嵐山の「鵜飼」が今年も今日7月1日から始まりました。
、この嵐山・大堰川の「鵜飼」は1000年の昔に始まり、天皇が宮廷鵜飼とご覧になったことから始まったといわれ、平安貴族に親しまれた由緒正しき「鵜飼」なのです。
屋形船からは、鵜匠の巧みな手綱さばきと共に嵐山の夜景も楽しむことができます。
毎日の訓練のたわものともいうべき源氏絵巻さながらのひと時をぜひお越しください。
ご予約・お問合せ 嵐山通船株式会社 TEL(075)861-0302
嵐山の「鵜飼」が今年も今日7月1日から始まりました。
、この嵐山・大堰川の「鵜飼」は1000年の昔に始まり、天皇が宮廷鵜飼とご覧になったことから始まったといわれ、平安貴族に親しまれた由緒正しき「鵜飼」なのです。
屋形船からは、鵜匠の巧みな手綱さばきと共に嵐山の夜景も楽しむことができます。
毎日の訓練のたわものともいうべき源氏絵巻さながらのひと時をぜひお越しください。
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梅雨も終盤を迎え、まもなくやってくる夏がたのしみです。
時間は夜の8時過ぎ、ちょうど一日の仕事を終え、少しほっこりとしたいけどなぜか寝るにはまだ早い、どこへ行くでもなく雨も上がっているので散歩でもという気分で、丸太町の橋から鴨川の河川敷を歩いて南に向かっていると見慣れたはずの景色もこんな時間になるとやっぱり少し違って見えます。
川面に明かりがちらちら映って見えるのは、川床の明かりで、京都の夏の風物詩といわれているくらいの有名な川に張り出したお座敷です。
二条の大橋の上からパチリとこんしんの一枚です。
写真の右側に川床が写りこんで絵になるな~と一人で喜んでいます。
そこで思い浮かんだのは、間もなく京都の三大祭りの一つ祇園祭の山鉾巡行が16日に開催される予定です、今年は曜日もよくて相当な人出の予想がされているとか、もごたえある京都の夏の祭を存分に楽しんでくださいね。
その祭に欠かせない食材が鱧(はも)ですよね。
これから脂がのっておいしくなってゆきます、京都では祇園祭と鱧は切っても切れない仲です。一度はご賞味ください。
帰りは木屋町沿いを歩いて帰りました。
「ホ・・・・・ッ」
7月である。
京都の7月といえば、何をおいても、祇園祭である。
今年は宵山の16日が土曜日で、山鉾巡行の17日が日曜日。
観光業界にとっては、当たり年である。
当館も多くのお客様をお迎えできそうです。
しかし、祇園祭はその2日間だけ行われているものではない。
7月1日に始まり、31日に終わるという、長いお祭りである。
とはいっても、毎日毎日、目を引くような行事があるわけではない。
観光として見ていて楽しい行事は限られてくる。
ところで、先に書いたとおり、山鉾巡行といえば、7月17日である。
というのは、現在の日程で、実は、かつては2日間に分かれていた。
そのうちの一日が17日で、もう一日は24日だった。
17日を先の祭といい、24日を後の祭といった。
後の祭、とはイメージが悪いが、実際そうだったのだから、仕方がない。
この両者が一日にまとめられてたのは、昭和41年のことである。
理由は、交通の規制や警備の都合上、だという。
世知辛い話ではある。
しかし、現代のモータリゼーションを考えれば、やむなしともいえるだろうか。
ところが、この後の祭を復活させようという話もあるらしい。
どこまで現実的な話なのかは分からない。
ここには、大船鉾の復活、という話も絡んでくるようだ。
大船鉾は、かつて、後の祭の最後を飾っていた鉾だという。
復活、というからには、当然、現在は存在しない。
なぜ存在しないかというと、蛤御門の変の際に焼失したからだ。
蛤御門の変といえば、幕末の出来事。
なにやら壮大な話である。
復活したとして、これは観光業界にとって、プラスなのか、マイナスなのか。
単純に考えれば、山鉾巡行が2日間になるのだから、プラスといえる。
が、一つ一つの規模が小さくなると考えるとどうか。
難しいところである。
しかし、こんな話を聞くと、歴史が連綿と続いているということを実感する。
大船鉾の焼失から150年を経ても、祇園祭は続いており、さらにその大船鉾を復活させようという。
今から150年の後も、祇園祭は続くだろう。
その未来に、150年前に大船鉾が復活した、という歴史が語られるのかもしれない。
今、この瞬間も、歴史の一部なのである。
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にゃんこ師匠