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札幌大学 第12回ウレシパ・フェスタおよび札幌大学アイヌ文化教育研究センター第1回シンポジウムを開催 -- テーマは「イオマンテ(クマの霊送り儀礼)」

2022-03-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞03/22 14:05

札幌大学は2月27日(日)、第12回ウレシパ・フェスタおよび札幌大学アイヌ文化教育研究センターの2021年度シンポジウムを開催した。
(ウレシパの「シ」は、アイヌ語で使用される小書き片仮名の「シ」)
 「ウレシパ」とは、アイヌ語で「育て合い」を意味する。このイベントは、札幌大学の学生がアイヌ文化を共に学ぶ「ウレシパクラブ」の1年間の活動を報告し、アイヌ文化を発信するイベントとして、ウレシパクラブが発足した2010年から毎年実施されてきた。今回は、昨年度創設された札幌大学アイヌ文化教育研究センターの第1回シンポジウムとの合同企画として「イオマンテ(クマの霊送り儀礼)」をテーマに開催された。
 第1部は、アイヌ語およびアイヌ文化研究の第一人者である中川裕先生(千葉大学名誉教授)による基調講演と、アイヌ文化の専門家を交えたパネルトーク。一般社団法人白老アイヌ協会理事長である山丸和幸氏は、かつての一般社団法人アイヌ民族博物館によるイオマンテについて、阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事の秋辺日出男氏は、イオマンテをテーマとして大きな話題を呼んだ映画「アイヌモシリ」について、それぞれの知見から語った。
 その後行われたウレシパクラブの発表では、活動報告動画とアイヌ舞踊の披露が行われた。
 第2部は映画「アイヌモシリ」が上映され、アイヌ文化についてさまざまな角度から深く学ぶことのできた一日となった。
 今回のイベントでは、検温や消毒、換気、座席指定など、新型コロナウイルス感染防止を徹底し、登壇した関係者については、事前および事後のコロナウイルスの抗原検査で陰性を確認した。プレアホールでの座席数は収容人数の50%以下と入場制限を行ったが、同時にオンラインでの配信も実施した。
◆一般社団法人札幌大学ウレシパクラブについて
 北海道の先住民族であるアイヌの歴史・文化を理解し、アイヌ文化を学ぶことによって、自らを鍛え、多様性に富む多文化共生コミュニティのモデル構築を創造しうる人材を育成することを目的としている。
 http://urespa-club.com/
◆アイヌ文化教育研究センターについて
 札幌大学は、アイヌ民族に関する教育研究成果をもとに、アイヌ文化の担い手育成などを通じて次世代に貢献するとともに、国内外におけるアイヌ民族に関する理解の促進に資することを目的としたアイヌ文化教育センターを2020年12月1日に設立した。
▼本件に関する問い合わせ先
札幌大学企画部広報渉外課
TEL:011-852-9190
FAX:011-856-8290
【リリース発信元】 大学プレスセンター https://www.u-presscenter.jp/
プレスリリース詳細へ https://user.pr-automation.jp/r/57025
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/659728

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<道南 日本酒の歩み 呑兵衛爺々の手帳から>(1)江戸時代 1692年以前から醸造

