東洋経済2021/02/12 18:00
中川 裕 : 千葉大学文学部教授
北海道にはさまざまな難読地名が存在します。その由来となったのはアイヌ語ですが、それではアイヌ語の地名はどのような意味を持っているかご存じでしょうか? 野田サトル氏による累計発行部数1500万部超の大ヒット冒険活劇漫画「ゴールデンカムイ」のアイヌ語監修で、千葉大学文学部教授の中川裕氏が上梓した『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』を一部抜粋・再構成し、北海道のアイヌ語地名が持つ意味について解説します。
文字を持たない人々の言葉であっても、その話し手がいなくなった後に痕跡を残すことがあります。その1つが地名です。
かつて東北地方の少なくとも北半分にアイヌ語を話す人々が住んでいたと断言できるのは、そこに北海道と同じ、アイヌ語だと思われる地名が数多く残されているからです。
「北海道と同じ」とわざわざ言うのは、アイヌ語のように音の構造の比較的簡単な言語は、この制限を外すと語呂合わせのような感じで、いくらでも「アイヌ語地名」が認定できてしまうからです。
たとえば100年以上前から富士山のフジはアイヌ語だとか、阿蘇山(あそさん)のアソはアイヌ語だということが言われてきました。それに対するいちばん簡単な反論は、北海道にも火山はあちこちにあるが、1つもフジだとかアソだとかという山はないということです。
アイヌ語の地名は地形の説明
アイヌ語の地名というのは基本的に地形の説明です。襟裳岬(えりもみさき)の襟裳はエンルㇺというアイヌ語がもとで、「みさき」という意味です。知床岬(しれとこみさき)の知床も、シㇼ「大地」エトコ「~の先端」というのが語源で、要するに山の稜線が張り出しているところ。海の沖のほうまで張り出して半島になっているのが知床半島ですが、実は北海道の内陸地域にもシレトコと呼ばれる場所は何箇所かあります。

ゴールデンカムイにも登場するアイヌ語の地名(画像:『ゴールデンカムイ』10巻より、©野田サトル)
また幌内(ほろない)という地名は、石狩にも北見にも釧路(くしろ)にもありますが、ポロ「大きな」ナイ「川」ということで、「(周辺の川と比較して)大きな川」ということ。樺太の多来加湾(たらいかわん)(※テルペニヤ湾)に面した敷香(しすか)と呼ばれていた町は、現在ポロナイスクという名前になっていますが、このポロナイも同じ由来の名前。
1990年に私が行った時には、もうすでにアイヌは誰も住んでいないという話でしたが、ポロナイの名のとおり、大きな川が水をたたえて流れていました。
このように、同じ地形にはだいたい同じような名前がつけられるので、そうした地形と名前の組み合わせが見られれば、アイヌ語地名である可能性が高くなってくるわけです。
アイヌ語の地名はまた、そこの植生や土地の人たちがその場所をどのように利用していたかを表す場合もありました。9巻86話あたりでアシㇼパ一行が訪れる樺戸は、「ゴールデンカムイ」の中では新撰組副長の土方歳三が収監されていたことになっている監獄のあったところですが、カパト「コウホネ」という植物の名前から来ています。
コウホネにはレンコンのような根があり、これを掘り出して食べたところだと言われています。また、石狩地方に鬼斗牛、釧路に来止臥、十勝に喜登牛というところがありますが、全部読み方は同じでキトウシ。キトというのは、2巻14話にでてきたプクサと同じもので、ギョウジャニンニクという山菜のこと。それが生えているところというのが、ウシの意味です。
人名と地名はつけ方が異なる
ということは、人名と地名はつけ方が全然違うということですね。人名は他人と同じ名前をつけてはいけないというのが原則ですが、地名のほうは同じ地形や同じような環境のところには同じ名前をつけるのが原則です。
早い話が「裏の山」とか「湧き水の出ているところ」というような感じで、土地の人間ならばどこのことを言っているかすぐわかるような言い方で呼んでいるだけなので、もともとは固有名詞とすら言い難いものだったのです。
こんなふうに、もとのアイヌ語がわかれば、そこがどんなところだったのかがすぐわかるのですが、それを探るのを面倒にしているのが、そこに当てられた漢字です。
来止臥(きとうし)もそうですが、昔の「知識人」が自分の教養をひけらかすために、わざと難しい読みの漢字を当てたのではないかという地名がたくさんあります。
石狩に留辺蘂、胆振(いぶり)に累標という場所があって、どちらも私たちには読めやしませんが、ルベシベと読みます。ル「道」ペㇱ「沿って下る」ぺ「もの=川」の意味で、峠を越える道に沿って流れる川を指します。
漢字を見ると恐ろしげですが、アイヌ語自体で言えばなんということはない普通の名前です。難読漢字の代表としてときどきテレビのクイズ番組にも出るのが、釧路の重蘭窮。知らないかぎり絶対に読めない地名ナンバーワンで、これでチプランケウシと読みます。
