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坂上田村麻呂「蝦夷征伐」はフィクションだった!

2018-10-03 | アイヌ民族関連
ブックウオッチ 2018/10/ 2

書名 つくられたエミシ
サブタイトル 市民の考古学 15
監修・編集・著者名 松本建速 著
出版社名 同成社
出版年月日 2018年8月15日
定価 本体1900円+税
判型・ページ数 四六判・202ページ
ISBN 9784886218032
BOOKウォッチ編集部コメント
 日本史では最近、「定説」がぐらつくことがよくある。蒙古襲来は神風で撃退した、などというのはその典型だ。
 本書『つくられたエミシ』(同成社)もそうした流れの中の一冊といえそうだ。いわゆる「蝦夷征伐」は、実はなかったというのだ。著者の松本建速さんは東海大学文学部歴史学科考古学専攻教授。
7世紀の東北にアイヌはいなかった
 教科書などで「常識」となっている「蝦夷征伐」。坂上田村麻呂の名前はあまりに有名だ。その名も「征夷大将軍」として何度か東北に赴き、朝廷にまつろわぬエミシを制圧、首領のアテルイを降伏させたとされる。8世紀末から9世紀初めごろの話だ。これによって朝廷の勢力範囲は大いに広がり、エミシが二度と反抗できぬように胆沢城などを築いておおむね本州全域の支配を確立したという。
 東北北部にはアイヌ語起源の地名が少なくない。そんなこともあって、このエミシとは今のアイヌ民族の祖先だと受け止める向きが多かった。のちに和人に同化し、アイヌ語を忘れて、日本語を話すようになったという見立てだ。
 著者は、こうした考え方は、古代の日本国が創作した歴史を信じ、その物語に沿って考古学資料を当てはめたことによって生まれたと見る。実際には、7世紀以降の東北地方にアイヌ語を話すようなエミシはいなかった、当時そこに住んでいたのは日本語を話す人々だと言い切る。すなわち、これまで語られてきたのはフィクションだというのだ。ただし、5世紀以前にはアイヌ語を話す人々がおり、アイヌ語の地名が残ったということを、考古学的な手法で説明する。エミシは漢字では毛人、蝦夷などいろいろな表記があるので、本書ではエミシに統一している。
近代国家が政治的に利用
 著者の論述の中で、「目からうろこ」だったのは、土器の分布を軸にした分析だ。単純にまとめると、文字のない時代に、同じ形式の煮沸用の土器を使っていた人たちを同じ集団だと考える。
 東北北部と北海道では、5世紀前半まで同じ形式の続縄文式土器が使われていた。しかし7世紀になると、東北北部では、同時代の北海道で使われていた続縄文土器ではなく、弥生式土器の流れをくむ土師器を使うようになる。本州から九州まで幅広く使われていた土器だ。同時代の古墳文化が流入した証であり、それに応じて集落遺跡や考古遺物も変化する。つまり、すでに「蝦夷征伐」の前に、東北北部にはいわゆる開拓民、移住者が入り、様相がかなり変わっていたということになる。
 ではなぜ続日本書記などで「蝦夷征伐」を書いているのか。著者は、「日本」がもはや昔の「倭国」ではなく、東夷が朝貢してくる、中国と同様の大国であることを示したかったのではないかとみる。実際、「蝦夷征伐」は時の権力者がつくった「正史」にしか登場しないという。
 その後、東北でも忘れられていた「蝦夷征伐」の話は明治になってよみがえる。近代国家として領土拡張の機運が強まってからだ。教科書などでも教えられるようになり、「蝦夷征伐」は帰順せぬ民を制圧した大昔の成功物語として大々的に国民に刷り込まれた、という。
マタギはアイヌの末裔ではない
 著者によると、平安時代の私撰歴史書『扶桑略記』には8世紀初めにエミシが馬を貢いできたという記述がある。馬を貢ぐとは帰順したということだ。ところが、アイヌ民族は馬を飼わない。また、平安時代の法令集『類聚三代記』には出羽あたりの国司がエミシと交易をしているので禁止令を出したことが記されている。「正史」では「蝦夷征伐」の戦いが続いていたはずのころだ。8世紀後半から、東北北部には多賀城など「エミシ対策」の「城柵」が設けられたとされるが、これについても著者は、軍事上の施設ではなく、政庁、官衙とみる。
 また、秋田などのマタギの用語にアイヌ語の語彙が多いことから、マタギを「アイヌの末裔」と見る向きもあるが、著者は否定する。ヒグマを仕留めるような凄腕のアイヌの狩人と出会い、かれらの狩猟用語を吸収したにすぎないとみている。実際、マタギは鉄製の槍を使うが、アイヌは毒矢。毒の調合は秘密にして教えなかったという。
 本書では言語学、文献史学も含め多岐にわたる史料から論証を試みた労作だ。「正史」の全否定なので、おそらく異論もあるだろう。だが、国家が都合の良いフィクションをつくる、ということは先の戦争などで経験ずみだ。「常識」や「定説」、「国が言うこと」について今一度、立ち止まって考えることの大切さを痛感する。
 BOOKウォッチでは、関連書籍としてすでに『蒙古襲来と神風』『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』なども紹介している。
https://www.j-cast.com/bookwatch/2018/10/02008023.html

