ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.9.25 保護者会懇談会参加

2010-09-25 18:12:38 | 日記
 今日は息子の前期終業式。引き続き保護者会が開かれる。6月下旬に開催された前期中間テスト成績受領日の保護者会は、あいにく土曜出勤にあたったので、夫に参加してもらった。そのため、このクラスになってから懇談会に出席するのは初めて。保護者会自体は13時開始だったが、その前に希望者は懇談会で昼食を、というお誘いが来ていたので申し込んでいた。その時はまさか水曜日に一泊入院になるとはよもや思っていなかったので。

 昨日の寒さでまた傷口の痛みがぶり返してしまったのだが、昼食の注文をドタキャンするわけにもいかず、痛み止めを飲んで学校に向かった。保護者会が開催される時間帯には最寄り駅からスクールバスの運行があるのだが、事前懇談会だったので運行時間外。アップダウンのある通学路を20分近くてくてくと歩く。毎日この通学路を重いかばんを持って歩けば体力がつくなあ、と改めて思いつつ。

 教室の机6つを1つのテーブルにしてくじ引きで座席が割り振られ、所属の部活と最寄り駅を記入して、席に着いた。普段、他の父兄とはなかなか直接お話することは出来ないので、良い機会だった。我が家が最も通学時間が短かった。伊勢原や小田原の先から朝5時台に家を出てくる、という生徒さんが2人もいらした。恥ずかしながら全くお子さんの顔がわからないのだが。1クラス40人ほどの男子生徒、毎年のクラス替え。よほど仲良しか名前が良く出るお友達でないと、とてもとても覚えきれない。
 定刻の13時から成績表配布。サマーキャンプや文化祭等これまでの行事報告や今後のスケジュール説明があり、予定どおり1時間弱で終了。帰りはスクールバスの恩恵を被ることが出来た。

 息子に頼んでもいつも忘れたやらなんやらで、なかなか無事に届くことがないので、その足で最寄り駅前の塾に成績表を持って行き、コピーをしてもらう。予想したとおり英語のクラスはダウン。数学はあきらめていたが、アップした。1勝1敗で本人はそれほど凹んでいない様子。月曜日から祖母と叔母の家に泊まりに行くことばかり楽しみにしている。

 それでもこれからのスケジュールを聞けば、気の毒なほど。10月1日の後期始業式が済めば、すぐ翌週から小テストが開始、中旬には体育祭の直後に模試、11月上旬には実力テスト、そして12月には後期中間テスト、1月には模試があり、その20日後の2月10日は高校受験本番だ。
 「今日は成績をもらって、明日から9月いっぱいは秋休み。気持ちはふわふわしていると思うけれど、こうしたポイントポイントの試験をうまくきっかけにしてくれればよい結果が出る」と先生方はおっしゃるが、要は本人次第。

 私が保護者会に出かけている間、夫は先週のお約束どおりクリニックへ禁煙外来のための血液検査等。やはり駆け込み禁煙トライ患者が多いとみえて、薬局には禁煙パッチの在庫がなく、月曜日に入荷するのだそうだ。それで「月曜日までは禁煙は延期ですか。」と聞くと、「当然」との答え。
 なにやら今回も成功するのかどうか、といった感じだ。



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2010.9.24 午後休で帰ってみたら

2010-09-24 21:16:05 | 日記
 今日は片付けたい仕事があったので、体調をみつつ午前中だけ出勤。上司には朝一番で昨日までの治療状況を報告。首、新しいポートの挿入口、これまでのポートの挿入口の3箇所の傷跡には大きな白いガーゼのテープがしっかり貼ってある(72時間は濡らしてはいけない)ので、タートルネックでも着ない限り見えてしまうため、ストールでしっかり隠して。本当に一昨日までとは比べ物にならないほどの肌寒さだったので、不自然にならず良かったけれど。

