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アイヌ民族の知られざる祭祀映すドキュメント「チロンヌプカムイ イオマンテ」4月30日公開

2022-03-05 | アイヌ民族関連
映画.com2022年3月4日 18:00

アイヌ長老の入魂の祈りを35年ぶりに甦らせる
(C)VisualFolklore
1960年代から日本とアジアの民族文化を撮り続けてきた北村皆雄監督が、1986年に撮影したアイヌ民族の祭祀に2Kレストアを行い、よみがえらせたドキュメンタリー「チロンヌプカムイ イオマンテ」が、4月30日公開される。
1986年、北海道・屈斜路湖を望む美幌峠で、大正時代から75年ぶりに行われた「チロンヌプカムイ イオマンテ(キタキツネの霊送り)」。アイヌの人たちもほとんどが知らない幻の祭祀だ。狩猟民であるアイヌの伝統的な考えでは、動物は自らの肉や毛皮をみやげにして人間の国へやってくる。アイヌは、キタキツネをわが子のように可愛がって育てると、やがてイオマンテを行う。祈りを捧げ、歌や踊りで喜ばせ、みやげを背負わせて神の国へ送るのだ。祭祀を司るのは、明治44生まれの日川善次郎エカシ(当時75歳)。祈りの言葉を間違えれば神の怒りをかうと、一言一句に魂をこめる。
北村監督は「民俗の記録は古いほど原型が残っている。時間の奥に眠っていたアイヌの世界観を現在に引き出した」と語る。人気漫画「ゴールデンカムイ」のアイヌ語監修者である中川裕(千葉大学名誉教授)が、日川エカシ入魂の祈りを全てアイヌ語で書き起こし、現代日本語訳をつけた。音楽はアイヌのユカラ(叙事詩)やウポポ(歌)を取り入れて活動する豊川容子+nin cup(ニンチュプ)。ボーカルの豊川が本作の語りをつとめた。4月30日より、ポレポレ東中野ほか全国順次公開。
▼コメント
【宇梶静江 (アイヌ伝統かたりべ・古布絵作家・詩人)】
私が子供の頃、狐を見たことがなかった。
戦後暫くしてから、獲り尽くされていた狐や鹿が姿を現したこの世界は、なんと神秘的に映ったことか。
私たちはすべての生き物と共に生きている。伝統に則り祭祀を執り行うアイヌを誇りに思う。
日川エカシの言葉は、生き物すべてに畏敬の念を持っていたことの表れ。
この映像はアイヌの生活・風習・儀式に関する永久に残すべき遺産。
【中川裕 (『ゴールデンカムイ』アイヌ語監修)】
動物を我が子のように育て、それを屠って魂をカムイの世界にいる両親の元に送り返す。
そのことの意味を十分に理解していた人たちが大勢いた時代の記録。
35年前に行われたアイヌの「狐送り」の映像が今公開される。
アイヌの精神文化・世界観を学ぶまたとない教科書であり、アイヌ文化を未来につなぐための貴重な遺産である。
【コムアイ (アーティスト)】
私たちは生きているだけで、想像しきれないほどたくさんの動物の死骸の上に立っている。
自然との共生が謳われる今、自らの命を肯定しながら、自らの残酷さとどう折り合いをつけたらいいのだろう。
アイヌの人々の築いた信仰が、その一つの答えとして、生々しく身体的に、35年の時を経て現代の私たちに、同じ問いを投げかけてくる。
https://eiga.com/news/20220304/21/