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川上淳教授が稚内市樺太記念館開館記念講座にて講師を務めます

2018-10-03 | アイヌ民族関連
札幌大学 2018.10.02
本学の川上淳教授が、10月13日(土)に開催される「稚内市樺太記念館開館記念講座 稚内と樺太・千島とのつながり」にて講師を務めます。
稚内市樺太記念館は今年5月に開館した施設で、稚内と樺太の歴史や、当時の写真や地図などを展示しています。また、開館を記念した特別展なども開催されており、このたびの講座は特別展の関連講座として実施されます。
川上教授は、「樺太・宗谷とロシア・千島」をテーマに、近世から現代にいたる宗谷と樺太・千島の歴史を中心に講演します。
また、日本北方史を専門としている川上教授は、10月6日(土)、7日(日)に開催される「第33回北方民族文化シンポジウム 網走」にて、カムチャッカ半島・千島列島の先住民族文化の特徴や変遷、現状などについての研究発表に参加します。
【稚内市樺太記念館開館記念講座 稚内と樺太・千島とのつながり】
日時:平成30年10月13日(土) 15:00~17:00
場所:稚内市立図書館(多目的ホール)
テーマ:「樺太・宗谷とロシア・千島」
【第33回北方民族文化シンポジウム 網走】
日時:平成30年10月6日(土) 、7日(日) 各日9:00~16:00
場所:オホーツク・文化交流センター(エコーセンター2000)大会議室
https://www.sapporo-u.ac.jp/news/topics/2018/1002092710.html

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「愛子」「放出」「安足間」さまざまな難読駅 簡単なようで難しい駅も

2018-10-03 | アイヌ民族関連
乗りものニュース 2018.10.02 草町義和(鉄道ライター)
国内の約9000か所にある鉄道駅の多くは漢字表記の駅名が付けられていますが、一部の駅は読み方が難しい「難読駅名」になっています。簡単なようで読むのが難しいものや、漢字自体が見慣れないものまでさまざま。実際にどのような難読駅があるのでしょうか。
愛子駅は「あいこ」ではなく…
 鉄道の駅は多くの場合、その駅がある場所の地名を駅名として使っています。地名のほとんどは漢字表記のため、駅名も漢字表記になっていることがほとんどです。

