愛読している朝日新聞の医療サイトアピタルで新しいシリーズが始まった。がんと就労をテーマに活動されている桜井なおみさんのものだ。
がん患者になって11年半以上、再発進行患者となって8年半以上の私だが、これ迄半年間休職した以外は通院治療をメインに、まがりなりにもフルタイムで仕事を継続してきている。
今これまでを振り返って思うのは、決して楽な道ではなかったけれど、やはり働いていて(働かせて頂いていて)本当に良かったということだ。
私が「がん患者さんも仕事を辞めないで」と書いた時には「お前は恵まれているだけだ、民間はそんなに楽じゃない」という声もあったけれど、私なりに職場に対して、働き続けたいという思いをその都度その都度真摯に伝えてきたつもりでもある。だからこの記事は良くぞ言ってくれました、という部分が沢山。これからも楽しみに拝読したいと思う。
以下、長文だがご紹介したい。
※ ※ ※(転載開始)
シリーズ:コラム がん、そして働く
がんと離職の背景 働くがん患者300人の声から見えるもの 桜井なおみ(2016年8月5日07時21分)
なぜ、がん患者は仕事を辞めるのでしょうか? 働くがん患者300人の声から見えてくるものと、その背景、改善のための課題を探ってみました。
▼体力の低下、副作用や後遺症に応じた働き方の選択が難しい
▼「価値観がかわった」「迷惑をかけた」と考えがちで、メンタル面の支援が少ない
▼本当に迷惑をかけるのは「辞めること」という認識を持つこと
私が代表を務めているキャンサー・ソリューションズ株式会社が行った調査結果からは、「企業の理解がないから辞める」は、離職の原因の第一要因ではないことが浮かび上がってきました。たしかに、「仕事を休む」ことについて、日本の企業側は欧米と比べてあまり寛容ではないでしょう。そもそも1人当たりに割り振られた仕事量が多すぎるのでは?そう思う人もいるでしょう。
「休める」企業は強く、「休まない」企業は弱い。(「休まない」企業というのは、風土的に上司からして「やすむんじゃなーい!」という高圧的な雰囲気がかなりある企業をイメージしてます)
こんな意識がもっと、もっと社会全体へ広がっていけば、社員も「罪悪感」や「迷惑をかけた」と感じることも少なく、身体を休めることができるかもしれません。では、働くがん患者さん300人の調査から見えてきた離職の背景を考えてみましょう。
●離職の主因は医学的要因が多い
前述の調査では、がんになった後の働き方や家計の変化を把握するため、公益財団法人 がん研究振興財団の助成を受けて「がん罹患(りかん)と就労調査(当事者編)2016」を2015年12月に実施しました。対象は、診断時に働いていた20歳から64歳までのがん患者さん(診断から10年未満)300人。回答者の男女比は、男性62%、女性38%。回答者の年代は50代が最も多く全体の4割を占めました。居住地は東京都、神奈川県、大阪府などの大都市が6割、地方圏が4割。がんの部位は、大腸が18%、乳房が17%、胃がん11%でした。
この中で「就労に影響を及ぼした項目、上位三つを教えてください」という質問をしたところ、次のような結果になりました。
【図:がん罹患が及ぼした就労への影響】(略)
回答してもらった回答を第一位を3点、第二位を2点、第三位を1点として、全ての回答結果を集計したところ、点数が高かった項目は、第一位が体力の低下(458点)、第二位が価値観の変化(298点)、第三位が薬物療法による副作用(240点)、第四位が職場に迷惑をかけると思った(206点)、第五位が通院時間の確保が困難(196点)となりました。
まとめると、「体力がおちた、価値観が変わったなど、身体的な要因や精神的な要因に応じた働き方の変更が難しく、仕事の継続が困難である」ということがわかってきます。
がん患者の就労を応援するには、まずは企業と雇用者の間で「信頼関係を築くこと」が大切です。「労使の信頼関係づくり」は普段から大切なことなのです。その上で、患者から、会社側に配慮してほしいことや、配慮が必要な期間(見通し)を聞き出し、こまめなコミュニケーションを通して、さらに信頼関係を作り出してほしいと思います。また、患者は「即断即決をしない、決め事をしない、働きたいというあなたの思いを伝える」ことが大切です。