 さて、職場で朝、メールチェックをすると「永年(25年)勤続表彰」の通知がきていた。来月1日に理事長室で、とのこと。かつてそういう仕事に関わっていたこともあったなあ、と何やら感慨深い。当時は表彰される先輩方に「おめでとうございます。長い間本当にお疲れ様です。」とお祝いの言葉を言いつつ、実際のところ、お一人お一人のその日に至るまでの気持ちにはとても寄り添えていなかったのだ、と改めて思う。
 本当に順風満帆で、何の問題もなく25年間を勤め続けるということは、とても幸運なことである。しかもそれぞれの人にとって、結婚、出産、育児、病気、介護等さまざまなライフステージの変化が次々に訪れたであろう25年間である。私は採用5年目にして3つ目の職場で結婚、10年目の5つ目の職場で半年間の海外研修、11年目で出産。12年目で今の大学に異動し、子育てをしつつ大学内での異動を繰り返し、20年目で病を得た。その後、去年は病気休職まで取得したし、25年間の後半の5年間はずっと闘病中。それでも、しがみついている自分に対して、表彰状、と思うと、なんだか、うるっと来てしまった。
 最近、形式的な辞令交付は一切なくなったから、久しぶりにスーツ着用か。いずれにせよ、社会人になって以来、表彰状なるものをもらうのは大昔に取得した秘書検定以来だと思う。

 息子は文化祭の代休でお友達と朝から遊びに出かけるとのことだったので、お昼代を渡して出勤した。午後は一人でゆっくり静かに休むつもりで。
 それが、帰宅してみると、駐輪場に息子の自転車があり、あれっ、と思いながら玄関の鍵を開けようとすると、なんと鍵が開いている。そして見たことのない靴。すると、奥からびっくりした様子の息子が出てきて「なんで今日はこんなに早いの?」「誰かいるの?」「○○君が来て遊んでたところなのに。外寒いから。」「具合悪くて帰ってきたから、悪いけど(外で遊んで)」と。
 私が帰ってくるまではこっそり家で過ごして、お友達を帰したら何食わぬ顔で私を迎える予定だったらしい。まもなく息子はなんとカップ麺を片手に持って「外は寒いのに・・・」とぶつぶつ言いながら出て行った。お昼代は渡してあるのに、どこかでお湯をもらうのだそうだ。その場で買った商品でもないものに対してお湯をくれるお店があるわけがない。なんともこの世間知らずにため息・・・である。
 お友達には「昨日退院したばかりで、お構いできずにごめんなさいね。」と謝った。それにしても、洗濯物が部屋中万国旗のように干してあったし、昨日の今日で家の中はしっちゃかめっちゃか。そんな我が家の状況も全くお構いなしに友人を招き入れてしまう息子って、いったい・・・。大きな声を出せば傷口が痛むし、そんな元気もなくひたすら穏やかに送り出す。
 ちょうど夫から「具合はどう?」のメールが入り、状況報告。さすがに夫は2日連続の早退で今日は遅い、とのこと。

 先日、あけぼの会事務局のTさんにこのブログでエールを書いたところだが、今回の私のポート事件の顛末を知り、メールをくださった。会のHPをチェックすると、Tさん御自身の治療日記もアップされていた。手術日が決まったという。早くて1ヵ月後。あけぼの会大会には出られるけれど、薬も休んでいるし、1ヶ月は長い、と書いておられた。本当に心中をお察しする。とにかく、成功をお祈りしつつ、返信メールを出した。

 結局、息子は当然のことながらお湯をもらえず、お昼をファストフードで済ませ、駅前をお友達と2人でうろついていた模様。お友達宅からも来訪を断られたそうで、気の毒な人たち・・・という気はしないでもないが。

 明日は前期終業式。彼らが下校した後、引き続き私たちは保護者会で、成績受領だ。今からやけに気が重い。なんとなく傷口が疼くような気がする。

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2010.9.23 退院、文化祭はパス

2010-09-23 18:51:38 | 治療日記
 カロナールは大体4時間くらいで切れるので夜中に目覚めたが、なんとか再度飲まずにそのままもう一度寝た。それにしてもやはり首の違和感が強く横向きになれなかった。傷口と反対側に向くことも、傷口を下にすることも出来ず、結果、寝返りが打てず、とても寝苦しかったと見えて、明け方シーツと検査着は汗でぐっしょりだった。

