桜の樹の下には屍体が埋まっている!
と書いたのは、梶井基次郎だ。
信じていいことらしい。
梶井基次郎は、そう言っている。
剣呑である。
しかし、そう、あの美しさには、何か暗い陰が寄り添っているはずだ。
そんなことを、考えてしまう気持ちは、分からぬでもない。
だが屍体とは、穏やかではない。
檸檬爆弾を想像するこの人らしい。
檸檬を買った八百卯も、檸檬を置いた丸善も、今はもうない。
しかしそれは、今は関係ない。
今日は暖かい。
さあ、桜の季節である。
桜の樹の、芽という芽が、力を放とうとしている。
放たれた力が五枚の花弁となり、人の目に暖かな美をもたらす。
今週が、見ごろだろう。
桜並木の群咲くを見るもよし。
一本桜の高貴に咲くを見るもよし。
哲学の道は、どこまでも桜が続く。
薄桃色の雲が、延々と頭上を覆う。
哲学も忘れて、花に見入る。
石庭で有名な龍安寺。
その石庭に覆いかぶさるように枝垂桜が咲く。
モノトーンの石庭に、この時季だけ色が灯る。
今年の春は、どの桜を見ようか。
そんなことを考えるのが、楽しい季節。
”あいらんど”