●社会ができること
がんと就労は、企業だけが責任を背負えばよいのではなく、医療側にもすべきことが多いことが調査から見えてきます。「薬物療法による副作用」などは、看護師や薬剤師などがこまめにひろいあげを行い、適切な支持療法へ早めの段階からつなぐことで軽減できるものがあります。例えば、手がしびれるような副作用があるときには「手足がしびれるような感覚がしますから注意してください」ではなく、「しびれるので、パソコンの入力作業やマウスの操作に違和感を感じることもあるかもしれません。仕事の量を少し減らしてもらうなど、1日にできる作業量がわかるまでは様子をみてみましょう」など、「できないこと」ではなく、「対処方法」を教えることが大切です。
こうしたリソースを一番もっているのが医療機関だと思いますが、患者調査の結果からは、半数の人が働くことへの助言をもらっていないことが分かっています。
実は、看護師の配置基準は、昭和23年の1:30から基本的には変更されていません。入院中は看護師さんに出会えても、外来になると看護師さんの姿を診察室で見かけなくなります。患者は、看護師さんの姿を見かけても、とっても忙しそうで声をかけるのをためらいがちです。でも、看護師、そして薬剤師などの助言は、患者にとって、大きな支えになります。「いますぐに決めなくても大丈夫ですよ。働きながら、@@さんのこれからを少しずつ考えていきましょうよ」、「薬の副作用は・・・、お仕事をされるときは・・・配慮してみるといいですよ」と、もっと患者の生活背景に応じた治療の説明をしてもらえると、生活のモデル、イメージが浮かんできます。それは患者の生活を支える大きなヒントになります。
【図:医療者から働き方への助言をもらった患者】(略)
また、企業側は、「価値観が変化した」、「職場に迷惑をかけると思った」という精神的な部分を支援することも大切です。
私はよく、「復職支援は三・三・七拍子で」と伝えています。復職から三週間は、「@@さんと一緒に働きたい、そのための環境づくりを一緒に考えていきましょう」という気持ちを人事はきちんと伝え、互いに信頼関係を築くから始めてください。こまめなコミュニケーションを心がけ、「働く勘」や「生活習慣」を整えましょう。「無理をするな」と簡単にいうのではなく、「あなたの身体が心配だから、無理をしないで欲しいと思っている」と、あなたの感じていることを省略せずに伝えてください。「無理をするな」という結論だけだと、辞めろといっているのだという誤解を得やすいです。ボタンの掛け違いが一番起きやすいのが、「三・三・七拍子」の最初の「三」です。
次の三カ月間も「いつまでに」とか「かならずこの仕事を終わらせる」などの決まり事はつくらず、疲労の度合いや作業環境の居心地などについて、本人の意向を聞きながら「ベターな働き方が何か」を探していきましょう。失敗をしたときは、改善をしていけばよいのです。患者自身も今までできていたことができなくなっていて、とっても心がツライ時期がこの三カ月です。失敗を叱るのではなく、「どうすればできるのか」を一緒に考えて模索してみましょう。
そして「三・三・七拍子」の七、7カ月が経過しました。この頃から、少しずつ、「新しい働き方」のイメージがお互いに浮かび上がってきます。でも、患者はまだまだ不安定です。「早くばんかいしなくては」と焦りを感じています。イメージはどんどん変わりますから、新しい働き方を少しずつ、「なま温かい目」で見続けてみてください。そして、患者さんの「モチベーション」も確認をしてください。価値観が変わった患者にとっては「与えられた仕事をただこなす」ことだけがゴールではありません。「役に立つ仕事」がゴールかもしれません。「ゴール」を患者さんと共有してください。
「復職支援は三・三・七拍子」、できれば、1年間程度はあたたかく見守ってほしいと思います。
●大部屋コミュニティーの大切さ、仲間から学ぶことの多さ
