アンジェリーナ・ジョリーさんの乳腺切除についてのニュースが気になっていたところ、今朝の天声人語が目にとまった。以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
朝日新聞・天声人語(2013年5月16日)
子どものころ生傷が絶えなかった思い出を、向田邦子が「身体髪膚(しんたいはっぷ)」という随筆に書いている。父も母も、傷ひとつなく育てようと気を配ってくれた。それでも子どもは、思いもかけないところで、すりむいたりコブをつくったりしたと▼随筆の題は「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」の古言に由来する。親にもらった身体を傷つけぬように、という教えだ。書いたとき、向田は乳がんの手術のあとだった。傷痕を抱えて、思うところがあったのかもしれない▼米国の女優アンジェリーナ・ジョリーさん(37)が、両方の乳房の切除手術を受けたと伝えられた。がんが見つかったわけではなく、予防のためという。遺伝子を調べて、乳がんになる確率が87%と告げられた。将来の不安を、体の一部とともに取り去った▼56歳だった母親を彼女はがんで亡くしている。その家系とはいえ、健康な部位を失う手術である。決断までの、つらい天秤(てんびん)のような苦悩は、想像するほかない▼経緯と考えを、米紙に寄せていた。こうした選択肢への理解を求めつつ、受け止めてコントロールできるものを恐れるべきではない、と。手術によって、乳がんになる確率は5%以下に減ったそうだ▼思えば人間は「病(やまい)の器(うつわ)」である。命ひとつに病は幾千。多勢に無勢の心細さで助っ人の医療を頼む。応えるように、選択肢はいよいよ増えていく。彼女に賛否はあるようだが、自分で決める心の準備は、誰にとっても無縁ではない。
(転載終了)※ ※ ※
そう、私が好きな向田邦子さんも同じ乳がんだった。私の歳で既に事故死されていたのだったということを思い出して、ちょっと戦慄する。
確かに親から五体満足でもらった体、メスを入れたりすることなく生涯を終えることが出来れば何より親孝行だろうな、と思う。だから、いまどき随分古いと言われようが、ピアスの穴さえも開けずに来た。が、ふと自分の体を見ればもう傷だらけである。
親元を離れる前につけた二つの傷のこと。
珍しく父方の祖父が泊りに来たのが嬉しくて、廊下を飛び跳ねて歩いていた時にバランスを崩してガラス戸に飛び込んだことがある。ちょうど雨戸が閉まっていたから、突っ込んだのは右腕だけで済んだ。大きな窓ガラスの破片が腕にざっくりと入り込み、5針の縫い傷だったが、今でも結構大きなケロイド状の傷が残っている。小さな破片が食い込んだ手首の傷は、血管をちょっとずれていたのが本当にラッキーだったようだ。私はその場で失神したらしいけれど、父におんぶされて救急病院に行って、太い注射を打たれたことはよく覚えている。小学校2年だった。その傷を見る度に母は「こんな傷をつけてしまった、おじいちゃんが来ていなければ・・・」と何度も涙ぐんで悔いたように繰り返していた。
もう一つは、赤ん坊の頃につけた右手の人差指の付け根にある三角の火傷の跡。これはアイロンに自分の顔が映ったのが面白くて手を伸ばした折り、その先っぽの△のとおりについたものだという。この時のことは私自身全く記憶にないが、これも母は自らの不注意と責めていた。
そんな母には乳がんの手術跡も、帝王切開の傷の上に重ねられた卵巣のう腫・子宮筋腫の手術跡も見せていない。今は入院中の義母から「どんな傷なの?見せてごらんなさい。」と言われた時もどうしても見せられなかった。
それを思えば、高3の息子はこれまで実に無事に育ってくれていることよ、と胸をなでおろす。男子だけれど骨折した経験もなければ、縫い傷もない。よちよち歩きだった頃、頂いた木馬の角におでこを強打してつけた傷と、学童クラブの帰り道、上級生に足を引っ掛けられて転んだ拍子に鼻の頭をえぐった時の傷。この2つは残っているが、それ以外はどこも綺麗なものだ。
子どもの傷の痛みは親の心の痛み、親になって初めて気付くことは、少なくない。
翻ってアンジーのこと。
彼女がニューヨーク・タイムズに寄せた「私の医学的選択」という文章も読んだ。
彼女のお母様は10年もの乳がん闘病の末、6年前に56歳で亡くなっているという。自分はBRCA1の遺伝子を持ち、乳がん発症率87%、卵巣がん発症率50%だった、と。3カ月もの準備期間を経て、8時間もの手術に耐えて、健康な両側乳腺を予防全摘。女優さんだから再建することなくそのまま、というわけにいかなかったのだろう。同時にインプラントで再建されている。
自分だったらどうしただろう。まだがんは発症していないけれど、今後9割近くの割合で乳がん発症が約束されていることを知らされた時、果たしてどんな選択をするか。いずれ病になる日までは、体を傷つけないままでいて、甘んじてがんの発症を受け容れるのか、それともこうして予防的な切除措置を取るのか。
こうして両側全摘手術をしてもなお、彼女の発症確率は5%だという。20人に1人の割合だから16~17人に一人、という一般の女性と変わらないところまできたということか。
それでも、確率論など、我が身にすればゼロか100。受け止めて完全にコントロール出来るものなのか、本当に悩ましいことである。
今日は予報通り、午前中はいいお天気だったのに午後からは急速に曇って、夕立のような雷雨となった。行きは日傘、帰りは雨傘の一日だったが、3日ぶりにロキソニンを飲まずに済み、ほっとしている。
