ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.5.27 アリとキリギリス

2013-05-27 20:39:33 | 日記
 言わずと知れたイソップ寓話の一つである。
 夏の間に遊んでばかりいないでちゃーんと働いておかないと、冬に食べるものがなくなって痛い目にあいますよという、コツコツ働きアリさんと歌って踊って遊び呆けていたキリギリスさんの対比だった。
子ども心に、怠けていてはやっぱりいけないのだな、という刷り込みがあった。

 そうして働きアリよろしくこれまで30年近く働いてきた私だけれど、果たして定年退職まで働き続けられるか(それどころか生き長らえているか)定かでない。だから、定年後平均寿命まで、数十年に及ぶ老後の備えはまるで必要ないよね、と思い始めた再発治療継続中の昨今。1人息子のためにチマチマと財産を残す(といったってそんな大それた財産が残せるわけがない。病気休職までしたしがない公務員であるのだから。)のは、彼にとって良いことだとは思えない。
 それなら、自分が生きているうちに、自分がその時間、気力、体力を注いで手にしたまさしく労働の対価としてのお金で、自らがちゃんと愉しんでおかないと!と、時としてキリギリス生活にブーンと振れそうになることがある。愉しまないうちに動けなくなってしまったら、哀し過ぎる。まあ、毎月高額の治療費がかかっているのだから、既に十分なお金を使っている、とも言える。そんなに夢見がちなことは言えないか、とちょっと下を向きつつも。

 小心者であるから、大それた遊び方なぞ出来ないし、知らない。うんと高級なブランド物が欲しいわけでもないし、宝石大好きなわけでもない。
 小市民的なちょっとした贅沢、ちょっとした非日常、で十分なのである。
 まだ50歳そこそこで自らを“毎日が日曜日”に追い込んでしまうのは、やはり怖い。
 メリハリをつけられる毎日、オンとオフがあるからこそ、遊びが有難く愉しいのである。今日はフレンチ、明日は中華、明後日はイタリアン~と、とっかえひっかえの友人たちとお食事会に明け暮れ、毎週のように旅に出て、それで満たされるとは、決して負け惜しみでなく、思えない。
 つましいお弁当とワンコインでお釣りのくる学食の昼食があるからこそ、ちょっと贅沢なランチ会が非日常で幸せなのだ。
 日々、職場と自宅の往復プラス通院と買い物程度の行動範囲、だからこそ、たまの遠出や旅行で水を得た魚のごとく蘇れるのである。
 そんな当たり前のことを今更のようにしみじみと思う。

 何かの折りにふと、いつまで働くのかな、いつまで働けるのかな、と思うことが多くなっている。
 もう働けない・・・と体中で感じる時にはもはや観念するとして、その時が来るまでは職場にとってはコスパの悪い働きアリさんだけれど、もう少し返上せずに、細々とやっていきたいな、と思う。
 
 新しい1週間が始まった。なんとなく空気が湿り気を帯びている。早くも九州・四国・中国地方は梅雨入りだそうだ。こちらも梅雨の走りの雨がやってくるのかもしれない。気圧の変化は痛みの知らせ、嫌な感じではあるけれど。

コメント (4)
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