私が入院した10年前は、手術入院は2~3週間ほどありました。抗がん剤も希望すれば入院をすることができました。手術が終わった後、少しだけ周囲を見渡す心の余裕ができたとき、入院中に知り合ったがん患者仲間から、医療費の確定申告や高額療養費などの経済支援制度、周囲への報告の仕方やコミュニケーションの取り方、親や子どもへの伝え方などのヒントを、教えられたり、相談できたりしました。
私は利き手の右腕に浮腫という後遺症がありますから、パソコンのマウスのサイズや機能にはとてもこだわっています。また右肘(ひじ)は必ず机の上におけるパソコンの向きに注意をしたり、肘のせなどを活用したりしています。副作用や後遺症をゼロにすることはできなくても、こうした工夫をすることで、だいぶ違ってきます。私は、これらの工夫を、同じ患者さんから教えてもらいました。
この「大部屋コミュニティー」に支えられたことはたくさんあります。しかし、今は病気をした後の新しい日常生活(New Normal-life)のイメージが獲得できず、パジャマを着たまま社会へ放り出されているのが現状です。(以下略)
(転載終了)※ ※ ※
「企業の理解がないから辞める」ということが、離職の原因の第一要因ではないことがわかってきたという。病気になっただけでもショックなのに、さらに「罪悪感」や「迷惑をかけた」という思いで自分を追い込むのは哀しい。好き好んで病気になったわけではないのだから必要以上に負い目を感じることもなく、身体を休めることの出来る社会、お互い様、明日は自分かもしれないのだから、と思える社会が望まれる。
それはがん患者だけではなく全ての人たちに優しい社会だろう。もちろん会社はボランティアではないから、仕事が利益優先であることは否めない。けれど、これまで育成に投資してきたベテランの職員に辞められてしまうことは企業にとっても大きな痛手であり、決して嬉しい話ではないのではないか。
就労に影響したこと(結果として離職に繋がったことも含む)は「体力がおちた、価値観が変わったなど、身体的な要因や精神的な要因に応じた働き方の変更が難しく、仕事の継続が困難である」であるということもわかってきたという。がん患者の就労を応援するには、まずは企業と雇用者の間で「信頼関係を築くこと」が大切だというのは疑う余地もない事実だ。
けれど、ここでも述べられているとおり「労使の信頼関係づくり」は、働き手ががんになったから急に浮上してくる問題ではなく、普段から大切なことだ。その関係がきちんと築かれていれば、企業として患者から会社側に配慮してほしいことや、配慮が必要な期間(見通し)を聞き出し、こまめなコミュニケーションを通して、さらなる信頼関係を作り出していくことも可能なのではないか。
もちろんこれは患者の努力も当然必要で、「(辞めるという)即断即決をせず、最初から(期限までに行うことは無理なのではないかという)決め事をせず、(なんとか)働きたいという自分の思いを伝えることによって一つ一つクリアしていけるのではないかとも思う。
私はそもそも細く長く勤めたいということで今の職業を選んだから、病気になったら辞めるという選択肢はなかったということも以前書いた。もちろん、再発して治療がエンドレスになった時、副作用が酷く体調が悪化した時には、このまま働き続けることが出来るのだろうか、と不安になることがなかったといえば嘘になる。けれど、主治医に働き続けたいという私の思いを伝えることで、その都度その都度治療法の選択をし、職場の上司にも状況を伝えながら、今がある。
仕事を続けていく上で医療者から働き方の助言はもらったか、といえば否である。
私が本格的な治療を開始したのは再発後の8年半以上前のことだったが、患者としても新米で、どこまで治療以外のことについて助言をもらっていいものなのか、どこまで我慢していなければならないものなのか、医療者との距離のとり方などいわゆるコミュニケーション能力が発展途上だったと思えるので、こちらの努力不足も否めない。
けれどこれまで長く治療を続けてくる上で、医療者との信頼関係を築く努力は重ねてきた。そして、必要以上に遠慮せずに(聞き分けの良い、手のかからないいい患者を演じることなく)困っている症状をこちらから具体的に話し、他の患者さんの様子も伺うなど自分の出来る範囲で勉強した。その上で自分なりに出来る工夫は惜しまず、我慢しすぎずに副作用止めの薬も処方して頂きながら“今までどおり仕事を続ける”という目標を捨てることなく乗り切ってきたという自負がある。