 5時前に目覚めてしまう。だんだん薄明るくなり、お隣の方たちもガサガサと朝のしたくを始める。(個室は満室で今回は6人部屋だった。)6時半過ぎに検温と血圧測定。
 7時半の朝食後、もう一度カロナールを飲む。

 8時半過ぎに、昨日執刀してくださった先生が消毒等の処置にみえた。(先生は昨日8時半過ぎに私のところに顔を出した後、まだ今日の仕事が全然終わっていなくて、とおっしゃっていた。いったい一日何時間労働なのだろう・・・と案じてしまう。)内出血はあるが、特に問題ない、とのこと。術後72時間は濡らさないように、ということで入浴も半身浴なら大丈夫そう。
 その後、ナースステーションで昨日のアンギオでの写真を見せて頂きながら、説明を受けた。ポートは中心のシリコン部分(針を刺す部分)がわずかに浮いていた。また、周りのプラスチック部分にひびが入っていた。ひび割れと浮いたのと、どちらが先かはわからない。カテーテルには折り癖はなさそうだった。製造している会社に持って帰ってもらった、とのこと。報告書は出るのですか、と聞いたけれど、そこまではされない様子。「1年10ヶ月でこういうことになり、大変な目にあってしまいましたね」と言われ、「もう何の不安もなく、大丈夫ですよね・・・」とダメ押ししてしまったが、100%の安心・安全などないのだよな、と改めて思う。
 この後、ずっと痛むことは無いと思うが、痛んだらカロナールを2錠飲むようにという指示を頂いた。抜糸は来週の外来通院日の予定だ。

 看護師長さんから「入院のときに、身長と体重を測らなかったので」ということで測定。(いかにどたばたの入院だったか・・・ということだ。)昨日のお昼1食食べなかっただけだが、ちょっぴり体重は減っていた。
 タオルで清拭後、夫に10時過ぎには退院が出来る、ということで迎えに来てもらった。最初は一人でタクシーで帰ろうかと思ったが、雨模様だし、昨日と打って変わって外が肌寒いくらいに涼しく、荷物をもって歩く自信がなく・・・。

 病院は祝日のため入退院出入口からしか出入りが出来ず、いつもの入り口にはタクシーが待っていたのだが、仕方なく夫が電話でタクシーを呼んだ。酷い土砂降りで、なかなか来なかった。それにしても夫に荷物を持ってもらえて本当に良かった。歩くたびに傷口に響き、これに荷物を持ったら、かなりきつかった、と思う。
 車内で、心配してくれていた友人たちに無事退院した、とメール連絡。

 途中の乗換駅で仏花とお昼を買って、ここからタクシーに乗ってしまおうと思ったが長蛇の列。何時になるかわからないので、あきらめて最寄り駅まで電車に乗り、そこからタクシーで帰宅。お昼前には無事到着した。

 夫は帰宅後、お昼を食べてから、大雨の中を息子の文化祭に出かけた。息子のリクエストのお昼を届けるために。

 夫にも息子にもとても申し訳ない秋分の日になってしまった。週末はなんとか元気になって土日の予定をこなしたい。

 昨夜はテレビも新聞も一切見なかったが、帰宅すると夕刊にも朝刊にも郵便不正事件無罪確定の村木元局長の復職後初の登庁の写真が掲載されていた。嬉しそうなお顔。本当に良かった。これまでの言われもない罪をめぐっての1年3ヶ月、いったいどんな思いで過ごされたかと思うと、口惜しくてならない。
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2010.9.22 ハーセプチン111回目、ナベルビン(中止)、ゾメタ42回目~ポート再設置で入院