2022-03-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞03/22 16:00

1885年7月に出版された「商工函館の魁」に掲載されている岡田勇作の広告(いずれも函館市中央図書館所蔵)
 暦の上では春ですが、世の中は新型コロナウイルスの感染でいまだ安心できる状況ではなく、改めてコロナの恐ろしさを痛感します。早く仲間と小さな居酒屋で一杯やりたいと思っています。
 昨年は「箱館醸蔵(はこだてじょうぞう)」が七飯で、「五稜乃蔵(ごりょうのくら)」が函館で日本酒の醸造を始めました。共に地元の「酒米、水、蔵」で造られる本格的な「地酒」です。日本酒党の一人としてはうれしいことでした。
 そのような中で、江戸時代の蝦夷地(えぞち)で酒造りがどのようになされていたのか知りたくなり、各町史や他の文献などを調べてみました。
■凶作で調整策
 《1》1692年(元禄5年) 「米高値に付き酒屋に酒造を延引、申付る」(江差町史)
 松前藩のお触れ書きのこの文書から1692年以前に、道南地域で酒が醸造されていたことがうかがえます。
 《2》1749年(寛延2年) 「江指村造酒御役 大阪屋善兵衛 厚谷七兵衛門 村上弥惣兵衛 関川平四郎 鈴屋長右衛門 阿部九右衛門 六軒の営業、米不足ノ為、厚谷七兵衛門 鈴屋長右衛門 関川平四郎、三名に永々造酒、他一名休業、他代々造酒」(江差町史)
 松前藩は凶作のために酒造調整策として3軒には造酒を認めるが、1軒は休業し、2軒は年ごと交代で酒造するように申し渡したのではないかと考えます。寛延年間には江差では6人もの酒造家が実在していたことが分かります。松前藩のお膝元でもあり、また、漁場などでの需要も多かったのでしょう。
 《3》1762年(宝暦12年) 「七兵衛『造酒願』藩に申出る。青山園右衛門が好意的に受留る」(逢坂氏日記)
 63年(宝暦13年) 「酒売初代二十六文」(逢坂氏日記)
 64年(明和元年) 「新酒二十八文ニ売り、売切レ」「樽酒 壱斗六升入り 弐両 九月八日より売り候」(逢坂氏日記)
 「逢坂氏日記」によると逢坂氏は亀田村(今の函館)で最古の酒造りであったと思われます。また、「代二十六文」とありますが、当時の江戸では「上酒一合二十五文」(参考「居酒屋の誕生」)とあり、大きな価格の違いはなかったようです。
■12人の酒造方
 《4》1799年(寛政11年) 南部藩が山越(八雲)にて酒造
 東蝦夷地が幕府直轄地となり、南部藩が統治することになります。交易も南部藩が主導することになり、幕府はアイヌ民族に十分に留意して接するよう指示しています。交易の際にアイヌ民族が希望する物に「米、酒、たばこ」などがあったために、南部藩は領下の大畑(下北)より12人の酒造方を山越に呼び、酒谷川(酒屋川)沿いで醸造を始めます。後に様似、釧路、国後でも始めたとのことです。官主導の醸造でした。(参考「八雲町史」)
 《5》1834年(天保5年) 「酒不足に付き、各場所での濁酒を製造ヨロシク 蝦夷人撫育する様請負人一同に」(江差町史)
 凶作のために本州からの米や酒などの入荷が減少しました。松前藩は場所請負人に対してアイヌ民族の人々には濁り酒を造って丁寧に対応するように通達していたことがうかがえます。
■「酒造株」発行
 《6》1854年(安政元年) 山田屋寿兵衛(御用達)、和賀屋宇兵衛(問屋)の2名に「酒造株」を発行
 幕末期になると具体的に記載された文書も残されています。幕末期、箱館奉行は農業振興策の一環として醸造を推進するために、山田屋寿兵衛、和賀屋宇兵衛の2名に制限して「酒造株」を発行することにしました。酒造株とは営業許可を意味し、駒形の鑑札を交付。「一年の『冥加(みょうが)金』七両を上納」とあります。(参考「函館市史」)
 《7》1851年(嘉永4年) 川崎吉兵衛門創業
 福島県出身の吉兵衛門は幕末期に箱館へ来ました。1851年(嘉永4年)に大町で醸造していた和賀屋宇兵衛から酒造株を譲り受けて、地蔵町で開業しますが、71年(明治4年)の大火で家財を失い、75年(明治8年)に森町へ移転します。(参考「森町史」)
※《6》と《7》で和賀屋の酒造株の発行年や譲渡年に違いがありますが、記録のままにしています
 《8》1862年(文久2年) 岡田勇作が鍛冶町にて創業
 開業時には濁り酒から始め、後に「寒紅梅」「鷹の羽」の銘柄を発売します。1905年(明治38年)の記録では300石の製造をしており、函館における最古参の一人でしたが、07年(明治40年)の大火で被害を受け、14年(大正3年)に廃業しました。(参考「函館新聞大正6年6月21日付」)

 江戸時代は「やませ」の影響で飢饉(ききん)も発生。幕府は年貢米が財源だったために米価の安定が重要でした。そのために江戸時代を通じて石高の減少、酒造所の休業、酒造株の発行中止など61回もの制限令を発布しています。蝦夷地も米や酒などの入荷が制限されることが多々あり、その都度、制限令が出されたと思われます。(参考「酒の日本文化史」)
<筆者略歴>呑兵衛爺々(のんべえじじい) 本名・小池田清六。1940年函館生まれ。40代の頃は、利き酒大会で道代表として全国大会に出場したが落選。2000年に定年退職した後は「ぼけ防止」の脳トレとして「小さな歴史」を調べようと図書館に通う。好天時は仲間と「見て、食べて、学んで、歩いて、撮って」の近郊散策、夜は1人で酒を飲む「自盃自酌(じはいじしゃく)」でほろ酔いを楽しんでいるこの頃。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/659644

