読売新聞2023/03/31 16:07
「気候変動の先の未来を創造する 科学政策インターフェイスが生み出す社会の持続可能性」をテーマに、生態学が専門のホーテス・シュテファン・中央大学理工学部教授と、国際海洋法が専門の小島千枝・中央大学法学部教授が2月2日、オンラインで講演しました。中央大学と読売調査研究機構による共催セミナーで、ホーテス教授と小島教授がそれぞれ講演した後、2人によるトークセッションで、科学と政策の接点をさらに掘り下げました。
トークセッション(抜粋・再構成)
小島 ホーテス先生がご講演の中で紹介されたIPCCやIPBESといった機関におけるインターフェイスにより生み出された政策には、実行の形態に違いがあると思われますが、この違いはどこから来ているのでしょうか。また、これらの政治中立的な機関と、環境条約上で設置され、科学的知見に関して活動する補助機関とでは、アプローチの仕方にどういう違いがあるとお考えでしょうか。
ホーテス 重要なご質問だと思います。気候変動に関する枠組みができたり報告書が出たりした時期は、生態系や生物多様性に関するものよりも早かったわけですが、それは、科学的な知識、知見と結びついてからだと思われます。どういう情報が科学的手法で手に入れられかという観点で考えると、気候変動に関する現象が主に物理学的、科学的手法で把握される気象データを基にモデルをつくるため、測定技術が先に発達したこともあって、気温や雨量などの測定器が世界中に配置されています。加えて、衛星から把握できる項目もたくさんあり、豊富なデータをもとに理論的な知見が発達し、信頼性の高い予測もできている。
つまり、どういう情報を科学者が持っているかということが関係していると思います。生物多様性や生態系に関する知見は、物理的、科学的な手法で情報を手に入れることもできますが、生物に関する知見や情報を把握する技術、やり方がちょっと違うという点があります。政策を考えると、確かな情報を基にルールを作ることが求められており、気候変動に関しては今、それなりに成り立っていると思うんですね。生物についても最近は衛星画像から植生分布を把握するなど、走り出している部分もありますが、科学の手法的な観点の違いがあると思います。
科学政策インターフェイスで政策決定者がどういう情報を求めているのか。気候変動の場合は異常気象など自然災害と結びついているから、我々の生活に大きな影響を与えていることがニュースを見ればわかるという面もあります。それに比べ、生物多様性は我々の生活にどういう意味を持ち、どういう役割を果たしているかを、生態学の解析から示せる場面もあるけど、実感できるところまではなかなかいかない。むしろ自然観や価値観が重要な役割を果たしていますが、それらは人によって違うため、やるべきことを説得力を持って具体的に示すことに苦労している状況だと思います。
IPBESとIPCCには、科学的な知見をまとめるための制度があり、いろいろな研究機関とのつながりもできていますが、研究者のネットワークから情報を得て一つの報告書をまとめるのに数年かかります。細かいところをチェックしたりモデルを比較したりする必要もあるため、早く答えを出すのが難しいという面もあると思います。
しかし、その科学的な知見を使ってどういう政策を作るかとなると、様々な利害関係、経済と社会の問題が絡み、都合のいい科学的な情報と、都合がよくない、重視されると困るという情報もあって、摩擦が起きることもあるわけです。そういうことが科学的な知見の提供の仕方に影響を及ぼしてはいけないということもあって、IPCCとIPBESは、政策を作る過程からは、ある程度離れた存在にすべきだと思われています。我々がIPBESやIPCCでやっているのは、科学的知見をもとに正しい情報を提供するというだけで、それを政策にどう活用するかは、国連の生物多様性条約とか気候変動枠組み条約などでの議論が求められているということですね。そこをうまく結びつけるのがIPBESやIPCCの大きな課題です。そこあたりでも気候変動と生物多様性に関する議論ではちょっとした違いがあると思います。
小島 国際法もそうですが、(法には各領域のテーマごとにルールを定めるという)断片化の現象があります。気候変動分野では気候変動枠組条約、生物多様性の保全については生物多様性条約と、異なる分野ごとに規律されているのが現在の国際法でのアプローチです。科学者の間では、たとえばホーテス先生がおっしゃったIPCCとIPBESの間では、何らかのインタラクションはあるのでしょうか。流動的に議論がなされる場が確保されているのでしょうか。
