語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】会社の怪談、深夜の悲鳴

2010年05月10日 | ノンフィクション
 東京都世田谷区在住、さるメーカーの営業職、26歳のH恵さん(26)はがんばり屋。毎日夜遅くまで得意先をまわっていた。しかし、絶対に夜の会社に一人きりで残らないようにしていた。
 というのは、この会社、自社ビルに幽霊話が絶えないのであった。無人のはずのフロアで話し声が聞こえたり、机やイスが急にガタガタ揺れたり。夜中に残業していた社員が視線を感じ、天井を見上げると、フロアをへだてる衝立の上に女性の顔があって、ダラリと両腕をたらして見下ろしていたり。過去なんどもお祓いをしてもらい、常に数カ所に塩が盛られていた。
 ある日、出張先から自宅に帰る途中で、H恵さんは気づいた。書類を会社に忘れていた、どうしても今日中に片づけなければならない書類を・・・・。
 午後11時を過ぎていたが、残業している人がいることを祈りつつビルのなかに入った。
 フロアの電気は消えていた。
 H恵さんは、まず電気をつけた。書類は見つかった。早く外に出よう・・・・そのとき、奥の部屋からボソボソ話し声がするではないか。
 H恵さんは凍りついた。足が動かなくなった。
 声はだんだん大きくなり、
 「へぇ、OLなんだ」
 不気味な男の声だった。
 「じゃあ、けっこう遊んでいるんでしょう・・・・ふふふふふ」
 たまらず、H恵さんは叫んだ。
 「ギャー!」
 すると、奥の部屋からも悲鳴が聞こえた。
 「ギャー!」
 飛び出してきたのは上司の男性であった。
 社の電話でテレクラにかけていたのである。

【参考】週刊朝日編『デキゴトロジー 愛のRED CARD』(朝日新聞文庫、1996)
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書評:『桑原武夫 -その文学と未来構想-』

2010年05月10日 | 批評・思想
 桑原武夫の7回忌に、後輩や弟子が集って講演および対談を行った。
 その記録に、御大のエッセイ2編と講演録1本を加えたものが本書である。

 開会挨拶は河野健二、閉会挨拶は上山春平、司会は樋口謹一および多田道太郎という錚々たる陣容だ。
 講演で、たとえば山田稔は、文章の極意を学んだ、という。「容易に翻訳するな。それよりもすぐれた要約を簡潔明瞭な文章で書く練習をせよ」
 あるいは鶴見俊輔はいう。「対立するものを畏れないというのが桑原先生の学風ですね」

 このほか、杉本秀太郎、松田道雄、水上勉、岩坪五郎および高橋千鶴子の7人が、持ち時間25分間で各自にとっての桑原武夫を伝える。
 対談は、梅棹忠夫と梅原猛の梅梅対談だ。当時の勤務地、国際日本文化研究センターを会場としたせいか、あるいは後輩のせいか、梅原はホスト的受容的な発言になって、いつもの奇想が不発、やや物足りない。が、梅棹は常とかわらず、ズバリという。「非常にバランス感覚の優れた方」、非常に鋭い観察眼と判断、「人物鑑定は第一級ですな」、相手をとっちめるような「包囲殲滅戦をやるな」(と諭されて以来自分は人間が穏やかになった)、プラグマティックな忠告、「平明にして論理的な文章を書く指導を徹底的に受けております」、そして卓抜な組織運営術。この運営術、桑原武夫のリーダーシップによって、京大人文研の共同研究は多大な成果をあげた、うんぬん。

 桑原武夫が主導した共同研究は、ルソー研究、フランス百科全書の研究、フランス革命の研究、ブルジョア革命の比較研究、中江兆民の研究、文学理論の研究の6件である。専門分野を異にする延べ110人の研究者が参加した。
 共同研究は、本書に収録の退官記念講演の主題をなす。1968年のこの講演で語られる学際的研究の要諦は、今なお有効だ、と思う。

□杉本秀太郎・編『桑原武夫 -その文学と未来構想-』(淡交社、1996)
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