ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.3.8-9 フル回転の2日間

2014-03-10 21:50:25 | 日記
 先ほど投稿した記事は文字通り、国公立の合格発表後に高校の担任の先生に宛てた手紙である。
 今の私の偽りのない素直な気持ちを吐露した、かなり私的な手紙だが、あえてこのブログの記事としてアップしておきたいと思った。

 もう後ろは振り返らず、前に進むのみ!ということで、発表が終わってから気持ちを切り替えて、息子と2人で塾に挨拶に行き、貯金通帳を作るために新しく息子専用の印鑑を作り、入学手続き書類を下書きし、夕食後は夫の発案で、親子で15年ぶりにカラオケに繰り出すという、我が家としては破格の夜遊びをした。

 「え~、お父さんたちとカラオケ~?」と最初は気が進まない顔をしていた息子も、いったん歌い出すと止まらず、思いのほか楽しかった様子で、「結構楽しかった。ありがとう。引っ越すまでにもう一回連れて来てよ。」とまでのたもうた。
 こちらも、息子が歌う姿などどのくらいぶりで見た事やら(少なくとも、声変わりしてから息子の歌声を聴いたのは初めてのような気がする。)、私たちは全く知らないイマドキの歌のレパートリーが広いことに驚きつつ、これは受験生ではないよね~、と夫と顔を見合わせた。
 私も夫も大昔の持ち歌を懐かしく歌っただけだったが、機械に採点してもらったら95点や92点が出てご満悦。ラストは、夫と息子が贔屓の球団の応援歌を、肩を組んで歌った姿にちょっとジーンとしてしまった。

 昨日は昼から、都心で行われた、進学する大学主催の下宿生・保護者会交流会に参加した。現役の大学生や生協職員の方々の手作り感あふれる説明会で、下宿生の“生の声”を聞かせてくれた。参加者も都内だけでなく近県から、遠くは近畿からも来ていたようだった。終了後は大学生協や保険に加入し、ミールカードの手配を済ませ、スタッフの方々に御礼を言って会場を後にした。ここまででかなり疲労困憊。
 さらに、せっかく都心まで出てきたのだから、と帰りはターミナル駅傍の大型電気店に行き、動きが悪いと文句タラタラだったスマホの買い替えと、授業のプレゼンで必須と言われたノートパソコンの新調。
 
 それにしても、このテクノストレスたるや、なんとも50過ぎのおばさんには辛いことよ。値段設定も、もろもろのオプション説明も、本当に分かりにくいことこの上ない。あえて分からないように画策しているのでは、と勘繰ってしまう。一体、最終的な請求金額はいくらになるのか、疲労がピークになるにつれて金銭感覚がだんだん麻痺していく。
 一方、息子はちゃんとついていっているのだから、大したものだ、と変なところで感心することしきり。こんなものを1台買うだけで、なんでこんなに延々と時間がかかるのよ、と舌打ちしてみたところで致し方ない。

 結局、全ての説明と買い物が終わったのが夜の9時近く。あたりを見回しても、疲れ切った表情であくび連発のお客さんたちが目につくばかり。そして名札を見れば、この大型店舗の中にいる従業員達は皆“入店証”をつけた外部の人ばかり。電気店の店員はレジにいるだけなのだなあ、と改めて驚いてしまう。遅い夕飯をいつものイタリアンで摂って(最後の客だった。)、帰宅は11時を回ってしまった。

(そんなわけで、土日というのに更新出来ずじまいで、ご訪問頂いた方々には大変申し訳ありませんでした。)

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2014.3.8 子離れへの第一歩―M先生への手紙―

2014-03-10 19:46:26 | 日記
M先生

 春とは名ばかり、気温の低い弥生三月ですが、先生におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
 2年間、息子の担任として大変お世話になり、本当にありがとうございました。

 本来でしたら、卒業式の後にでもきちんとご挨拶に伺うべきでしたが、式の後、教室に伺っていいものやらも分からず、夫と2人そのまま学校を後にしました。
 本日、全ての合格発表が終わり、○○大学に進学することとなりましたので、ご報告かたがたどうしても感謝の気持ちをお伝えしたく、突然お手紙を差し上げるご無礼をお許しください。