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傲慢な中国に教えてあげたい台湾の「民族の歴史」

2022-03-05 | 先住民族関連
ダイアモンドオンライン3/5(土) 6:01

 「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の“根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも“民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)から、多様性・SDGsの時代の世界基準の教養をお伝えしていく。
● 台湾と中国をセットで考えてはいけない
 台湾は、地理的には東アジアの国ですが、民族的に考えると漢民族がやってくる前にもともと住んでいた人々は東南アジアの国々に近い。それなのにこんなことをうっかり口にしたら、地雷を踏みます。
 「台湾って、政治の問題で別の国になっているけれど、結局は中国の一部ですよね」
 明らかに知識不足の意見といわざるを得ず、台湾はもともと東南アジアの島嶼部と近いさまざまな民族が住むまったく別の国でした。
 漢民族が移住する前は民族的にはフィリピン、インドネシア、マレーシアと近かったのです。
 現在の台湾は多民族国家で、漢民族の他、多くの少数民族が暮らしています。少数民族の大半は、もともと台湾に暮らしていた人たちでした。
 漢民族が本格的に台湾に住み始めたのは17世紀。日本人の母を持つ明の軍人の鄭成功が、清に明が滅ぼされたのち、新たな拠点としたのが台湾です。
 当時の台湾を統治していたオランダ東インド会社を一掃して新政権を作ったことで、彼は台湾では歴史上の英雄です。
 台湾のビジネスパーソンと会話をする際に日本人の血が入っていることなどぜひとも話に入れたい人物です。
 近松門左衛門は、鄭成功をモデルに、「国性爺合戦」を書き、浄瑠璃さらに歌舞伎として上演されました。
 史実とは違う面もありますが、日本でも大人気を博している演劇の演目である点などは話題として適切でしょう。
 鄭成功に続く形で、満州人の国である清に反発する人々が中国本土から台湾に移住した――これが、漢民族が台湾に増えた第一のタイミングです。
 その後台湾は清に併合され、より漢民族は増えました。地理的に近い福建省の漢民族が多く移住しました。
 台湾に漢民族が増えた第二のタイミングは、いわずと知れた第二次世界大戦後。日清戦争の後、日本統治下に置かれていた台湾に、蔣介石率いる中華民国・南京国民政府軍がやってきました。
 すでに台湾には漢民族が大勢いましたし、日本よりは同じ漢民族に統治されたほうが良いかと思えば、そうはいきませんでした。
 国の権力は新たに中国からやってきた漢民族(外省人)が独占し、もともと台湾に住んでいた漢民族(本省人)は疎外されました。
 少数民族たちは差別され、治安も乱れました。そこで「中国からきた国民政府軍(外省人)VS本省人+少数民族のチーム台湾」という対立構造が生まれ、二・二八事件が起きます。
 しかし、チーム台湾の反発は武力で押さえつけられ、なんと1987年まで戒厳令が敷かれていたのです。
 このような歴史を見れば、中国と台湾は政治的に対立構造にあるのはもちろんのこと、別の国であることも明らかです。
 もっとも、第二次世界大戦後に大陸から移ってきた人たちは今もコネクションがありますし、同じ北京語を使うことから、経済的には中国本土との関係性は強い。
 実際、台湾系企業は中国本土で事業をして成功を収めてきています。すなわち、ビジネスパーソンが中国と台湾の関係を見る場合は、「安易に同じ民族と一括りにしない」「政治と経済は別のものと捉え、ビジネス上のつながりに目を向ける」という二つの視点が不可欠です。
 標準語である中国語、台湾語(国民党来訪以前の台湾在住漢民族の言葉、大陸の福建省の言葉が源)、先住民族のさまざまな言語(ただし話者は大変に少なく消滅の危機にあり)と、台湾は言語的には三重構造といえるでしょう。
 アジアで初めて同性間の婚姻を合法化するなど、多様性を重んじていますが、多民族国家として生きる道は、たやすくありません。
 たとえば、台湾の第6代総統である馬英九はハーバード大学を卒業したエリートですが、家庭教師をつけて台湾語を学んでいたといいます。馬は香港に生まれ、出生後まもなく台湾に移住した台湾育ちながら、台湾語は勉強しないと話せなかったようです。
 漢民族が多くてもルーツは異なり、中国とは同化したくない――台湾にはそんな苦悩があります。“隣人”として、台湾についてしっかりと押さえておきましょう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/33f7253c162a1217d8c171855c0f096c80a0ce16

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札幌の市民団体、東日本大震災11年で舞台 記憶継承へ 5、6日福島描き上演

