JIJI.COM(2022年3月25日掲載)
中野千恵子(在留邦人向け月刊情報誌編集長/インドネシア在住)


インドネシア東カリマンタン州で首都移転先に決まった地区を視察する同国のジョコ大統領(左)とイスラン・ヌール同州知事=2019年12月17日【EPA時事】
2022年1月18日、インドネシアの国会は首都移転法案を可決した。これにより、24年にはジャワ島西部のジャカルタから東カリマンタン(カリマンタン島東部)に移転が始まる。新首都の名称は、ジャワ語で群島を意味する「ヌサンタラ」。国の首都が移転するのは世界的に初のケースではないにしても、そうたびたびあることではない。そこで、現地で報道されている移転理由、移転先の選定理由、移転計画を踏まえながら、ジャカルタ在住20年目の筆者が感じるジャカルタの現状や東カリマンタン州を訪れた際の印象、現地の人の声などから首都移転問題について考えてみたい。
なぜ首都移転なのか?
位置情報技術を開発するオランダのTomTomの調査によると、インドネシアの首都ジャカルタの21年の交通渋滞の激しさは世界404都市中46位。同年は新型コロナウイルス感染拡大による社会規制で、仕事でもプライベートでも外出を控えるケースが多く、16年の世界3位、18年の同7位に比べると大幅に改善されているとはいえ、新型コロナの感染状況が落ち着いて規制が全面撤廃されれば、元の状況に戻ることは想像がつく。
 ジャカルタではこれまで、交通渋滞対策として、朝夕の特定の通りでの3in1制度(スリーインワン、1台の車に3人以上乗っていないと通行できない)や、現在も行われている奇数偶数制度(車のナンバーの末尾が偶数なら偶数日、奇数なら奇数日のみ通行できる)などの対策が実施されているが、抜本的な解決には至っていない。
ジャカルタはこうした交通渋滞のほか、662平方キロの土地に約1125万人が住む人口過密、過剰な地下水くみ上げによる地盤沈下、近郊ボゴール地区の開発による過度な森林伐採を一因とする洪水被害など、さまざまな問題を抱えている。
そのような中、インドネシアのジョコ・ウィドド大統領が首都をジャカルタから東カリマンタン州に移転する計画を公表したのは19年8月のことだった。移転理由は、ジャカルタに政治・経済機能が集中し、インフラ上の負担が増加していること、さらに、ジャワ島に全人口(約2億7000万人)の54%、国内総生産(GDP)の58%が集中しており、ジャワ島とジャワ島外の格差を是正する必要があることが挙げられた。
過去一度だけあった首都移転
 ここで少しだけ、インドネシアの首都の歴史を振り返ってみたい。実はこれまでに一度、首都がジャカルタから移転されたことがある。ジャカルタがインドネシアの首都となったのは、インドネシアが独立した1945年8月だが、独立を認めないオランダとの間で独立戦争が勃発。オランダがジャカルタを占領したことから、翌46年から49年まではジャワ島中部のジョクジャカルタに臨時首都が置かれた。独立戦争終結によってジャカルタは再び首都となり、現在に至っている。
東カリマンタンが選ばれた理由
 さて、話を元に戻すと、移転先は政府による3年間の調査に基づき選定された。ジョコ大統領の会見での説明によると、地震、津波、火山噴火といった自然災害が少ないこと、インドネシア全国土の中央に位置すること、近郊にバリクパパンやサマリンダなどの地方都市があり、インフラが比較的整っていること、25万ヘクタール余りとされる用地があることから、東カリマンタン州クタイカルタヌガラ県と北プナジャムパスル県の両県にまたがる地域が最も望ましいとされたという。
膨大な移転費用の財源は?