チㇷ゚「舟」のㇷ゚は日本語話者には聞こえないような音なので、それをチウのように聞いて重の字を当て、ランには蘭を当てたのだと思いますが、残りのケウシになぜ窮という字を当てたのかは不明です。一方、アイヌ語の解釈は明瞭で、ランケは「下ろす」、ウシは「いつもするところ」で、チㇷ゚・ランケ・ウシは「いつも舟を下ろすところ」。山で作った丸木舟を海に下ろすところという意味でしょう。
東北地方にアイヌ語が話されていた証拠としての地名という話も、このような北海道のはっきりとアイヌ語とわかっている地名のルールと照らし合わせたうえで考えられているものです。
ただアイヌ語で解釈できるからという理由だけでアイヌ語地名だと言えるわけではありません。この点についていちばん勉強になるのは、山田秀三さんという人の著作です。
実は東北北部のアイヌ語地名の多い地域というのも、山田さんが膨大な現地調査のうえで導き出した結論です。たとえば、「内」という漢字を当てられることの多い、ナイ「川」のついた地名は、アイヌ語地名の代表のようなもので、北海道にも東北にもたくさんありますが、山田さんはナイがついているからただちにアイヌ語地名だ、という判断の仕方はしません。
彼の「サンナイ地名の謎」(註1)という論考を読むと、それがよくわかります。サンナイというのは青森県の三内丸山遺跡の三内がその1つですが、山田さんは最初それがアイヌ語地名だとは思っていなかったそうです。
三内丸山遺跡の三内はアイヌ語なのか
しかしアイヌ語として考えてみたらどうかと思ったとき、たちはだかったのは、サン「下る」ナイ「川」という、ただアイヌ語の単語を日本語に置き換えただけの一般的な語釈でした。
何が下るのか? 水が下るのは、川ですから当たり前ですね。何か特徴的なものが下るのでないかぎり、そんな名前がつくわけはありません。それを解決しないとサンナイがアイヌ語だとは言い切れません。
考えあぐねた山田さんは、釧路の奥にサンケナイ「下ろす・川」という地名を見つけ、土地の古老にその意味を尋ねてみました。そうすると「大雨でも降ると、急にどっと水が出る川だからそういうのだ」という説明でした。そこで、彼は北海道天塩(てしお)地方の三毛別(さんけべつ)(ベツはペッのことでやはり「川」の意味)、後志(しりべし)地方の珊内(さんない)、秋田県の三内と山内、そして青森県の三内に実際に行ってみて、そこで土地の人たちへの聞き取りを行い、すべての地点が洪水や鉄砲水の名所であるということをつきとめました。
そこでやっと、サンナイというのは「(増水が)流れ出る・川」だという結論に達しました。つまり三内丸山の三内はアイヌ語地名だということをつきとめたのです。
東北地方の北部を強調しましたが、アイヌ語地名はそこにしかないということではありません。ただ、それより南に行くと、それらしい地名の数ががくっと減るので、本当にアイヌ語地名かどうか確かめるのが難しくなるということなのです。山田さん自身は新潟県に特徴的な「五十嵐(いがらし)」という地名について、アイヌ語かもしれないと言っています(註2)。
山田さんは新潟県内の3カ所の「五十嵐」「五十辺(いがらべ)」を実地検分して、インカルシにふさわしいところを見つけてきました。北海道のインカルシという地名は、インカㇻ「見る」ウシ「いつもするところ」という意味。
地名をなくすことは歴史を消すこと

『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(集英社新書)書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
小高い丘の上にあって眺望がきくところにつけられていて、そこで敵の軍勢とか魚の到来を見張ったところだと言われ、北海道北見の遠軽(えんがる)の語源もこれだとされています。
そうです。何か遠くのほうからやってくるかもしれないものを「見る」ところということで、インカㇻマッのインカㇻと同じ言葉です。そんな言葉が新潟県の丘の上に、さりげなくつけられていたのかもしれないのです。
近年、アイヌ語地名の復権が強く叫ばれるようになってきましたが、地名はそこに住んでいた人たちの存在の証であり、地名をなくすことはその人たちの歴史を消すことです。ひいては人々の心の中からアイヌという存在を消し去ることにつながります。そういった意味で、アイヌ語地名についての関心がもっと高まるように努力したいと思います。
(参考文献)
注1:山田秀三『東北・アイヌ語地名の研究』草風館(1993年)
注2:山田秀三「インカラ(眺める)地名物語」『東北・アイヌ語地名の研究』草風館(1993年)
https://toyokeizai.net/articles/-/409422
