ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.8.11 三十五日忌法要終了、とりあえずひと段落?

2016-08-11 22:28:00 | 日記
 父が急逝して1か月と1日。今日は帰省中の息子の日程に合わせて三十五日忌法要を執り行う日だ。暑さ厳しき折、来て頂く方たちの負担も考え、今回はごくごく内輪で済ませますので、とご連絡をした。
 ほぼいつも通りに起床して、朝一番に最寄駅前のショッピングセンターでお供物やらお花やらを調達し、私鉄とJRを乗り継いで3人揃って実家に向かった。
 一昨日、昨日のような暑さだったらと心配したが、少し雲り空で最高気温は30度ちょっとだとのこと。ほっとする。

 実家に到着し、週初めに届いた仏壇と対面。後飾りもまたコンパクトに組み直されており、あとは僧侶の入魂を待つばかりといった風情。お供え物を備え、お花を飾ってご住職の到着を待つ。
 ご住職は開始予定時間の10分前に到着され、お着換えやお仕度が整うと定刻に法要が始まった。まずは仏壇の開眼供養。そして四十九日法要の二本立てである。

 今回もご縁あって石川県ご出身の僧侶だ。高らかな声で読経が始まり、皆で合掌する。歎異抄からのお話、葬儀の時にも聞かせて頂いた白骨のお話の現代語訳に耳を傾けた。60年連れ添った父を亡くした傷心の母にも優しいお言葉を数多くかけて頂き、有り難いことだった。
 母が初めて取り扱う仏壇について質問もさせて頂き、滞りなく法要が終わった。お布施をお渡しし、皆でお見送りして無事終了。ようやく怒涛の1か月余が一段落した。

 夫が遺影を鴨居にかけてくれたり、息子と2人で器用に後飾り段を片付けてくれる。かつて両親の寝室だった和室はすっかり仏間と化してしまった。
 そして、タクシーで会食レストランに向かった。お店には法事と伝えていたので、父の小さな遺影を持って出かけたが、4人のテーブル席とは別に、父の写真を飾れる小さなテーブルが用意されていた。最近京都の造り酒屋巡りですっかり日本酒党になっている息子がお薦めという“獺祭”を選び、父のお猪口に注ぎ、献杯。皆でお疲れ様と言いながら父の思い出話もしつつ静かに食事を愉しんだ。

 再びタクシーで自宅に戻る。お昼からお酒を飲んだ息子は赤い顔をしてお昼寝。その間私は母が開封するだけで何もせずに溜めていた郵便物の処理。既に納付期限が過ぎているものまであり、ちょっと頭を抱える。本当に何も手につかなかったのだろうな、とため息が出るが、私がやるしかないわけである。
 コンビニで支払いを済ませながら、今度は実家最寄駅から出ているバスで移動。

 今年の息子の二十歳の誕生日には本人が不在で、恒例の家族写真を撮ることが出来なかったので、今日は半年遅れで写真館に予約をしていた。3人とも普段着でリラックスした写真を撮って頂く。子どもの頃からお世話になっているカメラマンは相変わらず息子を持ち上げるのが上手だ。月末には仕上がるとのこと。楽しみである。

 百貨店で息子のスーツを購入した後、再び私鉄で自宅最寄駅まで戻り買い物を済ませる。あれほどお腹一杯だったにもかかわらず、そろそろお腹がすいてくる。結局無理せず夕食も外食で済ませた。

 さて、今日のブログを書こうかとPCに向かったところ、調子が悪くキーボードが反応しない。仕方なくノートパソコンを持ち出してモタモタチマチマと打っている。どうしたものか、デスクトップのPCは買った当初からトラブルが多くどうもハズレである。

 そんなこんなで、今日も結局朝から11時間の外出になってしまった。猛暑ではなかったにせよ、暑い夏の日にこれだけ外出してあれこれ用事を済ませると、健康体でも消耗するだろう。まあ、自分が予定を入れているのだから自業自得ではあるし、やれることは今!が信条だから致し方ない。
 とにかく明日一日頑張れば、土日である。世の中はお盆休み、明日はまた職場はいつもより人出が少ないことだろう。

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2016.8.10 採血・レントゲン後診察、ランマーク19回目、カドサイラ(T-DM1) 25回目(減量15回目)、帰路は散々

2016-08-10 22:45:28 | 治療日記
 今月初めての通院日である。
 昨夜、息子の帰宅が午前様となり、その後夕食の支度をして入浴して・・・とんでもなく遅い就寝になる。無理せず今日ゆっくり帰ってきてくれればよかったのに、と思うが致し方ない。
 そんなわけで、このところずっと軟弱な(一度その味を覚えたら忘れられない、とでも言おうか)前泊が続いていたが、久しぶりに自宅から1時間半をかけて病院まで向かった。昨日の38度という酷暑の名残か、今日も朝からゲンナリするほどの暑さだ。