2010-09-23 18:50:03 | 治療日記
 今日は最後の真夏日、という予想どおり朝から暑かった。ナベルビン投与のために今日も採血、皮膚科のチェックもありいつもより30分近く早く家を出る。順調に病院に到着。
 来院自動受付機に診察券を通すと、検体検査(採血)、皮膚科、腫瘍内科の下に血管造影とあった。先週、時間が取れれば、と先生がおっしゃっていたことを思い出す。(今日やってもらえるんだ)とは思ったが、まさかこの段階で一泊入院になるとはゆめゆめ思っていなかった。
 採血は幸運にも10人ほどの待ちで、今日も白血球のチェックのため1本。15分ほどで2階の皮膚科へ。ここでも10分ほどの待ち時間で診察室へ。ポート周りを診て頂き、特に痛み止めを飲むこともなく、とご報告。「本当に漏れていたらこんなものではすまなかった、良かったですね。あとはポートがそのまま使えるといいですね。」という先生の言葉にナベルビンの怖さを実感する。今日で皮膚科はとりあえず終了。「そんなことはないことを祈るが、万一また皮膚のトラブルがあればまた」と言われた。お礼のご挨拶をして1階の内科へ移動。外の待合で1時間ほど待ち、「中待合へどうぞ」の受付番号ランプがついて中廊下に入った後、さらに30分ほど待ち、診察室へ。
 ポート周りを診て頂き、なんともないことを確認。マグラックスは3回飲んだだけで今度はお腹がゆるくなったことを報告。先生から「今日は白血球は2900だが、肝心の好中球は24%で前回より減っているため、今回もナベルビンは中止」というお話があった。そして相談だがと、今日の午後ポートの造影が出来るが、もし抜いて入れ直すとなると一泊入院になるが、どうか、と。選択肢としては①抜いてそのまま、今後は手から、これは薦められない。②抜くだけにして別途入れ直す、③抜くのも入れ直すのも同時にする、どちらにするか、と。「2回切るのはちょっと、ということで、もしポートに不調が見つかれば一泊入院でもやむなし」とお答えする。(この段階では、まだ不具合が見つかる可能性を甘く考えていた。)もし入れ直すとすると、今回は前と同じ血管は使わないので、頸静脈から通すとのこと。(・・・聞かなければよかった、とたじろぐ。)今回入れるポートは(前のものとは違って)鎖骨から入れて首の血管を通して中心静脈へ持っていくので、カテーテルが長くなるが長持ちする。造影剤を入れて何も問題がなければその時考える、ということで診察室を出る。次週はグラン(G―CSF)の注射で白血球を上げ、ナベルビンは減量して投与する。白血球が戻っていても減量投与とし、問題がなければ元の量に戻す。今日はハーセプチンとゾメタを手から点滴。次回は減量ナベルビンに注射を加えて、再来週もナベルビンが打てるようにしたい、とのこと。
 「もしかしたら一泊入院かも・・・」と夫にメール。昨日も息子に付き合って仕事を早退しているので、今日は残業といっていたので、気兼ねしつつ。処置室は満席でお昼過ぎにならないと点滴椅子は空かない、とのこと。食事を買ってこようにも造影剤検査なのでお昼は抜き、と言われがっくり。お茶だけをちびちびと飲む。
 ナースステーションに近い内側の椅子で点滴開始。今日も湯たんぽで手を温めた。一回でルート確保は出来たけれど、造影剤をこちらから入れるかもしれないのでと、いつもより太い針で、痛みは強い。
 3時過ぎに「前回は一泊入院バックを持ってきていたのですが、今日は何もなくて」と、検査着をお借りして着替えてから、2階のアンギオ(血管造影)室へ処置室の看護師さんと移動。夫には「アンギオに入って造影検査の結果いかんですぐそのまま手術になってしまう可能性もあるので、入院になるかどうかその時までわからない」と連絡していたが、夫が午後休みを取ってこれからそちらに向かうとのメール。
 アンギオ室には、前回ポートを入れてくださった別の腫瘍内科の先生が待機。その場で造影剤検査とポートについての説明・同意書にサインする。上下は検査着、靴は自前、というなんとも不恰好ないでたちで手術台にあがる。「もうここには来ないつもりだったのですが・・・」と言うと先生も苦笑い。主治医も検査前に立ち会ってくださった。1回目、造影剤を流しても、グレーだ、とのこと。はっきり漏れて広がる様子は写らない。2回目は別の方法で、ナベルビンを投与するよりも圧力をかけて入れてみます、ということだったが、やはり明らかな漏れはなし。両先生はどうしましょうか、といった風情。私は「大丈夫そうなら出来ればこのままで・・・」と言うが、先生方は「不安を抱えたままで今後ナベルビンを続けるのはどうか・・・」とお話なさっている。そして3回目、別の角度から造影剤を流すと、明らかにポートの右端から亀裂が見えてじんわりと広がる様子が私にもわかった。「・・・・」。先生は「やっぱり、でも、やってよかった。じゃあ入れ替えましょう。難しいことではないので」と(やる気満々)。主治医の先生も苦しそうなご様子。こちらはまた「ついていない」病が・・・。そうはいっても、もはやまな板の上の鯉以外の何者でもない。先生から「また別の傷がついてしまいますけど」と言われ、「もう(今更、そんなこと)」と答える。消毒がされ、カバーがかけられ首を見せる形で固定される。まず、今入っているポートの抜去。局所麻酔は何度刺されても痛いし、麻酔が効けば痛みはないのに他のあらゆる感覚は研ぎ澄まされてしまうのでなんとも辛い。「メスが入ります」と先生に言われても、痛くはないが、血が肩を伝わって背中に流れ落ちる感覚も、引っ張られたり押されたりする感じもやけにリアル。30分ほどでポートとカテーテルが出た模様。縫合が終わり、今度は頸部に麻酔。生まれて初めての頸部麻酔は声が漏れるほど痛かった。ここを切開してカテーテルを入れる場所を作り、さらに、前回と違う場所(前回は鎖骨より指三本ほど下の部分だったので襟元の大きな洋服を着ても殆ど見えなかったのだが、今回は鎖骨すぐ下にポケットを作ってポートを再設置。頸部にカテーテルを入れるとき、押されたのには思わず唸り声をあげてしまった。時計も見えるし、自分のエコーも透視体も見える。目をつぶっていれば良いのに、やけに頭だけがクリアである。先生の「首は縫いにくい・・・」などのつぶやきが聞こえてしまう。そして、(こんな思いをしてもやっぱり私は治療を続けていくんだなあ)という思いと、(それでもやっぱりもう治らないんだなあ)という気持ちがない交ぜになって、結構しんどかった。
 すべて縫合が終わり、写真撮影もして、ポートへの試し刺しが終わったのは勤務時間終了(?)の5時15分近く。急遽入院が決まった7階病棟の看護師長さんのお迎えで(いつもは8階なのだが、部屋が空いていなかった様子)車椅子で病室に向かった。食堂で時間潰しをしていた夫がほどなく病室に現れた。前回用意したままの1泊2日の荷物を持参して。

