先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

百年記念塔解体の是非、道知事選の論点に 反対派2候補が訴え強める

2023-04-06 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年4月5日 21:12(4月5日 22:29更新)

解体工事が進む北海道百年記念塔=5日
 9日投開票の道知事選で、共に無所属新人で自営業の門別芳夫氏(61)、元美容室勤務の三原大輔氏(48)が北海道百年記念塔(札幌市厚別区)解体反対の訴えを強めている。自民、公明両党が推薦する現職の鈴木直道氏(42)と、立憲民主党推薦の新人で元衆院議員の池田真紀氏(50)はいずれも解体に賛成。経済や雇用に有権者の関心が集まる中、記念塔解体の是非も論点の一つとなっている。
 記念塔は道が北海道命名100年の記念事業の一環として道立野幌森林公園内に建設し、1970年に完成。解体は高橋はるみ前知事時代に、老朽化に伴う維持費や安全面の問題を理由に決め、道議会は鈴木道政下の昨年3月、与野党の賛成多数で解体関連費を含む予算を可決した。解体工事は今年1月に始まり、道は跡地に新たなモニュメントを設置する計画だ。
・・・・・
(小宮実秋、国乗敦子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/827715/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平取町役場 掲示板とカウンター木製に 好評「明るくなった」

2023-04-06 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年4月5日 18:07

町長室の表札や窓口カウンターが木の質感を生かした物になった平取町役場の1階
 【平取】町は役場の入り口に木製の掲示板を新設し、窓口のカウンターも木目が見える天板に替えた。木材利用を促進する「公共施設木質化事業」の一環で、町民からは「木の質感が温かく、空間が明るくなった」と好評だ。
 林業振興を目的に国が自治体に交付する「森林環境譲与税」を活用し、事業費は594万円。役場1階のカウンター6カ所(長さ約5~10メートル)や町長室の扉(縦1・85メートル、横80センチ)は、町内の人工林で最も多い道産カラマツ
・・・・・・
(杉崎萌)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/827549/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ウポポイ オルシペ>62 阿寒湖アイヌコタン 共に歩んだ前田光子氏

2023-04-06 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年4月5日 10:38

床タミ氏が前田光子氏に贈ったテーブルクロス
 国立アイヌ民族博物館では、5月14日まで第4回テーマ展示「地域からみたアイヌ文化展 アカント ウン コタン 阿寒湖畔のアイヌ文化」を開催しています。
 第4章「共に歩む人たち」では、阿寒湖アイヌコタンに縁が深く、阿寒湖畔の自然保護事業等を行う団体である前田一歩園(1906年=明治39年=、阿寒湖畔に設立。83年より一般財団法人前田一歩園財団に改称)を紹介しています。
 57年、3代目園主に前田光子氏が就任しました。光子氏は当時脆弱(ぜいじゃく)だった阿寒湖畔のアイヌの生活基盤を確立させるため、地域のアイヌに無償で土地を提供しました。それが、現在の阿寒湖アイヌコタンの発展へとつながっていきます。
・・・・・・
(文・長谷マメチヤイ=国立アイヌ民族博物館学芸員)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/827367/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ文様に魅せられて

2023-04-06 | アイヌ民族関連
ようこそサッポロ2023年4月5日

展示内容/20代から織り、染め、紡ぎ、編みなどの手仕事を追求してきた長谷川由紀子さんが最後に出会ったアイヌ刺繍。 その豊かで力強く、溢れながれる文様に魅了されコツコツと作り続けてきた作品を一堂に発表します。 針仕事歴50年を超える長谷川さんの集大成となる今回の展示は着物を中心にタペストリー、暖簾、テーブルランナーなどの小物も展示販売します。 企画/いぷしろん 企画室 舟見優子
アイヌ文様に魅せられて
開催期間
2023年05月16日~2023年05月21日
最終日は16:00まで
開催場所
GALLERY ESSE(ギャラリー エッセ)
札幌市北区北9条西3丁目9-1
ル・ノール北9条 1F
主催者
GALLERY ESSE(ギャラリー エッセ)
お問合せ
ギャラリーエッセ
電話
011-206-7338
公式サイト
https://esse.co.jp/gallery/
https://www.sapporo.travel/event/event-list/event-list_101746/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌの手仕事紹介 冊子を制作 地域おこし協力隊員の乾さん 札幌で関連作品展も 白老

2023-04-06 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2023/4/5配信
 白老町地域おこし協力隊員の乾藍那さん(36)=アイヌ文化振興担当=が、アイヌ刺しゅうや木彫りを手掛ける町内の作家やサークルを紹介する冊子「白老ハポの手仕事」を完成させた。掲載された作家が制作実演をする作品展も、29日から5月8日までJR札…
この続き:894文字
ここから先の閲覧は有料です。
https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/104059/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本海に浮かぶ「絶海の孤島・渡島大島」が噴火…江戸の世の松前を襲った「悲劇」はこうして起こった

