17世紀に京都でも巨大地震に襲われてかなりの建造物が被害に遭ったと古い文献には記録が残ってます。その痕跡が分かるのが添付写真ですが、二条城の石垣を再建するために瀬戸内の島から切り出してきた巨石がなんらかの理由で伏見区の桂川に水没していたものが近年発見されて公園のオブジェのように置かれてます。今から300年前の人々は車も重機もない時代に人力だけで復興を果たしたんでしょうね。昔の人に出来たんだから現代人にも出来るはず、頑張ろう 日本!
谷龍
「朝食を食べない」「ダイエットで食事をぬく」「ご飯の代わりにお菓子」このような生活が最近の若者に多くみられる事から、ここ教育の町である京都の同志社大学生協の「学生生活実態調査」にもとづき物価が上がるのに食費割合が下がる、すなわち学生の食生活が乏しくなっている。
これに伴って同志社大学などが昨年4月から学食定期券「ミールカード」を導入した。
販売価格は大学ごとで異なりますが、カードを購入すると生協食堂で毎日食事をとることができ、昨年9月に活用実態を利用者にアンケートをしたら、「栄養を気にするようになった」等、食生活の改善に役立ているようである。
また希望すれば親も利用明細を受け取れることから「ちゃんと学校に通っていて野菜も食べている事がわかった」など親にも安心なカードなのである。
教育都市京都らしいグッドアイディアに子を持つ私も感心した情報でした。
松井です( ..)φメモメモ
菅原道真を祀った北野天満宮の東側一帯に上七軒があるのは京都の人ならほとんどの方がご存じの事と思います。
お茶屋が軒を並べる町並みには舞妓さんが歩く姿が見られ、花街の京都ならではの情緒を演出しており上七軒のほか、京都には祇園や宮川町など5つの花街があります。
もっとも伝統が古く格式が高いのがこの上七軒なのですよ。
文献によると室町時代に遡り北野天満宮の社殿が火事によって一部焼失したことにより時の将軍が所司代に命じて社殿を再建させました。
その際社殿修復に使った残りの木材で天満宮の東側門前に七軒の茶店を建て、参拝人の休憩所としたことで、ここ「七軒茶屋」と呼ぶようになったとか。
現在上七軒はお茶屋や和風バーのほか上七軒歌舞練場などが並び春は北野をどり、秋は寿会が催されて賑わいます。
西陣も隣接し歴史的風致地区として花街の文化歴史の保存に努めているところです。
修
京都の北山にある北山杉も震災に一役かっています。
京都市右京区京北細野町の京北銘木生産協同組合は、東日本大震災の仮設住宅建設に使用するため、木のくい1500本を緊急製造し、31日に出荷しました、続けてさらに増産に取り組むとの事。
仮設住宅を作るときには欠かせないくいも京都に降った大雪の影響で利用できなくなった雪害木を使用しているとの話で、京北銘木生産協同組合も今回だけは何としても協力して、皆さんの役に立ちたいと利益度外視で取り組んでいるそうです。
被災地復興の願いを込めて出荷を見守っていたそうで、6日にも続けて出荷したとのことです。
調理部 上野投稿内容代編掲載
昨夜も東日本地域の余震があり現地の方々には本当に心よりお見舞い申し上げます。
京都でも義援金集めや援助物資の送り出し、救援隊の派遣などをみんなが心を一つに少しでも役に立てればと頑張っています。
賛否両論の中パーティーや会合の開催も行われるようになてきました、元気でいるから出来ることもあると、みんなが話しています。
そんな中、桜があちこちで満開になりました。
本日は雨降りですが、心いやされるやわらかい桜の花は日本の花として咲き誇っているかのようです。
社内でも合言葉に本当に出来ることから始めようと毎日お越し頂けるお客様をお迎えしております。
先月ニュージーランドで、今回は東日本を中心に大きな地震や津波の被害がありました事、被災された方々には心よりお見舞いを申し上げます。
一つには、今後地震が発生した時の対策を一人ひとりが真剣に考えておく事と、もしその時が来たらと改めて考えてしまいました。
ここ京都の昔ながらの家屋で、京町家と呼ばれている建物が地震に強いのでは(ただし老築化していなければ)という調査報告が出ています。
町家は建築基準法が施行された1950年以前に伝統的軸組構法で建てられた木造住宅で、柱が礎石に乗っているだけで接合しておらず、自身の揺れを吸収する効果があるとされています。
こうした性能を解明する為、国が振動実験や建物に適した木材の調査などを昨年から2012年まで続けるそうです。
効果が解明されれば、耐震補強の費用削減にもつながり被害も減る事でしょう。
そんな日が早く来てほしいものです。
参考ページです。よろしければどうぞ・・・
京町家資料館 http://craft.kyoto-np.co.jp/
京町家検定 http://www.hachise.jp/kyomachiya-kentei/
春を感じるものを見て少し感傷的に?!