企業側は「価値観が変化した」、「職場に迷惑をかけると思った」という患者の精神的な部分を支援することも大切だ、とあるが、そのあたり私はやはり恵まれていたと感謝している。職住近接であり、復職後はラインの長からスタッフ職に変えて頂いた。だからこそ、マイペースで早め早めに対応しながら環境整備をしつつ働き続けてくることが出来た。
部下や職場に迷惑をかけるというのは仕事人としてとても心苦しいこと。そこから開放して頂いたおかげで、徒に自分を責めることもなく仕事をすることが出来ている。私の復職は桜井さんがおっしゃるような“3週間、3ヶ月、7ヶ月のいわゆる三・三・七拍子の復職支援で新しい働き方に変える”ということではなかった。
復職直後に若干の短時間勤務からスタートさせて頂いた以外は、これ迄通り扱って頂いた。だからセルフコントロールしながら最初の1年間を乗り切ることが出来たのは大きな自信になった。
私は初発の入院から11年半もの月日が経っている。18日間ずっと個室に入ったので、患者友達は出来なかった(作らなかった)し、当時はどうしてもそういう仲間が欲しいという気持ちでもなかった。けれど、再発後に同じような経験をした患者会の友人たちに支えられてきたのは紛れもない事実だ。
乳房温存手術で2週間以上も入院した私からすれば、去年母の直腸がん手術の折り、その入院期間があまりに短くなっているのに驚いた。桜井さんがおっしゃるように、パジャマを着たまま日常生活に放り出される、という表現はいい得て妙だと思う。だからこそ、退院後社会復帰に向けてソフトランディングするために、遠慮せずにしかるべきところに相談するということ、体験者同士の工夫がより大切になってくるのだとも思う。
あれこれ自分の思いを書き連ねていたら、案の定非常に長くなってしまった。ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
いずれにせよこれからの連載がとても楽しみなことである。このまま少しでも長くこうして働き続けられますように。
がん患者になって11年半以上、再発進行患者となって8年半以上の私だが、これ迄半年間休職した以外は通院治療をメインに、まがりなりにもフルタイムで仕事を継続してきている。
今これまでを振り返って思うのは、決して楽な道ではなかったけれど、やはり働いていて(働かせて頂いていて)本当に良かったということだ。
私が「がん患者さんも仕事を辞めないで」と書いた時には「お前は恵まれているだけだ、民間はそんなに楽じゃない」という声もあったけれど、私なりに職場に対して、働き続けたいという思いをその都度その都度真摯に伝えてきたつもりでもある。だからこの記事は良くぞ言ってくれました、という部分が沢山。これからも楽しみに拝読したいと思う。
以下、長文だがご紹介したい。
※ ※ ※(転載開始)
シリーズ:コラム がん、そして働く
がんと離職の背景 働くがん患者300人の声から見えるもの 桜井なおみ(2016年8月5日07時21分)
なぜ、がん患者は仕事を辞めるのでしょうか? 働くがん患者300人の声から見えてくるものと、その背景、改善のための課題を探ってみました。
▼体力の低下、副作用や後遺症に応じた働き方の選択が難しい
▼「価値観がかわった」「迷惑をかけた」と考えがちで、メンタル面の支援が少ない
▼本当に迷惑をかけるのは「辞めること」という認識を持つこと
私が代表を務めているキャンサー・ソリューションズ株式会社が行った調査結果からは、「企業の理解がないから辞める」は、離職の原因の第一要因ではないことが浮かび上がってきました。たしかに、「仕事を休む」ことについて、日本の企業側は欧米と比べてあまり寛容ではないでしょう。そもそも1人当たりに割り振られた仕事量が多すぎるのでは?そう思う人もいるでしょう。
「休める」企業は強く、「休まない」企業は弱い。(「休まない」企業というのは、風土的に上司からして「やすむんじゃなーい!」という高圧的な雰囲気がかなりある企業をイメージしてます)