2022-03-05 | アイヌ民族関連
北海道新聞03/05 05:00
 11日に東日本大震災から11年を迎えるのを前に、被災者を応援する札幌の市民団体「子どもを守ろうよ」の会(村場踊代表)が5、6の両日、演劇や和太鼓を組み合わせた舞台「大樹となれ」を、札幌市東区の札幌市こどもの劇場やまびこ座(北27東15)で上演する。公演は今年で12回目。初回から出演する札幌市の介護施設職員山田小春さん(29)は「年に1度でも見てもらい、芸を通じて被災地とつながることを大切にしていきたい」と意気込んでいる。
 山田さんは、同会に参加する太鼓演奏の新芸能集団「乱拍子」(札幌)のメンバー。小学2年生で入会し、芸を磨いてきた。震災直後の2011年春、乱拍子として米国公演をした際に現地の人から託された寄付金などを渡しに岩手県大船渡市を訪れると、骨組みだけ残った建物やがれきの山に、「言葉にならない衝撃」を受けた。「自分たちに何ができるのか」。自問自答を繰り返した。
 その後立ち上がった同会に参加し、被災地の郷土芸能団体と交流する中で、芸を通じて被災地とつながり続けることや、津波や原発事故の記憶を継承する思いを強くしたという。「今でも被災者の心の内は聞けずにいるし、相手も明るく振る舞ってくれる。お互いに気遣う関係だからこそ、深い傷に思える」と語る。
 11年たったからこそ感じることがある。「この11年、いろんな環境の変化を乗り越えながら、懸命に生きてきた人たちがいる。原発事故や津波の恐ろしさなど、震災が起きてから気づいたことを教訓に、悲劇を繰り返さない未来にしたい」と力を込める。
 公演は1時間半で、8~70歳の30人以上が出演する。福島県伊達市から札幌に自主避難した宍戸隆子さん(49)の体験談から始まり、原発事故後に人が去った福島県の帰宅困難区域の森を描いたオリジナル演劇「サヨと杉の木」を上演。また、乱拍子と和太鼓サークル「嵐」による太鼓演奏と獅子舞や、アイヌ舞踊も披露される。
 公演は5日が午後2時から、6日が午前11時から。高校生以上千円、小中学生500円、未就学児無料。(高田かすみ)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/653030

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観光や飲食 苦悩深く まん延防止道内再延長 「つらい」「早く再開を」

2022-03-05 | アイヌ民族関連
北海道新聞03/05 05:00
 道内への新型コロナウイルス対策のまん延防止等重点措置の期限を巡り、政府が21日まで再延長することを決めた4日、石狩管内で休業や時短営業を続けてきたホテルなど観光関係者からは落胆の声が漏れた。一方、子供への感染拡大が続く教育現場からは重点措置の再延長に理解を示す意見も聞かれた。
 「正直、またかという思いです」。札幌市中央区のセンチュリーロイヤルホテルの蝦名訓・営業企画室支配人(54)は重点措置の再延長決定に肩を落とした。館内の和食レストランは感染拡大を受け2月から休止。今月7日の再開に向けて予約の受け付けを始めていただけに残念がる。7日以降の予約は40件以上がキャンセルになったといい、「3月は卒業や就職のお祝いで飲食需要の高い時期。22日から再開できる状況になってほしい」と願いを込める。
 札幌市時計台の下村康成館長(48)も「5月の大型連休までには終息のめどが立ってほしい」と切実だ。新千歳空港内のアイヌ工芸品店「アイヌモシリ」の藤岡千代美店長(52)は「約2週間の短い延長で効果がどれほどあるのか」と実効性に疑問を持つ。
 飲食店も厳しい営業が続く。札幌市北区の「そば屋一休」は重点措置で酒の提供をやめ、通常より2時間早い午後7時に閉店してきた。時短に協力するが、夕方以降の客数はコロナ前の3割ほどで、店主の桜井宏泰さん(78)は「お客が楽しみにする酒を出せないのが何よりつらい」と漏らす。
 年明け以降、感染は子供にも広がっており、学校や幼稚園は重点措置の解除には慎重だ。石狩市内では19日に小学校の卒業式が行われるが、重点措置期間中は感染リスクが高いとされる大人数での合唱はできない。児童約140人が卒業する市立南線小は合唱のほか、児童同士の呼びかけも見送ることを決めた。保護者の出席も2人までとする予定で、庄隆晃教頭は「寂しいが、子供の安全が第一」と苦しい胸の内を明かす。
 札幌市中央区の札幌大谷幼稚園は今年に入り、園児らが新型コロナに感染したため3回休園。12日の卒園式も無事行えるか気をもんでいる。辻村静子園長(69)は「オミクロン株の派生型BA・2の拡大が心配。感染者が減らない以上、重点措置の再延長は必要ではないか」と話す。(菊池圭祐、伊藤駿、高田かすみ)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/653029

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アイヌ民族の石碑を訪ね本出版 杉山四郎(すぎやま・しろう)さん