 明日は2人で息子の文化祭に行く予定だった。2人とも行ってやれないのでは余りに可哀想なので、夫にだけは行ってもらうことにした。時間によっては夫がそちらに出かけ1人で退院しなければならないこともあるだろうからと、本当に最低限のものだけ受け取り、あとは持ち帰ってもらった。パジャマも病院の検査着のまま。化粧水も乳液もなく、顔は乾燥した病室でバリバリ・・・。かつらも被っていなかったし、ワックスもないので髪の毛もぺしゃんこ。

 担当の看護師さんは男性。血圧測定と検温。患者IDのリストバンドもなく、夫が会計や入院手続きのため1階に降りたが、会計も入院手続きも5時で終わっていて、明日は祝日なので処理が出来ないためすべて次週の外来で、ということになった。
 先生から水を飲むように、と指示があったようで、無事に飲み終わると、ほどなく夕食が運ばれた。
 胸の傷よりものどの違和感がとても大きい。咀嚼するだけで痛む。血管が無理に広げられている感じ。
 右手は右胸の手術直後ゆえ、お箸の上げ下げがうまく出来ず、仕方なく左手に持ってぎこちなく食べ始めたら、夫が見かねて食べさせてくれた。それでも、口に運ばれるご飯やおかずが、私が食べられる量よりも大きかったりして、口には出さないけれど思わずいらついてしまう。介護を受けるというのも辛いことだな、と実感した。
 夫は食事を片付けて帰った。塾に行っているはずの(塾の開始時間15分後、病室で「まだ来ていないのですが・・・」と塾の先生から携帯が入って慌てたが、その後すぐ現れたらしい。)息子と駅で合流して夕食をとるようにお願いした。
 