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アマゾンの先住民は世界で最も認知症が少ない

2022-03-23 | 先住民族関連

HealthDay Japan Translation 2022/03/22 11:16
2022/03/22 11:16

© HealthDay 提供
認知症の有病率が世界で最も低い集団は、南米ボリビアのアマゾンに暮らす二つの先住民族ではないかとする研究結果が報告された。研究者らは、「この結果はアルツハイマー病を予防する手段に関する、新たな洞察を与えてくれるかもしれない」と述べている。米南カリフォルニア大学のMargaret Gatz氏らの研究によるもので、詳細は「Alzheimer's & Dementia: The Journal of the Alzheimer's Association」に3月9日掲載された。
Gatz氏らは、今も自給自足で暮らしている先住民族のチマネ(Tsimane)族とモセテン(Moseten)族での認知症と軽度認知障害(MCI)の有病率を検討した。なお、チマネ族は約1万7,000人存在し、狩猟・採取や農作主体の生活で、生涯を通して身体活動が活発な暮らしを営んでいる。モセテン族は約3,000人存在し、チマネ族よりも非先住民が暮らす街の近くに居住。水道設備や医療サービスを利用可能な環境で生活し、学校もあって識字率が高い。
これらの先住民族のうち60歳以上の高齢者に対して、トレーニングを受けたボリビアの医師と通訳らの研究チームが、ミニメンタルステート検査(MMSE)や文化に関するインタビューなどによって認知機能を評価。また、頭部CTを用いた画像検査も行った。
その結果、認知症と判定されたのは、チマネ族では435人中5人〔粗有病率1.2%(95%信頼区間0.4~2.7)〕、モセテン族では169人中1人〔同0.6%(0.0~3.2)〕であり、全て80歳以上だった。また、年齢標準化MCI有病率は、チマネ族7.7%(95%信頼区間5.2~10.3)、モセテン族9.8%(同4.9~14.6)だった。
米国では65歳以上の高齢者の認知症有病率は11%と報告されており、今回の研究は、先住民族の認知症有病率の低さを示す結果となった。Gatz氏は、「産業革命以前の生活の中に存在している何らかの要素が、チマネ族とモセテン族の高齢者を認知症から保護しているようだ」と述べている。
ただし、過去に実施された、オーストラリア、北米、グアム、ブラジルの先住民族高齢者を対象とする15件の研究のレビューからは、認知症有病率が0.5~20%という広い範囲に分布していることが明らかになっている。一部の先住民族の認知症有病率が米国などの先進国よりもむしろ高いというこの結果について、研究者らは、非先住民との接触により、これらの人々の生活に変化が生じているためと考えている。そのような生活の変化は、糖尿病、高血圧、アルコール乱用、肥満、心臓病といった、認知症の危険因子の発生につながる。チマネ族とモセテン族でそのような危険因子を持っている人は、ごくまれだった。
一方、今回の研究での頭部CT検査から、認知症やMCIを有する先住民族の高齢者には、広範囲の動脈石灰化所見が確認された。この点について論文の著者らは、「これまでに認識されていない、アルツハイマー病とは異なる認知症のタイプの存在を示唆するもの」とした上で、「チマネ族とモセテン族で蔓延している感染性疾患などの影響が想定され、さらなる研究が必要」としている。
世界の認知症の有病率は2050年までに現在の約3倍になり、1億5200万人を超えると予測されている。論文共著者の一人である米チャップマン大学のHillard Kaplan氏は、過去20年にわたりチマネ族などの先住民族を研究してきた。同氏は、「われわれは今、認知症がこのまま急速に増加していくのか、それよりも先に認知症に対する抑制策を確立できるのかという、レースの最中にある。先住民族を研究することを通じて、認知症という疾患の理解が深まり、新たな洞察を得ることができるだろう」と述べている。(HealthDay News 2022年3月10日)
https://consumer.healthday.com/b-3-10-2656873982.html

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/アマゾンの先住民は世界で最も認知症が少ない/ar-AAVlxmV?ocid=BingNewsSearch

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ウィリアム王子夫妻に地元民が抗議「植民地主義だ」 カリブ海諸国公式訪問で予定変更