こんな意識がもっと、もっと社会全体へ広がっていけば、社員も「罪悪感」や「迷惑をかけた」と感じることも少なく、身体を休めることができるかもしれません。では、働くがん患者さん300人の調査から見えてきた離職の背景を考えてみましょう。
●離職の主因は医学的要因が多い
前述の調査では、がんになった後の働き方や家計の変化を把握するため、公益財団法人 がん研究振興財団の助成を受けて「がん罹患(りかん)と就労調査(当事者編)2016」を2015年12月に実施しました。対象は、診断時に働いていた20歳から64歳までのがん患者さん(診断から10年未満)300人。回答者の男女比は、男性62%、女性38%。回答者の年代は50代が最も多く全体の4割を占めました。居住地は東京都、神奈川県、大阪府などの大都市が6割、地方圏が4割。がんの部位は、大腸が18%、乳房が17%、胃がん11%でした。
この中で「就労に影響を及ぼした項目、上位三つを教えてください」という質問をしたところ、次のような結果になりました。
【図:がん罹患が及ぼした就労への影響】(略)
回答してもらった回答を第一位を3点、第二位を2点、第三位を1点として、全ての回答結果を集計したところ、点数が高かった項目は、第一位が体力の低下(458点)、第二位が価値観の変化(298点)、第三位が薬物療法による副作用(240点)、第四位が職場に迷惑をかけると思った(206点)、第五位が通院時間の確保が困難(196点)となりました。
まとめると、「体力がおちた、価値観が変わったなど、身体的な要因や精神的な要因に応じた働き方の変更が難しく、仕事の継続が困難である」ということがわかってきます。
がん患者の就労を応援するには、まずは企業と雇用者の間で「信頼関係を築くこと」が大切です。「労使の信頼関係づくり」は普段から大切なことなのです。その上で、患者から、会社側に配慮してほしいことや、配慮が必要な期間(見通し)を聞き出し、こまめなコミュニケーションを通して、さらに信頼関係を作り出してほしいと思います。また、患者は「即断即決をしない、決め事をしない、働きたいというあなたの思いを伝える」ことが大切です。
●社会ができること
がんと就労は、企業だけが責任を背負えばよいのではなく、医療側にもすべきことが多いことが調査から見えてきます。「薬物療法による副作用」などは、看護師や薬剤師などがこまめにひろいあげを行い、適切な支持療法へ早めの段階からつなぐことで軽減できるものがあります。例えば、手がしびれるような副作用があるときには「手足がしびれるような感覚がしますから注意してください」ではなく、「しびれるので、パソコンの入力作業やマウスの操作に違和感を感じることもあるかもしれません。仕事の量を少し減らしてもらうなど、1日にできる作業量がわかるまでは様子をみてみましょう」など、「できないこと」ではなく、「対処方法」を教えることが大切です。
こうしたリソースを一番もっているのが医療機関だと思いますが、患者調査の結果からは、半数の人が働くことへの助言をもらっていないことが分かっています。
実は、看護師の配置基準は、昭和23年の1:30から基本的には変更されていません。入院中は看護師さんに出会えても、外来になると看護師さんの姿を診察室で見かけなくなります。患者は、看護師さんの姿を見かけても、とっても忙しそうで声をかけるのをためらいがちです。でも、看護師、そして薬剤師などの助言は、患者にとって、大きな支えになります。「いますぐに決めなくても大丈夫ですよ。働きながら、@@さんのこれからを少しずつ考えていきましょうよ」、「薬の副作用は・・・、お仕事をされるときは・・・配慮してみるといいですよ」と、もっと患者の生活背景に応じた治療の説明をしてもらえると、生活のモデル、イメージが浮かんできます。それは患者の生活を支える大きなヒントになります。
【図:医療者から働き方への助言をもらった患者】(略)
また、企業側は、「価値観が変化した」、「職場に迷惑をかけると思った」という精神的な部分を支援することも大切です。
