語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】錯視 ~ものの見え方の不思議~

2010年05月30日 | 心理
 人は感覚器を通じて感覚し、感覚は人の心のはたらきによって知覚となる。
 知覚の一種に錯覚がある。本書は目の錯覚、すなわち錯視をやさしく概説する。
 たとえば、同じ長さの2本の線分をT字形に組み合わせると、同じ長さであるにもかかわらず、垂直方向の線分のほうが長く見える。この現象は、垂直水平錯視と呼ばれる。本書で報告された図形は、T字形をひっくり返した図形だが、T字形と効果は同じだ。
 ちなみに、大学生を被験者として垂直方向の線分をだんだんと短くしていく実験をしたところ、垂直方向の線分が水平方向の線分の20から25%短くなるあたりで水平方向の線分と同じ長さに見える、というのが平均的な回答であったよし。
 このほか、ミューラー=リヤー錯視、ポンゾ錯視、ツェルナー錯視、ポッゲンドルフ錯視から、図地反転、多義図形、騙し絵、そして3Dビジョンにヴァーチャル・レアリティまでふれている。図版豊富だから、眺めて楽しい。楽しんで読み進めるうちに、人間の心の不思議さに打たれるだろう。

 本書は、いまでは入手しがたいが、幸いネットでいくらでも錯視の実例に接することができる。たとえば「錯視のカタログ」だ。

【参考】椎名健『錯覚の心理学』(講談社現代新書、1995)
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書評:『危機と克服 -ローマ人の物語8-』 ~リーダーシップに欠けるトップ~

2010年05月30日 | 歴史
 1992年以来毎年1巻づつ刊行され、2006年に全15巻が完結した壮大なシリーズの第8巻目である。
 本巻では、ネロの死からトライアヌスが登場するまでの30年足らず、68年夏から97年秋までが描かれる。この間、ガルバ、オトー、ヴィテリウス、ヴェスパシアヌス、ティトス、ドミティアヌス、ネルヴァの7皇帝が矢つぎばやに入れかわった。

 アウグストゥスにはじまるユリウス・クラウディウス朝は、ネロの死により崩壊した。
 直後から、ローマ市民同士が血で血を洗う内戦へ突入した。わずか1年の間に、ガルバ、オトー、ヴィテリウスの3皇帝が相ついで即位し、そして自死または殺害された。
 その虚をついて、ゲルマン系の一部族の指導者ユリウス・キヴィリスがローマに叛旗をひるがえす。反ローマの「ガリア帝国」は次第に勢力を拡大し、ライン軍団を構成する7個軍団のうち6個軍団が降伏し、敵に忠誠を誓った。ローマ史上、タキトゥスのいわゆる「一度として経験したことのない恥辱」であった。

 ヴェスパシアヌスが内戦を収拾した。叛乱を制圧し、フラヴィウス朝を創始した。「健全な常識人」だった彼は、「なかったことにする」寛容な措置で内外ともに報復を抑え、新たな繁栄の礎を築いていった。その長子ティトス、二子ドミティアヌスも堅実な路線を継ぎ、善政をしく。
 しかし、元老院を圧迫したドミティアヌスは、暗殺に斃れた。
 元老院はただちに議員のネルヴァを皇帝に推す。内乱の記憶は、まだ人心にまだなまなましく、異論は起きなかった。五賢帝時代の幕開けである。

 連綿とつづく『ローマ人の物語』の特徴は、リーダーの人間学である。リーダーシップが、これでもか、というほど書きこまれ、分析される。
 本巻では、ことに負の側面からリーダーの要件が剔抉される。反面教師となるべきリーダーの特徴である。すなわち、ガルバにおいては人心把握の失敗、オトーにおいては実戦の経験不足、ヴィテリウスにおいては消極性、無為。・・・・なにやら、現代日本の宰相を思わせる特徴ではないか。

 その立場にふさわしくないリーダーの下では危機が起こり、続く有能なリーダーによって危機が克服される。こうして「ローマ」は栄えつづけてきた。危機の後に繁栄がやってきた。
 歴史はくり返すか。
 すくなくとも危機または政治的混迷の克服にかんしては、ローマ帝国の歴史が現代日本で再現される見こみは、今のところ、ない。

□塩野七生『危機と克服 -ローマ人の物語8-』(新潮社、1999)
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