 最寄り駅でも乗換駅でも電車はスムーズ。乗換駅では始発電車に余裕をもって座り、本を開く。こうして読書するのも久しぶりの感じがする。
 今日のお伴は柚木麻子さんの「本屋さんのダイアナ」(新潮文庫)。7月の新刊で買い求めた1冊だが、7月は殆ど全く読書が出来なかったので、8月の新刊が購入出来ずにいる。
 帯には「本だけが友達だった。あの子に出会うまでは。最強のガール・ミーツ・ガール小説!全国の書店大絶賛のベストセラー!」とある。

 柚木さんのお話は面白いし、モチーフが本好きの少女ということで迷わず手に取った。パサパサの金髪、キャバ嬢の母を持つ大穴(ダイアナ)と、ツヤツヤの黒髪、料理教室を開く母を持つ彩子。正反対の2人の共通点は本が大好きなこと。その2人が少女から大人に変わる十余年を描いている。もう面白くて車内で没頭。あっという間に病院最寄り駅に到着した。

 自動再来受付機をすんなり通り、掲示板には7分待ちと出ていたが、採血受付でも殆ど待つことなくスムーズに「中にお入りください」となり、そのまま部屋に入るとすぐに番号を呼ばれた。
 今日はマーカー測定がなく、2本の採取。採血して頂いたのは初めての女性で、刺針も抜針もちょっと痛む程度。腕が汗ばんでいて止血の紙テープがすぐに剥がれそうになり、必死で押さえる。
 止血しながら2階のレントゲン受付へ移動。こちらはやけに混んでいる。なかなか呼ばれない。15分ほど待ってようやく名前を呼ばれる。それから後はスムーズに撮影が終了した。

 再び1階に降りて腫瘍内科受付へ移動。月初めなので保険証も確認して頂く。ここまでで病院到着から僅か30分ほどだから順調だが、そもそも病院到着時間が前泊の時に比べて1時間近く遅れているから、待合椅子は既に相当混んでいる。いつもの読書専用の端の席は確保出来ず。体勢を整えて読書を再開。

 翻訳家の鴻巣友季子さんが解説を書いておられる。“柚木さんの小説はグイグイ読ませるけれど、後からいかに精緻な凝った作りになっているか気づく。名作へのオマージュや引用がさりげなく鏤められていたりする。”とあるが、同感だ。子どもの頃の図書館での読書の思い出などを懐かしく思い出しながら、とても幸せな気分で読了。

 切りの良いところで血圧測定。100-60、脈拍は78。1時間半ほど待ってもなかなか“中待合へどうぞ”の番号が電子掲示板に出ない。30分遅れとある。今日は長期戦を覚悟する。 
 ようやく中待合に入ってから30分ほどすると、この病院に転院して数年間お世話になった化学療法認定看護師のKさんから「お久しぶりです。次の次(が順番)ですが、ちょっとお話し伺ってもいいですか」と声をかけて頂く。

 本も1冊読み終えてしまったので「もちろんです。」と診察室の隣の部屋へ。「カルテを見せて頂いたのですが、色々あったようですね。いかがですか。」と言われ、今の状況やこれからの治療について考えていること、迷っていること、その他ヒーリングやヨガの勉強を始めたことなどの近況をご報告。「痛みが気になったのですが、ロキソニンで大丈夫ですか。」と訊かれ「先月、実家のことでちょっと多忙で胸痛が続いた折には、朝昼晩とお世話になりましたが、ここのところ朝+αがあるかないかでなんとか凌げています。」とお答えする。20分ほどお相手をして頂いて、「(今後の治療の)考え方の方向性はいいと思います。常に前に進んでおられて凄いですね。」とのこと。先生にお目にかかる前に言いたいことを言い終えてしまい、なんだかスッキリ。

 そして話がちょうど途切れたタイミングで先生からお呼びがかかった。診察室にはKさんも同席された。
 ご挨拶して席に着くと、既にPCに2枚のレントゲン画像が並んでいる。前回6月末に撮影したものと比べると、やはりCTで見たのと同様、じんわりと大きくなっている。右上の丸いものは一番小さく1.6cm、左中間部の細長い茎状のものはその倍ほどであまり変化が見られないようだが、右下部の丸い腫瘍が一回り大きくなっている。3.8cmが4.1cmとのこと。それでも前回確認したとおり、今月一杯は治療を変えなくてもよい、急ぐ必要はなし、と言って頂く。