2022-03-23 | 先住民族関連
よろずー3/22(火) 16:10配信

ウィリアム王子夫妻
 英国王室のウィリアム王子夫妻が、カリブ海諸国公式訪問で最初に予定されていた訪問地の地元民に抗議運動を起こされたことにより、予定変更を余儀なくされた。ウィリアム王子とキャサリン妃は20日、ベリーズのカカオ農園訪問を皮切りに8日間にわたる同地域の公式訪問を開始する予定だったが、村民に「植民地主義」だと非難されたことから、同島の別のカカオ農園を訪問することになったという。
 ケンジントン宮殿も、マヤの村インディアン・クリークの村民との「デリケートな問題」によりスケジュールが変更になったことを明らかにしている。村民は、王子夫妻のヘリコプターが、現在村と環境保護団体ファウナ フローラ・インターナショナル(FFI)との間で所有権をめぐり問題が起きている土地に着陸することを事前に伝えられていなかったことが不服だったそうで、18日に「植民地支配下の奪取の遺産は、王子とファウナ フローラ・インターナショナル(FFI)により継続する」「あなたの土地ではない。あなたの決断ではない」などと書かれたプラカードを持って抗議をしている姿が写真に収められている。
 村のユースリーダーの一人は、ザ・タイムズ紙に「我々の村は、植民地主義の遺産に苦しんだと考えており、今でも直接その影響を受けているのです」と話す。
 一方で、カカオ農場を経営するレヒナリオ・マキンさんは、ウィリアム王子とキャサリン妃の訪問が中止されたことに「酷く落胆」しており、抗議行動を「心から残念に思う」とサンデー・テレグラフ紙に語っている。
 今回の予定変更により、王子夫妻は、同島南部のマヤ・センターにある別のカカオ農場を訪れた一方、立ち寄った漁村のホプキンスでは、先住民族であるガリフナの人々と音楽に合わせてノリノリのダンスを披露し場を盛り上げていた。
(BANG Media International/よろず~ニュース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/6d528f8c2fd2b42c6f793adb2f14c01d390dd632

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手渡される武器としての物語。『ガンパウダー・ミルクシェイク』のハードボイルド・シスターフッド