中川 裕 : 千葉大学文学部教授
北海道にはさまざまな難読地名が存在します。その由来となったのはアイヌ語ですが、それではアイヌ語の地名はどのような意味を持っているかご存じでしょうか? 野田サトル氏による累計発行部数1500万部超の大ヒット冒険活劇漫画「ゴールデンカムイ」のアイヌ語監修で、千葉大学文学部教授の中川裕氏が上梓した『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』を一部抜粋・再構成し、北海道のアイヌ語地名が持つ意味について解説します。
文字を持たない人々の言葉であっても、その話し手がいなくなった後に痕跡を残すことがあります。その1つが地名です。
かつて東北地方の少なくとも北半分にアイヌ語を話す人々が住んでいたと断言できるのは、そこに北海道と同じ、アイヌ語だと思われる地名が数多く残されているからです。
「北海道と同じ」とわざわざ言うのは、アイヌ語のように音の構造の比較的簡単な言語は、この制限を外すと語呂合わせのような感じで、いくらでも「アイヌ語地名」が認定できてしまうからです。
たとえば100年以上前から富士山のフジはアイヌ語だとか、阿蘇山(あそさん)のアソはアイヌ語だということが言われてきました。それに対するいちばん簡単な反論は、北海道にも火山はあちこちにあるが、1つもフジだとかアソだとかという山はないということです。
アイヌ語の地名は地形の説明
アイヌ語の地名というのは基本的に地形の説明です。襟裳岬(えりもみさき)の襟裳はエンルㇺというアイヌ語がもとで、「みさき」という意味です。知床岬(しれとこみさき)の知床も、シㇼ「大地」エトコ「~の先端」というのが語源で、要するに山の稜線が張り出しているところ。海の沖のほうまで張り出して半島になっているのが知床半島ですが、実は北海道の内陸地域にもシレトコと呼ばれる場所は何箇所かあります。


ゴールデンカムイにも登場するアイヌ語の地名(画像:『ゴールデンカムイ』10巻より、©野田サトル)
また幌内(ほろない)という地名は、石狩にも北見にも釧路(くしろ)にもありますが、ポロ「大きな」ナイ「川」ということで、「(周辺の川と比較して)大きな川」ということ。樺太の多来加湾(たらいかわん)(※テルペニヤ湾)に面した敷香(しすか)と呼ばれていた町は、現在ポロナイスクという名前になっていますが、このポロナイも同じ由来の名前。
1990年に私が行った時には、もうすでにアイヌは誰も住んでいないという話でしたが、ポロナイの名のとおり、大きな川が水をたたえて流れていました。
このように、同じ地形にはだいたい同じような名前がつけられるので、そうした地形と名前の組み合わせが見られれば、アイヌ語地名である可能性が高くなってくるわけです。
アイヌ語の地名はまた、そこの植生や土地の人たちがその場所をどのように利用していたかを表す場合もありました。9巻86話あたりでアシㇼパ一行が訪れる樺戸は、「ゴールデンカムイ」の中では新撰組副長の土方歳三が収監されていたことになっている監獄のあったところですが、カパト「コウホネ」という植物の名前から来ています。
コウホネにはレンコンのような根があり、これを掘り出して食べたところだと言われています。また、石狩地方に鬼斗牛、釧路に来止臥、十勝に喜登牛というところがありますが、全部読み方は同じでキトウシ。キトというのは、2巻14話にでてきたプクサと同じもので、ギョウジャニンニクという山菜のこと。それが生えているところというのが、ウシの意味です。
人名と地名はつけ方が異なる
ということは、人名と地名はつけ方が全然違うということですね。人名は他人と同じ名前をつけてはいけないというのが原則ですが、地名のほうは同じ地形や同じような環境のところには同じ名前をつけるのが原則です。
早い話が「裏の山」とか「湧き水の出ているところ」というような感じで、土地の人間ならばどこのことを言っているかすぐわかるような言い方で呼んでいるだけなので、もともとは固有名詞とすら言い難いものだったのです。
こんなふうに、もとのアイヌ語がわかれば、そこがどんなところだったのかがすぐわかるのですが、それを探るのを面倒にしているのが、そこに当てられた漢字です。
来止臥(きとうし)もそうですが、昔の「知識人」が自分の教養をひけらかすために、わざと難しい読みの漢字を当てたのではないかという地名がたくさんあります。
石狩に留辺蘂、胆振(いぶり)に累標という場所があって、どちらも私たちには読めやしませんが、ルベシベと読みます。ル「道」ペㇱ「沿って下る」ぺ「もの=川」の意味で、峠を越える道に沿って流れる川を指します。
漢字を見ると恐ろしげですが、アイヌ語自体で言えばなんということはない普通の名前です。難読漢字の代表としてときどきテレビのクイズ番組にも出るのが、釧路の重蘭窮。知らないかぎり絶対に読めない地名ナンバーワンで、これでチプランケウシと読みます。