2023-04-06 | アイヌ民族関連
現代ビジネス4/5(水) 6:47配信

東側遠方から見た渡島大島の全体像
島はどのようにできるのか【第9回】
 好評のシリーズ「島はどのようにできるのか」。これまで、海域での火山噴火の特徴やさまざまな地形地質の変化の原因を探ってきました。
【後編を画像で】上陸して判明…「噴火・崩壊」の現場と災害軽減が簡単でない理由
 今回は、海洋火山における山体崩壊と、その影響や被害について、北海道松前沖に浮かぶ「渡島大島」を例に見てみます。
 海域火山が多く存在する日本列島ですが、山体崩壊を起こすような現象は近年発生していません。しかし、17~18世紀の江戸時代には頻繁に発生していたというのです。今回の渡島大島もその一つ。残された資料によれば、犠牲者は、なんと1400名以上。
 当時の噴火の痕跡を求め、絶海の孤島を訪ねた著者の貴重なレポートをお届けします。
海域火山で山体崩壊が起こると、どうなるか
 日本列島には富士山のように美しい円錐形状の成層火山が多く存在する。噴火を何度も繰り返し、しだいに山体を成長させてきた結果だ。
 しかし砂山を高くしていくとある時突然崩れるように、火山は時に崩壊を起こし、山容を大きく変化させることがある。ふだん雄大に構える姿からは想像し難いが、崩壊による変化もまた火山のひとつの姿と言える。
 火山体の崩壊(山体崩壊)が発生する頻度は噴火と比べて低いが、ひとたび発生すれば甚大な災害を引き起こす可能性がある。日本国内の火山災害のうち、火山島や海に隣接した火山の山体崩壊とそれに伴う津波によるものは歴史上最も深刻で、多くの犠牲者を出してきた。
 日本列島には海域火山が多く存在するが、近年このような現象は幸いにも発生していない。しかし17~18世紀の江戸時代には山体崩壊と津波による災害が頻繁に発生し、歴史の中にその凄まじさが記録されている。
 山体崩壊はどのように発生し、どのような現象が起こるのか、今回は渡島大島で1741年に起きた山体崩壊と津波について、筆者の上陸調査の記録を交えながら探っていくことにする。
大津波が襲ってきた
 江戸時代は八代将軍徳川吉宗の治世の晩期、1741年、元号では寛保元年8月18日、津軽地方弘前一帯で有感地震が記録された。この地震発生とほぼ同じ頃、北海道南端に位置する松前半島の沖で噴火が起きているらしいことがわかってきた。
 8月23日以降、松前半島の江差をはじめとする村落では降灰により昼夜がわからないほど暗くなり、昼間でも行燈を使わなければ道の行き来もできない状態だったと伝えられている。大規模な噴煙が立ち上がり、噴火が激化していったようだ。
 ちょうど旧盆の時期であり、住民達はふだんなら盆踊りに興じている頃だが、恐怖のあまり神仏に灯を捧げ、ひたすら噴火が鎮まるのを念じたという。しかし事態は思いもよらぬ方向へ展開していく。
 8月29日明け方、突如として大津波がこの地域を襲ったのだ。家屋や船舶とともに多くの人々が流され、一部の村落は壊滅状態となった。津波は渡島大島付近から日本海沿岸に広がり、各地に被害をもたらした。松前や江差では津波の波高は10mを超え、弘前、佐渡島、能登でも数m、若狭湾や島根、さらには朝鮮半島沿岸でも津波の到達を示唆する記録が残されている。その影響は日本海沿岸の広域に及んだ。
 犠牲者数は松前藩が江戸幕府に注進した記録では1492人とされているが、これは松前に限定した数字である。流出家屋についても791棟という数字が残るが、アイヌの村落も大きな影響受けたはずであり、実際の被害はこれらの数を大きく上回る可能性が指摘されている。
原因は山体崩壊だった
 津波の原因については長く論争があったが、海底地形調査や数値シミュレーションなどから、「山体崩壊」が最も有力な説となっている。噴火を起こしていた渡島大島の西側を構成する山体が大崩壊を起こし海に流入し、大量の砕屑物が海面を押し上げ大津波が発生したのだ(図2)。
 日本列島の海域にある活火山と言えば、伊豆小笠原諸島や南西諸島の島々を連想するかもしれない。しかしこの渡島大島に代表されるように、活火山は日本海側にも存在し、寛保噴火のような災害リスクがあることを忘れてはならないだろう。
大きく変化した渡島大島
 山体崩壊が発生した後も、渡島大島の噴火活動は断続的に続いた。松前や弘前は津波による大災害に加え、翌年まで降灰による影響を受けた。島の形状は山体の一部が失われ激変したが(写真「崩壊を起こした渡島大島の北側斜面」)、大量の砕屑物の移動により周囲の海底地形も大きく変わってしまった。
 陸上では崩壊後も噴火が続き、新たな火口から溶岩が流出するとともに爆発により火砕物が堆積し、崩壊地形はしだいに埋まっていった。そしてついには新しい山体(寛保岳)が形成されるに至った(写真「渡島大島18世紀噴火により形成され寛保岳」)。
 噴火活動は18世紀の間にわたり間欠的に発生し、噴煙が上がる様子がたびたび目撃されている。1741年の噴火と山体崩壊、その後も続いた噴火活動により現在の渡島大島の姿ができあがったのだ。
残された問題
 1741年のイベントでは、どうやら陸上だけでなく海底部分も合わせて崩壊したのではないかと考えられている。総崩壊量は2km³を超えると推定されているが、陸上部分の崩壊量は0.5km³にも満たない程度であり、残りは海底山体に由来する。
 つまり島の一部が崩れ落ちただけでなく、海域も含めた大規模な地形変化が起きていた可能性があるのだ。
 しかし、崩壊現象の具体的な描像や津波の発生過程、噴火のどのタイミングで崩壊が発生したかなど、十分に理解されていないことがまだ多く残されている。
 渡島大島の事例は、火山噴火と山体崩壊、そして山体崩壊と津波の関係について理解を進めるための貴重な機会を提供しており、陸海に渡る統合的な調査研究が必要とされてきた。
 調査研究ため、実際に渡島大島へ上陸した著者。切り立った崖に阻まれ、人を寄せ付けまいとするかのようなこの孤島で、どんな発見が待っているのでしょうか? 噴火時の荒々しい痕跡を残しつつも、優美雄大な島の風景もご覧に入れましょう。
 つづきは、以下の【関連記事】からどうぞ。ブルーバックス・ウェブサイトでご覧の方は、下のリンクからお進み頂けます。
前野 深(東京大学地震研究所准教授)
https://news.yahoo.co.jp/articles/8226a12b425638d76b165dbf1cba5c1cba869d87

