語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【旅】オーストリア ~グラーツ~  

2010年05月02日 | □旅
 この日はとくに予定はなかったので、ホテルで朝食をとった後、街をブラつくことにした。
 夏の日曜日。平日でも静かな広場は、いつもにまして閑散としている。
 歩いていくと、電車の軌道の傍らに、背を丸くかがめた等身大の人形が立っている。少し先にすすむと、また二体据えられている。
 オーストリア第二の都市とはいえ、グラーツの人口はわずか25万人である。枯木も山のにぎわい、人形も街のにぎわいである。いや、もしかすると停車位置を示す標示かもしれない。

 地図に頼って「武器庫」を訪ね歩いたが、見つからない。
 通りすがりの人に教えられて、ようやく見つけた。
 “Zeughaus”は、正確には“Landeszeughaus”であるらしい。
 入場料は25オーストリア・シリング、300円ほど。
 二階、三階の各階に小銃、短銃、槍、サーベル、鎧(装甲)、兜、鎖帷子、盾がぎっしりと並んでいる。放り込まれている、といったほうが近い。展示用に陳列されているのではない。単に置かれているのである。建物の名のとおり、倉庫なのだ。美術館でも博物館でもない。
 その数に圧倒される。じっくり鑑賞する気持ちにはとうていなれない。
 ニ階には大砲、五階には完全装備、重武装の騎士像。盾や鎧には、銃弾あるいは剣の跡らしいへこみが随所に見つかる。いくたびかの戦さで血を吸ったにちがいない刃の鈍い光。足音で舞い上がる埃。そして、かすかにのこる匂い。写真や映画では感じとれない、血と汗の匂いがする。

 ふと見やると、二十歳前後の女学生らしきがいたずらっぽい目つきで、こっちへ来い、と手招きをしている。若いころの黒木瞳のような、清楚な美貌の持ち主である。
 何ごとであろうか。
 近寄ると、兜をさして、かぶれ、という。
 かぶった。
 ウッ、重い。
 正直に感想をつげる。
 彼女、うなずいて解説する。
 「このヘルメットは3kgである。甲冑が6~10kg、防具のズボンが5kg、などなど合計30kgである」
 ちなみに、小銃は、6~10kg(最大15kg)であるよし。
 さらに、「15世紀の人々はたいへん小さかった、160cmくらい」と説明が加わる。
 こちらも、「19世紀まで、日本人も似たようなものであった。私の顎くらい」と対抗する。
 「私はまた日本にかんする映画を見た。それはたいへん興味深いものであった」と彼女。

 「ところで、きみの名は?」
 「ロマーナ」と彼女は答えた。
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書評:『キブツ その素顔 -大地に帰ったユダヤ人の記録-』

2010年05月02日 | ノンフィクション


 キブツとはなにか。本書によれば、ほぼつぎのとおりである。
 ヘブライ語で「集団・集合」を意味するキブツは、1910年、ガリラヤ湖の湖畔に建設されたデガニア・キブツを嚆矢とする。「人類史上唯一失敗しなかった実験」(マルティン・ブーバー)は、本書刊行当時約280箇所で実施されていた。その住民は合計13万人前後。イスラエル人口の3%を占めるにすぎないが、イスラエルの農業生産の40%、輸出向け工場製品の約8%を生産した。
 キブツは、集団による生産、労働、所有、サービス、消費を原則とし、共同保育、直接民主制を採用する。労働価値、男女平等、終身社会保障を旨とし、貧富の差はない。
 設備は、一般的には中央に食堂、集会場、事務所、図書館など共同の施設や居住区、庭があり、その周囲に教育施設やスポーツ施設が設置され、これらの外側を農場や工場がとりまく。
 キブツ人口はさまざまで、小は50人から大は2千人まで。平均して数百人というところ。
 各キブツは独立した自治体だが、全国的な連合を組織して、事業や活動を調整しあう。最大の連合は、キブツの約6割が属するユナイティッド・キブツ・ムーヴメント(タカム、TAKAM)であり、3割強が属するキブツ・アルツィ連合がこれにつぐ。

 本書は、心理学者である著者がキブツ・マコムの住民40人にインタビューした聞き書きである。初期、分裂期、50年後のそれぞれについて証言があり、原著刊行の1981年現在を著者が総括的する。
 本書は心理学的アプローチによる事例研究である。キブツという共同体ではなく、個々のユダヤ人を対象とする。ただし、いずれもキブツを共通の土俵とする発言だから、自ずからさまざまなキブツ観が披露される。
 ちなみに、キブツ・マコムは、エズレル平原の東部、ガリラヤ湖の南西に位置する。人口約1,200人の比較的大きなキブツで、独立前に開設された。

