タイトルから容易に察せられるように、ミステリーである。
ヘイリー唯一のミステリーだ、と念を押そう。
よって、アーサー・ヘイリーのファンもミステリー・ファンも見のがせない。
ヘイリーはたっしゃなストーリー・テラーである。本書も山あり谷ありで、起伏に富む。
ヘイリー作品の登場人物のおおくは、ことに主人公は組織の善良な一員であり、誠実に行動する。対立する者がいるけれど、立場の相違から意見をたがえるか、相手に思慮が足りない結果対立するにすぎない。組織全体としては、事はうまく運ぶ。つまるところヘイリー作品は、予定調和説の産物なのだ。
本書には真の悪党が登場する。ヘイリーのこれまでの作品系列からはみだすが、ミステリーも予定調和説に立つのだ。たいがいのミステリーでは、最後には悪は滅び、善は栄えるのだから。よって、ヘイリーがミステリーをものしたのは、ちっとも不思議ではない。
ミステリーである以上、本書には犯罪者が登場する。猟奇的な、残虐きわまる連続殺人を犯す。その犯人を主人公マルコム・エインズリー部長刑事が理解する。元カソリック神父という特異な経歴ゆえに、犯人が残した黙示録にちなむメッセージを正確に読み解くのだ。
カソリック神父は、悪にも理解が深い。
「あるものは同じものによって知られる」というアリストテレスの哲学が正しいとすれば、エインズリーも犯罪者の素質をそなえているのか。
そうかもしれない、と思う。暴力団を取り締まる警官は、暴力団めいた行動をとるが、エインズリーも悪党的に考えることができるのだろう。
ただ、暴力団めいた行動をとっても、警官は暴力団とは一線を画する。
エインズリーも、犯罪には走らない。あくまで愛妻家であり、家庭を守るよき市民である。自分の中に悪の要素があるから犯罪者を理解するが、理解にとどまり、共感はしない。きわどい一歩のちがいかもしれないが、この一歩は大きい。
エインズリーふうの理解は、彼が勤務するマイアミ警察殺人課の掲示板に張りだされた「エインズリー語録」に明らかだ。一例を引こう。
もっとも巧みに嘘をつく者はときにしゃべりすぎることがある。
□アーサー・ヘイリー(永井淳訳)『殺人課刑事』(新潮社、1998、後に新潮文庫、2001)
↓クリック、プリーズ。↓
ヘイリー唯一のミステリーだ、と念を押そう。
よって、アーサー・ヘイリーのファンもミステリー・ファンも見のがせない。
ヘイリーはたっしゃなストーリー・テラーである。本書も山あり谷ありで、起伏に富む。
ヘイリー作品の登場人物のおおくは、ことに主人公は組織の善良な一員であり、誠実に行動する。対立する者がいるけれど、立場の相違から意見をたがえるか、相手に思慮が足りない結果対立するにすぎない。組織全体としては、事はうまく運ぶ。つまるところヘイリー作品は、予定調和説の産物なのだ。
本書には真の悪党が登場する。ヘイリーのこれまでの作品系列からはみだすが、ミステリーも予定調和説に立つのだ。たいがいのミステリーでは、最後には悪は滅び、善は栄えるのだから。よって、ヘイリーがミステリーをものしたのは、ちっとも不思議ではない。
ミステリーである以上、本書には犯罪者が登場する。猟奇的な、残虐きわまる連続殺人を犯す。その犯人を主人公マルコム・エインズリー部長刑事が理解する。元カソリック神父という特異な経歴ゆえに、犯人が残した黙示録にちなむメッセージを正確に読み解くのだ。
カソリック神父は、悪にも理解が深い。
「あるものは同じものによって知られる」というアリストテレスの哲学が正しいとすれば、エインズリーも犯罪者の素質をそなえているのか。
そうかもしれない、と思う。暴力団を取り締まる警官は、暴力団めいた行動をとるが、エインズリーも悪党的に考えることができるのだろう。
ただ、暴力団めいた行動をとっても、警官は暴力団とは一線を画する。
エインズリーも、犯罪には走らない。あくまで愛妻家であり、家庭を守るよき市民である。自分の中に悪の要素があるから犯罪者を理解するが、理解にとどまり、共感はしない。きわどい一歩のちがいかもしれないが、この一歩は大きい。
エインズリーふうの理解は、彼が勤務するマイアミ警察殺人課の掲示板に張りだされた「エインズリー語録」に明らかだ。一例を引こう。
もっとも巧みに嘘をつく者はときにしゃべりすぎることがある。
□アーサー・ヘイリー(永井淳訳)『殺人課刑事』(新潮社、1998、後に新潮文庫、2001)
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