 通知表に書いて頂きました「ご卒業、おめでとうございます。暗闇を不安に思うより、1本のろうそくに火を灯してください。活躍を祈ります。」に胸が熱くなりました。
 こんな餞の言葉を頂けて、息子は幸せ者だと思います。彼の心の中にある1本のろうそくに、揺れども消えることのない明るい火が灯り、これからの道標になってくれることを祈りたいと思います。

 思えば、6年前の中学受験は、本人が熱望する学校が残念な結果に終わり、ご縁あって貴校にお世話になりました。が、本人が言う通りの不本意入学でした。「余裕で入ったつもりで、最初は上位の成績だったから舐めていたし、2年くらいはずっとモヤモヤしていた。」と。そんな調子でろくに勉強に身が入らず、かといって部活に打ち込むわけでもなく、どっちつかずの毎日。あっという間に成績は下降の一途、本人のやる気もずっと低迷状態で、鳴かず飛ばずであったことは親とすればとても歯がゆく、切ない思いをいたしました。
 が、「今、振り返ってみれば甲子園にも行き、国立競技場へも行き、まあ楽しい6年間だった。」とも言いました。
 こうして無事、卒業式を迎えられたことは何よりだったと感謝しています。

 もちろん、本人の頑張りが絶対的に不足しておりましたため、第一志望の大学には届かず、先生が三者面談の時におっしゃったとおり、「これだけ受けても3つ4つ受かれば万々歳だぞ」というとおりの結果になりました。
 けれど、なんとか合格を頂けた大学は今回、彼が自分から受験したいと決めた大学です。「今回は不本意じゃない、喜んで行くよ。」と申しております。
 そうであるならば、自分のやりたいこと、目標に向かって今度こそ悔いのないように頑張ってほしい、と願っています。

 沢山の大学が東京にある中で、あえて古都の大学に進み、親元を離れての一人暮らしの生活を選んだわけですが、実は私も高校時代、今回彼が住もうとする街にある大学に行かせてほしい、と親に頼んだことがあります。「女の子の一人暮らしは絶対に許さない、東京にいくらでも大学があるのだから。」と一笑に付されて叶わないことになりました。その夢、-古都で大学生活を送る-ということを、30余年を超えて息子が叶えてくれることについて、何やら不思議な気持ちになっています。

 私自身、6年前の中学受験の真っ最中に持病の再発・転移が分かり、高校の卒業式に元気で参列することは叶わないだろう、と諦めたこともありました。が、今もこうして闘病生活を続けながら、無事に列席出来たことを本当に感謝しています。
 そして、彼が古都で生活を始めるにあたって、これからの4年間の間、どうにかして命を繋ぎ、彼が帰る場所を守っていかなければならないのだ、とも思っています。

 6年前、関西の中学校からも合格を頂きましたが、その時、夫は私の体がどうなるかもわからないし、これからの6年間は男の子にとって一番変化が大きく楽しみな時期だから、それを傍で見られないのはもったいない、と家から出すことを反対しました。
 12歳で地方の学校の寮に入れてもよいと思った私が、18歳になった息子の一人暮らしの足を引っ張って良いわけがありません。一人っ子で東京在住であると、大学で地方にでも出ない限り親離れの機会を逸すことになるとも思っていました。そもそも私自身一人娘で、親離れ子離れにとても苦労したこともあり、親元から自由に羽ばたいていってほしい、という願いを込めて付けた名前です。
 新幹線に飛び乗れば、最寄りの停車駅まで僅か2時間の距離です。たとえ一緒に暮らしていても、親の死に目に逢えないことはいくらでもあるでしょう。それを覚悟しながらも、なんとかして一日でも長く命を繋ぎ、彼の成長を見守っていきたいと思います。

 長々と駄文を連ねまして大変申し訳ありません。
 中1からお世話になった担任のT先生、U先生、A先生、I先生、そして副担任の先生方、各教科でお世話になった先生方にもどうぞくれぐれもよろしくお伝えくださいますよう。

 末筆になりましたが、貴校のますますの発展と先生のご健勝をお祈りさせて頂き、ペンを置きたいと思います。
 どうもありがとうございました。

コメント (2)
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