 不変な部分もあるので、現在使っているカドサイラ(T-DM1) はHER強陽性の腫瘍には効果があると考えてよい。けれど、そうでないもの、すなわち右下の腫瘍には効いていないということだ。これでカドサイラを止めてしまうのはもったいない気もすると仰る。私も待ちに待った強力な助っ人であるこの薬をなるべく長持ちさせて使いたい気持ちだ。とはいえ、いつまで引きずっていて良いかも正直なところ分からない。タイミングを逸して後で痛い目に遭うかもしれない。

 採血の結果は特に問題なし、とのこと。診察室での検温は36.7度。「今日はランマーク注射もありますね、薬はどうしますか」と訊かれ、「前回ヒルドイドローションが出ていなかったので、今回はお願いします。」、と3週間分の2種類の漢方、デノタスチュアブル、ヒルドイドローション、ロキソニン、パタノール点眼薬を処方して頂き、3週間後の次回診察時に治療を変える(ハーセプチンに加えゼローダを1段階減量からスタートする程度であれば問題ないのではないか、とのこと)ことについて、その時点で再度相談することとして診察室を後にした。

 化学療法室へ移動し、いつものように待ち時間に夫やお友達に報告LINEやメール。
 3人ほど先に待っており、リクライニング椅子は結構埋まっている様子だ。珍しく30分ほど待ってからSさんから久しぶりに窓側の席に案内される。

 ポートの針刺しはKbさん。彼女は、ご縁あって家族揃って3年前に訪れた花火大会の開催地・長岡のご出身で、「今年も花火、行ってきました」と仰る。「私はBSでライブで見ましたよ」とお答えしているうちに、殆ど痛まず終了。

 その後30分程待って薬が届き、点滴開始。Sさんがランマーク注射もしてくださる。いつものようにお喋りしながら、出来るだけゆっくり打って頂くようお願いする。「息子さんは夏休み帰ってこられたのですか」と訊かれ、昨夜の午前様のご帰還の報告をしたりとあれこれ気を散らしたけれど、この注射はそれでも痛む。

 2冊目は畠中恵さんの「さくら聖・咲く-佐倉聖の事件簿」(新潮文庫)。
以前読んだ「アコギなのかリッパなのか-佐倉聖の事件簿」の第二弾。帯には「スーパー大学生の未来やいかに。佐倉聖、シューカツ始めました!痛快度満点の大人気青春ミステリ」とある。これも前作が面白かったので迷わず手に取った。
 読書に没頭しているうちにちょっと鼻血が滲んだが、順調に終了した。さすがに昨夜の夜更かしが祟って最後はウトウト。終了時の血圧測定と抜針もSさん。103-57、脈拍は61と問題なし。

 ご挨拶して化学療法室を後にする。会計を待っている人で待合椅子は溢れている。20分ほど会計を待ってから自動支払機へ移動する。採血、レントゲン、注射、点滴の3割負担、13万円強をカードで支払う。

 外に出ると少し雲が厚くなっているが、どよ~んと蒸し暑い。薬局では2,3人しか待っておらず、今日は早いかも、と期待したが後から来た方たちにどんどん抜かされてやはり40分ほど待った。今日も2,500円弱のお支払いは現金で。顔なじみの薬剤師さんに「ご実家で大変だったようで、暑いですしご無理なさいませんように」とお言葉をかけて頂く。

 病院と薬局の滞在時間は合わせて6時間弱。駅ビルのランチタイムは既に終了。駅に到着すると、お揃いのバッグやTシャツに身を包んだ若い女性から私世代の女性までで溢れている。アリーナで某人気グループのコンサートがある模様。大きなキャリーケースを引く旅行客もあいまって、この時間にこんなに人、人、人だったのは初めて。まっすぐ歩けない。ランチタイムは終わっているのにどこの飲食店も満席どころか長蛇の列。結局、ベーカリーで簡単に食事が摂れたのは夕方4時だった。

 グッタリして帰りの電車に乗り込むと、途中から急に空が真っ暗になる。せっかく息子が家にいるので、朝干して出た洗濯物を取り込むようにLINEで連絡。みるみるうちに土砂降りの雨が降り出す。私鉄に乗り換える時も凄い降りだ。雨とともに走っている感じで、どこまで行っても雨降りだ。最寄り駅に到着するともうバケツをひっくり返したような降りで、持っている日傘ではとても外に出られない。駅で30分近く雨宿りをしたが一向に止む気配がない。立ちん坊で雨宿りをしながら段々顎が出てくる。

