ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2021-6 続 没100周年の原敬

2021年01月14日 | 日記
引き続き

意外と知られていないのが原敬の家族。
幕末、原敬の母は夫を亡くす。女手で7人を気丈に子育てし92才で天寿を全う。
女手で育てられたからろくでなしになったといわれないように立派な人になるようにが口癖で
敬もこの言葉を胸に秘め生涯努力し続けたといわれます。

27才で結婚、相手は名のある家の娘の貞子。しかし、気が強く、我が強かったこの妻とは
20年連れ添いながらもにいて離婚しています。最大の理由は最愛の母リツの介護を嫌って
いたからといわれています。今日の社会にも当てはまる気が・・
そして二年後、東京で芸者をして10才以上離れていた淺と再婚しています。
子どもは前妻の貞子とは兄弟の子を養子に迎え
後妻の淺とも子はなく、親族から養子を迎えています。

また母のために盛岡の大通りに介護荘という名の家を建て住まわせ、
リツの米寿のお祝いには8日間にわたる園遊会を開いています。
臨終の際は、東京、盛岡を往復しながら最期を看取っています。

その後、政友会会長、総理大臣へと歩むのです。
そして65才で暗殺されて没100年になるというわけです。
その業績を知る手がかりは
なんといっても19才から死ぬまで書き続けた
何冊もの日記の存在です。

今日、残念ながら、敬の子孫は盛岡には住んでいません。

今の社会にも共通するような家族の側面を感じたものです。。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021-5 原敬 没100周年にまつわって

2021年01月12日 | 日記
今年没100周年の原敬。
1856年、現盛岡市本宮に生まれ平民宰相として呼ばれた原敬。
1921年(大正10年)65才で東京駅で暗殺されて100年を迎えたわけです。
先日、この原記念館でギャラリートークに参加。意外な発見がありました。

原敬は12才の時、戊辰戦争で盛岡藩は敗れるところを
目の当たりにするのです。これが原の生き様に大きく影響していくわけです。
原の判子は「一山」これはこの戦争で白河以降一山百文という別称をいわれた
屈辱をわすれないための判子でも有るといわれてもいるのです。
祖父は家老であり、その数年後、そして父もなります。母に育てられ16才で上京。
フランス人宣教師の学僕をしながらフランス語を学び後に大いに役立つわけです。。
19才で士族を捨て平民をあえて選択したのでした。
その後は外務省に入り新聞社をへて政党政治で活躍していくわけです。

62才で米騒動が起こり寺内内閣が倒れた後を引き継いだのが原敬でした。
彼は外交面では平和主義者で日本人の変革を好まない体質から徐々に変えていこうとしたのが普通選球でした。
しかし、これはすぐにでも普通選球をという国民のニーズに応えられないとの不満もあったといわれています。
そして外交面でのハト派的外交に不満をもつ人から暗殺されたのでした。
刃は横にすると肋骨を通して心臓に届くとされたそうですが、刀に自信がない人は縦に刺すとか。
そのときの背広とワイシャツが展示されていました。
ワイシャツは縦縞でしゃれてフランスの影響ともいわれています。

もし生きていれば政治はどうなったでしょうか。
もし三国同盟に反対した米内光政も共にいたら政治は変わっていったに違いないのですが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021-4 大寒波の中で

2021年01月09日 | 日記
コロナ感染者はとどまるところ知らず全国で7800人が3日間も。
誰もが緊急宣言が遅すぎと批判。
さてこの一週間、まるで冷蔵庫の中にいるような冷え込み。
今日の最高気温はマイナス6度、最低気温はマイナス13度。
一昨日は暴風雪。仕事帰り、雪で視界がさえぎられたりの厳しい日だった。
日本海側の方々は豪雪で雪かきも大変だろうと思いを寄せながら、仕事へ行く途中、
道路脇にスリップした車が一台道路脇で逆さまに転倒していた。

納屋に保管していた白菜。大寒波到来でストーブをつけているが
まるでラグビーボールのように凍ってしまっている。
そこで家の中にコンテナを積み上げて保管し出荷準備に備えた。
白菜は表皮数枚とれば内側はしっかりしている寒さに強い野菜なのだ。

いつもならマイナス10度以下になると
風呂場の水が凍ってしまうのが心配の種だったが今年はなんと凍結なし。
コメの籾殻を水道管に積み上げた効果が表われた。
大寒波で改めて気付いた籾殻の威力だった。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021-3 静かな年始

2021年01月04日 | 日記
正月3が日が過ぎた。
恒例の親族が集まっての新年会も中止。至って静かな3が日になった。
昨年のお盆も自粛で中止したが
そのときは夏野菜の最盛期、盆もなく朝から忙しく走り回っていた。

この正月、本当に、ゆったり、のんびりとした。
何もしないという意味では贅沢な3日間であった。

冬、といえばスキーなのだが
この平場でもマイナス13度という低温の中、スキーより温泉を選んだ。

いつも利用する温泉場にいった。
しかし今年は、日帰りは3日間はなしとのこと。
近場の温泉を紹介してくれた。
湖畔にある比較的こじんまりした旅館だった。
先客が10人ほど入っていた。冷えた体が芯から温ったまった。

帰り際、利用時間を聞いた。
なんと日曜日は夕方、4時から8時まで営業とのこと。
これなら、農作業したあと体を癒やせる、
新年、よき温泉との出会いだった。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021-2 ある笑い話

2021年01月01日 | 日記
年始の挨拶で訪問した時でのこと。
年賀状の作成をしていた。
裏面に話題の妖怪アマビエの絵が描かれていた。
そのアマビエを巡って話がj地元広報の話へ発展。

ある町内会の広報を担当していて
保育園児と一緒に田んぼの稲刈りをした時、
コロナ収束を願ってアマビエの案山子を園児が作制。
それを記事に載せたそうだ。

数日たって近くの小学生が「おばさん、あの記事変だったよ」
と教えてくれたそうだ。
不思議に思ってよく読んでみたら
なんと
「アマビエの案山子」が「アマエビの案山子」として掲載されていたそう。
広報担当が2人いて年配の方が校正と印刷を担当。
気を利かしたつもりで訂正したようだ。とはその記事を書いた人の弁。
どっちが間違えたかは定かではないが
新年早々大いに笑った出来事だった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする