ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.12.24 クリスマスイヴ、いつもと変わらぬ日曜日

2017-12-24 22:49:41 | 日記
 昨夜は温泉で温まったおかげでぐっすり眠り、今朝もちょっぴり寝坊が出来た。幸せな日曜日の始まりだ。
 遅い朝食を摂った後は、夕飯の下ごしらえを簡単に済ませてから大掃除ならぬ中掃除。いつもの拭き掃除に加えて家じゅうの窓ガラスを綺麗にした。窓が綺麗になると部屋が明るくなる。残りの気になる部分は、今日のところは目を瞑って年末のお休みに残しておくことに。

 軽く昼食を摂ってから、リンパリフレッシュヨガのクラスに参加。
 午前中にクリスマスプレゼントが届いた筈の母からはなぜか連絡がなく、電話をしても留守電のまま。ちょっと心配な気分のままヨガスタジオへ向かう。
 マッサージがメインのまったりとしたクラスで、たっぷり汗を流して文字通りリフレッシュ。シャワーでサッパリしてからロッカールームでスマホチェックすると、夫からLINE。母から、昼前に外出していた際に荷物が着いてしまい、先ほど受け取った、と連絡があったとのこと。ほっとする。昨日元気に別れたばかりだけれど、何分頼りない高齢一人暮らしだから、何が起きても不思議はない。外出していて電話に出られないなら問題はないけれど、携帯も呼び出し音が響くだけ。実際は家にいて電話に出られない緊急事態なら、セキュリティ会社に様子見に行ってもらうところだった。

 地元駅前はクリスマスセール目当ての買い物客で溢れている。週が明ければこのイルミネーションはあっという間に門松に変わるのだろう。毎年のことだけれど、忙しないことだ。
 帰宅後は洗濯機を廻すこと3回。夫が夕食当番を引き受けてくれたので、その間に洗濯を干し、年賀状も書き終えて、すっかり開放的な気分になる。

 ちょっぴりクリスマスらしくチキンローストや、生ハムのサラダと夫特製ポタージュスープの夕食後は、夫とレイトショーに出かけた。夫の趣味で選んだけれど、プレミアスクリーンでゆったり鑑賞したシリーズ3作目の探偵ものは、初めて観たけれど面白く、十分楽しめた。

 そして、明日からまた新しい週が始まる。今年も余すところあと7日。いよいよ2017年もカウントダウンだ。それでも私にとって淡々と日々は進む。明日明後日と出勤したら、水曜日は今年最後の治療日だ。息子も帰省する。
 そして木曜日が仕事納め。今年も良く頑張れました!までもうすぐだ。
 
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2017.12.23 私の人生、一文字で表すと・・・

2017-12-23 22:37:43 | 日記
 今朝のこと。夫が終活のテレビを見ていたのだったが、ドレッサー前で出かける支度をしている私のところにやって来て「貴女の人生、一文字で表すと何?」と訊く。
 え?何をいきなり。うーん、ちょっと考えて「幸」かな、「満」でもいいな、と答えた。「ところで、貴方は?」と問い返すと、うーん、なんだろう、謎だな、と言う。えっ、ちょっと待って、私に「幸」と言わせておいて、貴方は謎っていったい何なの・・・と言い返すと、今度はちょっと照れたように「楽」かな、貴女と逢って、本当に自分の人生は楽しかった、と。
 いやはや、それは有難いことだけれど、なんでもう過去形なの?まだ現在進行形だろう、と突っ込む。

 そんなわけで、しみじみ、私のこれまでの56年の人生は、幸せだな、満ち足りているなと思う天皇誕生日である。もちろんステージ4のがん患者であることに変わりはない。けれど、不幸とか不満とか、そんなネガティヴな言葉が全く浮かんでこないのだ。
 とりわけ何か素晴らしいサプライズの出来事があるわけでもない、お洒落をしてどこかにお出かけして、豪華なクリスマスディナーを頂くわけではないし、高価なプレゼントが届くわけでもない。けれど、こうして心穏やかに日々を過ごせることの有難さを改めて大切に思う。素直に幸せで、素直に満ち足りている。

 というわけで、今日は朝の連続テレビ小説を視て、洗濯機を廻して朝食を摂ってから、月に1度のWさんサロンへ。今年最後のマッサージである。お昼は母にWさんのサロン近くで一緒にどう?と誘ったところ、お墓参りに出かけようと思っていたので、こちらまで来るという。時間調整して最後のシャトルバスに乗ってもらい、それを迎えて合流することにした。