 結局、しばらくして夫が駅に到着し、小やみになるまでカフェで2人で時間潰し。1時間半近く帰宅が遅れてしまった。
 帰宅後、食事を作るだけでグッタリ。家を出てから帰宅するまで結局11時間以上も。のぼせたのか先ほどまで鼻血。これも血小板が低くなっているせいか。
 明日は実家で法事である。早く休まなくては。
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2016.8.9 息子の帰省に思うこと

2016-08-09 20:45:19 | 日記
 先月末で前期試験が終わり、部活の総会も終え、息子は夏休みになると同時に青春18切符を片手に恒例の一人旅に出ていた。3回生の夏休み、そろそろ就活も視野に入れてインターンシップ等に参加しなくていいの、という台詞はぐっと堪えている母(私)である。
 そして5泊6日の極楽トンボならぬ風来坊旅行を経て、ようやく今しがた「これから新幹線に乗る。出来れば晩御飯はそちらで食べたい(ちょっと遅いんですけど!)」という連絡があり、自宅に舞い戻ってくることになった。
 聞けば、宿泊先はネットカフェか良くてもカプセルホテル、はたまた高校時代の友人の下宿。きわめてエコである。いや、男子だからこそ、の宿である。いいなあ、青春真っ盛り、今しか過ごせない羨ましい20歳の夏である。

 昨年は九州各地を放浪し、帰りの旅費が底を付き、泣きが入って送金したのだったけれど、今年は一応計画的にお小遣いを貯めて考えながら行動した(今はアルバイトをしていないため当然貧乏なわけで、不足分は送ったのだけれど)とのこと。少しは成長したということか。

 初日にはかの号泣県議が通いつめた温泉駅を過ぎ、見ただけで火傷しそうなちょっと赤茶けた一面砂の鳥取砂丘の写真が送られてきた。
 スターバックスならぬ“すなば珈琲”で背伸びして(普段は珈琲牛乳しか飲めない)アイスコーヒーを啜り、翌日は餘部鉄橋で鉄男気分を楽しみ、わざわざタクシーに乗ってB級グルメのホルモンうどんのお店に乗り込み、かつて夫との男二人旅で寿司三昧をした岡山ではお一人様寿司と洒落込み、3日目にはこれまたかつて3人で旅行した宮島に渡ってアナゴ飯やら牡蠣を賞味し、広島ではちびの頃から大好きだった緑色の路面電車の新シリーズを確認した後、4日目に71回目の原爆の日を迎えたというスケジュール。

 5日目には友人に会うまで時間に余裕があるからといって北九州にまで足を伸ばし(一体どれだけ長い時間電車に揺られているのだろう。考えただけで腰が痛む。)、再び広島に戻ってお好み焼きを頂き、最終日には今回の旅費のスポンサーになってくれた祖母(私の母)にお供え用の紅葉饅頭を買い求め、蔵元で夫と一緒に飲む地酒までゲットし(これを聞いて夫の頬が弛みまくったのは言うまでもない。)、昨夜遅くに下宿に戻った模様。

 昨年は長崎で翌日開催される原爆記念行事の準備風景を見たと言っていたから、こうした夏の旅行でかの地を訪れるということも彼なりの平和への思いなのかもしれない。

 そんなわけで少しの間、我が家はまた3人になった。
 とはいえ、来週早々にはまた部活や合宿に備えて下宿に戻るということだし、こちらも夏休み期間というわけではないからいつもどおり家と職場の往復。ただ洗濯と炊事が大変になり、家が狭くなるわね~といった風情である。
 彼の帰省にあわせて、明後日には父の三十五日法要という節目のイベントもあるが、この時期に出現した祝日、本当に有難い。初めての山の日はきっと忘れられない日になるだろう。
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2016.8.6-7 猛暑の土日はメンテと懸案事項潰しに奔走

2016-08-07 22:15:29 | 日記
 土曜日。
 久しぶりにベッドで朝の連続テレビ小説を視た後は、ゆるゆると起き出して夫とともに広島71回目の日の黙祷。旅行中の息子から広島記念公園や、テレビ中継のキャスターの写真などがLINEで送られてくる。

 リオオリンピックの開会式を見ながらゆっくり朝食を済ませ、これまた久しぶりにヨガスタジオへ向かった。今日は新しく始まったハタヨガビギナーのクラスに参加。丁寧に呼吸を整えながら、基本的なポーズを取っていくのだが、ポーズのキープ時間が長めでビギナークラスとはいえ結構辛い。筋肉がプルプルしてくる。それでも汗をたっぷりかいてシャワーですっきりリフレッシュ。やはり身体を丁寧に伸ばしていくと心地よい。