チㇷ゚「舟」のㇷ゚は日本語話者には聞こえないような音なので、それをチウのように聞いて重の字を当て、ランには蘭を当てたのだと思いますが、残りのケウシになぜ窮という字を当てたのかは不明です。一方、アイヌ語の解釈は明瞭で、ランケは「下ろす」、ウシは「いつもするところ」で、チㇷ゚・ランケ・ウシは「いつも舟を下ろすところ」。山で作った丸木舟を海に下ろすところという意味でしょう。
東北地方にアイヌ語が話されていた証拠としての地名という話も、このような北海道のはっきりとアイヌ語とわかっている地名のルールと照らし合わせたうえで考えられているものです。
ただアイヌ語で解釈できるからという理由だけでアイヌ語地名だと言えるわけではありません。この点についていちばん勉強になるのは、山田秀三さんという人の著作です。
実は東北北部のアイヌ語地名の多い地域というのも、山田さんが膨大な現地調査のうえで導き出した結論です。たとえば、「内」という漢字を当てられることの多い、ナイ「川」のついた地名は、アイヌ語地名の代表のようなもので、北海道にも東北にもたくさんありますが、山田さんはナイがついているからただちにアイヌ語地名だ、という判断の仕方はしません。
彼の「サンナイ地名の謎」(註1)という論考を読むと、それがよくわかります。サンナイというのは青森県の三内丸山遺跡の三内がその1つですが、山田さんは最初それがアイヌ語地名だとは思っていなかったそうです。
三内丸山遺跡の三内はアイヌ語なのか
しかしアイヌ語として考えてみたらどうかと思ったとき、たちはだかったのは、サン「下る」ナイ「川」という、ただアイヌ語の単語を日本語に置き換えただけの一般的な語釈でした。
何が下るのか? 水が下るのは、川ですから当たり前ですね。何か特徴的なものが下るのでないかぎり、そんな名前がつくわけはありません。それを解決しないとサンナイがアイヌ語だとは言い切れません。
考えあぐねた山田さんは、釧路の奥にサンケナイ「下ろす・川」という地名を見つけ、土地の古老にその意味を尋ねてみました。そうすると「大雨でも降ると、急にどっと水が出る川だからそういうのだ」という説明でした。そこで、彼は北海道天塩(てしお)地方の三毛別(さんけべつ)(ベツはペッのことでやはり「川」の意味)、後志(しりべし)地方の珊内(さんない)、秋田県の三内と山内、そして青森県の三内に実際に行ってみて、そこで土地の人たちへの聞き取りを行い、すべての地点が洪水や鉄砲水の名所であるということをつきとめました。
そこでやっと、サンナイというのは「(増水が)流れ出る・川」だという結論に達しました。つまり三内丸山の三内はアイヌ語地名だということをつきとめたのです。
東北地方の北部を強調しましたが、アイヌ語地名はそこにしかないということではありません。ただ、それより南に行くと、それらしい地名の数ががくっと減るので、本当にアイヌ語地名かどうか確かめるのが難しくなるということなのです。山田さん自身は新潟県に特徴的な「五十嵐(いがらし)」という地名について、アイヌ語かもしれないと言っています(註2)。
山田さんは新潟県内の3カ所の「五十嵐」「五十辺(いがらべ)」を実地検分して、インカルシにふさわしいところを見つけてきました。北海道のインカルシという地名は、インカㇻ「見る」ウシ「いつもするところ」という意味。
地名をなくすことは歴史を消すこと


『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(集英社新書)書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
小高い丘の上にあって眺望がきくところにつけられていて、そこで敵の軍勢とか魚の到来を見張ったところだと言われ、北海道北見の遠軽(えんがる)の語源もこれだとされています。
そうです。何か遠くのほうからやってくるかもしれないものを「見る」ところということで、インカㇻマッのインカㇻと同じ言葉です。そんな言葉が新潟県の丘の上に、さりげなくつけられていたのかもしれないのです。
近年、アイヌ語地名の復権が強く叫ばれるようになってきましたが、地名はそこに住んでいた人たちの存在の証であり、地名をなくすことはその人たちの歴史を消すことです。ひいては人々の心の中からアイヌという存在を消し去ることにつながります。そういった意味で、アイヌ語地名についての関心がもっと高まるように努力したいと思います。
(参考文献)
注1:山田秀三『東北・アイヌ語地名の研究』草風館(1993年)
注2:山田秀三「インカラ(眺める)地名物語」『東北・アイヌ語地名の研究』草風館(1993年)
https://toyokeizai.net/articles/-/409422