2022-03-05 | アイヌ民族関連
北海道新聞03/04 09:38
 アイヌ民族や朝鮮人労働者らにゆかりのある道内各地の石碑を約30年かけて100カ所以上、訪ね歩いた。建立の経緯や碑文の内容などを本にまとめ、30冊目となる「続アイヌモシリ・北海道の民衆史 増補改訂版」を2月に出版。「教科書には載っていない北海道の歴史の一面に触れてほしい」と願う。
 小樽市で生まれ、道教大札幌校卒業後、社会科の高校教諭として主に空知管内で勤務。産炭地の歴史を調べる中で、石炭採掘などに従事したアイヌ民族や囚人、朝鮮人やタコ部屋労働者と呼ばれた土木作業員の存在を知った。「そうした事実を直視せずに、北海道の歴史を語ることはできない」と強く思った。
 調査研究を続ける中、石碑の価値に気付いたのは岩見沢西高に勤務していた40代のころだ。休日に何げなく旧北村(現岩見沢市)の松浦武四郎の顕彰碑を訪ねたところ、武四郎と親交のあったアイヌ民族の名前が刻まれているのを見つけた。「その人が間違いなくその時代を生きた証し。その事実が世代を超えて残るのはすごいことだ」
 以来、妻由美子さん(73)と稚内や網走などにも出向き、各地の石碑を記録してきた。丸太の一本橋を四つんばいになってたどり着いたり、何時間も山中を探し回り、昼食のおにぎりを食べようと腰を下ろした場所で見つけたりしたことも。定年後も札幌学院大教授として教壇に立つ傍ら、石碑の研究を続け2018年に退職した。
 5年前に悪性リンパ腫を患い、闘病を続けているが「歴史を見つめ、今何ができるかを考えたい」。74歳。(斉藤千絵)
◆「アイヌモシリ」の「リ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/652659

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<聞く語る>村本大輔さん 社会を鋭く切る漫才コンビ「ウーマンラッシュアワー」

