今日から弥生三月というのに、冷たい霧雨が降り続く1日となった。
おりしも今日は息子の高校の卒業式。いつもどおりの時間に息子が出かけた後、1時間ほど遅れて私達夫婦も出かけた。制服リサイクル拠出品として、殆ど着なかったピーコートや沢山のワイシャツを持参する。
最寄駅からスクールバスに乗って、開始時刻から小一時間早く到着したけれど、会場のアリーナでは、保護者席の前の方は既に全て埋まっていた。中ほどの5列目くらいに席を確保したが、これではとても写真は撮れないな、と諦める。
6年前の中学受験は、本人が熱望する学校は残念な結果に終わった。ご縁あってこちらに入学したけれど、本人も言う通り不本意入学。余裕で入ったつもりで最初は上位の成績だったから舐めていたし、2年くらいはずっとモヤモヤしていた、と。そんな調子でろくに勉強に身が入らなかったから、あっという間に成績は下向の一途、本人のやる気もずっと低迷状態で鳴かず飛ばずだった。
が、今、振り返ってみれば甲子園にも行き、国立競技場へも行き、まあ楽しい6年間だったという。とりあえず、なんだかんだ言いつつも今日の卒業式を迎えられたことは何よりだと思う。
受付で第34回卒業証書授与式次第を頂く。思えば3年前、東日本大震災の直後、行事は全て中止となった。だから息子は中学卒業式を経験していない。中高通じて最初で最後の卒業式である。
各々が担任に名前を呼ばれて起立する。息子の声は緊張していたのか、少ししゃがれているように聞こえた。
代表の生徒が証書受け取りをした後、各賞の表彰があった。男子部、女子部それぞれ一名ずつ成績最優秀者、甲子園で活躍したエース君には初めての特別賞(式後は記者会見があったそうだ。)、そして各組の学業優秀者に努力賞が贈られ、最後に皆勤賞・精勤賞のお披露目。高校3年間の皆勤が65名、中高6年間通じての皆勤が26人。驚いたのは、小中高12年間通じての皆勤賞が男女各1名いたことだ。該当する生徒が起立すると同時に、後ろの席で見守る保護者も起立。そう、12年間もの間、雨の日も風の日も一日も休むことなく毎日学校に通えたということは、生徒自身の心も身体も健康かつ強靭だっただけでなく、体調管理面をサポートした保護者の努力の賜物でもある。天晴なことである。精勤賞は121名を数えた。合わせて200名を超える人数は全卒業生の38%だと校長の式辞にあった。
その校長は、この年度末で校長の職を辞すとのこと。息子たちも今日初めて知ったらしい。フレンドリーにいつも仇名で呼んでいたが、次の校長が誰だかも全く知らずに、随分驚いたそうだ。
一時間ちょっとにわたった式典が滞りなく終了した。夫は写真撮影で殆ど席を立って一番後ろに陣取っていたが、戻ってくると「やっぱり感極まるものがあるね。」と目を赤くしていた。
かくいう私はもっと涙ぐむ、いや涙々なのかと思いきや、やけに淡々とやり過ごしてしまった。6年前は高校の卒業式まで果たして生きていられるかどうか、とあんなに騒いでいたくせに。こうして無事元気に列席することが出来たのだから、もっと感動してもいい筈なのに、我ながら不思議な思いだ。
校歌斉唱の後、退場する息子たち卒業生を拍手で送り、私達保護者も三々五々に退場。教室まで行って先生に挨拶をしていいものやらもわからず、嫌がられたらなんだし・・・と、夫と2人でそのまま再びスクールバスに揺られて帰ってきた。
昼食を済ませて帰宅すると、暫くしてお腹を空かせた息子が帰宅。持ち帰った卒業証書やアルバムを見ながらも、まだなんとなくぴんと来ない感じだ。
その息子、夕食は家族でお祝いどころではなく、クラスメートほぼ全員と焼肉食べ放題の打ち上げと称して出かけてしまった。それにしても、高3男子39名に食べ放題に押しかけられる焼肉店にとっては、受難としか言いようがないだろう。
そして夫と2人、静かな夕餉。ああ、これからはずっとこんな、夫との第二の新婚生活が待っているのかもしれない。
