紀行文を読むのは楽しい。それが自分が行ったことのある土地の話であれば、記憶をよみがえらせ、再訪した心地になる。
それが自分が出かけたことのない土地であれば、かりそめの旅ができる。
本書が語るのは、ギリシア、東アフリカ、ドイツおよびベネルクス、シルクロードの4つのツアーだ。
たとえば、ギリシアでウゾーを水で割って飲むくだりに、地中海クルーズの記憶をよみがえらせる人もいるだろう。からりと晴れわたった青い空、紺碧の海。波をかきわけて進む白い船、そのデッキで喉をうるおすウゾー。だが、帰国してから飲んだウゾーには、あの美味は再現されなかった。松やにのまじるこの酒は、湿気のつよい国には合わない・・・・。
本書はしかし、ありきたりの紀行文とは異なる。著者の立場は添乗員だから、話題はもっぱらツアーに参加した観光客になるのだ。
長期にわたる海外ツアーの参加者は、時間とお金に余裕のある年配の方々がもっぱらだ。ということは、ひとクセもななクセもある人ばかりで、このあたりの個性発揮ぶりが本書の読ませどころになる。
そして、客がなにかのきっかけでポロッと口にする人生の一端がまた興味深い。
たとえば、ギリシア編の「米田耕蔵をはじめとする酔いどれ三人組」。セクハラ行為でスチュワーデスを泣かせるわ、著者も騒ぎのまきぞえをくって眼鏡を壊されるわ、ために夜もサングラスでとおす羽目におちいるわ。しかし、腹をわって話しあう機会があり、聞けばかくかくしかじか、読者も、なるほど・ザ・納得する背景があるのであった。
ツアーは集団だから、リーダーシップ、集団凝集性といったグループダイナミックスが働いたりもする。添乗員は、この集団の構成員であるような、ないような微妙な立場だから、このヌエ的な視点からみたツアー集団の社会心理学的行動がおもしろい。読者は、翻って自分の属する小集団はいかに、とふりかえるキッカケになるだろう。
たとえば、ドイツ~ベネルクス編のツアー集団内ミニ集団の対立。ミニ集団のそれぞれリーダーがいて、すったもんだが起きる。しかし、じつのところリーダー(意識旺盛な人)の意識過剰のきらいがあって、ミニ集団のいずれにも属しない「美女と野獣」カップルの謎が解けることによって大団円・・・・までいかずとも小団円くらいの結末を迎える。
永年添乗員をつとめていれば、こういった話題に事欠かないだろう。
しかし、永年の経験を続々と公表した添乗員は、著者くらいだろう。著者が今までに刊行した24冊は、大部分は添乗員時代を回顧したものだ。しかも、文庫書き下ろし作品が多い。ノンフィクション界の佐伯泰英と呼ぶべきか。
克明なメモを残していたのかもしれない。しかし、かくも臨場感あふれる作品をものするほど鮮明な記憶が著者にのこったのは、惰性に流されることなく毎回新鮮な気持ちで仕事に取り組んだからではあるまいか。だとすると、このプロ精神、学ぶに足る。
また、語り口がいい。生きがよくて、たくまざるユーモアがにじみでている。経験を積んだ者の余裕からくるユーモアかもしれない。この人、おおまかなようでいて細心、なにかと難題をおしつけられながらも、これも添乗員の役目と心得て、厄介事をそつなく(結果オーライ的に)さばくのだ。本書の随所にみられる目くばり、気くばりは、小集団運営術というものだ。これまた大いに学ぶに足る。
□岡崎大五『添乗員撃沈記』(角川文庫、2004)
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それが自分が出かけたことのない土地であれば、かりそめの旅ができる。
本書が語るのは、ギリシア、東アフリカ、ドイツおよびベネルクス、シルクロードの4つのツアーだ。
たとえば、ギリシアでウゾーを水で割って飲むくだりに、地中海クルーズの記憶をよみがえらせる人もいるだろう。からりと晴れわたった青い空、紺碧の海。波をかきわけて進む白い船、そのデッキで喉をうるおすウゾー。だが、帰国してから飲んだウゾーには、あの美味は再現されなかった。松やにのまじるこの酒は、湿気のつよい国には合わない・・・・。
本書はしかし、ありきたりの紀行文とは異なる。著者の立場は添乗員だから、話題はもっぱらツアーに参加した観光客になるのだ。
長期にわたる海外ツアーの参加者は、時間とお金に余裕のある年配の方々がもっぱらだ。ということは、ひとクセもななクセもある人ばかりで、このあたりの個性発揮ぶりが本書の読ませどころになる。
そして、客がなにかのきっかけでポロッと口にする人生の一端がまた興味深い。
たとえば、ギリシア編の「米田耕蔵をはじめとする酔いどれ三人組」。セクハラ行為でスチュワーデスを泣かせるわ、著者も騒ぎのまきぞえをくって眼鏡を壊されるわ、ために夜もサングラスでとおす羽目におちいるわ。しかし、腹をわって話しあう機会があり、聞けばかくかくしかじか、読者も、なるほど・ザ・納得する背景があるのであった。
ツアーは集団だから、リーダーシップ、集団凝集性といったグループダイナミックスが働いたりもする。添乗員は、この集団の構成員であるような、ないような微妙な立場だから、このヌエ的な視点からみたツアー集団の社会心理学的行動がおもしろい。読者は、翻って自分の属する小集団はいかに、とふりかえるキッカケになるだろう。
たとえば、ドイツ~ベネルクス編のツアー集団内ミニ集団の対立。ミニ集団のそれぞれリーダーがいて、すったもんだが起きる。しかし、じつのところリーダー(意識旺盛な人)の意識過剰のきらいがあって、ミニ集団のいずれにも属しない「美女と野獣」カップルの謎が解けることによって大団円・・・・までいかずとも小団円くらいの結末を迎える。
永年添乗員をつとめていれば、こういった話題に事欠かないだろう。
しかし、永年の経験を続々と公表した添乗員は、著者くらいだろう。著者が今までに刊行した24冊は、大部分は添乗員時代を回顧したものだ。しかも、文庫書き下ろし作品が多い。ノンフィクション界の佐伯泰英と呼ぶべきか。
克明なメモを残していたのかもしれない。しかし、かくも臨場感あふれる作品をものするほど鮮明な記憶が著者にのこったのは、惰性に流されることなく毎回新鮮な気持ちで仕事に取り組んだからではあるまいか。だとすると、このプロ精神、学ぶに足る。
また、語り口がいい。生きがよくて、たくまざるユーモアがにじみでている。経験を積んだ者の余裕からくるユーモアかもしれない。この人、おおまかなようでいて細心、なにかと難題をおしつけられながらも、これも添乗員の役目と心得て、厄介事をそつなく(結果オーライ的に)さばくのだ。本書の随所にみられる目くばり、気くばりは、小集団運営術というものだ。これまた大いに学ぶに足る。
□岡崎大五『添乗員撃沈記』(角川文庫、2004)
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