『深夜特急』と本書とを区別するものは、前者は「ある時期の『私』を描こうとしたもので、『旅』そのものを描こうとしたものではない」(本書「あとがき」)のに対し、本書は紀行文、つまり「旅」について書いている点だ。
この違いは大きい。『深夜特急』の主役は、マカオにいようとインドにいようと、あくまで「私」つまり沢木耕太郎である。他方、本書の場合、主役は旅先の土地なのだ。
この点は、本書のさいごに置かれた『記憶の樽』を読めば明らかだ。「私」は、スペインのマラガを訪れ、二十年前に立ち寄った酒場をさがす。フラッシュバックのようによみがえる記憶を懐かしむ一方、失われた記憶のほうが多大である悲哀をあじわう。・・・・この紀行文の主役をなすのは土地である。『深夜特急』の旅の二十年後の今、マラガにおいて目にするもの、味わうもの、そして風物に触発されて湧きおこるさまざまな思い、つまり旅情である。
とはいえ、どこを訪れても沢木耕太郎は沢木耕太郎だ、と思う。本書の舞台はヴェトナム、パリ、ポルトガル、スペイン、米国、オーストリア・・・・とさまざまだが、どの紀行文も文章は軽快で、抵抗なく入っていくことができる。そのくせ、読み捨てるには惜しい質実さがあって、噛みつづけても味が薄れないチューインガムのような感じなのだ。
これは、細部の事実からなにかを発見する眼がたしかであり、記述が堅実だからだ。
たとえば、紀行文として本書の冒頭におかれた『メコンの光』は、「バスの乗り方がわかり、食事の値段がわかり、ヴェトナムの言葉でありがとうのひとことが自然に出てくるようになって、私はホーチミンで少しずつ自由になっていた・・・・」といった調子で、じつに軽やかに現地に適応している。そして、適応ぶりを報告する文章も軽やかなのだ。
また、おなじ『メコンの光』から引くと、「ハッとさせられたのは、英文のパンフレットに記されていたひとつの単語を眼にしたときだった。その中に『ヴェトナム戦争中』とあるはずのところに『アメリカ戦争中』とあったのだ」という発見があり、「よく考えてみれば、ヴェトナムの人々にとってあの戦争は『ヴェトナム戦争』などではなかった。少なくとも北ヴェトナムとヴェトナム解放戦線にとっては、アメリカとの戦争、つまり『アメリカ戦争』だったのだ」という省察がある。この発見は、著者のみならず日本人全体の・・・・おそらくは「アメリカ」及びその盟邦の人々の固定観念をひっくり返す発見でもある。
文章の軽快、しなやかな思考、発見とそのもとになる細部の事実は、本書のいたるところに見いだすことができる。
評者にとって、集中もっとも楽しめたのは、さきに挙げた『メコンの光』、そして『ヴェトナム縦断』だ。つまりアジアの旅である。自分の旅をふりかえってみても、「石の文化」の西欧を旅するより「木の文化」のアジアを旅するほうが気楽だったような気がする。
『ヴェトナム縦断』は、ホーチミンからハノイまで、国道一号線を北上する旅を記す。妙味を逐一あげて、これから読者となるかもしれない方々の興を削いでもつまらない。本書でいう「一号線」には二重の意味がある、とだけ付記しておこう。第一は具体的な、ヴェトナムの国道一号線である。第二は象徴的な、沢木耕太郎が「夢見た旅」である。
「もしかしたら、誰にも『北上』したいと思う『一号線』はあるのかもしれない。もちろん、それが『三号線』でも『』66号線』でもいいし、『南下』や『東上』であってもかまわない。/たぶん、『北上』すべき『一号線』はどこにもある。ここにもあるし、あそこにもある。この国にもあれば、あそこの国にもある。私にもあれば、そう、あなたにもある」(本書『一号線はどこにある?』)。
□沢木耕太郎『一号線を北上せよ』(講談社、2003)
↓クリック、プリーズ。↓
この違いは大きい。『深夜特急』の主役は、マカオにいようとインドにいようと、あくまで「私」つまり沢木耕太郎である。他方、本書の場合、主役は旅先の土地なのだ。
この点は、本書のさいごに置かれた『記憶の樽』を読めば明らかだ。「私」は、スペインのマラガを訪れ、二十年前に立ち寄った酒場をさがす。フラッシュバックのようによみがえる記憶を懐かしむ一方、失われた記憶のほうが多大である悲哀をあじわう。・・・・この紀行文の主役をなすのは土地である。『深夜特急』の旅の二十年後の今、マラガにおいて目にするもの、味わうもの、そして風物に触発されて湧きおこるさまざまな思い、つまり旅情である。
とはいえ、どこを訪れても沢木耕太郎は沢木耕太郎だ、と思う。本書の舞台はヴェトナム、パリ、ポルトガル、スペイン、米国、オーストリア・・・・とさまざまだが、どの紀行文も文章は軽快で、抵抗なく入っていくことができる。そのくせ、読み捨てるには惜しい質実さがあって、噛みつづけても味が薄れないチューインガムのような感じなのだ。
これは、細部の事実からなにかを発見する眼がたしかであり、記述が堅実だからだ。
たとえば、紀行文として本書の冒頭におかれた『メコンの光』は、「バスの乗り方がわかり、食事の値段がわかり、ヴェトナムの言葉でありがとうのひとことが自然に出てくるようになって、私はホーチミンで少しずつ自由になっていた・・・・」といった調子で、じつに軽やかに現地に適応している。そして、適応ぶりを報告する文章も軽やかなのだ。
また、おなじ『メコンの光』から引くと、「ハッとさせられたのは、英文のパンフレットに記されていたひとつの単語を眼にしたときだった。その中に『ヴェトナム戦争中』とあるはずのところに『アメリカ戦争中』とあったのだ」という発見があり、「よく考えてみれば、ヴェトナムの人々にとってあの戦争は『ヴェトナム戦争』などではなかった。少なくとも北ヴェトナムとヴェトナム解放戦線にとっては、アメリカとの戦争、つまり『アメリカ戦争』だったのだ」という省察がある。この発見は、著者のみならず日本人全体の・・・・おそらくは「アメリカ」及びその盟邦の人々の固定観念をひっくり返す発見でもある。
文章の軽快、しなやかな思考、発見とそのもとになる細部の事実は、本書のいたるところに見いだすことができる。
評者にとって、集中もっとも楽しめたのは、さきに挙げた『メコンの光』、そして『ヴェトナム縦断』だ。つまりアジアの旅である。自分の旅をふりかえってみても、「石の文化」の西欧を旅するより「木の文化」のアジアを旅するほうが気楽だったような気がする。
『ヴェトナム縦断』は、ホーチミンからハノイまで、国道一号線を北上する旅を記す。妙味を逐一あげて、これから読者となるかもしれない方々の興を削いでもつまらない。本書でいう「一号線」には二重の意味がある、とだけ付記しておこう。第一は具体的な、ヴェトナムの国道一号線である。第二は象徴的な、沢木耕太郎が「夢見た旅」である。
「もしかしたら、誰にも『北上』したいと思う『一号線』はあるのかもしれない。もちろん、それが『三号線』でも『』66号線』でもいいし、『南下』や『東上』であってもかまわない。/たぶん、『北上』すべき『一号線』はどこにもある。ここにもあるし、あそこにもある。この国にもあれば、あそこの国にもある。私にもあれば、そう、あなたにもある」(本書『一号線はどこにある?』)。
□沢木耕太郎『一号線を北上せよ』(講談社、2003)
↓クリック、プリーズ。↓