7月である。
京都の7月といえば、何をおいても、祇園祭である。
今年は宵山の16日が土曜日で、山鉾巡行の17日が日曜日。
観光業界にとっては、当たり年である。
当館も多くのお客様をお迎えできそうです。
しかし、祇園祭はその2日間だけ行われているものではない。
7月1日に始まり、31日に終わるという、長いお祭りである。
とはいっても、毎日毎日、目を引くような行事があるわけではない。
観光として見ていて楽しい行事は限られてくる。
ところで、先に書いたとおり、山鉾巡行といえば、7月17日である。
というのは、現在の日程で、実は、かつては2日間に分かれていた。
そのうちの一日が17日で、もう一日は24日だった。
17日を先の祭といい、24日を後の祭といった。
後の祭、とはイメージが悪いが、実際そうだったのだから、仕方がない。
この両者が一日にまとめられてたのは、昭和41年のことである。
理由は、交通の規制や警備の都合上、だという。
世知辛い話ではある。
しかし、現代のモータリゼーションを考えれば、やむなしともいえるだろうか。
ところが、この後の祭を復活させようという話もあるらしい。
どこまで現実的な話なのかは分からない。
ここには、大船鉾の復活、という話も絡んでくるようだ。
大船鉾は、かつて、後の祭の最後を飾っていた鉾だという。
復活、というからには、当然、現在は存在しない。
なぜ存在しないかというと、蛤御門の変の際に焼失したからだ。
蛤御門の変といえば、幕末の出来事。
なにやら壮大な話である。
復活したとして、これは観光業界にとって、プラスなのか、マイナスなのか。
単純に考えれば、山鉾巡行が2日間になるのだから、プラスといえる。
が、一つ一つの規模が小さくなると考えるとどうか。
難しいところである。
しかし、こんな話を聞くと、歴史が連綿と続いているということを実感する。
大船鉾の焼失から150年を経ても、祇園祭は続いており、さらにその大船鉾を復活させようという。
今から150年の後も、祇園祭は続くだろう。
その未来に、150年前に大船鉾が復活した、という歴史が語られるのかもしれない。
今、この瞬間も、歴史の一部なのである。
”あいらんど”