主人公町井美也子は京都出身、東京の大学で心理学を学ぶ女学生だ。幼児期からスケートになじみ、大学の部活とPクラブで練習に励む。
身長158センチ、体重48キロ、ジャンプがいまいちの体を脂肪の塊、豚、鉛、とコーチに罵られ、絶食すること10日、体重を37.5キロに減らした。
東日本選手権大会で、Pクラブのエース曾根岡チコが試合中に骨折。結果として優勝したため、チコの取り巻きからいじめに合う。ますます痩せ細る。
アノレキシア・ネルヴォーザ(神経性食思不振症)と診断された。体重が27キロになり、強制的に入院させられた。点滴、鼻腔栄養、体重増加。
退院してPクラブに戻ると、ロッカーはこじ開けられていて、スケート靴はガタガタに加工され、コスチュームは赤や緑のスプレーで汚されていた。
美也子はスケート仲間のフランス人少年ジルベールの勧めで、いっしょにOクラブに移った。このクラブの玉木コーチは、Pクラブの板東コーチと正反対に、最小限の助言しか与えない。手取り足取りの過保護な方法は選手の自主性と研究心を奪ってしまう、という方針なのだ。体重についても口だしせず、ジャンプは脚でするものだから脚を鍛えるのが先決だ、と助言する。美也子の体重は37キロで安定した。
心理学科の先輩、やたらと本を読み、食欲旺盛で太りじしの長坂夏彦から求愛されていたが、退院直後はスケート部の先輩、有田務と同棲する。有田は美也子の手料理を好み、就職して以来、ぶくぶくと太った。
長いブランクの後、3年生に進学した5月末、大学へ戻って講義を受ける気になった。まず受講したのが精神医学。たまたま神経性食思不振症が講義された。自分の過去を顧み、「それにしても悔やまれるのは、あの口髭医者がただの一度もわたしに神経性食思不振症の診断と症状解説をしてくれなかったことだ」
美也子は有田務に別れを告げ、常変わらず見守ってくれていた長坂夏彦の胸に飛び込む。「“愛する”とはどういうことか、やっと了解し始めたようだ。そう、“了解”したのだ。了解心理学の用語の了解とは、頭で考えたり、理論をこねまわしたり、知識をひらけかしたりするのと全く逆の作用だ。人は、心の奥底から一気に了解する。暖かい心が、理論という氷を融かし知識を水没させると、了解という風が吹き渡る」
スケートに専念する美也子は夏彦と滅多に会わなかったが、「自然に任せ」ることを二人は確認しあった。
借り物と玉木コーチに断じられた「火の鳥」を捨てて自分に合う曲を選びだした美也子は、全日本選手権大会で優勝した。
しかし、その場で、世界選手権には出ない、と宣言する。自分に何をしてくれたわけでもない日本の代表になるのは嫌だ、と。玉木コーチも母親も嘆くが、「何かが決定的に終わった」
美也子と夏彦は、心中しよう、と語り合う。この世の名残りにリンクで滑ってダンスをした。
薬を飲みますか、という夏彦の問いに、「その前にどこかで、何か食べましょう。わたし、猛烈にお腹がすいちゃった」
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三部構成で、第1部及び第3部は三人称だが、焦点は美也子にあてられる。第2部は美也子の一人称で語は進行する。すなわち、第1部及び第3部では美也子にやや距離を置きつつ彼女を取り巻く人々の中の主人公を描き、第2部つまりアノレキシア・ネルヴォーザと診断された時点から、美也子の内面に即して描く。余人には伺えない心理の襞に切りこむと同時に、本人に見えていないものは描かない。
結末は、、鮮やかだ。美也子と夏彦は、死をひとたび決意しながら、人間の生理、食欲を優先させる。これは、神経性食思不振症が快癒した合図であった。全日本選手権での勝利からくる達成感と、心身ともに相和する恋人の存在が、美也子に精神的安定がもたらされたからだろう。
食後も二人はやはり死を選ぶ可能性はあるとも読めるが、「浮々と笑」う美也子の口調は、死は不定の未来に伸ばされたのことを暗示している。
バンクーバー・オリンピックに出場した鈴木明子は摂食障害の病歴で知られるが、刊行年からして、本書のモデルでは、むろん、ない。
□加賀乙彦『スケーターワルツ』(筑摩書房、1987)
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