 夫と待ち合わせてカフェでランチを摂った後、予約していた美容院へ向かう。日傘をさしていても暑い。熱帯地方のように照り返しが酷い。最寄り駅前では道路の両脇に盆踊りの露店が並んでいるけれど、焼きそばやらの鉄板からだけでなく、お店の人たちの頭からも湯気が出ているように見える。

 暑いのでいつもよりちょっと短めにカットして頂き、シャンプーの後は大好きなヘッドスパ。今日は疲労回復のリフレッシュオイルでシトラスの香りに癒される。涼しい店内でウトウトしながら施術を受けると頭がすっかり軽くなった。買い物を済ませて帰宅。
 先週は珍しく5日間連続で夕食を作ったので、休日の夕食当番は夫に任せてのんびりさせてもらう。暑さにめげず、体も動かし、外出もしたので、疲労回復のために少しぬるめのお風呂に入って、就寝。

 日曜日。
 週明けには息子が帰ってくるということもあり、朝から寝具等大物も含めて2回洗濯機を回す。サンサンと陽射しが溢れ、あっという間に乾きそうだ。ずっとサボっていた掃除を済ませ、先月父の葬儀のためキャンセルしたリフレクソロジーへ向かった。
 今日はその後、父の、そしていずれは母も入ることになるお墓を見学に行く予定だ。

 いつものようにオーナーに最寄り駅までお迎えに来て頂き、サロンへ。車内では本当に突然なことでしたね、とお悔みを頂く。今日も下半身すっきりコースにハンドリフレと10分延長をお願いする。アロマオイルはレモングラス、ユーカリ、カモミールの冷えと凝りに効くブレンドをチョイス。ずっと不眠だったことを伝えたが、そんなことが嘘のように、施術が始まるとあっという間に眠りに落ちてしまった。

 駅ナカのカフェで遅いランチを摂り、隣駅で母をピックアップする。そして自宅最寄り駅で今度は夫と合流して墓地の見学に。
 7年ほど前に私達夫婦が入るお墓を建てたのは以前書いた通りだ。結局、備えあれば・・・で今までそこに入ることなしにこうして無事に生き長らえている。三男である父と次女である母は、本家のお墓に入ることも出来ず、私が嫁いだことで自分たち二人のために都立霊園の合祀を手配しており、ちょっとショックを受けたということもいつか書いた。

 今回母と話をして、地の利を考えると私達と同じ霊園に父母が二人だけ入るお墓を設えるのが良いのでは、ということになった。7年前にお世話になった霊園サービスの担当Fさんに連絡を取ったところ、既に退職されており、後任の方をすぐ紹介して頂き、話はとんとん拍子に進んだ。

 それにしても猛暑の中、墓石が並ぶ霊園の暑いことといったらない。途中で、母が具合が悪くなったらどうしようと不安だったけれど、車で空いた区画迄連れて行って見せて頂き、私達のお墓と目と鼻の先であることもわかり、即決。すぐに契約に進むことが出来た。順調なら秋には完成の予定だ。納骨は一周忌に、と考えているので余裕のスケジュールである。

 再び駅まで送って頂く。さすがに夕食にはまだ早いということで、お茶をして態勢を一旦整えて、その後アウトレットモールで母のものをいくつか購入。食事も一緒に済ませて先ほど無事帰宅した。

 猛暑の土日、涼しい部屋で優雅にオリンピック観戦とはいかなかったが、自分のメンテもリフレッシュも済ませ、懸案事項も潰すことが出来て、有意義な2日間となった。

 明日からはまた新しい1週間が始まる。水曜日には3週間ぶりの通院、木曜日には三十五日法要も控え、またまた忙しい毎日になりそうだ。心して体調管理に努めなくてはなるまい。
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2016.8.5 待ってました、の新シリーズが始まった

2016-08-05 21:00:56 | 日記
 愛読している朝日新聞の医療サイトアピタルで新しいシリーズが始まった。がんと就労をテーマに活動されている桜井なおみさんのものだ。
 がん患者になって11年半以上、再発進行患者となって8年半以上の私だが、これ迄半年間休職した以外は通院治療をメインに、まがりなりにもフルタイムで仕事を継続してきている。
今これまでを振り返って思うのは、決して楽な道ではなかったけれど、やはり働いていて(働かせて頂いていて)本当に良かったということだ。