おりしも今日は息子の高校の卒業式。いつもどおりの時間に息子が出かけた後、1時間ほど遅れて私達夫婦も出かけた。制服リサイクル拠出品として、殆ど着なかったピーコートや沢山のワイシャツを持参する。
最寄駅からスクールバスに乗って、開始時刻から小一時間早く到着したけれど、会場のアリーナでは、保護者席の前の方は既に全て埋まっていた。中ほどの5列目くらいに席を確保したが、これではとても写真は撮れないな、と諦める。
6年前の中学受験は、本人が熱望する学校は残念な結果に終わった。ご縁あってこちらに入学したけれど、本人も言う通り不本意入学。余裕で入ったつもりで最初は上位の成績だったから舐めていたし、2年くらいはずっとモヤモヤしていた、と。そんな調子でろくに勉強に身が入らなかったから、あっという間に成績は下向の一途、本人のやる気もずっと低迷状態で鳴かず飛ばずだった。
が、今、振り返ってみれば甲子園にも行き、国立競技場へも行き、まあ楽しい6年間だったという。とりあえず、なんだかんだ言いつつも今日の卒業式を迎えられたことは何よりだと思う。
受付で第34回卒業証書授与式次第を頂く。思えば3年前、東日本大震災の直後、行事は全て中止となった。だから息子は中学卒業式を経験していない。中高通じて最初で最後の卒業式である。
各々が担任に名前を呼ばれて起立する。息子の声は緊張していたのか、少ししゃがれているように聞こえた。
代表の生徒が証書受け取りをした後、各賞の表彰があった。男子部、女子部それぞれ一名ずつ成績最優秀者、甲子園で活躍したエース君には初めての特別賞(式後は記者会見があったそうだ。)、そして各組の学業優秀者に努力賞が贈られ、最後に皆勤賞・精勤賞のお披露目。高校3年間の皆勤が65名、中高6年間通じての皆勤が26人。驚いたのは、小中高12年間通じての皆勤賞が男女各1名いたことだ。該当する生徒が起立すると同時に、後ろの席で見守る保護者も起立。そう、12年間もの間、雨の日も風の日も一日も休むことなく毎日学校に通えたということは、生徒自身の心も身体も健康かつ強靭だっただけでなく、体調管理面をサポートした保護者の努力の賜物でもある。天晴なことである。精勤賞は121名を数えた。合わせて200名を超える人数は全卒業生の38%だと校長の式辞にあった。
その校長は、この年度末で校長の職を辞すとのこと。息子たちも今日初めて知ったらしい。フレンドリーにいつも仇名で呼んでいたが、次の校長が誰だかも全く知らずに、随分驚いたそうだ。
一時間ちょっとにわたった式典が滞りなく終了した。夫は写真撮影で殆ど席を立って一番後ろに陣取っていたが、戻ってくると「やっぱり感極まるものがあるね。」と目を赤くしていた。
かくいう私はもっと涙ぐむ、いや涙々なのかと思いきや、やけに淡々とやり過ごしてしまった。6年前は高校の卒業式まで果たして生きていられるかどうか、とあんなに騒いでいたくせに。こうして無事元気に列席することが出来たのだから、もっと感動してもいい筈なのに、我ながら不思議な思いだ。
校歌斉唱の後、退場する息子たち卒業生を拍手で送り、私達保護者も三々五々に退場。教室まで行って先生に挨拶をしていいものやらもわからず、嫌がられたらなんだし・・・と、夫と2人でそのまま再びスクールバスに揺られて帰ってきた。
昼食を済ませて帰宅すると、暫くしてお腹を空かせた息子が帰宅。持ち帰った卒業証書やアルバムを見ながらも、まだなんとなくぴんと来ない感じだ。
その息子、夕食は家族でお祝いどころではなく、クラスメートほぼ全員と焼肉食べ放題の打ち上げと称して出かけてしまった。それにしても、高3男子39名に食べ放題に押しかけられる焼肉店にとっては、受難としか言いようがないだろう。
そして夫と2人、静かな夕餉。ああ、これからはずっとこんな、夫との第二の新婚生活が待っているのかもしれない。