2022-03-05 | アイヌ民族関連
北海道新聞03/04 13:08 更新

漫才コンビ「ウーマンラッシュアワー」のボケ担当で歯に衣(きぬ)着せぬ言動から「炎上芸人」と呼ばれる村本大輔さん(41)が今月、道内各地で独演会を開く。関西電力大飯原発のある福井県おおい町出身。原発や基地、差別など社会問題に鋭くツッコミを入れ、聞く人の心に波風を立てる。その思いを聞いた。(編集委員 関口裕士)
■偽善暴くのがお笑いの役目。無関心な人の心をひっかきたい
 ――5年前、年末のゴールデンタイムのテレビ番組「THE MANZAI」で原発や基地問題をネタにして話題になりました。
 「ゴールデンの、みんなが見ている時間帯の漫才で原発や沖縄の話をしたことに意味があったと思います。取材がわっと来ましたが新聞記事ってひきょうなところがあると思いました。何かを批判するために僕を利用する。矢面に立ってたたかれるのは僕なのに」
 ――その後も毎年、同じ番組で時事ネタをやっています。今もたたかれますか。
 「もちろんインターネット上でバンバンたたかれていますし、居酒屋で隣の席のおっさんに『あんなネタやめろ』と言われたりもします。吉本興業の先輩からは『おまえ左翼の勢力からカネもらってるらしいな』と言われました」
 ――確かに時事ネタを披露するたびに、左翼やリベラル派から喝采(かっさい)を受けています。そういう人たちが「村本大輔を応援する会」とか作ったらどうですか。
 「うれしくないですね。右の羽と左の羽があってバタバタしている時に、真ん中の無関心な部分とこそ僕は対話したい。左側から僕を持ち上げる人は、僕でなく右側の人としゃべるべきだし、右の人は左の人と話すべきです。近い人、意見の合う人とばかり議論していても仕方がない。『やっと村本みたいに自由に発言してくれる芸人が出てきた』とも言われましたが、だったら僕が『自民党最高!』とか言っても認めますか。自分たちにとって都合の良い発言を勝手に『自由』と言っているだけです。それは気持ちが悪い。都合が悪くても相手が自由に言う権利は保障すべきです」
 ――一昨年出版した本に「ウルトラマンと怪獣が戦っているその足元にいる人たちが気になる」と書いているのが印象に残りました。
 「大きなものがぶつかり合う時に、足元で被害に遭っている人たちのことが気になります。多くの人はそこに関心を向けないし、メディアもなかなか取り上げない」
 ――本のタイトルが村本さんの姿勢を示していますね。「無関心なあなたを傷つけたい」と。
 「聞いた人の心にひっかき傷を残すような言葉を発したいと思っています。例えば『原発なんかなくなったらいい』みたいなことを言うと、お客さんが拍手してくれる。でも僕は最後に『どうせ原発なくなった後の町のこと何も考えてないくせに』と言って帰る。お客さんをぎくっとさせたい。ざわっとさせたい。そんな衝動が僕の中にあります」
 ――村本さんは東京電力福島第1原発に全面マスクを着けて入ったり、沖縄で基地問題をネタにしたり、朝鮮学校で独演会をしたり、現場を大切にしていますね。
 「やっぱり自分の目で見ないと。『百聞は一見にしかず』と言いますが、多くの人は百聞どころか千聞、一万聞、一億聞しても、一見を大事にしていない。人から聞いた話、ネット上で都合良く切り取られた画像を見て頭の中に1個の事実を無理やり作っている。そうではなく、現場で、自分の目で見て、それぞれの物語や事実があることを知る必要があります」
 ――昨年12月に札幌で開いた独演会はアイヌ民族の漫才コンビが前座を務めたり、朝鮮学校の関係者が支援を求める時間を設けたり、その場の多様性に驚きました。
 「特に意識しているわけではありません。出会った人がたまたま在日だった、アイヌだった、障害があった、というだけのことです。その人たちが何か問題を抱えていて、一緒に考えた時に、僕も自分事として考えられるようになる。『村本さん、在日のこと好きでいてください』と言われることもありますが、それでは『在日が嫌い』と言うのと同じで、ひとくくりにして個人を見ていない。北海道の人が好きとか沖縄の人が好きなんて抽象的な人間関係もあり得ません。僕は出会った一人一人との関係を大切にしたい」
 ――自分事として考えるということを大事にしていますね。
 「新型コロナウイルスだって、明日自分が感染するかもしれないから緊張してマスクしたり人と距離取ったりしますよね。自分の町に原発が来るかもしれない、基地が来るかもしれないとなったら、みんな自分事として考えます。だけど基地問題のネタは沖縄でウケても他の地域ではウケない。沖縄だけの問題にされている。自分たちの選んだ政府が沖縄に基地を押しつけているという加害者意識がない。日本全体の問題なのに沖縄ばかりが犠牲になっている。それが当たり前と思われていることにもイラっときます」
 ――原発も基地も、お笑いとは相いれないと思われがちです。
 「僕は、人が言わないこと、隠していることを口にして、偽善を暴くのがお笑いの役目だと思っています。例えばオーストラリアにトランスジェンダーの芸人がいて、容姿が男性なので女の子としゃべってたらナンパだと思われて彼氏にボコボコにされたり、その一方で少女の時、男にレイプされたりとか、聞くと、ざわっとするような話をする。それはお笑いなのか、演説なのか。僕がTHE MANZAIでやったことも『あれが漫才か』『あんなネタありなのか』と批判されます。それでもいいんです。この国の一番の病は、原発でも基地問題でも、そういうネタをやる芸人が僕しかいないことです。国民の無関心と芸人の沈黙。これを何とか変えたい」
 ――昨年、テレビ番組で別の芸人のアイヌ民族差別発言が問題になりました。言葉は怖い。村本さんの発言にもひやひやします。
 「言葉は怖いけど、線を越えないと、そこに線があるかどうか分からない。芸人は果敢に一歩踏み出すべきです。ただ、あの差別発言は線を越える覚悟もなく、内側にいるつもりでやったら線の外だった。実際にアイヌの人たちと会って、アイヌの痛みを知って、これ、ちょっと見てくれ、知ってくれという思いを持った芸人だったら違ったんだろうと思います」
 ――村本さんはなぜ芸人になったのですか。
 「高校を中退する時、ベルトコンベヤーから落っこちるような感じで、真っ暗で、自分は何者でもないと思ってテレビをつけるとお笑い番組やってて、めっちゃ笑って、ああ、この世界に行きたいなと思ったんです。小学校の文集に、先生が『いつもみんなを笑わしてくれてありがとう』と書いていました。僕はお笑いしかできない。だから必死です。好きなものが続かなかったら何が続くんだって必死でずっとやってきました。笑わせないと明日はないというぐらいの覚悟でやっています」
 ――今春からコメディーの本場米国に修業に行くと発表しました。今月の道内行脚が渡米前最後の独演会になるのですか。
 「実はまだビザが取れていないので、いつ米国に行けるか分かりません。独演会は全国でいろんな人が企画してくれるんだけど、みんな『渡米前最後の』と宣伝しています。まあ、いいんですけど」
<取材後記> 大阪のなんばグランド花月に近いカフェで話を聞いた。挑発的に、聴衆をねめ回すような舞台上の目つきと違い、インタビューでは記者の目を真っすぐに見て話した。舞台での、断定調の、まくし立てるような語り口でもない。
 最初は取材を渋られた。「新聞記事って都合の良い言葉を切り取り、ニュアンスも変えてしまうから」。それでも何とか受けてくれた。聞いたことを全部は書けないし、言い回しも少し変えてはいるが、なるべく村本大輔さんの言葉をそのまま記録したつもりだ。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/652647

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