2022-03-23 | 先住民族関連
CINRA3/22(火) 17:33配信

『ガンパウダー・ミルクシェイク』 (c)2021 Studiocanal SAS All Rights Reserved.
クエンティン・タランティーノも絶賛したイスラエル出身のナヴォット・パプシャド監督による『ガンパウダー・ミルクシェイク』(2022年3月18日公開)は、桁違いに強い女性たちが悪の組織と戦うアクション映画だ。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のネビュラ役などで知られるカレン・ギランが主演を務める本作が、「安心」して観られる女性アクション映画であることの価値、ヴァージニア・ウルフの本のなかに銃が隠されていることの意味とはなにか。この映画が「痛快」である理由とは。水上文によるレビューをお届けする。
殺し屋稼業の女性たちが暴れ回るハードボイルド・シスターフッド映画
クエンティン・タランティーノも絶賛した気鋭の映画監督ナヴォット・パプシャドの新作『ガンパウダー・ミルクシェイク』は、殺し屋稼業の女性たちが悪の組織と戦う、ハードボイルド・シスターフッド映画である。
あなたはここで、銃をぶっ放し、ナイフや金槌を振り回す、最高にタフでクールな女性たちの迫力溢れるアクションシーンを存分に目撃することができる。それからこの映画は、母と娘の物語でもある。殺し屋の母と、同じ職業を選んだ娘――殺し屋親子が目一杯活躍する映画でもあるのだ。とにかくただ単純に、タフな女性たちが暴れ回る映画を観たいのであれば、これほどうってつけの映画は他にないだろう。
「安心」して楽しめる女性アクション映画であることの価値
実際、あなたは何も心配しなくていい。
この映画で、凄惨な暴力の哀れな被害者としてのみ登場する女性や少女を見ることはない。登場するのは桁外れに強い殺し屋の女性たちなのだから。そしてもちろん、女性が活躍するアクション映画でしばしば見られた「色仕掛け」を目にする羽目にもならない。若くてセクシーなことだけが女性の価値ではないことを、この映画は知っているのだ。素晴らしいことに、この映画で活躍する5人の女性のうち3人は40歳より上で、主人公を演じるカレン・ギランは34歳である。
それから、女性が登場する映画でほとんど必然的に付いて回るラブロマンスも――ラブロマンスが悪いわけではないけれど、いつも必ず出てくる必要もない!――ない。付け加えれば、良いところを掻っさらっていくタキシード仮面のような男性キャラクターも、正直言っていなくたって構わない。安心してほしい。この映画にはタキシード仮面も出てこない。
心配しなくていい。何も考えなくていい。私たちが不安に感じていたこれらすべては、ここでは起こらない。頭を空っぽにして、ただ楽しめばいいのだ。
あなたはこの映画を観ている約2時間のあいだ、1950年代アメリカを思わせるキュートなダイナー、きらめくネオンカラーのボウリング場、迫力あふれるカーチェイス、そして荘厳なヨーロッパ建築を思わせる図書館で繰り広げられる最高のアクションシーンを、何にも心煩わされることなく楽しむことができる。
それはどれほど素敵なことだろう? にもかかわらず、どれほど長いあいだ、こうした単純な喜びをなかなか得られなかったことだろう? ただ楽しんでいい――この「安心」の価値を知っているすべての人に、私は『ガンパウダー・ミルクシェイク』を観てほしいと思っている。
ヴァージニア・ウルフ、ジェーン・オースティン、シャーロット・ブロンテ……「武器」としての物語
さて、物語の主人公は、「会社(ファーム)」と呼ばれる暗殺組織に雇われているとびきり上等の殺し屋・サム(カレン・ギラン)である。
組織からの命令によって暗殺をこなしていたサムはあるとき、組織の命令に従うよりも、少女エミリー(クロエ・コールマン)を助けることを選ぶのだ。彼女たちはともに逃亡する。サムはオレンジのスカジャンを着て、エミリーのものらしきパンダ型のキャリーケースを振り回し、『ジョン・ウィック』(2014年)のように格闘する。武装した男たちが大勢追いかけてくるなか少女をかくまいながら戦って逃げる彼女は、文字通りシーロー(She +Hero)である。
追い詰められる彼女たちの向かった先は、三人の女性が「司書」を務める図書館である。彼女たちは15年前に別れてから行方不明になっていたサムの母親の、かつての仲間である。司書になりすます彼女たちは、じつはサムと同様殺し屋で、図書館は武器庫だったのだ。
ここでは本のなかに武器がある。だから司書の女性たちはサムに、たとえばヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』を手渡し、ジェーン・オースティンとシャーロット・ブロンテも必読だと語る。
書物のなかに武器がある――このことは単にクールな演出というだけに留まらない。選ばれた本のタイトルと作家を見ればそれは明らかである。
たとえばウルフの『自分ひとりの部屋』は、フェミニズム批評の古典として名高い一冊である。ウルフはこの本のなかでもしもシェイクスピアに妹がいたら、という仮定について語っていた。文学史に光り輝く文豪、シェイクスピアに彼と同じくらい才能を持った妹がいたら?
16世紀のイギリスで、彼女が男性であるシェイクスピアと同じ教育を受けさせてもらえることはなかっただろう。本を読む時間も、ものを書く時間も十分に与えられなかっただろう。10代も終わらないうちに結婚させられることになり、抱いた野心と授かった才能を存分に発揮する機会がないまま、若くして亡くなっただろう。ウルフはそう語る。傑作はそれのみで、孤独のなかで誕生するわけではない。ある人が傑作を生み出せる社会条件が整わなければならないのだと。