 私が「がん患者さんも仕事を辞めないで」と書いた時には「お前は恵まれているだけだ、民間はそんなに楽じゃない」という声もあったけれど、私なりに職場に対して、働き続けたいという思いをその都度その都度真摯に伝えてきたつもりでもある。だからこの記事は良くぞ言ってくれました、という部分が沢山。これからも楽しみに拝読したいと思う。
 以下、長文だがご紹介したい。

※   ※   ※(転載開始)

シリーズ:コラム がん、そして働く
 がんと離職の背景 働くがん患者300人の声から見えるもの 桜井なおみ(2016年8月5日07時21分)

 なぜ、がん患者は仕事を辞めるのでしょうか? 働くがん患者300人の声から見えてくるものと、その背景、改善のための課題を探ってみました。

 ▼体力の低下、副作用や後遺症に応じた働き方の選択が難しい
 ▼「価値観がかわった」「迷惑をかけた」と考えがちで、メンタル面の支援が少ない
 ▼本当に迷惑をかけるのは「辞めること」という認識を持つこと

 私が代表を務めているキャンサー・ソリューションズ株式会社が行った調査結果からは、「企業の理解がないから辞める」は、離職の原因の第一要因ではないことが浮かび上がってきました。たしかに、「仕事を休む」ことについて、日本の企業側は欧米と比べてあまり寛容ではないでしょう。そもそも1人当たりに割り振られた仕事量が多すぎるのでは?そう思う人もいるでしょう。
 「休める」企業は強く、「休まない」企業は弱い。(「休まない」企業というのは、風土的に上司からして「やすむんじゃなーい!」という高圧的な雰囲気がかなりある企業をイメージしてます)
 こんな意識がもっと、もっと社会全体へ広がっていけば、社員も「罪悪感」や「迷惑をかけた」と感じることも少なく、身体を休めることができるかもしれません。では、働くがん患者さん300人の調査から見えてきた離職の背景を考えてみましょう。

 ●離職の主因は医学的要因が多い
 前述の調査では、がんになった後の働き方や家計の変化を把握するため、公益財団法人 がん研究振興財団の助成を受けて「がん罹患(りかん)と就労調査(当事者編)2016」を2015年12月に実施しました。対象は、診断時に働いていた20歳から64歳までのがん患者さん(診断から10年未満)300人。回答者の男女比は、男性62%、女性38%。回答者の年代は50代が最も多く全体の4割を占めました。居住地は東京都、神奈川県、大阪府などの大都市が6割、地方圏が4割。がんの部位は、大腸が18%、乳房が17%、胃がん11%でした。
 この中で「就労に影響を及ぼした項目、上位三つを教えてください」という質問をしたところ、次のような結果になりました。

【図:がん罹患が及ぼした就労への影響】(略)

 回答してもらった回答を第一位を3点、第二位を2点、第三位を1点として、全ての回答結果を集計したところ、点数が高かった項目は、第一位が体力の低下(458点)、第二位が価値観の変化(298点)、第三位が薬物療法による副作用(240点)、第四位が職場に迷惑をかけると思った(206点)、第五位が通院時間の確保が困難(196点)となりました。
 まとめると、「体力がおちた、価値観が変わったなど、身体的な要因や精神的な要因に応じた働き方の変更が難しく、仕事の継続が困難である」ということがわかってきます。
がん患者の就労を応援するには、まずは企業と雇用者の間で「信頼関係を築くこと」が大切です。「労使の信頼関係づくり」は普段から大切なことなのです。その上で、患者から、会社側に配慮してほしいことや、配慮が必要な期間(見通し)を聞き出し、こまめなコミュニケーションを通して、さらに信頼関係を作り出してほしいと思います。また、患者は「即断即決をしない、決め事をしない、働きたいというあなたの思いを伝える」ことが大切です。

 ●社会ができること
 がんと就労は、企業だけが責任を背負えばよいのではなく、医療側にもすべきことが多いことが調査から見えてきます。「薬物療法による副作用」などは、看護師や薬剤師などがこまめにひろいあげを行い、適切な支持療法へ早めの段階からつなぐことで軽減できるものがあります。例えば、手がしびれるような副作用があるときには「手足がしびれるような感覚がしますから注意してください」ではなく、「しびれるので、パソコンの入力作業やマウスの操作に違和感を感じることもあるかもしれません。仕事の量を少し減らしてもらうなど、1日にできる作業量がわかるまでは様子をみてみましょう」など、「できないこと」ではなく、「対処方法」を教えることが大切です。
 こうしたリソースを一番もっているのが医療機関だと思いますが、患者調査の結果からは、半数の人が働くことへの助言をもらっていないことが分かっています。
 実は、看護師の配置基準は、昭和23年の1:30から基本的には変更されていません。入院中は看護師さんに出会えても、外来になると看護師さんの姿を診察室で見かけなくなります。患者は、看護師さんの姿を見かけても、とっても忙しそうで声をかけるのをためらいがちです。でも、看護師、そして薬剤師などの助言は、患者にとって、大きな支えになります。「いますぐに決めなくても大丈夫ですよ。働きながら、@@さんのこれからを少しずつ考えていきましょうよ」、「薬の副作用は・・・、お仕事をされるときは・・・配慮してみるといいですよ」と、もっと患者の生活背景に応じた治療の説明をしてもらえると、生活のモデル、イメージが浮かんできます。それは患者の生活を支える大きなヒントになります。