ホーテス それは確かにあります。事務局は別々で、IPCCはスイス、IPBESはドイツにありますが、定期的な大きな会合では両方の代表が参加することもあり、去年は、社会貢献に関する賞がIPCCとIPBESに同時に与えられています。気候変動が生物多様性に影響を与えているし、逆に生態系で起きる物質循環やエネルギー収支に影響を及ぼす過程が気候変動に影響し、別々に動いてはいるけど最終的にはつながるということになるんですね。それが制度上でもある程度反映されているということです。
小島 ホーテス先生のご報告の中のキーワードに「安全に行動できる領域」があったと思います。この領域について、英語でspaceと表現されていましたが、この意味は、私たち国際法学者が考える領域や空間とは異なると思います。この意味について、もう少し詳しくお伺いしたいのと、企業や個人も含めた社会の異なるアクターがどのように地球規模での安全なスペースを認識していけばよいのかについてもご教示いただけないでしょうか。
ホーテス 安全に行動できる領域、safe operating spaceと英語の論文に書かれていましたが、概念として必ずしも1つの3次元空間ではないのです。ちょっと抽象的な考え方として、いろんな指標を使って環境、社会、経済のことを把握できるようにしておけば、現在、社会経済環境が一定の条件下で存在し、様々な軸を使って測れる項目が一定の範囲から出てはいけないという考え方ですね。そこが限界という意味であり、スペースの境界線で、そこから出ないようにしましょうという考えですね。
国際的に有名な学者がかかわり、関連する論文が2009年に2本出ましたが、そこで取り上げられた項目として、データ不足で評価できなかった項目も幾つかありました。安全と定義する方法ですが、産業革命が起こる前の状況について知見があるような項目を拾い、地質学的な手法で把握した過去の気候変動や生物進化の過程と、最近の実測データを比較するわけです。生物に関しても、化石から得られている知見と現在の動植物の個体群の変化の情報を比較し、長い間の平均値から現在はどのくらい離れているのか。そういう方法で3つの分野、生物多様性と窒素循環と気候変動については、明らかに持続可能な範囲を超えている可能性が高いとなった。こうした地球規模で得られた知見を使って、では毎日どうすればいいかという議論が始まるべきですが、なかなか直接的につながらないんですね。スケールがあまりにも違い、そこが今まさに大きな課題で、昔から言われている「Think Globally、 Act Locally」(グローバルに考え、ローカルに行動する)という考えともつながるのですが、国連関連の機関が出している報告書を見て、それを地域や個人の日常生活でどのように活用できるのかということが非常に注目されており、大きな課題になっているんです。
小島 科学によって地球の限界を超えてしまっている分野が明らかになっているわけですよね。それに対し、いろいろなアクターがアクションを取るべきだということですが、例えば、先住民の知識や知恵であれば、住んでいる地域に注目して生態系とのかかわりについて情報を収集する方法がありますが、そうでない人々の日常生活はグローバル化した活動、海洋法の分野で言えば、海運に多くのサービスに必要なものを運んでもらっている現状があります。そういった日常生活の中で、自分の行動と地球規模の生態系への影響をどのように関連付けて考えられるのか、そのための方法は何なのか、ということをお伺いしたいと思います。
ホーテス 先住民族に関することはおっしゃる通りで、大抵はある特定の地域の中で先住民族の伝統的な生活様式が成り立っており、国際的な議論で得られている知見をそこで活用するのはなかなか難しい。特定の地域の生物の分布だけでなく、人間社会そのもの、そこに住んでいる人たちの権利を視野に入れることが重要になるため、最近の試みとして、そうした情報をIPBESの活動でどのようにまとめるかを議論するために、ステークホルダーネットワークができています。
その中で先住民族が自らのネットワークを作っており、科学者とは別に、自分たちの生活様式に関する議論を行って、それを科学者や政策決定者と共有する機会も設けています。そこで科学的な知見と人間社会、特に伝統的な人間社会に関する知見を、どのように包括的にまとめて評価できるのかということが、まだ苦労している面もありますが、今後の課題だと思います。
小島 ホーテス先生が示された自然関連財務情報開示タスクフォースも、企業が一定の指針に基づき、自らの活動が生態系にどのような影響を及ぼしているかを理解し、開示する試みだと思います。始まったばかりの取り組みということですので、ホーテス先生のような自然科学における研究者がいろいろな情報を分かりやすく社会に発信していくことは非常に重要だと思いました。
