8月になった。7月があまりに非日常の日々だったので、今月は少しずつでも日常生活にソフトランディングしていけたら、と切に思う。
その、非日常の7月、最終土日のことを2日に分けて書いておきたい。
父他界後、土日は殆ど実家に通い続けており、自宅の家事はすっかり疎かになっている。夫には申し訳ないことこの上ないのだが、疲労困憊して気持ちはあってもとても身体がついていかない。
土曜日。いつもとほぼ同じ時間に起きて、実家に向かう。
来月、息子の帰省に合わせて四十九日ではなく三十五日の法要を行うことにしたので、もう時間がない。
法要までに整えておくための、仏壇やら何やらあれこれ購入準備出来る最後の休日である。それ以外にも後期高齢者保険手続き等、あれこれやるべきことが目白押しである。
役所勤めが長かった私が言うのもなんだけれど、役所が要求する文書の作成は役所慣れしていない人には敷居が高いと思う。いわんや高齢の母をや、である。様式を読むだけでも一苦労だから作成にはとても及ばない。それでも代理の私がメールでやりとりすることが叶い、窓口に出向かなくても良い、郵送でも良いと言って頂けて本当に便利な世の中になった。必要書類を揃え、不足分を母から預かり、もろもろチェックをしているとあっという間に小一時間が過ぎる。
葬儀社の方のお迎えはいつもパンクチュアルで約束の10分前には呼び鈴が鳴る。「まだお約束の時間までありますし、車を涼しくしておきますので、ゆっくりよろしいタイミングで出てきて頂ければいいですよ」と言って頂く。不祝儀で憔悴した高齢者相手のビジネスはこうあるべきとでもいうような、本当にキメ細やかで丁寧な対応である。
戸締りを済ませ、さあ出かけようと車に乗り込むと、母が「クーラーを消したかしら」と言い出す。うーん、ではもう一度見てきましょう、と鍵を持って家に戻る。なんのことはない、ちゃんと消えているのだけれど、これが歳をとるということだろう。それにしても玄関の鍵ひとつで出かけられる自宅と違って、あれやこれや閉めるところが多い平屋の実家は本当に大変。
月末の混雑した道を車で30分弱、葬儀社本社に併設された仏具店に到着する。我が家には既に夫方の仏壇があるし、当面母が新しい仏壇の世話をするとしても、いずれは私が引き取ることになる。となれば、3LDK集合住宅暮らしの我が家としては、とてもではないが大きなものは置くことが出来ない。宗派が違う仏壇を並べて置くわけにもいかず、せめて別の部屋に、などと言われても、では一体どこへ、というレベルである。
ということで、なるべくコンパクトな小さなもの!という至上命題を持って目星をつけてきた。夫が一足遅れて、自宅から合流してくれる。やはりアドバイザーとして夫がいてくれると心強い。それにしても、この齢になっても知らないことばかりで恥ずかしいことだ。
これまで自宅の仏壇の中をあれこれ覗くこともせず、どんな小道具が収まっているのかろくに確認したことがなかった。あれこれおままごとのような仏具を揃えていけば、いつのまにか目の玉が飛び出るようなお値段。う~ん、こういうのは本当に値段があってないようなものなのではないだろうか。ゆったりした店内で、ご本尊だの、過去帳だの、あれこれ見ながらだんだんぐったりしてくる。結局、お店にはたっぷり2時間半も滞在してしまった。
それでも先日の葬儀の支払いも無事終えることが出来たし、今回とてもよく対応して頂けたので、今後のことを考えてこちらの会社の会員登録も済ませた。ついでに自分の瞑想用にいい音のする“りん”も購入。
お腹ペコペコ、疲労困憊でお店を後にして、タクシーで最寄り駅まで向かった。遅いお昼を3人で取り、電車で次なる目的地へ移動。
去年、夫と利用したホテルのお誕生日特別プランがとても良かったので、母の誕生日に、父の入院騒ぎですっかりしょげている母を励ますつもりで宿泊の予約をしていた。
ところが、その父の急逝で母の誕生日が奇しくもお通夜になってしまった。当然キャンセルをしたのだけれど、父の死後、鬱病になってしまうのではないかと思うほど憔悴していた母に、気分転換をしてほしいというつもりで予約を入れたのだ。
チェックイン後、ルームサービスで「お誕生日おめでとう」のプレートが載った小さなホールケーキが届いた。小さいとはいってもホールケーキ。去年、夫と2人で食べ切れなかったから、母と私の2人ではとても無理ということで、夫にも入ってもらってお祝い。