もちろん、幾人かの例外的な天才はいるだろう。たとえば18世紀に生まれたジェーン・オースティンと19世紀に生まれたシャーロット・ブロンテ、そしてウルフ自身がそれである。けれどもオースティンには自分だけの書斎さえなく、居間で、さまざまな中断を受けながら書いていた。ブロンテは『ジェーン・エア』で、多くを学びたいのにそれが制限されてやまない女性の鬱屈と怒りを切々と書き連ねていた。
社会の、私たちの努力なくしてはシェイクスピアの妹は生きられない――彼女が生きられた世界、女性が傑作を生み出すことのできる世界を望むことこそ、ウルフは訴えていた。
何より、かつて女性は図書館に自由に出入りすることさえ許されていなかったのだ。『自分ひとりの部屋』のなかで、ウルフは図書館に入ろうとして「ご婦人方は付き添いか紹介状がなければ」入れない、と言われたことを怒りを持って書き記している。
こうしたことを考えれば、図書館が「武器庫」であること、それぞれの時代で厳しい制約と戦いながら書いた女性の作家の本のなかに「武器」が隠されていることの意味は明らかではないだろうか?
私たちが図書館に入ることができるのは、その自由のために戦った女性たちがいるからである。だから手渡される物語は、文字通り武器である。もちろんこの映画も武器である。武器はあなたに手渡されている。それは女性たちの物語に対する祝福であり、同時にまだ続く戦いに向かうための、この上ない武器でもあるのだ。
武器を取り、物語を書き換える
では、この映画はどんな風に「武器」となっているだろう?
主人公とその母親、母の仲間たち、少女と、三世代の女性たちが手を取り合って戦う様を描くこの物語は、過去と現在と未来をつないでいる。物語のなかだけではない。過去を書き換え、未来へ手渡すための武器が、ここには散りばめられているのだ。
たとえばおよそ20年前の『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)は、女性が活躍するアクション映画がほとんどなかった時代には画期的だったけれど、性的魅力をあまりにも強調しすぎていたように思う。他の多くのアクション映画もそうである。だから露出のない服装で、性的魅力によってではなくまさに腕力で持って戦う女性たちを描くことは、これまで支配的だった物語に対する「書き換え」なのだ。もちろん、過去から手渡されたものだって多くある――たとえばオレンジのスカジャンを着て戦うサムは、『キル・ビル』(2003年、2004年)で眩しい黄色を身にまとうユマ・サーマンにも似ている。
あるいは、映画を好む人であれば、ボウリング場でのバトルシーンにマカロニ・ウエスタンの影響を確かに感じるだろう。バトル開始前の静寂、『続・夕陽のガンマン』(1966年)のメインテーマにオマージュを捧げたかのようなBGM――重要なのは、ここで戦っているのは男性ではなく、少女を救うために男性たちと戦うひとりの女性であるということだ。
先住民族を虐殺する白人カウボーイの「正義」を描いた西部劇から、カウボーイ神話に反旗を翻すマカロニ・ウエスタンへ、そして結局のところどちらにも共通していた中心としての男性性を脱臼する『ガンパウダー・ミルクシェイク』の女性によるアクションシーンへ。支配的な物語はオマージュされ、書き換えられ、多様化していく。
『レオン』の少女マチルダと、『ガンパウダー・ミルクシェイク』のエミリーの決定的な違い
さらに重要なことに、ここには『レオン』(1994年)に対する書き換えもある。
およそ30年前の映画『レオン』は、孤独な殺し屋と家族を亡くした少女の物語である。よく知られているように、ナタリー・ポートマンは『レオン』の少女マチルダ役を演じたことによってメディアにロリータ扱いされ、恐怖を感じたこと、振り返れば「不適切」な作品に思えることを、のちに告白している。
そして殺し屋と少女の物語であるという意味で共通している本作は、エミリーをマチルダにしないのだ。エミリーは孤独な中年男性と二人きりにされず、露出のない格好で、彼女を守る女性たちに囲まれている。当たり前だ。少女は、子どもは、守られるべきなのだ。犠牲者でも性的対象でもなく、ただ守られるべきなのだ。けれどもそんな当たり前のことが、いままでどれほど踏みにじられてきたことだろう?
エミリーは知的で勇気にあふれ、本当の敵は誰なのかをよく知っている。女性たちの背後にいる組織、高みの見物をしようとする男性たち、彼らこそが本当の敵なのだ。私は「本当の敵」を誰よりよく知る人物をエミリーに設定した本作を、かつてのマチルダたちに手渡された武器のように感じている。
要するに、痛快なのだ。
武器を手に取り、物語を書き換える様をまざまざと感じられる本作は、とにかく痛快なのである。これまで私たちに怒りを感じさせてきたあらゆる要素が取り除かれていく様は、控えめに言って最高である。
最大の見せ場であるアクション・シーンでは、女性ロックシンガーの元祖ジャニス・ジョプリンの歌声が高らかに響き渡る。「女がやれる全てのことをあなたにしてあげた」と歌い上げるその声のもと、とびきりタフな女性たちが武器を手に、男たちをやっつけていくのだ。ああ、こんなに痛快なシーンが、これまで他にあっただろうか?
あなたもまたこの映画という「武器」を手に取ることを、私は願っている。
テキスト/水上文、編集/後藤美波
https://news.yahoo.co.jp/articles/31805a20cec4cd3a1e907d47d5b9fee2e1ae0ef9?page=1

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