【図:医療者から働き方への助言をもらった患者】(略)

 また、企業側は、「価値観が変化した」、「職場に迷惑をかけると思った」という精神的な部分を支援することも大切です。
 私はよく、「復職支援は三・三・七拍子で」と伝えています。復職から三週間は、「@@さんと一緒に働きたい、そのための環境づくりを一緒に考えていきましょう」という気持ちを人事はきちんと伝え、互いに信頼関係を築くから始めてください。こまめなコミュニケーションを心がけ、「働く勘」や「生活習慣」を整えましょう。「無理をするな」と簡単にいうのではなく、「あなたの身体が心配だから、無理をしないで欲しいと思っている」と、あなたの感じていることを省略せずに伝えてください。「無理をするな」という結論だけだと、辞めろといっているのだという誤解を得やすいです。ボタンの掛け違いが一番起きやすいのが、「三・三・七拍子」の最初の「三」です。
 次の三カ月間も「いつまでに」とか「かならずこの仕事を終わらせる」などの決まり事はつくらず、疲労の度合いや作業環境の居心地などについて、本人の意向を聞きながら「ベターな働き方が何か」を探していきましょう。失敗をしたときは、改善をしていけばよいのです。患者自身も今までできていたことができなくなっていて、とっても心がツライ時期がこの三カ月です。失敗を叱るのではなく、「どうすればできるのか」を一緒に考えて模索してみましょう。
 そして「三・三・七拍子」の七、7カ月が経過しました。この頃から、少しずつ、「新しい働き方」のイメージがお互いに浮かび上がってきます。でも、患者はまだまだ不安定です。「早くばんかいしなくては」と焦りを感じています。イメージはどんどん変わりますから、新しい働き方を少しずつ、「なま温かい目」で見続けてみてください。そして、患者さんの「モチベーション」も確認をしてください。価値観が変わった患者にとっては「与えられた仕事をただこなす」ことだけがゴールではありません。「役に立つ仕事」がゴールかもしれません。「ゴール」を患者さんと共有してください。
 「復職支援は三・三・七拍子」、できれば、1年間程度はあたたかく見守ってほしいと思います。

 ●大部屋コミュニティーの大切さ、仲間から学ぶことの多さ
 私が入院した10年前は、手術入院は2~3週間ほどありました。抗がん剤も希望すれば入院をすることができました。手術が終わった後、少しだけ周囲を見渡す心の余裕ができたとき、入院中に知り合ったがん患者仲間から、医療費の確定申告や高額療養費などの経済支援制度、周囲への報告の仕方やコミュニケーションの取り方、親や子どもへの伝え方などのヒントを、教えられたり、相談できたりしました。
 私は利き手の右腕に浮腫という後遺症がありますから、パソコンのマウスのサイズや機能にはとてもこだわっています。また右肘(ひじ)は必ず机の上におけるパソコンの向きに注意をしたり、肘のせなどを活用したりしています。副作用や後遺症をゼロにすることはできなくても、こうした工夫をすることで、だいぶ違ってきます。私は、これらの工夫を、同じ患者さんから教えてもらいました。
  この「大部屋コミュニティー」に支えられたことはたくさんあります。しかし、今は病気をした後の新しい日常生活(New Normal-life)のイメージが獲得できず、パジャマを着たまま社会へ放り出されているのが現状です。(以下略)
(転載終了)※  ※   ※

 「企業の理解がないから辞める」ということが、離職の原因の第一要因ではないことがわかってきたという。病気になっただけでもショックなのに、さらに「罪悪感」や「迷惑をかけた」という思いで自分を追い込むのは哀しい。好き好んで病気になったわけではないのだから必要以上に負い目を感じることもなく、身体を休めることの出来る社会、お互い様、明日は自分かもしれないのだから、と思える社会が望まれる。

 それはがん患者だけではなく全ての人たちに優しい社会だろう。もちろん会社はボランティアではないから、仕事が利益優先であることは否めない。けれど、これまで育成に投資してきたベテランの職員に辞められてしまうことは企業にとっても大きな痛手であり、決して嬉しい話ではないのではないか。