83歳にちなんでろうそくを3本立てて、吹き消してもらうことにしたけれど、1本ずつしか消せないほど肺活量がない。
夫と2人で「おめでとう」と言うと、「頼る人がいなくなりましたので、これからどうぞ宜しくお願いします」と頭を下げながら小さな声で言う母が、切ない。当たり前なのだろうけれど、もう母は守ってくれる存在ではなく、こちらが守らなければならない存在なのだという事実を突きつけられた。
ケーキと紅茶に舌鼓を打った後、母が「(かつて私が勤めていた庁舎の)展望台に行ったことがない、おじいちゃん(父)は一人で来たことがあったのに。」と言い出す。「じゃあ、すぐだから行ってみましょう。」と夫が乗ってくれて、3人で外に出る。それほど待たずに45階の展望台に到着。西日が酷く、白内障の気がある母は眩しくて外が見えないらしい。私は私でのぼせたのか、相変わらず粘膜がやられているのか鼻血が止まらない。うーん、なんだかなあ、であったけれど、とりあえず気が済んだ様子。
既にオープンして四半世紀も経ち、まさか都内に住んでいて来たことがないとは思ってもみなかった。私自身、一度何かで来てから実にどのくらいぶりかもわからないほど久しぶりだった。高く聳える高層ビル群を見ながら、なにやら息苦しさを感じ、ああ、もうこの庁舎ではとても働けないなあと痛感した。下まで降りてくると、いつのまにか長蛇の列になっていた。すっと入れてよかったね、と言い合いながらホテルに戻った。
このプランでは、バーでお誕生日のマンスリーカクテルも頂ける。ホテルのメインバーなどに入ったのは生まれて初めて、という母には別にノンアルコールカクテルを取り、(私自身もアルコールはダメなので、一口舐めてギブアップ)雰囲気だけ楽しんだ。
一旦部屋に戻って足を伸ばしてから夕食は和食の会席料理にした。ちょっとずつ色々綺麗に盛り付けられた和食を、ゆったり流れる時間とともに目と舌で楽しむ。母もゆっくりペースだったけれど、しっかりたいらげてほっとする。いわく、1食で1日分食べた感じだという。父が亡くなってから一度もご飯を炊いたことがないとまで言われ、一体何を食べているのか、とちょっと不安になる。
夫には要らない荷物を持ち帰ってもらい、お別れ。母と部屋に戻って、入浴後はマッサージで歩き疲れた足をほぐしてもらって眠りについた。
その、非日常の7月、最終土日のことを2日に分けて書いておきたい。
父他界後、土日は殆ど実家に通い続けており、自宅の家事はすっかり疎かになっている。夫には申し訳ないことこの上ないのだが、疲労困憊して気持ちはあってもとても身体がついていかない。
土曜日。いつもとほぼ同じ時間に起きて、実家に向かう。
来月、息子の帰省に合わせて四十九日ではなく三十五日の法要を行うことにしたので、もう時間がない。
法要までに整えておくための、仏壇やら何やらあれこれ購入準備出来る最後の休日である。それ以外にも後期高齢者保険手続き等、あれこれやるべきことが目白押しである。
役所勤めが長かった私が言うのもなんだけれど、役所が要求する文書の作成は役所慣れしていない人には敷居が高いと思う。いわんや高齢の母をや、である。様式を読むだけでも一苦労だから作成にはとても及ばない。それでも代理の私がメールでやりとりすることが叶い、窓口に出向かなくても良い、郵送でも良いと言って頂けて本当に便利な世の中になった。必要書類を揃え、不足分を母から預かり、もろもろチェックをしているとあっという間に小一時間が過ぎる。
葬儀社の方のお迎えはいつもパンクチュアルで約束の10分前には呼び鈴が鳴る。「まだお約束の時間までありますし、車を涼しくしておきますので、ゆっくりよろしいタイミングで出てきて頂ければいいですよ」と言って頂く。不祝儀で憔悴した高齢者相手のビジネスはこうあるべきとでもいうような、本当にキメ細やかで丁寧な対応である。
戸締りを済ませ、さあ出かけようと車に乗り込むと、母が「クーラーを消したかしら」と言い出す。うーん、ではもう一度見てきましょう、と鍵を持って家に戻る。なんのことはない、ちゃんと消えているのだけれど、これが歳をとるということだろう。それにしても玄関の鍵ひとつで出かけられる自宅と違って、あれやこれや閉めるところが多い平屋の実家は本当に大変。