桜の京都には名所がいろいろありますが、私のお勧めのスポットがあります。
「常照皇寺」それは京の西北部、周山にある。
常照皇寺は京北の桜の名所の一つ。国の天然記念物に指定された「九重桜」があり、毎年4月中旬過ぎに咲き始める。この桜を見るためだけに常照皇寺へ訪れる人も多い。
今はまだつぼみの桜も、もうすぐ、訪れる人たちの心をいやしてくれる山里の桜として咲き誇るのかもしれないと心に刻みました。
ぜひ一度は訪れていただきたい場所の一つです。
先日とある場所で面白いものを見つけました(^-^)!
「ド根性大根」ならぬ「ド根性つくし」(写真)です。
常照皇寺へ行く途中京北町井戸という場所で、道路のコンクリートの隙間から春が来た!と叫んでいるようでした。
花は綻び、そして咲く。
京都にまた、さくらの季節がやってきた。
ほんのひと時の盛りを、多くの人が楽しむことだろう。
平安神宮に円山公園。
どちらも京都のさくらの名所である。
この二つのさくらの名所は、京都近代化のシンボルといっていいように思う。
ともに、明治~昭和の名庭師、七代目小川治兵衛の作庭である。
明治の世になり、天皇を失い、都市として衰退しかけた京都は、その失地回復を図った。
その成果が、この華やかな空間である。
そんな風に思う。
同じ手による庭とはいえ、趣はずいぶんと違う。
平安神宮のさくらは、神苑という閉じられた空間に沢山の枝垂ざくらがぎゅっと詰め込まれている。
濃密なほどのさくら模様で、川端康成や谷崎潤一郎もこの風景を作品の中で描いている。
対する円山公園は、どこからどこまでが園地なのかが判然としない、開放の空間である。
そこに多くのさくらが散らばっていて、そのリーダー然として、一本の枝垂ざくらが偉容を誇っている。
どちらも枝垂ざくらが主役なのが、共通点だろうか。
しかし趣がまるで違うのが、やはり面白い。
ところで、さくらの語源の一説に、“咲く”+“ら(群)”というものがある。
花が咲き群れているということだろう。
その木の枝々が花に溢れる姿を思えば、なるほど、という感じである。
”あいらんど”
江戸時代の俳人、森川許六はひねる。
清水の上から出たり春の月
与謝野晶子は詠む。
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき
春はあけぼのと、清少納言は言ったという。
春は明け方こそ趣があるという。
が、春の夜、月夜もまた良いものだろう。
「清水の上から」というのは、要するに「東山の上」にということだろう。
森川許六は、松尾芭蕉の門人だった。
布団着て寝たる姿や東山
という句を詠んだ服部嵐雪も、芭蕉の門人である。
東山の寝姿が月に照らされているのも、趣だ。
与謝野晶子の短歌には、夜桜見物のにぎやかさを感じる。
ただ、春の月は、
♪月は朧に東山~
になることも多い。
よく知られるこの祇園小唄は、長田幹彦の作詞である。
長田幹彦は、明治~昭和に活躍した文人である。
祇園モノを多く書いたが、時代の流れの中で忘れられていった人物である。
名前は消えたが、フレーズは残り続けている。
京都を訪れた夜、宿の部屋でのんびり、というのも良し。
しかし、外へ出て見て、空を眺めるのもまた一興。
どこかのお寺に入るわけではなしに、のんびり町を逍遥してみては。
昼間の京都とは別の景色に出会えることでしょう。
”あいらんど”