2024年には政府機関の移転を開始し、約20年かけて45年には完了する計画だ。移転後も引き続きジャカルタは経済活動の中心となるが、首都移転にかかる費用は466兆ルピア(約3兆7000億円、1ルピア=約0.008円で換算)と試算されている。費用の財源は、国家予算、官民連携事業、民間資金となっており、新型コロナ感染拡大で国内の経済が打撃を受ける中、インドネシア政府は海外からの投資に期待を寄せている。
懸念されるカリマンタンの自然破壊と先住民族問題


東カリマンタン州クタイカルタヌガラ県の西に隣接する西クタイ県で、伝統家屋の前で伝統舞踊を披露するダヤック族の人々=2017年6月30日[筆者撮影]【時事通信社】
移転先となるカリマンタン島は、「世界の肺」とも比喩される豊かな森林や資源があることで知られ、先住少数民族も生活している。秘境の旅の目的地としても人気があり、中でも新首都が置かれる地域に当たる東カリマンタンのサマリンダはマハカム川を河口から上流までさかのぼるクルーズ旅の出発地となっている。この旅では、流域にある先住少数民族の村に立ち寄ることができる。筆者もマハカム川を旅した時、村でダヤック族の人々から伝統的な踊りで歓迎してもらい、ロングハウスと呼ばれる高床式の伝統家屋も見学させてもらったことがある。
また、東カリマンタン州の沖合にあるデラワン島周辺の海域は、ウミガメ、イルカ、クジラ、マンタが生息し、ダイビングやシュノーケリングを楽しむことができる。筆者が17年にこの島を訪れた時は、透明度の高いエメラルドグリーンの海でシュノーケリングを堪能し、ウミガメの産卵にも遭遇することができた。
こうしたカリマンタンの手つかずの自然や古くから守られてきた素朴な文化・生活が首都移転に伴う開発の中で守られるのかという懸念が、先住民族の代表団からも出ているものの、政府からの見解はまだ明らかにされていない。
ジャカルタ首都圏の市民の反応は?
一方、首都移転により生活に変化が起きる可能性があるジャカルタ首都圏の市民は、首都移転問題をどうとらえているのだろうか。20代から60代までの男女14人に話を聞いてみた。すると、9割以上が反対という結果になった。
 反対理由は、カリマンタンの森林伐採、自然破壊、多額の費用が主なもので、地球規模での環境変化を不安視する声や、費用面ではジャカルタを整備して利用する方が負担は少なくて済むといった意見、さらには新型コロナの流行により経済が停滞している今の時期は経済回復に重点を置くべきだという声も聞かれた。また、政府から詳しい説明が行われていないため、移転計画がどこまで練られているのか分からないといった指摘もあった。移転に賛成と答えた人も、移転効果がきちんと検証されていることを前提にという条件付きの賛成だった。
筆者自身、ジャカルタに20年暮らし、パンデミック期以前は年々深刻になる交通渋滞による時間のロスを大いに感じていた。また、毎年10月から3月ごろまでの雨期の時期には、大雨が数時間続くとすぐに市内の何カ所もの道路が冠水し、予定通り行動できないこともたびたびある。首都移転でジャカルタから政治機能が移転すればこうした都市インフラに関わる問題が解決できるのか、個人的にはいささか懐疑的である。なぜならば、首都移転が決まってもジャカルタからどれくらいの人が東カリマンタンに移住するのか不透明であり、洪水問題の抜本的な対策案も示されていないからだ。
今後、カリマンタンの自然破壊への対策や、ジャカルタの具体的な将来像について政府から説明がなされ、カリマンタンとジャカルタ双方の住民や国民全体が納得できる首都移転となることを期待している。
中野千恵子(なかの・ちえこ) 在留邦人向け月刊情報誌編集長。海外書き人クラブ会員。2002年からインドネシア・ジャカルタ在住。09年より上記月刊情報誌編集員、10年より同誌編集長として、生活、食、文化、観光など幅広い分野の記事を執筆。日本のテレビ、ラジオ、雑誌、インターネットでも情報発信中。
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