仙山線の愛子駅。つい「あいこ」と読みたくなる(2015年7月、草町義和撮影/読みの部分にぼかしを入れています)。
 ただ、日本の漢字はひとつの字に複数の読み方があるのが一般的。とくに地名は原則とは異なる読み方をする場合も多く、どう読めばいいのか分からない「難読駅名」も多数あります。
 難読駅名は大きく分けると「一般的な読み方とは異なる」「複数ある読み方のうちどの読み方を選べばいいのか迷う」「見慣れない漢字の組み合わせ」「漢字自体が難しい」の4ケースがあるといえます。それぞれのケースでおもなものを見てみましょう。
一般的な読みとは異なる駅
 比較的よく使われる漢字で構成される駅名は、その読み方も広く知れ渡っており難読ではないはず。しかし、なかには一般的な読みとは異なる読み方をする駅名もあります。
1.愛子駅 宮城県(JR仙山線)
2.神戸駅 群馬県(わたらせ渓谷鐵道)
3.古井駅 岐阜県(JR高山本線)
4.放出駅 大阪府(JR片町線など)
5.小林駅 兵庫県(阪急今津線)
6.原田駅 福岡県(JR鹿児島本線など)
1.あやし/2.ごうど/3.こび/4.はなてん/5.おばやし/6.はるだ
 愛子駅は2001(平成13)年、皇太子ご夫妻の長女・愛子(あいこ)様が誕生された際、漢字が同じということで話題になりました。名前が発表された同年12月7日には、駅名の入った入場券を記念に買い求める人が同駅に殺到したといいます。しかし、愛子駅の読みは「あやし」。「あいこ」ではありません。
 ちなみに関西では、単純なようで読み方が難しい駅が多いといえます。難読駅名としてとくによく知られているのが放出駅。「ほうしゅつ」と読みたくなりますが、実際の読み方は「はなてん」です。
「さき」「ざき」どっちで読む?
「小林」は人の名字でよく見ますが、通常は「こばやし」と読むのに対し、阪急今津線の小林駅は「おばやし」です。ほかに千葉県のJR成田線と宮崎県のJR吉都線にも小林駅がありますが、こちらは「こばやし」と読みます。
 なお、九州の地名で「原」は「はる」「ばる」と読むことが多く、原田駅の読みも「はらだ」ではなく「はるだ」です。これ以外にもJR筑肥線の筑前前原(ちくぜんまえばる)駅など、「~はる」「~ばる」と読む駅が多数あります。
漢字の読み方で迷う
 漢字自体は比較的よく使われていて読み方も理解していても、複数の読み方があって迷う駅名もあります。
7.山崎駅 北海道(JR函館本線)
8.泉田駅 山形県(JR奥羽本線)
9.甲賀駅 滋賀県(JR草津線)
10.井原駅 岡山県(井原鉄道)
11.大田市駅 島根県(JR山陰本線)
12.広原駅 宮崎県(JR吉都線)
7.やまさき(「やまざき」ではない)/8.いずみた(「いずみだ」ではない)/9.こうか(「こうが」ではない)/10.いばら(「いはら」ではない)/11.おおだし(「おおたし」ではない/12.ひろわら(「ひろはら」「ひろばる」などではない)
「小林」と同様に人の名字でよく見かける「山崎」は「やまざき」と読むことが多いように思いますが、「やまさき」と読む場合もあります。JR函館本線の山崎駅は、駅がある場所の住所が八雲町の山崎(やまざき)ですが、駅自体の名前は「やまさき」です。一方、愛知県内の名鉄尾西線にある山崎駅と、京都府内にあるJR東海道本線の山崎駅は「やまざき」と読みます。
 宮崎県内の広原駅は、先に述べた「九州の地名は『原』を『はる』『ばる』と読むことが多い」という知識を持っていると、さらに迷いやすくなるかもしれません。九州の駅だから「ひろはる」または「ひろばる」と思いきや、正解は「ひろわら」。ちなみに、広原駅の隣にある高原駅は「たかはる」です。
「安足間」「妹背牛」共通する難読の理由
 ここまでは簡単に読めそうで難しい駅名でしたが、正真正銘の難読駅名もあります。
見慣れない漢字の組み合わせ
 駅名のなかにある漢字は比較的よく使われているものでも、漢字の組み合わせが見慣れないものだと、読み方を想像するのが難しいケースがあります。
13.安足間駅 北海道(JR石北本線)
14.妹背牛駅 北海道(JR函館本線)
15.深郷田駅 青森県(津軽鉄道)
16.海士有木駅 千葉県(小湊鐵道)
17.粟生津駅 新潟県(JR越後線)
18.浅海井駅 大分県(JR日豊本線)
13.あんたろま/14.もせうし/15.ふこうだ/16.あまありき/17.あおうづ/18.あざむい
 とくに北海道の場合はアイヌの地名に漢字を当てていることが多いため、このパターンの難読駅が多いといえます。安足間は「ふちのあるもの」を意味するアイヌ語「アンタロマップ」に由来。妹背牛はアイヌ語で「イラクサが茂っている場所」(モセウシ)のことです。
漢字自体が難しい
 画数が多くて複雑な形の漢字を使っている駅名も、難読のものが多い傾向にあります。このような漢字は学校教育で習うことが少なく、通常の読み方もあまり知られていないためです。
19.留辺蘂駅 北海道(JR石北本線)
20.艫作駅 青森県(JR五能線)
21.驫木駅 青森県(JR五能線)
22.鼎駅 長野県(JR飯田線)
23.飫肥駅 宮崎県(JR日南線)
24.頴娃駅 鹿児島県(JR指宿枕崎線)
19.るべしべ/20.へなし/21.とどろき/22.かなえ/23.おび/24.えい
 上記6駅の駅名には、常用漢字表にはない漢字が計7字(蘂、艫、驫、鼎、飫、頴、娃)あります。このうち「鼎」「娃」の2字は人名用漢字ですが、それ以外の5字は人名用漢字にも含まれていません。【了】
https://trafficnews.jp/post/81631

