ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2025-23 農村の過酷な嫁の立場

2025年01月24日 | 日記
33回忌で親族が集まった時の85歳の義姉がふと漏らした言葉が胸につき刺さった。
「今まで苦労ばかりしてきたと。」
昭和14年生まれ、戦前、戦後の物がない時代、そして嫁の立場を体で感じてきた
80年間で重みがある。
敗戦の直後入学し中学を卒業し、4年間、家で農作業を手伝い19歳で結婚。
ちなみに4歳上の長男は高校を出た後働き、その後都内の大学に進学している。
求める学歴も男女間で差があった。

嫁ぎ先も農家。数カ月義祖父の介護、そして葬式、嫁の置かれた過酷な嫁の休みのない生活。
その後、耐えられず実家に戻るが引き戻され、子供も生まれ、毎日朝から晩まで農作業、
子育て、そして介護と耐え忍んびながら、つくしてきたようだ。
夫が数年前から介護施設へ。面会で初めて、
「お前も、もう年なんだから農作業も休みながらやれ」と人並みな言葉を掛けられたと。
「本当に苦労ばかりだった」としみじみ語っていた。

藤あや子63歳のファミリーヒストリー。
秋田、仙北出身の農村、祖母は24歳で亡くなる。
当時、農村の嫁は朝から晩まで働くのがあたりまえの過酷な労働状況。
嫁をもらうことを「手間を貰う」「角のない牛」に例えられていた。と
18歳で嫁ぎ、体を壊して実家に戻されて1週間後の昭和16年24歳で亡くなったと。
直前、ボロボロになった手をじっと眺めてていたそうな。
なんとも不憫で過酷な農村の嫁の生き様である。

「この小さな世界の片隅で」のすずさんのような庶民からみた、戦争や
昭和30年代の農村ルポ「ものいわぬ農民」での貧しい農村の暮らしなど
と共通している。
「角のない牛」に例えられた労働牛が嫁だった。
だから農家の長男には嫁の貰い手がないのだろうか・・・





コメント
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