 共同体は、人格を画一化しない。
 個性的な人々が第12章に集中して紹介される。たとえば、モザイク絵に自己表現の手段を見出した農民アシェル、フルタイムの物書きイラン、電気装置研究家オフェルがそれだ。
 さほど個性的でなく、一見平々凡々たる生活に徹する者にも個性が見られる。たとえば、マコム創設期の17人のうち今もマコムに住む唯一の人ユダ。彼は、創設期を回想していう。・・・・親や親族からの援助を受けることなく、最初は農場などに仕事を見つけて労働に従事した。後に、古いキブツの移転にともない、テントや木造の食堂のある跡地に移った。激しい肉体労働、厳しい冬、全員がマラリアに罹患した時もある。だが、みな充実していて陽気で、「生き生きとしていた」。
 そして、50年間キブツで働いた体験(70歳に近い今も資料室で日に5時間労働する)からする哲学を披露する。・・・・キブツ外部から労働者を雇うべきではない。「キブツの根本理念の一つは、農業でも工業でも肉体を動かして初めて労働と言えるものだった。これはかつての流浪時代のユダヤ人の抱えていた問題に対する解決法じゃないですか。(中略)キブツが雇用主になるなんて、思っただけでぞっとしないかい?」
 要するに、キブツは人生哲学であって、一つの生き方だ、とユダはいう。

 キブツ的人生哲学の背後に、確固たるキブツ観がある。
 たとえば、1940年代から1950年代、キブツ連合で大分裂が起きたときにマコムへ移動してきたオーラのそれ。・・・・マコムでは仕事や経済的な目標より、労働者でいることや地に足をつけることを踏まえた人間観を育ててきた、とオーラはいう。「“個人に対して最大限の思いやりをする”--これがマコムの生き方の基本なんです」
 道で行き交うたびに挨拶をかわわすのがその一例だ。オーラの出身地モラッドでは、すれちがっても無言でとおりすぎるのが常なのであった。

 共同体なるがゆえに可能な実験がある。
 たとえば、母子分離の集団保育がそれだ。おそらくロシアから直輸入した保育理論を採用したのだろう、と思う。集団保育は、初期において厳格なほど徹底していた。しかし、親子同衾を主張する人もいて、少なくとも幾組かの家族には是認されたらしい。

 肯定的なキブツ観ばかりではない。共同生活の負の側面を指摘する人もいる。
 たとえば、マコムのゼネラル・セクレタリー(村長)のノアムはいう。キブツではメンバー同士の深い心の交流に欠ける、と。多忙なせいもあるが、キブツの外には親友がいるのだから、真の理由は時間不足ではない。
 マコムは各種委員会や生産部等が有効に機能しているが、運営にあたる「有能な人」は微々たるもので、「ほとんどの人がただの人」だ、とノアムは嘆く。必然的に少数の人に多くの役職が集中し、しかもなかなか交替させてもらえない。そして、メンバーは受け身の傾向を強め、自発的リーダーシップをとる人がいなくなってしまうのだ。
 このあたり、わが日本でも自治会やPTAなどの集団活動において、対岸の火事ではない。

 共同体は一枚岩ではない。葛藤も生じる。
 多くのキブツで、そしてマコムでも、独立前後に厳しい論争、感情的なもつれが発生した。
 第二次世界大戦中にユダヤ人に武器と弾薬を支給した最初の国ロシアへ親近感をもつ一派があり(マパム党ほか)、独立前には「広い国境」をめざしていた。これに対して、だんだんと米国寄りに政治的立場を移したベングリオンは、「狭い国境」で独立を宣言した。マコムの当時の指導者はこれを喜ばず、独立を祝おうとするグループと軋轢が生じた。加えて、ベングリオンは国防軍の一元化をはじめ、中央集権化に努めたが、これをボランタリー精神を否定するものと見なして危機感を抱いたキブツが少なくなかった。キブツ連合とベングリオンとの対立があり、キブツ内部でも政治的意見を異にするグループが対立した。これが深刻化して、大分裂となった。

 キブツは、ひとくちでいえば集産主義的共同体である。光には影があるように、キブツにも光の面と影の面がある。
 格差社会のなかで生存権が問われている今日の日本を顧みると、キブツの光の面に注意が向く。しかし、キブツはイスラエルのものであり、日本のものではない。「二人寄れば三つの政党ができる」と揶揄されるほど議論好きなのはユダヤ人であり、日本人ではないのと同様に。
 日本では、日本人に合ったコミュニティを築くしかない。ただ、あるべきコミュニティを築くにあたって、キブツの光の面から摂取できるものは摂取してさしつかえはないはずだ、と思う。

□アミア・リブリッヒ(樋口範子訳)『キブツ その素顔 -大地に帰ったユダヤ人の記録-』(ミルトス、1993)
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