 就労に影響したこと(結果として離職に繋がったことも含む)は「体力がおちた、価値観が変わったなど、身体的な要因や精神的な要因に応じた働き方の変更が難しく、仕事の継続が困難である」であるということもわかってきたという。がん患者の就労を応援するには、まずは企業と雇用者の間で「信頼関係を築くこと」が大切だというのは疑う余地もない事実だ。

 けれど、ここでも述べられているとおり「労使の信頼関係づくり」は、働き手ががんになったから急に浮上してくる問題ではなく、普段から大切なことだ。その関係がきちんと築かれていれば、企業として患者から会社側に配慮してほしいことや、配慮が必要な期間(見通し)を聞き出し、こまめなコミュニケーションを通して、さらなる信頼関係を作り出していくことも可能なのではないか。

 もちろんこれは患者の努力も当然必要で、「(辞めるという)即断即決をせず、最初から(期限までに行うことは無理なのではないかという)決め事をせず、(なんとか)働きたいという自分の思いを伝えることによって一つ一つクリアしていけるのではないかとも思う。

 私はそもそも細く長く勤めたいということで今の職業を選んだから、病気になったら辞めるという選択肢はなかったということも以前書いた。もちろん、再発して治療がエンドレスになった時、副作用が酷く体調が悪化した時には、このまま働き続けることが出来るのだろうか、と不安になることがなかったといえば嘘になる。けれど、主治医に働き続けたいという私の思いを伝えることで、その都度その都度治療法の選択をし、職場の上司にも状況を伝えながら、今がある。

 仕事を続けていく上で医療者から働き方の助言はもらったか、といえば否である。
 私が本格的な治療を開始したのは再発後の8年半以上前のことだったが、患者としても新米で、どこまで治療以外のことについて助言をもらっていいものなのか、どこまで我慢していなければならないものなのか、医療者との距離のとり方などいわゆるコミュニケーション能力が発展途上だったと思えるので、こちらの努力不足も否めない。

 けれどこれまで長く治療を続けてくる上で、医療者との信頼関係を築く努力は重ねてきた。そして、必要以上に遠慮せずに(聞き分けの良い、手のかからないいい患者を演じることなく)困っている症状をこちらから具体的に話し、他の患者さんの様子も伺うなど自分の出来る範囲で勉強した。その上で自分なりに出来る工夫は惜しまず、我慢しすぎずに副作用止めの薬も処方して頂きながら“今までどおり仕事を続ける”という目標を捨てることなく乗り切ってきたという自負がある。

 企業側は「価値観が変化した」、「職場に迷惑をかけると思った」という患者の精神的な部分を支援することも大切だ、とあるが、そのあたり私はやはり恵まれていたと感謝している。職住近接であり、復職後はラインの長からスタッフ職に変えて頂いた。だからこそ、マイペースで早め早めに対応しながら環境整備をしつつ働き続けてくることが出来た。

 部下や職場に迷惑をかけるというのは仕事人としてとても心苦しいこと。そこから開放して頂いたおかげで、徒に自分を責めることもなく仕事をすることが出来ている。私の復職は桜井さんがおっしゃるような“3週間、3ヶ月、7ヶ月のいわゆる三・三・七拍子の復職支援で新しい働き方に変える”ということではなかった。
 復職直後に若干の短時間勤務からスタートさせて頂いた以外は、これ迄通り扱って頂いた。だからセルフコントロールしながら最初の1年間を乗り切ることが出来たのは大きな自信になった。

 私は初発の入院から11年半もの月日が経っている。18日間ずっと個室に入ったので、患者友達は出来なかった(作らなかった)し、当時はどうしてもそういう仲間が欲しいという気持ちでもなかった。けれど、再発後に同じような経験をした患者会の友人たちに支えられてきたのは紛れもない事実だ。

 乳房温存手術で2週間以上も入院した私からすれば、去年母の直腸がん手術の折り、その入院期間があまりに短くなっているのに驚いた。桜井さんがおっしゃるように、パジャマを着たまま日常生活に放り出される、という表現はいい得て妙だと思う。だからこそ、退院後社会復帰に向けてソフトランディングするために、遠慮せずにしかるべきところに相談するということ、体験者同士の工夫がより大切になってくるのだとも思う。

 あれこれ自分の思いを書き連ねていたら、案の定非常に長くなってしまった。ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
 いずれにせよこれからの連載がとても楽しみなことである。このまま少しでも長くこうして働き続けられますように。
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