 その後、事務の方が入院関係書類を持ってこられた。必要な書類に記入し、次回外来日に入院受付に持っていく書類を頂き、帰りに一緒に会計ができるように手配しておく、とのこと。
 8時前に主治医が顔を出してくださった。「(2度入れたけれど)3度目はありませんから」とのこと。「もう大丈夫ですよね。」と念を押してしまう。のどの違和感はだんだん慣れてくるとのこと。
 3箇所傷が出来たし、好中球が少なくなっていることもあり、8時過ぎから抗生剤点滴開始。それが終われば手のルートは外せるといわれる。やはり右手が不自由だと何かと不便だ。点滴開始後、外来の看護師さんが顔を出してくださった。お母さんなのに「こんな時間まで大丈夫ですか?」と言うと「今日は会議とかいろいろあって。心配だったし、明日はもう会えないし」と。有難いことだ。
 私を執刀して下さった先生は、私の後もアンギオでもう1件の手術があったようで、はやくて8時過ぎかな、とのことだったが、8時半に顔を出してくださった。頸部はカテーテルを無理に曲げた形になっているから(当然カテーテルは真っ直ぐの形に戻りたいので)最初は違和感があるが、次第に慣れるので、とのこと。痛みが強いので、カロナールを処方していただく。点滴後、看護師さんから手の針を抜いてもらい、9時過ぎにはカロナールを飲んでそのまま就寝。

 アンギオ室に行く前に今日は3冊読めた。
 1冊目は柴田よしきさんの「星の海を君と泳ごう」(光文社文庫)。奇談小説家の早見祐司さんが解説をされているが、「SFは読まなかったけれど柴田さんの名前に惹かれて手に取った、と言うような人にもすぐに入り込める作品です」と、まさに私はそうだったのだが、本当に面白く読んだ。そして「“あなたの人生は、あなたが思うほど悪いものじゃないよ”という真理をわくわくする冒険や次々に出てくる謎で読者を引っ張りながら、改めて教えてくれるように思う。」ということに同感。この作品を書いた10年前に小学生だった息子さんが、ジュブナイルSFにはまっていて、というあとがきで柴田さんが男の子のお母さんであることにもなんだか親近感を覚えた。

 2冊目は坂東眞理子さんの「女性の幸福(仕事編)今日からできること、しなければいけないこと」(PHP新書)。「仕事は人を裏切らない、出来る人は努力している、素直でまじめは才能、不遇のときは充電する・・・」などなど、なるほど、と思えることが満載。そう、仕事をもてることはやはり幸せなのだ、と思う。
 郵便不正事件で、無罪が確定した村木元局長が「私の時間をこれ以上奪わないでほしい」と発言されたのをテレビで見たことを思い出した。どれだけの思いをこの言葉に込めたのか、あまりに冷静で、どれだけ訓練をされてきたのか、と胸が痛くなった。それにしても検察の証拠捏造は言語道断だ。

 3冊目は上野玲さんの「都合のいい「うつ」」(祥伝社新書)。「『うつ』で六ヶ月休職中の社員がハワイでサーフィン 『新型うつ』って何? あの人は、『偽うつ』?『自称うつ』?本当に病気なのか? これは都合のいい『うつ』の姿について包み隠さず書かれた初めての本です。」とちょっと過激な帯。著者の上野さんは12年以上のうつ歴をもつジャーナリスト。本書を最後に、無期休業中、とのこと。自らうつを発症しながら、うつ治療現場の最前線を長らく取材してきた著書が、その総決算として世に問う一冊。との紹介文。いろいろ考えさせられることが多かった。