 Wさんサロンはツリーやオーナメントが飾られ、クリスマスのBGMが流れすっかりクリスマス仕様である。瞑想ヨーガクラスのことや治療の事など、あれこれご報告のお喋りをひとしきりした後は、ゴッドハンドに手を委ね、すやすや。頭の先から足の先まで癒される極楽時間を過ごした。施術後はハーブティとチョコレートを頂き、クリスマスプレゼントにフェイスパックまで頂戴した。来年の予約をして「よいお年を」とサロンを後にする。

 駅ナカカフェで軽い昼食を摂り、最寄り駅まで戻って肩こり改善ヨガのクラスに参加。スタジオは昨日、一昨日と臨時休業。床の畳が張り替えられ、マットのような板敷に変わっていた。まだゴムのような匂いが鼻を衝く。マッサージの後で、血の巡りが良くなっていたのか汗をたっぷりかいてシャワーでサッパリ。

 駅前で、母が墓地帰りのシャトルバスから降りるのを、合流した夫と2人で出迎える。レストランに移動して3人でパフェとお茶を頂き、一服。母に頼まれていた買い物とちょっとしたクリスマスプレゼントを渡す(大物は明日の午前中に、先日百貨店で手配したものが届く手筈になっている。これはまだ母には内緒)。自分だけ頂くのは申し訳ない、まだ夫の誕生日プレゼントも渡し損なっていて気になっているというので、じゃあ、甘えたら?と私が背中を押して、夫はアウトレットモールで通勤用の黒靴をゲット。母を帰りのバスに乗せて見送る。

 私たちは、年明けに予定しているお風呂のリフォームの相談をした後、レストランで早めの夕食を摂り、すっかり御馴染みになったスーパー銭湯へ。冬至の昨夜は、遅ればせながらクリスマスカードを書き終え、年賀状にも着手。頂き物の柚子を沢山浮かべて柚子湯と洒落込んだけれど、今日の温泉は薔薇の湯だった。露天の檜のお風呂、岩風呂、寝湯やよもぎサウナ、座湯に炭酸湯にあれやこれや今日もしっかりコンプリート。カラスの行水専門の夫は約束の時間より30分以上早く出て、マッサージチェアでまったり過ごしていたというが、私はもうちょっとゆっくりしたかったな、というところ。身体の芯まで温まって、帰りのバスを待つ間も寒さは殆ど感じることがなかった。

 こうして今日も「幸」せで、「満」ち足りた私の人生の一日が終わろうとしている。無事卒論を提出したという息子の連絡にほっと胸をなでおろす。温泉のおかげで心地よく疲れている。
 明日はクリスマスイヴ。スペシャルな予定は何もないけれど、家事を済ませてヨガに出かけ、お家ご飯を摂ることの出来る有難さ。これ以上何をか望まん、という師走の日曜日なのである。
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2017.12.21 乳がん患者さんのための瞑想ヨーガクラス第1回が定員に達しました

2017-12-21 20:47:00 | お知らせ
 先日開講をお知らせした「乳がん患者さんのための瞑想ヨーガクラス」の1月開講分がおかげさまで定員に達したそうです。
 新年早々、寒い季節でありますのに多数のお申込みを頂き、どうもありがとうございました。
 嬉しくも身の引き締まる思いです。参加してくださる皆様との御縁に感謝するとともに、お目にかかれるのを今から楽しみにしております。

 2月開講分はまだ申し込み可能だそうですが、残席僅かとのこと。
 もしよろしければASHAREさんのHP下記リンクをご覧の上、どうぞお申し込みくださいませ。

 乳がん患者向け瞑想ヨーガクラス
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2017.12.19 言葉は蓄積する~悲嘆の門

2017-12-19 21:34:21 | 読書
 久しぶりに宮部みゆきさんの作品を読んだ。「悲嘆の門」(上・中・下)(新潮文庫)。
 合計1,100頁、これほどの長篇、そして物語らしい物語を息もつかさずに読ませて頂いたのはとても久しぶりだ。そして、私の心に残った言葉が今日の表題の「言葉は蓄積する」という主人公の上司の言葉だ。
 “書き込んだ言葉は、どんな些細な片言隻句でさえ、発信されると同時に、その人の内部にも残る。つまり<蓄積する>。言葉は消えない。溜まっていく。その重みはいつかその発信者自身を変えてゆく。
 「英雄の書」(上・下)(新潮文庫)と対を成す物語だというけれど、こちらは未読だ。それでも十二分に楽しむことが出来た。
 