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文化の黒潮 台湾―日本<2>二宮宏央さん 台湾の災害の記憶を撮影

2018-10-03 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2018/10/02 19:50
二宮宏央さん
(台北 2日 中央社)2009年8月初旬、台湾を襲った台風による記録的大雨で、南部・高雄市小林村の村民500人近くが土石流で生き埋めになり、村は一夜にして消失した。この「八八水害」から9年後の今年、日本の映像監督、二宮宏央さんは、被災者を支援する台湾の慈善団体からの依頼を受け、小林村の被災者のその後の生活にスポットを当てたドキュメンタリー「不要害怕忘記」を製作した。映像に映し出されるのは、過去を悲しむ被災者の姿ではなく、繰り返される仕事の日常だ。
台湾の人物や事件を撮影した日本の監督は少なくない。多くは歴史の面から台湾と日本の結び付きを見つめてきたが、二宮さんは日本でも発生する地震や台風などの自然災害が起きた後の台湾にカメラを向ける。
同作の撮影中、「(先住民の)ブヌン族やビン南人、客家人が経験してきた苦しみを日本人の私が本当に理解できるのか」と自分に問い続けていたという二宮さん。だが後になって、最愛の人を亡くした痛みは、「人」として理解できると気付いた。「周りの人は忘れるよう言うけれど、本当に忘れてしまったら罪悪感が生まれてしまう」。だからタイトルを「忘れることをおそれない」という意味の「不要害怕忘記」と名付けた。積極的な態度で人生と向き合えば、つらい経験は忘れられる、と被災者に訴えかける。(ビン=門がまえに虫)
2014年、クリエーター集団「好様VVG」からの招きにより、台湾デザインを掘り下げた「WHY DO THEY“MAKE” NOW?」を撮影したのを皮切りに、台湾を舞台に複数のドキュメンタリーを製作してきた二宮さん。台湾に来る度に、スタッフに連れられ、現地の暮らしを経験しているという。多くの日本人から、台湾に来るとリラックスできると聞いたことに触れ、これは台湾の「個人主義」と関係があると持論を展開。公園で朝の体操をしている主婦や自分好みのやり方で道を掃いているおばさんなどを例に挙げ、「こんな光景は日本では見られない。でも台湾はこのような多元性を受け入れてくれる」と語る。
二宮さんは、台湾の人気ドリンクの一つであるタピオカミルクティーにも台湾の多元性が表れていると語る。タピオカミルクティーが世界で流行する前は、日本人はミルクティーにタピオカやタロイモ団子、ココナッツゼリーを入れたり、スプーンではなく直接ストローで吸ったりするなんて想像だにしなかったと話した。
二宮さんには、台湾で愛してやまない場所がある。それは、道端に露店などが並ぶ市場だ。「朝でも夕方でも露店が出ていて、多くの主婦がスクーターに乗りながら買い物をする姿が見られる。この光景がとても好き」。
「不要害怕忘記」のエンディングには、水害で娘を失った母親が、娘が好きだったメニューを振る舞う場面が登場する。二宮さんは「台湾に来た日本人には、機会があれば、台湾の母親たちが作った料理を食べてもらいたい」と勧める。家庭料理から台湾を感じることができるという。
同作のプレミア上映イベントが9月7日に台北市内で開かれ、これに合わせて二宮さんは訪台。インタビューは市内の日本式建築で行った。
(鄭景ブン/編集:名切千絵)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201810020008.aspx

