸は鋭く険しくえぐられて、雨季の水流の激しさをしのばせる。水は蒸発して天にのぼり、あるいは地にもぐって伏流をなす。
 伏流にたっする井戸のひとつが伝アブラハムの井戸で、かたわらに蛇口が数個設置されている。水を口にふくんでみると、粘土の味がする。日本の山が産する水、澄みきったミネラル・ウォーターとはほど遠い、濁った味だ。この味が、古来、砂漠の民をささえつづけてきたのだ。 

 伏流は時として荒野に顔を出して、オアシスとなる。
 湧水のほとりには樹木が生える。大規模なオアシスがあれば町が生まれる。エリコもその一つである。荒野に奇跡のように出現した緑の町。ナツメヤシ、オレンジなどの果実が豊かにみのり、ブーゲンビリアの花が咲き乱れる。海水面下350メートルの、世界でもっとも低地に位置するこの町には、1万年前の遺跡が残っている。

 地から湧く水によるエリコに対して、天から降る水に依拠したのはマサダであった。ヘロデ王の別荘であり、岩山をくりぬいた巨大な水瓶に雨水をためて、飲料水はもとより浴場に使った。

 マサダの頂上から、眼下に青くけぶる湖がみえる。死海である。水は流れ入る一方で、ここから出ていく先はない。蒸発するのみである。
 ネゲブ砂漠のこの湖には魚影がない。ミネラル豊富で人の肌にやさしい湖水は、魚類にもプランクトンにもやさしくない。

 死海にしばし浮遊した身を西へ運び、小さな町に投宿した。旧ソ連とイスラエルとの関係が修復したとき、百万人のロシア系ユダヤ人が移民した。その移民が1970年代に新設した町のひとつが、ここアラッドである。旧約聖書にしばしば登場するベールシェバから40キロメートル・・・・ベールシェバには翌日訪れることになる。
 晩餐のあとで町を散策すると、住民たちは路上で所在なげに涼をとっていた。町に格別の娯楽はないらしい。普段着で民族舞踊を楽しむグループもいて、やはり普段着の町民がそれをとりまくのであった。
 宿でチェックインして部屋へ向うとき、エレベーターから少女が水着姿でとびだしてきた。アンネ・フランクをふっくらとさせたような顔ばせである。一瞬見交わした目に、無碍な笑いがにじむ。アンネが隠れ家で終始感じていたはずの不安は、彼女には一抹も見られない。
 ホテルにはプールが付設されている。部屋から展望するプールにたたえられた水は、青く透きとおって、その背後に広がる荒野と奇妙な対照をなしていた。

 荒野には何もない。かつて隊商が通ったにちがいない白茶けた路があり、枯れた潅木が点在するが、一面岩と砂ばかり。生きとし生けるものは灼きつくされるばかりだが、かえって激しい生への意志が感じられるのはなぜだろうか。
 闇の訪れとととも荒野は変貌する。なだらかな丘陵は乳房のかたちをした影となり、影はエジプトまで連なる。白く輝く月は、あたかも見えない一本の紐で地平線に結びつけられているかのごとく、地平を離れない。大地は頑固に沈黙しているが、月光のなかで何ものかが動きだす。
 夜明けとともに、闇の神秘は溶解していく。陽が昇りゆくにつれ、広大な空が東方から青く塗りたくられてゆく。丘陵の影は薄くなり、赤茶けた素肌をさらしだす。闇のうちに生動していた沈黙は水分を失って、みるみるうちにこわばりゆき、地に這いつくばり、凝固していく。代わって、声なき声がかしましく飛び交いだす。
 ひとたび昇った火の玉は、もはや二度と堕ちることなく、地が崩れ去るまで照りつけるかのように、断固として灼熱を地表へ注ぎつづける。
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