ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.5.28 ゆとりがあれば・・・

2013-05-28 21:02:52 | 日記
 いつも余裕がなくて一杯一杯な精神状態だと、当然のことながら笑顔も逃げて行く。
 眉間に皺が寄って、気付けばちょっとしたユーモアさえ受け容れがたくなる。あとは精神衛生上悪循環だ。怖い顔をし続けて行けば幸せの青い鳥も逃げて行きそう。
だからそんな時こそ深呼吸。意識的にユーモアを解して無理にでも笑うようにしたいと思ってきた。たとえ引きつり笑いでも口角を上げれば免疫力がアップする、というのもラフターヨガの講演で聞いたことがある。

 と、何度かご紹介してきた読売新聞の医療サイトyomiDr.の海原先生のコラムでなるほど、それもまんざら間違いではなかったのだな、と思わされた。
 ユーモアもまたストレスを乗り切るための大事な能力である、というのだ。

※  ※  ※(転載開始)

海原純子のハート通信 心のゆとりが生むユーモアの力(2013年5月27日)

 いつも興味深い論文を見つけては「こんな面白い研究があるよ」と教えてくれる先輩の心理学の教授が先日、またちょっと笑えるテーマの研究論文を教えてくれました。
 チューリッヒ大学のウルスラ・ビーアマンらの研究テーマは「自分自身のおかしな表情の顔を笑えるゆとりのある人はどんな人か」というもの。デフォルメされた自分の「変な顔」を見て、それに「おかしさ」を感じるか「イヤだ、見たくない」と嫌悪や拒否反応を示すか、について大学生を対象に調べた研究です。
 結果は、デフォルメされた自分の「変な顔」をおかしいと感じたのは、ふだんからユーモアがあり、陽気な性格傾向を持つ学生だったということです。「笑い」や「ユーモア」は、客観的に自分自身を見ることができる心のゆとりがないと生まれないもの。この研究結果はそれを示したと言えそうです。
 さて「自分のした失敗」も過失のことになると「笑い話」にできることはありませんか。失敗直後には客観的になるゆとりがなく、失敗の心の痛みで落ち込んでしまうものですが、次第に、それが「あんなこともあったなあ~」「昔は出来が悪かったな~」などと笑い飛ばせるようになるものですよね。そのように客観性ができるにつれて、失敗の痛手から回復できる訳です。ユーモアはストレスを乗り切る大事な能力とも言えそうです。

(転載終了)※  ※  ※

 まあ、自分の変な顔を見て一瞬ムッとしたとしても「ガハハ!」と笑い飛ばせるくらいなら本当に余裕があるな、と思う。デフォルメされた自分の似顔絵を見て「うまい!」と言えれば大したものである。

 翻って、今、かつらをはずして素頭でいる姿の写真を夫に撮られたりするとやはり傷つく。息子曰く“劇怒(げきおこ)ぷんぷん丸”の形相で「消去してよね!」と言い放ってしまう。
 もちろんこの頭、自分の“失敗で”こうなった、というわけではない。けれど、この脱毛という痛手については未だユーモアで乗り切る範疇まで達していない、ということか。
 まだまだ修行中の身の私である。

 今日は朝から曇天。近畿・東海地方も梅雨入りとのこと。頭が重くなりやすい気候だ。胸痛もあり、ロキソニンを飲んで出勤した。
 息子も頭痛を訴え、結局登校できずじまい。すっかり精勤賞とも無縁となってしまった。
 明日は通院日。既に小雨が降り始めているけれど、明日も雨模様なのだろうか。

コメント (4)
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