月末の混雑した道を車で30分弱、葬儀社本社に併設された仏具店に到着する。我が家には既に夫方の仏壇があるし、当面母が新しい仏壇の世話をするとしても、いずれは私が引き取ることになる。となれば、3LDK集合住宅暮らしの我が家としては、とてもではないが大きなものは置くことが出来ない。宗派が違う仏壇を並べて置くわけにもいかず、せめて別の部屋に、などと言われても、では一体どこへ、というレベルである。
ということで、なるべくコンパクトな小さなもの!という至上命題を持って目星をつけてきた。夫が一足遅れて、自宅から合流してくれる。やはりアドバイザーとして夫がいてくれると心強い。それにしても、この齢になっても知らないことばかりで恥ずかしいことだ。
これまで自宅の仏壇の中をあれこれ覗くこともせず、どんな小道具が収まっているのかろくに確認したことがなかった。あれこれおままごとのような仏具を揃えていけば、いつのまにか目の玉が飛び出るようなお値段。う~ん、こういうのは本当に値段があってないようなものなのではないだろうか。ゆったりした店内で、ご本尊だの、過去帳だの、あれこれ見ながらだんだんぐったりしてくる。結局、お店にはたっぷり2時間半も滞在してしまった。
それでも先日の葬儀の支払いも無事終えることが出来たし、今回とてもよく対応して頂けたので、今後のことを考えてこちらの会社の会員登録も済ませた。ついでに自分の瞑想用にいい音のする“りん”も購入。
お腹ペコペコ、疲労困憊でお店を後にして、タクシーで最寄り駅まで向かった。遅いお昼を3人で取り、電車で次なる目的地へ移動。
去年、夫と利用したホテルのお誕生日特別プランがとても良かったので、母の誕生日に、父の入院騒ぎですっかりしょげている母を励ますつもりで宿泊の予約をしていた。
ところが、その父の急逝で母の誕生日が奇しくもお通夜になってしまった。当然キャンセルをしたのだけれど、父の死後、鬱病になってしまうのではないかと思うほど憔悴していた母に、気分転換をしてほしいというつもりで予約を入れたのだ。
チェックイン後、ルームサービスで「お誕生日おめでとう」のプレートが載った小さなホールケーキが届いた。小さいとはいってもホールケーキ。去年、夫と2人で食べ切れなかったから、母と私の2人ではとても無理ということで、夫にも入ってもらってお祝い。
83歳にちなんでろうそくを3本立てて、吹き消してもらうことにしたけれど、1本ずつしか消せないほど肺活量がない。
夫と2人で「おめでとう」と言うと、「頼る人がいなくなりましたので、これからどうぞ宜しくお願いします」と頭を下げながら小さな声で言う母が、切ない。当たり前なのだろうけれど、もう母は守ってくれる存在ではなく、こちらが守らなければならない存在なのだという事実を突きつけられた。
ケーキと紅茶に舌鼓を打った後、母が「(かつて私が勤めていた庁舎の)展望台に行ったことがない、おじいちゃん(父)は一人で来たことがあったのに。」と言い出す。「じゃあ、すぐだから行ってみましょう。」と夫が乗ってくれて、3人で外に出る。それほど待たずに45階の展望台に到着。西日が酷く、白内障の気がある母は眩しくて外が見えないらしい。私は私でのぼせたのか、相変わらず粘膜がやられているのか鼻血が止まらない。うーん、なんだかなあ、であったけれど、とりあえず気が済んだ様子。
既にオープンして四半世紀も経ち、まさか都内に住んでいて来たことがないとは思ってもみなかった。私自身、一度何かで来てから実にどのくらいぶりかもわからないほど久しぶりだった。高く聳える高層ビル群を見ながら、なにやら息苦しさを感じ、ああ、もうこの庁舎ではとても働けないなあと痛感した。下まで降りてくると、いつのまにか長蛇の列になっていた。すっと入れてよかったね、と言い合いながらホテルに戻った。
このプランでは、バーでお誕生日のマンスリーカクテルも頂ける。ホテルのメインバーなどに入ったのは生まれて初めて、という母には別にノンアルコールカクテルを取り、(私自身もアルコールはダメなので、一口舐めてギブアップ)雰囲気だけ楽しんだ。
一旦部屋に戻って足を伸ばしてから夕食は和食の会席料理にした。ちょっとずつ色々綺麗に盛り付けられた和食を、ゆったり流れる時間とともに目と舌で楽しむ。母もゆっくりペースだったけれど、しっかりたいらげてほっとする。いわく、1食で1日分食べた感じだという。父が亡くなってから一度もご飯を炊いたことがないとまで言われ、一体何を食べているのか、とちょっと不安になる。
夫には要らない荷物を持ち帰ってもらい、お別れ。母と部屋に戻って、入浴後はマッサージで歩き疲れた足をほぐしてもらって眠りについた。