 帯には上巻に「切断魔による猟奇殺人 全国で見つかる身体を切り取られた死体。そして、新宿のビルの屋上から会仏像が消えた・・・。あなたに会いに来たのよ 少女は問うー」というおどろおどろしい文字が躍る。そして中巻には「第五の事件、怪物の降臨。 幸太郎の前に現れた謎の美少女と、クマーを襲う悲劇。慟哭と悔恨を経て、青年の胸に決意が宿る。おまえは後悔する “物語”は終焉へー」と、下巻では「犯人を生んだ悪の物語。連続殺人を追う元刑事・都築と幸太郎。だが、憎悪の連鎖は身近な少女に迫っていた。」と。
 
 裏表紙にあるサマリーをかいつまんでご紹介すると、“主人公はインターネット上に溢れる情報の中で、法に抵触するもの、犯罪に結びつくものを監視、調査するサイバー・パトロール会社「クマー」でアルバイトをする大学一年生、三島幸太郎。
 全国で起きる不可解な殺人事件の監視チームに入ることになるが、その矢先、同僚の大学生が行方不明になる。失踪した同僚を探す中、西新宿のビルで元刑事・都築に出会う。2人を待ち受ける“怪物”と呼ぶべき存在、謎の美少女ユーリとの遭遇。
 主人公が尊敬し、あこがれる社長を悲劇が襲う。悪意による言葉(物語)が拡散し、汚濁に満ちた闇が日常へと迫る中、正義と復讐に燃えた主人公は、ある決断を下す。お前は後悔するーという守護戦士の度重なる忠告に耳を貸さず、連続切断魔の特定に奔走する。
 なぜ、惨劇は起き、どうして憎しみは消えないのか。犯人と関わる中で、主人公の心もまた、蝕まれていく。一方、主人公の妹の友人の周囲で積み重なった負の感情が、新たな事件を引き起こす。都築やユーリの制止を振り切り、主人公が辿り着いた場所<悲嘆の門>が、いま開く”。

 ジャーナリストの武田徹さんが解説を書いておられるが、“ネットに一度書き込んだことは、たとえ本人が削除したところで消えることはない。期待や妄想や情念、一時の感情に駆られて書き捨てられた暴言や誹謗中傷がネット上には蓄積される。”―まさにそうなのである。
 物語の中で「言葉という精霊(すだま)」という言葉があるが、「言葉がなかったら、誰も物語を語れない」一方で、「言葉の始原についての語りは、物語である」はあまりに正しい。言葉を使う動物である私たち人間は常に「物語」の中にいる。

 日々、私たちが言葉にして想うこと、それが善であれ悪であれ、全て自分を形作っている。見る人が見れば自分の器である外観とは違う黒い大きな巨人の影が見えていたら・・・。そう考えると、その恐ろしさに息を飲む。
 ネット上で、匿名だから何を書いてもいい、誰かを傷つけるのはハンドルネームのネット上の自分で、本当の自分とは無関係。そんなことはあり得ない。

 “『悲嘆の門』の正しい読書法のひとつは、決定できない目眩のような感覚を存分に味わい、楽しむことだと思う。その経験は、フェイクニュースや日々ネット上に吐き出される暴言の類までも生み出しながら、「物語」を盛んに更新し続けているネット社会のリアリティを知り、自らもその被害者にならずに生きるために必要な「物語」に対する適度の距離感や、「物語」への免疫力を身につける機械にもなるのではないか」という武田さんの解説の言葉の重み-こうしてブログという発信をしている者の一人としてそのことを感じざるを得ない。

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2017.12.18 いつもこの本を心のどこかに~死ぬときに人はどうなる10の質問

2017-12-18 21:33:02 | 読書
 愛読している緩和医療医の大津秀一先生のブログで、「死ぬときに後悔すること25」(このブログでも紹介させて頂いたことがある。)の続編が文庫化されたと知り、早速注文して拝読した。光文社知恵の森文庫の最新刊である。

