京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

夏メロ

2011-07-03 | インポート

 7月である。

 京都の7月といえば、何をおいても、祇園祭である。

 今年は宵山の16日が土曜日で、山鉾巡行の17日が日曜日。

 観光業界にとっては、当たり年である。

 当館も多くのお客様をお迎えできそうです。

 しかし、祇園祭はその2日間だけ行われているものではない。

 7月1日に始まり、31日に終わるという、長いお祭りである。

 とはいっても、毎日毎日、目を引くような行事があるわけではない。

 観光として見ていて楽しい行事は限られてくる。

 

 ところで、先に書いたとおり、山鉾巡行といえば、7月17日である。

 というのは、現在の日程で、実は、かつては2日間に分かれていた。

 そのうちの一日が17日で、もう一日は24日だった。

 17日を先の祭といい、24日を後の祭といった。

 後の祭、とはイメージが悪いが、実際そうだったのだから、仕方がない。

 この両者が一日にまとめられてたのは、昭和41年のことである。

 理由は、交通の規制や警備の都合上、だという。

 世知辛い話ではある。

 しかし、現代のモータリゼーションを考えれば、やむなしともいえるだろうか。

 

 ところが、この後の祭を復活させようという話もあるらしい。

 どこまで現実的な話なのかは分からない。

 ここには、大船鉾の復活、という話も絡んでくるようだ。

 大船鉾は、かつて、後の祭の最後を飾っていた鉾だという。

 復活、というからには、当然、現在は存在しない。

 なぜ存在しないかというと、蛤御門の変の際に焼失したからだ。

 蛤御門の変といえば、幕末の出来事。

 なにやら壮大な話である。

 復活したとして、これは観光業界にとって、プラスなのか、マイナスなのか。

 単純に考えれば、山鉾巡行が2日間になるのだから、プラスといえる。

 が、一つ一つの規模が小さくなると考えるとどうか。

 難しいところである。

 

 しかし、こんな話を聞くと、歴史が連綿と続いているということを実感する。

 大船鉾の焼失から150年を経ても、祇園祭は続いており、さらにその大船鉾を復活させようという。

 今から150年の後も、祇園祭は続くだろう。

 その未来に、150年前に大船鉾が復活した、という歴史が語られるのかもしれない。

 今、この瞬間も、歴史の一部なのである。

”あいらんど”