北海道新聞 10/27 17:00
「北海道旧土人保護法はアイヌ差別の根源だ」と、撤廃を最大目標に掲げて1972年に活動を始めた旭川アイヌ協議会。その創設に尽力し、持ち前の弁舌と強い信念で会をけん引した。94~95年に村山富市内閣で官房長官を務めた故五十嵐広三・元旭川市長とも気脈を通じ、97年に悲願を達成した。
結成の発端は72年10月、旭川で起きた「風雪の群像」爆破事件。のちに企業ビル連続爆破事件を起こしたグループの犯行と判明したが、当初、立像の和人にひざまずくアイヌ古老という像の構想案などに批判的だったアイヌ民族のかかわりが疑われ、捜査当局の目が光った。「こういう時こそ団結しなくてはならない」と同胞に呼びかけた。
初めてお会いしたのは本社社会部(当時)記者時代の93年7月。保護法廃止とアイヌ文化振興法制定を翌年に控えた96年には「経済や福祉の問題というよりも、アイヌ民族の人権が踏みにじられているから保護法は廃止しなければならないんです」と、なぜ、あってはならない法律なのか、肝心な部分を押さえる必要を説いた。一方で「新しい法律の制定には反対だ」と協議会の方針も。「教育に力を入れ、和人と対等になることで差別をなくしていきたい」と持論を付け加えた。
日高管内平取町出身。旭川営林局(当時)勤務の傍ら、人権擁護委員も務め、アイヌ協議会会長とも併せて3足のわらじをはいた。協議会で活動を長年、共にしてきた荒井武さん(89)は「弁が立つし、指導力もあるので会長に選ばれた。多忙だったはずだが、全部きちんとこなした」と故人の労を思い起こした。(編集委員 小坂洋右)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/242241
「北海道旧土人保護法はアイヌ差別の根源だ」と、撤廃を最大目標に掲げて1972年に活動を始めた旭川アイヌ協議会。その創設に尽力し、持ち前の弁舌と強い信念で会をけん引した。94~95年に村山富市内閣で官房長官を務めた故五十嵐広三・元旭川市長とも気脈を通じ、97年に悲願を達成した。
結成の発端は72年10月、旭川で起きた「風雪の群像」爆破事件。のちに企業ビル連続爆破事件を起こしたグループの犯行と判明したが、当初、立像の和人にひざまずくアイヌ古老という像の構想案などに批判的だったアイヌ民族のかかわりが疑われ、捜査当局の目が光った。「こういう時こそ団結しなくてはならない」と同胞に呼びかけた。
初めてお会いしたのは本社社会部(当時)記者時代の93年7月。保護法廃止とアイヌ文化振興法制定を翌年に控えた96年には「経済や福祉の問題というよりも、アイヌ民族の人権が踏みにじられているから保護法は廃止しなければならないんです」と、なぜ、あってはならない法律なのか、肝心な部分を押さえる必要を説いた。一方で「新しい法律の制定には反対だ」と協議会の方針も。「教育に力を入れ、和人と対等になることで差別をなくしていきたい」と持論を付け加えた。
日高管内平取町出身。旭川営林局(当時)勤務の傍ら、人権擁護委員も務め、アイヌ協議会会長とも併せて3足のわらじをはいた。協議会で活動を長年、共にしてきた荒井武さん(89)は「弁が立つし、指導力もあるので会長に選ばれた。多忙だったはずだが、全部きちんとこなした」と故人の労を思い起こした。(編集委員 小坂洋右)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/242241