ホーテス 私からは、科学者が提供する情報を法律にする過程についての質問です。海洋である魚類の個体群の変化を把握し、どれぐらいの採取なら持続可能かという科学的根拠が手に入ったとしても、海の境界線は地図上にはあっても現場では把握しにくい面もあるし、その資源を誰が使っていいのか、実際にどれくらい採ったかを把握するのも大事だと思うのですが、法学の観点で、こういう情報があれば、もっとうまくできるということがあったら、IPBESでも参考になると思います。何かありますでしょうか。
小島 確かにどこでどれだけ採っていいのかという問題は、海洋法の中に存在しています。それは国家が自らいろいろな情報源から科学的情報を収集して決定します。おっしゃる通り、海洋は境界線によって、資源に対する権利が割り当てられています。日本の排他的経済水域までは、日本がその内にある天然資源(の探査・開発・保存・管理)についての主権的権利を持っています。その資源をどのように利用させるかは、主権の範囲で決めていいわけですが、生物資源保存のための措置をとりつつ漁獲可能量を決めることが義務付けられています。
ただ、自然界では、魚類資源が境界線を越えて移動したり、遠くまで回遊したりすることもあるわけで、その点については国連公海漁業協定の下で、これらの魚類資源を保存・管理するために国家間で協力することが義務付けられています。実際に、数多くの地域的漁業管理機関が設立されており、魚種別・海域別に資源を管理する体制ができています。国際法は、そうした協力体制を敷くものであって、そこで科学がどのように利用されるかは、それぞれの協力体制の中で決まっていくのですが、自国の利益を追求する締約国の間の政治的対立が実効性を妨げることもあります。例えばこれらの機関に、IPBESから資源状況に関する客観的な科学的証拠を提供していくことは重要であると考えます。
ホーテス 今はいろいろな情報をセンサーで大量に手に入れることもできると思いますが、情報を誰が集めて誰が管理するのかという点について、法律の観点から議論になったり関係していたりすることもありますか。
小島 国際法のレベルでは、科学的データの公共性は強調されていますが、例えば漁業資源の情報管理については条文上では規定されていないように思います。そもそも科学は国家権力に縛られるタイプの活動ではありませんが、(人権や倫理に関わる事項など)一定の範囲で、各締約国の国内法の中でどのように情報管理してそれを科学的目的のために利用するのかということが、政策や法律によって決められているのではないかと推測します。
ホーテス 小島先生のスライドにあった実施計画、Implementation Planで、地域住民や地域で持つ知識や経験と国レベルで決められる枠組みが接することもあるかと思うのですが、どういう関係性にあるのでしょうか。国際的観点で決められた枠組みと、これぐらい採っても大丈夫という地域の伝統知の結論が異なる場合、法律上はどうなるのでしょうか。地域でインフォーマルな形で決めてしまうことが許されるのか、国際的ルールだから地域においても尊重すべきなのか、何か知見がありますでしょうか。
小島 地域の知識の統合については、まだ知識の隔たりがあると言われている分野です。異なる状況にある国家が集まってつくる国際法の中身は割と漠然としていて、国家間で協力する義務や国家に対して生物資源保存の義務などを課すことまでで、どのように国際法上の義務を国内で履行するかは、各国の国内法や政策を通じて実施されていくものです。直接的に地域でどうするかは、国や自治体レベルで、地域コミュニティーの人々とのコミュニケーションを図りながら決めていくことだと理解しています。そういった意味で、海洋空間計画が非常に注目されており、ステークホルダーを政策実現の過程に参加させることで海洋の持続可能な利用についてのルール作りをしていくというプロセスが今、重要視されています。
ホーテス そちらは、IPBESにおける議論でも話題になっており、今後の課題でもあるのではないかと思っています。ありがとうございます。
小島 ありがとうございました。
中央大学×大手町アカデミア「気候変動の先の未来を創造する 科学政策インターフェイスが生み出す社会の持続可能性」(上)は こちら から
https://www.yomiuri.co.jp/choken/seminar/academia/20230330-OYT8T50095/