ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.9.27 1回でいいです

2010-09-27 21:13:34 | 日記
 一生付き合わなければならない病気になったことは確かに不運なことだけれど、不幸ではない、と私は思うようにしている。というのも、病気にならなければ巡り会うことのできなかった方たちとの新しい出会い、家族、友人等周りの人たちとの関係の見直し、変化、ひいてはあらゆること、今ある自分の心と体に対してさえも、謙虚に感謝の気持ちを持てるようになったことは、やはりキャンサーズギフト以外の何物でもないのだと思うからだ。(こう書くと“ええかっこしい”かもしれないけれど、実際そう思わなければやっていられないところもある。)

 昨日、プチ虹のサロンの方たちとお話していた時のこと。
 それでもね・・・、というお話だ。Sさんの火事の件も、Kさんのお母様の件も、そして私のポートの再設置の件も、やっぱりついていないよね、と。普通の人はそうそう逢うことのない確率なのに、私たちの身にしっかり起きてしまった事件だ。「神様、もう十分ですから。痛い目にあうのは一人一回でいいですから。私たち、もう十分チケット切りましたから・・・」と思わず言いたくなるよね、と。そう言いつつ、皆で豪快に笑いあう。そのことに対して、もうお一人のSさんが「凄いよね、それでもこうして皆で笑っているんだから」と。

 確かにそうだと思う。
 先日、映画を観たときに、今の私にとってのモットーは「食べて、笑って、感謝して EAT SMILE THANK」だ、と書いたけれど、こうして嘘偽りなく本音で話し合える同じ病と共生する友人と、食べて、笑って、お互い感謝しながら過ごせることは何よりも元気の素。それ以外の何物でもない。本当に有難いことだ。そして、こうして笑って言い合えるうちは、私たちはまだまだ大丈夫、だと。
 先日、Sさんとお会いしたときの約束。メールで「『来年の○(私)さんとSさんの50歳バ-スデ-祝い』を約束したので、1日を大事に積み重ねていきたいです」という言葉にまた励まされる。

 病にならなければ、出会わなかったであろう友たち。“痛い目”以上に本当に大切なものを神様はくださったのかもしれない。

 さて、あいにくの本降りの雨の中、息子は出勤する夫とともに早朝から義妹宅に出かけた。自宅からドアツードアでたっぷり3時間以上かかるけれど、そろそろ着く頃だろうかと思っていたら、“公衆電話”から私の携帯に電話があった。(学校でも携帯を持っていけないので、定期入れにはテレカが常備されている。)今日は充電していた携帯を持って行くのを忘れたのだ。しかも2回の乗り換え後、最後に乗る電車はパスモ等のICカードが使えないから、と旅費として現金を渡していた。自分で財布にそのお金を入れたのに、その後は記憶が曖昧な様子。『財布どこに入れたの?』ときた。私は自分で持ったとばかり思っていたのだが、息子は、私がカバンのどこかに入れてくれているだろう、と自分では持っていかなったらしい。それにしてもどうしてこうも他力本願なのだろう・・・。これまで全て、あまりに先回りをしてお膳立てをしてきすぎた結果がこれである、と改めて反省しきりである。

 義妹夫婦は仕事で出かけているから、義母が一人で孫の来訪を首を長くして待っているはずであった。義母に徒歩数分の最寄駅まで旅費を届けてもらうように電話でお願いして、息子には「駅員さんに、祖母が旅費を持って最寄り駅まで必ず届けてくれるから、と事情を話してそのまま最寄駅まで乗らせてください、とお願いしなさい。」と指示した。さすがに雨の中、義母に乗り換え駅まで来てもらうには忍びなかったので・・・。
 結局、駅で「それは出来ない」と言われ、義母を乗換駅まで呼び出して早お昼を食べ、運賃を払ってもらって義妹宅に無事到着した、というのが顛末だ。とりあえず、お財布がなくてパニックになってしまい、お土産の入った手提げをどこかに置いてきた、ということはなく、無事義妹に渡せたようだ。夫とはつくづくエピソードに欠かない息子だ、としみじみため息を付き合った。

 従兄弟たちは公立中に通っているから当然秋休み期間中ではない。夕方か遅ければ夜までは会えない。日中は義母の話し相手になり、読書でもしてリフレッシュしてきてくれればよいのだけれど・・・。
 そして、夫と私、どうしても2人で一緒に構いすぎてしまう息子に、少し逃げ場を与えるための2泊3日。私たちにとっても、カッカときた頭をリセットするための2泊3日の息子の不在である。
 夫の禁煙パッチを薬局で受け取ってきた。今晩入浴後からいよいよ禁煙開始、だそうだ。
コメント
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