私はよく、「復職支援は三・三・七拍子で」と伝えています。復職から三週間は、「@@さんと一緒に働きたい、そのための環境づくりを一緒に考えていきましょう」という気持ちを人事はきちんと伝え、互いに信頼関係を築くから始めてください。こまめなコミュニケーションを心がけ、「働く勘」や「生活習慣」を整えましょう。「無理をするな」と簡単にいうのではなく、「あなたの身体が心配だから、無理をしないで欲しいと思っている」と、あなたの感じていることを省略せずに伝えてください。「無理をするな」という結論だけだと、辞めろといっているのだという誤解を得やすいです。ボタンの掛け違いが一番起きやすいのが、「三・三・七拍子」の最初の「三」です。
次の三カ月間も「いつまでに」とか「かならずこの仕事を終わらせる」などの決まり事はつくらず、疲労の度合いや作業環境の居心地などについて、本人の意向を聞きながら「ベターな働き方が何か」を探していきましょう。失敗をしたときは、改善をしていけばよいのです。患者自身も今までできていたことができなくなっていて、とっても心がツライ時期がこの三カ月です。失敗を叱るのではなく、「どうすればできるのか」を一緒に考えて模索してみましょう。
そして「三・三・七拍子」の七、7カ月が経過しました。この頃から、少しずつ、「新しい働き方」のイメージがお互いに浮かび上がってきます。でも、患者はまだまだ不安定です。「早くばんかいしなくては」と焦りを感じています。イメージはどんどん変わりますから、新しい働き方を少しずつ、「なま温かい目」で見続けてみてください。そして、患者さんの「モチベーション」も確認をしてください。価値観が変わった患者にとっては「与えられた仕事をただこなす」ことだけがゴールではありません。「役に立つ仕事」がゴールかもしれません。「ゴール」を患者さんと共有してください。
「復職支援は三・三・七拍子」、できれば、1年間程度はあたたかく見守ってほしいと思います。
●大部屋コミュニティーの大切さ、仲間から学ぶことの多さ
私が入院した10年前は、手術入院は2~3週間ほどありました。抗がん剤も希望すれば入院をすることができました。手術が終わった後、少しだけ周囲を見渡す心の余裕ができたとき、入院中に知り合ったがん患者仲間から、医療費の確定申告や高額療養費などの経済支援制度、周囲への報告の仕方やコミュニケーションの取り方、親や子どもへの伝え方などのヒントを、教えられたり、相談できたりしました。
私は利き手の右腕に浮腫という後遺症がありますから、パソコンのマウスのサイズや機能にはとてもこだわっています。また右肘(ひじ)は必ず机の上におけるパソコンの向きに注意をしたり、肘のせなどを活用したりしています。副作用や後遺症をゼロにすることはできなくても、こうした工夫をすることで、だいぶ違ってきます。私は、これらの工夫を、同じ患者さんから教えてもらいました。
この「大部屋コミュニティー」に支えられたことはたくさんあります。しかし、今は病気をした後の新しい日常生活(New Normal-life)のイメージが獲得できず、パジャマを着たまま社会へ放り出されているのが現状です。(以下略)
(転載終了)※ ※ ※
「企業の理解がないから辞める」ということが、離職の原因の第一要因ではないことがわかってきたという。病気になっただけでもショックなのに、さらに「罪悪感」や「迷惑をかけた」という思いで自分を追い込むのは哀しい。好き好んで病気になったわけではないのだから必要以上に負い目を感じることもなく、身体を休めることの出来る社会、お互い様、明日は自分かもしれないのだから、と思える社会が望まれる。
それはがん患者だけではなく全ての人たちに優しい社会だろう。もちろん会社はボランティアではないから、仕事が利益優先であることは否めない。けれど、これまで育成に投資してきたベテランの職員に辞められてしまうことは企業にとっても大きな痛手であり、決して嬉しい話ではないのではないか。
就労に影響したこと(結果として離職に繋がったことも含む)は「体力がおちた、価値観が変わったなど、身体的な要因や精神的な要因に応じた働き方の変更が難しく、仕事の継続が困難である」であるということもわかってきたという。がん患者の就労を応援するには、まずは企業と雇用者の間で「信頼関係を築くこと」が大切だというのは疑う余地もない事実だ。
