語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『ハバナ・ベイ』 ~『ゴーリキー・パーク』シリーズ最終巻~

2010年05月24日 | ミステリー・SF
 ロシアの人民警察捜査官アルカージ・レンコを主人公とするシリーズ第4作。
 著者は、『ローズ』に続き、本書でハメット賞を受賞した。

 このシリーズ、1981年以来(邦訳はその翌年)、5年間に一作のわりで刊行されてきた。そして、一作ごとに時代背景が変っている。つまり、このシリーズは、旧ソ連、そして現ロシアの激変する世相を忠実に反映している。
 本書の解説には、第1作『ゴーリキー・パーク』、これに続く『ポーラー・スター』、『レッド・スクエア』の梗概が紹介されている。したがって、まず解説から読みはじめてもよい、と思う。ちなみに、『ゴーリキー・パーク』はウィリアム・ハート主演のTVドラマ(1984)がある。
 第1作で、レンコはKGBのプリブルーダ少佐(後に大佐)と当初対立するが、事件の解決に尽力するうちに親しくなる。
 第2作では、プリブルーダは、レンコの命を救った。

 そのプリブルーダ大佐(KGBの後身の連邦保安機関SVRに所属)が大使館付き武官としてキューバへ赴任し、行方不明になって1週間後、死体で発見された。
 身元確認のためレンコはキューバを訪れる。大佐の息子は、ピザ店を経営していて動けない、というのだ。プリブルーダにおいて、親子の関係はレンコとの職業上のつながりほど濃くないわけだ。げにも、人間は社会的動物である。

 レンコは復権し、モスクワ検察局に勤務していたが、キューバでは何の権限もない。
 それどころではない。かつてキューバに対して「封建君主」のようにふるまっていたロシアの「裏切り」に対する敵意ないし嫌悪に取り囲まれた。しかも、プリブルーダにはスパイの疑いがかけられ、国際問題になりかねない。キューバとしてはアルカージをさっさとロシアへ追い返したい、という雰囲気なのだ。
 周囲の悪意と圧力の中で孤立無援のまま捜査するのがアルカージの宿命らしい。

 水死体には顔も指紋も残っていない。身長、体重、臼歯の鉄の詰め物(ロシアの典型的な歯科治療)はプリブルーダの特徴と矛盾しないが、それだけでは「かもしれない」としか言えない。じじつ、レンコはそう答える。
 こうした細部へのこだわり、または論理の徹底がレンコを有能な捜査官としたが、同時に彼の存在を不都合とする者をも生じさせた。かつてはロシアン・マフィアがそれだったが、キューバにも類似のグループがいる。
 かくて、レンコによる孤独な捜査は、またしても社会主義社会の裏面を浮き彫りにするのだ。

 調べていくうちに、死体はどうやらプリブルーダ当人らしいことがわかってくるが、背後の事実を追求するうちに自らも死体となる危機に遭遇する。
 こうした努力をわかってくれる人はやはりいるのだ。出会った当初はレンコを毛嫌いしていたオフィーリア・オソーリョ刑事は、やがてレンコを母親と娘のいる自宅へ連れていく関係となる。娘の問いに、「いい人よ」などと答える。

 長く続くシリーズには、文章も独特の味わいがある。

   オフェーリアは勇気がよみがえるのを待った。すぐだろう。

 勇気が甦るまでの束の間の静寂な時間。
 警官も人間だ。勇気が萎える瞬間がある。
 しかし、萎縮してそのままの人もいるし、萎縮してのち、立ち直る人もいる。

   「冷たい気候には冷たい人びと、いえるのはそれだけだな」

 キューバではレンコを罠にかけたが、犯罪者とは別の立場で動いていた自動車整備工のエラスモ・アレマンが雪のモスクワでアルカージに再会し、別れしなに告げた言葉である。
 砂糖の契約の再交渉のため訪露したエラスモは、オフォーリアの消息を伝えるため、車椅子をこいでわざわざレンコの前に姿を見せたのだ。

□マーティン・クルーズ・スミス(北沢和彦訳)『ハバナ・ベイ』(講談社文庫、2002)
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