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上半身裸で注目を集めたトンガの五輪選手が、メーガン妃への民族ダンスレクチャーを熱望

2018-10-03 | 先住民族関連
バザール10/2(火) 21:20配信

ピタ・タウファトファ
オーストラリア・シドニーで開催される国際スポーツイベント「インヴィクタス・ゲーム」のプロモーションも兼ね、南太平洋の島国を今月にも訪問予定のハリー王子&メーガン妃。その際にポリネシアに属するトンガにも立ち寄るということで、2人に会いたいと熱望している同国の著名人がいるそう。その人物とは、トンガ代表のクロスカントリースキー選手、ピタ・タウファトファ!
ピタといえば、2016年のリオデジャネイロオリンピックと2018年の平昌オリンピックの開会式に、上半身裸の民族衣装で登場し、オイルを塗ったテカテカのボディを披露したことで大きな話題に。(ちなみにリオではテコンドー、平昌ではクロスカントリー男子15キロフリーに出場)
そんな彼が『Cosmopolitan.com』のインタビューで、「ハリー王子&メーガン妃と対面するチャンスがあれば、シピタウ(Sipi Tau)を教えたい」と語っていたという。シプタウとは海外からの渡航者を歓迎するトンガの民族舞踊で、「たくさんの情熱と感情を呼び起こすもの」なのだとか。ニュージーランドの先住民マオリのハカ(Haka)同様、ラグビーの試合前にも披露される。
ピタは、「メーガン妃がトンガを訪問される際、踊れるような格好で来てくれると嬉しいな」「脚を開き、槍を突くようなポーズをとるからね」と語る。
平昌オリンピックの開会式には、上半身裸の民族衣装で登場
ちなみに、ロイヤルファミリーがダンスレッスンを受けるのは珍しいことではない。ウィリアム王子&キャサリン妃は2012年、公務で南太平洋のツバルを訪問した際、島民とともにポリネシアンダンスを踊ったり、25人の男性たちが担ぐ玉座に乗って移動するといったスペシャルなおもてなしを受けた。
ハリー王子とメーガン妃はシドニー、ダボ、メルボルン、フレーザー島、フィジーの首都スバを訪れ、10月25日(現地時間)にはトンガに到着。その後は、ニュージーランドのウェリントン、オークランド、そしてロトルアに向かうよう。ケンジントン宮殿が発表した声明には、「ツアーの締めくくりには、インヴィクタス・ゲームに出席します」「大会は2018年10月20日~28日にかけて開催される予定です」と記されている。「インヴィクタス・ゲーム」はご存知の通り、ハリー王子が2014年に発足した、傷病兵たちによる国際スポーツイベントだ。
ポリネシアでのツアーに関する詳細が明らかになっていないため、ユニセフ親善大使のピタが2人に会えるかはまだ不明らしい。でもわずかな希望を胸に「ハリー王子&メーガン妃にお会いしたいけれど、直前まで会えるかは分からないと思う」「ハリー王子はいまどきの男性、もしくは男子というイメージ。彼は何でも挑戦し、楽しい時間を過ごし、人々からたくさん学ぶような国民に近い存在だと思う」とコメント。
さらに「トンガの国民は全員、2人の訪問を楽しみにしている」と話し、時間があれば、教育が受けられない子供たちが住む貧しいエリアにも立ち寄ってほしいとリクエスト。「一番大切なのは、ハリー王子とメーガン妃がトンガで楽しい時間を過ごし、トンガの人々の心が他の大陸に住む人々のハートよりも大きいということを知ってもらうこと」「そして彼らがトンガの一部であり、トンガも彼らの一部であることも感じ取ってほしい」
ピタは10年以上にわたり、貧困や虐待に苦しむ子供たちを支援しているため、チャリティ活動に熱心なハリー王子&メーガン妃とも話が合いそう。シピタウに挑戦するハリー王子とメーガン妃の姿をぜひ見てみたい。
Translation: Reiko Kuwabara From Cosmopolitan
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181002-00010003-bazaar-ent

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