 帯には「“最期の時”について考えてみませんか?」とある。
 裏表紙には「悩みのない人間はおらず、だれもが生きる上でそれぞれの問題を抱えています。私がその問題を解決することは、残念ながら出来ません。しかし、皆さんが自分の問題を解決するときに力となる方法が一つあります。(中略)それは、死を考えること、なのです。自らの死を、です」(本書より)とある。

 人が色々なことに不安になり、一番恐怖を感じるのは「わからないこと(経験したことのないこと)」に対してだという。わかっていることなら対策も立てられるし、自分であらかじめ準備をすることもできる。けれど、こと自分が死ぬということについては自ら予習して体験してみることが出来ない。三途の川を渡りかけたけれど、蘇生しましたという人が、そのお花畑のような情景を語るなどということもあるようだけれど、本当の意味ではまだ亡くなっていないわけだから、実際に死出の旅に出た人から話を聴くことは叶わない。

 先生のこの書は、題名のとおり10の質問とその答えから成っている。
 1 死を語るあなたは何者ですか?  -こういう人間です。
 2 死ぬときに人はどうなりますか? -こうなります。
 3 人はどんな風に思って死んでいくのでしょうか? -迷いながら、受け入れて、です。
 4 人は死期を語るのでしょうか? - おそらく、そうだと思います。
 5 健康に気を使っていれば、死ににくいですか? -そんなことはありません。残念ながら。
 6 なぜ死を見つめることが必要なのですか? -人間は意外に楽観主義だからです。
 7 死後の世界について言い切らないのはなぜですか? -死後の世界も、人それぞれだから、です。
 8 孤独死は不幸でしょうか? -必ずしもそうではないと思います。
 9 死とは不幸ですか?死ななければ幸福ですか? -物質的な成功では死を乗り越えがたいのは事実です。
 10 死をも左右する力を手に入れた人間は、本当に偉いのでしょうか? -偉くもあり、愚かでもあります。

 詳細は是非手に取ってお読み頂きたい。
 特に2についてきちんと自分で理解しておくことは本当に必要だ、と思った。死に至るまでの経過は3つに分類される。そのうち、がんという病は比較的長い間機能が保たれ、最後の2か月くらいで急速に機能が低下するものだ。特に今では医学の進歩により薬でかなりコントロール出来るようになったせいで、最後の経過があまりにもあっという間で、あんなに元気だったのに、なぜ、と本人だけでなく周りの家族も受けいれるのがとても難しいという。

 余命が週単位になった時の症状は、全身倦怠感、それも普通の程度のものではない、なんとも形容しがたい辛さだという。ステロイドでそれが緩和出来なくなってきたら、命が終息するまでの時間はかなり短くなっているということだろう。それを知っていれば、そうなる前にやれるべきことはやっておかなければならない、動けるうちに動いておく、ということを肝に銘じておかなければ、と思う。
 その後の余命日単位、余命時間単位の描写は読みながらかなり辛いものだったけれど、それでもきちんと頭に入れておかなければいけないと思った。言いたいことは言えるうちにきちんと伝えておかなければ、と強く思う。
 そして、家族にもこのことをきちんと知っておいてほしいと思う。
 聴覚は最後まで保たれるというのは今ではよく知られていることだけれど、この段階において患者は既に苦痛から解放されて夢の中にいるような状態にあり、一方で声がしっかり聞こえているだろうということだ。だから、家族にとって、辛そうに見える(本当はもう辛くない)患者の傍らにいるのが辛くとも、最後まで患者のそばにあってほしい、耳元で優しく語りかけてあげるのも良いだろう、と書いておられる。

 現代は死を話題にすることがタブーにされ過ぎている時代なのだと思う。いつのまにか家で亡くなるよりも病院での死が多くなり、人の死を身近に見ることがなくなって久しい。
 けれど、冷静に考えれば皆、生身の人間なのだから、いつかは必ず死んでいかなければならないものだ。そして、今この瞬間を生きていられるのは本当に奇蹟なのだけれど、そのことを忘れすぎている、と思う。

 こうして10年近く再発治療を続けている私でさえも、もしかしたらこのまま薬で完治する日がくるかもしれないという一縷の希望がないといったら嘘になる。
 けれど、きちんと今を生きるために、死ぬことをきちんと考えることはとても大事なことだと改めて思う。
 先生のこの書は、いつも心の中に持っておかなければならないと思うのである。


 
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