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2010.9.21 すっぴんと無精ひげ

2010-09-21 23:17:42 | 日記
 この三連休、かつらも被らなかったし(3日間連続自毛で出かけたのは初めて。ちょっと恥ずかしかったけれど、慣れてしまえば他人(ひと)の目もあまり気にならないし、そうそう上の方からてっぺんの薄さを見られるわけでもないので、実に楽だった。今週末には行きつけだった美容院で2年ぶりにカットしてもらい、いよいよかつら卒業の予定だ。)、電車にも乗らなかったから、お化粧も当然、一切しなかった。

 私はもともとお化粧をするのがあまり好きではないので、仕事のときと電車に乗って都心に出るとき以外はすっぴんだ。もう齢(よわい)50歳目前で、なんと大胆な!そしてなんて失礼な!と思われるかもしれないけれど。もちろん最低限の基礎化粧品だけはつけるのだが、化粧品の香料はもちろん、香水など香りの強いものも好きではないので使わない。ファンデーションを塗ると、いまだになんとなく息苦しい感じがする。

 そんなわけでお化粧をする、といっても、朝はちょちょいのちょい、で5分あれば十分。一体何をしているのだ、というくらい早い(と思う。)。逆にお化粧に何十分もかけている、と聞くと、逆に一体どこをどうしているのだろう、と疑問を感じるほど。

 母は専業主婦だったから、私よりもっとお化粧をしなかった。本当に最低限。化粧水と乳液くらいはつけていたのだろうか。普通、女の子はお母さんの鏡台には興味があって、口紅を塗ってみたり香水をつけてみたり、ということをするようだが、私はそういうことすらしなかった(殆ど化粧品がなかった、というのが正しい。)。
 ところが、息子は2,3歳のころ、スカートをはきたがり、リボンを結びたがり、(当時はぱっと見、女の子でも通ったので、悪乗りして「可愛い!」と喜ぶと、「もっと!もっと!」という感じで、お化粧もしたがったような・・・挙句の果ては“(名前)子ちゃん”と呼ばないと返事をしないほど。今では「そんな恥ずかしい昔のことは決して口外しないように!」と厳命されているが・・・。)
 母は外に出るときもファンデーションも塗らず、眉をちょいと書いて、後は口紅だけだったと思う。だから初めてプロにフルコースのお化粧をしてもらって従姉の結婚式に出た時は、娘ながらびっくりした。お化粧って、本当に凄い!と。

 一方、義母は化粧品の営業の仕事を長くしていたこともあり、家の中でも毎朝バッチリフルメイクをする。朝起きたら、まず、お化粧することが最低限の身だしなみ、ということだそうで、本当に恐れ入る。「私が化粧をしなくなったら、もうおしまいだと思ってほしい。」とのことだ。

 私が初めてお化粧をしたのは大学に入ってから。それも合唱の舞台で何もしないと、客席からは本当にのっぺらぼうのように見えてしまうから、やむなく・・・だったと思う。

 化粧品は色も容器も綺麗だし、見ているだけで楽しいので海外旅行に行くたびに、一時(いっとき)ずいぶん散財した。それでも結局ろくに使わずじまい。ドレッサーの中には箪笥の肥やしよろしく、未開封のものが沢山あるような気がする。普段使うのものはごく一部で決まっている。もう無駄な買い物は止めなくては、と反省する。

 さて、普段は自称(!)お洒落の夫も休みの間は一切ひげを剃らない。そんなに濃い方ではないから、1日くらいならまだしも、であるが、今回のような3連休だとさすがにかなりの無精ひげになって、「なんだか病人みたいだよ・・・」と言っても絶対に剃ろうとはしない。

 まあ、かく言う私もすっぴんでホイホイ外に出るし、相方があんまりシャンとしているとバランスも悪いか、と思ってそのままにしているけれど・・・。
 とにかくお休みの日くらいお互いに楽に過ごせれば、それが一番いいのだな、と思うようにしている。

 今日は、夫と息子は東京ドームまでナイター野球を観に行き、延長戦まで粘ってようやく今、ご帰還。
 一人秋の夜長、至福の読書タイムであった。
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