けれど、ここでも述べられているとおり「労使の信頼関係づくり」は、働き手ががんになったから急に浮上してくる問題ではなく、普段から大切なことだ。その関係がきちんと築かれていれば、企業として患者から会社側に配慮してほしいことや、配慮が必要な期間(見通し)を聞き出し、こまめなコミュニケーションを通して、さらなる信頼関係を作り出していくことも可能なのではないか。
もちろんこれは患者の努力も当然必要で、「(辞めるという)即断即決をせず、最初から(期限までに行うことは無理なのではないかという)決め事をせず、(なんとか)働きたいという自分の思いを伝えることによって一つ一つクリアしていけるのではないかとも思う。
私はそもそも細く長く勤めたいということで今の職業を選んだから、病気になったら辞めるという選択肢はなかったということも以前書いた。もちろん、再発して治療がエンドレスになった時、副作用が酷く体調が悪化した時には、このまま働き続けることが出来るのだろうか、と不安になることがなかったといえば嘘になる。けれど、主治医に働き続けたいという私の思いを伝えることで、その都度その都度治療法の選択をし、職場の上司にも状況を伝えながら、今がある。
仕事を続けていく上で医療者から働き方の助言はもらったか、といえば否である。
私が本格的な治療を開始したのは再発後の8年半以上前のことだったが、患者としても新米で、どこまで治療以外のことについて助言をもらっていいものなのか、どこまで我慢していなければならないものなのか、医療者との距離のとり方などいわゆるコミュニケーション能力が発展途上だったと思えるので、こちらの努力不足も否めない。
けれどこれまで長く治療を続けてくる上で、医療者との信頼関係を築く努力は重ねてきた。そして、必要以上に遠慮せずに(聞き分けの良い、手のかからないいい患者を演じることなく)困っている症状をこちらから具体的に話し、他の患者さんの様子も伺うなど自分の出来る範囲で勉強した。その上で自分なりに出来る工夫は惜しまず、我慢しすぎずに副作用止めの薬も処方して頂きながら“今までどおり仕事を続ける”という目標を捨てることなく乗り切ってきたという自負がある。
企業側は「価値観が変化した」、「職場に迷惑をかけると思った」という患者の精神的な部分を支援することも大切だ、とあるが、そのあたり私はやはり恵まれていたと感謝している。職住近接であり、復職後はラインの長からスタッフ職に変えて頂いた。だからこそ、マイペースで早め早めに対応しながら環境整備をしつつ働き続けてくることが出来た。
部下や職場に迷惑をかけるというのは仕事人としてとても心苦しいこと。そこから開放して頂いたおかげで、徒に自分を責めることもなく仕事をすることが出来ている。私の復職は桜井さんがおっしゃるような“3週間、3ヶ月、7ヶ月のいわゆる三・三・七拍子の復職支援で新しい働き方に変える”ということではなかった。
復職直後に若干の短時間勤務からスタートさせて頂いた以外は、これ迄通り扱って頂いた。だからセルフコントロールしながら最初の1年間を乗り切ることが出来たのは大きな自信になった。
私は初発の入院から11年半もの月日が経っている。18日間ずっと個室に入ったので、患者友達は出来なかった(作らなかった)し、当時はどうしてもそういう仲間が欲しいという気持ちでもなかった。けれど、再発後に同じような経験をした患者会の友人たちに支えられてきたのは紛れもない事実だ。
乳房温存手術で2週間以上も入院した私からすれば、去年母の直腸がん手術の折り、その入院期間があまりに短くなっているのに驚いた。桜井さんがおっしゃるように、パジャマを着たまま日常生活に放り出される、という表現はいい得て妙だと思う。だからこそ、退院後社会復帰に向けてソフトランディングするために、遠慮せずにしかるべきところに相談するということ、体験者同士の工夫がより大切になってくるのだとも思う。
あれこれ自分の思いを書き連ねていたら、案の定非常に長くなってしまった。ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
いずれにせよこれからの連載がとても楽しみなことである。このまま少しでも長くこうして働き続けられますように。