※ ※ ※(転載開始)
朝日新聞・天声人語(2013年5月16日)
子どものころ生傷が絶えなかった思い出を、向田邦子が「身体髪膚(しんたいはっぷ)」という随筆に書いている。父も母も、傷ひとつなく育てようと気を配ってくれた。それでも子どもは、思いもかけないところで、すりむいたりコブをつくったりしたと▼随筆の題は「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」の古言に由来する。親にもらった身体を傷つけぬように、という教えだ。書いたとき、向田は乳がんの手術のあとだった。傷痕を抱えて、思うところがあったのかもしれない▼米国の女優アンジェリーナ・ジョリーさん(37)が、両方の乳房の切除手術を受けたと伝えられた。がんが見つかったわけではなく、予防のためという。遺伝子を調べて、乳がんになる確率が87%と告げられた。将来の不安を、体の一部とともに取り去った▼56歳だった母親を彼女はがんで亡くしている。その家系とはいえ、健康な部位を失う手術である。決断までの、つらい天秤(てんびん)のような苦悩は、想像するほかない▼経緯と考えを、米紙に寄せていた。こうした選択肢への理解を求めつつ、受け止めてコントロールできるものを恐れるべきではない、と。手術によって、乳がんになる確率は5%以下に減ったそうだ▼思えば人間は「病(やまい)の器(うつわ)」である。命ひとつに病は幾千。多勢に無勢の心細さで助っ人の医療を頼む。応えるように、選択肢はいよいよ増えていく。彼女に賛否はあるようだが、自分で決める心の準備は、誰にとっても無縁ではない。
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そう、私が好きな向田邦子さんも同じ乳がんだった。私の歳で既に事故死されていたのだったということを思い出して、ちょっと戦慄する。
確かに親から五体満足でもらった体、メスを入れたりすることなく生涯を終えることが出来れば何より親孝行だろうな、と思う。だから、いまどき随分古いと言われようが、ピアスの穴さえも開けずに来た。が、ふと自分の体を見ればもう傷だらけである。
親元を離れる前につけた二つの傷のこと。
珍しく父方の祖父が泊りに来たのが嬉しくて、廊下を飛び跳ねて歩いていた時にバランスを崩してガラス戸に飛び込んだことがある。ちょうど雨戸が閉まっていたから、突っ込んだのは右腕だけで済んだ。大きな窓ガラスの破片が腕にざっくりと入り込み、5針の縫い傷だったが、今でも結構大きなケロイド状の傷が残っている。小さな破片が食い込んだ手首の傷は、血管をちょっとずれていたのが本当にラッキーだったようだ。私はその場で失神したらしいけれど、父におんぶされて救急病院に行って、太い注射を打たれたことはよく覚えている。小学校2年だった。その傷を見る度に母は「こんな傷をつけてしまった、おじいちゃんが来ていなければ・・・」と何度も涙ぐんで悔いたように繰り返していた。
もう一つは、赤ん坊の頃につけた右手の人差指の付け根にある三角の火傷の跡。これはアイロンに自分の顔が映ったのが面白くて手を伸ばした折り、その先っぽの△のとおりについたものだという。この時のことは私自身全く記憶にないが、これも母は自らの不注意と責めていた。
そんな母には乳がんの手術跡も、帝王切開の傷の上に重ねられた卵巣のう腫・子宮筋腫の手術跡も見せていない。今は入院中の義母から「どんな傷なの?見せてごらんなさい。」と言われた時もどうしても見せられなかった。
それを思えば、高3の息子はこれまで実に無事に育ってくれていることよ、と胸をなでおろす。男子だけれど骨折した経験もなければ、縫い傷もない。よちよち歩きだった頃、頂いた木馬の角におでこを強打してつけた傷と、学童クラブの帰り道、上級生に足を引っ掛けられて転んだ拍子に鼻の頭をえぐった時の傷。この2つは残っているが、それ以外はどこも綺麗なものだ。
子どもの傷の痛みは親の心の痛み、親になって初めて気付くことは、少なくない。
翻ってアンジーのこと。
彼女がニューヨーク・タイムズに寄せた「私の医学的選択」という文章も読んだ。
彼女のお母様は10年もの乳がん闘病の末、6年前に56歳で亡くなっているという。自分はBRCA1の遺伝子を持ち、乳がん発症率87%、卵巣がん発症率50%だった、と。3カ月もの準備期間を経て、8時間もの手術に耐えて、健康な両側乳腺を予防全摘。女優さんだから再建することなくそのまま、というわけにいかなかったのだろう。同時にインプラントで再建されている。
自分だったらどうしただろう。まだがんは発症していないけれど、今後9割近くの割合で乳がん発症が約束されていることを知らされた時、果たしてどんな選択をするか。いずれ病になる日までは、体を傷つけないままでいて、甘んじてがんの発症を受け容れるのか、それともこうして予防的な切除措置を取るのか。
こうして両側全摘手術をしてもなお、彼女の発症確率は5%だという。20人に1人の割合だから16~17人に一人、という一般の女性と変わらないところまできたということか。
それでも、確率論など、我が身にすればゼロか100。受け止めて完全にコントロール出来るものなのか、本当に悩ましいことである。
今日は予報通り、午前中はいいお天気だったのに午後からは急速に曇って、夕立のような雷雨となった。行きは日傘、帰りは雨傘の一日だったが、3日ぶりにロキソニンを飲まずに済み、ほっとしている。