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂本龍一さんを偲んで

2023-04-06 | アイヌ民族関連
es2023年04月05日

Photo by Joi Ito Some Rights Reserved.
https://www.flickr.com/photos/joi/946749729
数日前に、坂本龍一さんの訃報が届きました。
2001年4月22日のアースデーの日に、代々木公園のイベントでご一緒したのが最初の出会いでした。私のメールニュースを読んでくださっていると聞いてびっくり! そこからメールのやりとりが始まりました。
そうこうしているうちに、9.11が起こり、坂本さんたちといろいろな世界の情報をやりとりするうちに、「坂本龍一+sustainability for peace」というグループの一員として、12月に『非戦』を出版しました。
「非戦」 坂本龍一+sustainability for peace
作家の宮内勝典さんが寄せられた「非暴力こそが真の勇気 ──『非戦』が生まれるまで」から、この本ができた経緯を紹介させていただきます。
~~~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~                    
(前略)
 インターネットを通じて、詳しい情報がぞくぞくとやってくるようになった。
ニューヨークの坂本龍一、屋久島の星川淳、環境ジャーナリストの枝廣淳子、さらに世界中に散らばる友人たちが、各国のサイトを読み漁っては、読むに値すると思われるものを、次々にメールで送ってくれる。
 効率よく情報を回すために、友人たちの間でMLがつくられることになった。
 新聞社の記者たち、経済、環境問題の専門家、平和運動家たちも加わってくれた。そうしてMLの情報は、驚くべき量に膨らんでいった。
 たった一人、報復戦争に反対票を投じたバーバラ・リー下院議員のスピーチや、WTCでわが子を失った人びとのメッセージ、各国の作家、思想家、ジャーナリストたちの論考もどんどん集まってきた。
 MLメンバーたちの内部で、「もったいない、本にしようか」 という声が、自然に湧き上がってきた。
 坂本龍一さんが、幻冬舎に国際電話を入れ、まったく一夜にして緊急出版が決まった。本のタイトルも、すぐに『非戦』と一致した。
 プロの翻訳家、同時通訳者である友人たちが、猛烈な勢いで翻訳に取りかかった。翻訳許可や版権を取るため、世界中にメールが飛び交った。目を見張るほどの進行速度だった。
 新聞社のメンバーたちは、激務の間を縫いながらインタビューをしたり、調査、情報確認、地図づくりの作業に取りかかった。決して表に立つこともなく、裏方に徹しての作業だった。このようなジャーナリストたちがまだ残っていたのか、と目を疑った。「無償の行為」という言葉も、久しぶりに思いだされた。
 ミュージシャンや、アイヌ民族、被曝体験者たちの原稿も次々に集まってきた。印税は、テロの犠牲者や、アフガニスタンの難民たちに寄付されることになっていた。
 メールは連日、250通を超えるようになった。378通に達した日もあった。MLをつくって、まだ一か月もたっていなかった。
 ぼくも大急ぎで「種・戦争・希望」というエッセイを書いた。そのくらいしか役に立てなかった。
 そして、つい先日、校正が終わった。390ページぐらいの厚い本になりそうだ。こんな猛スピードの本づくりは、生まれて初めてだった。
(後略)
~~~~~~~~~~~~~~引用ここまで~~~~~~~~~~~~~~~~~
以下は、出版をお知らせする当時の自分のメールニュースからの抜粋です。
~~~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~
この<sustainability for peace>という、10人ちょっとのグループの母体であり舞台となったMLを設定したのは、10月7日のことでした。宮内さんが書いてらっしゃるように、情報交換の中から、「出版して広く読んでほしいね」という声が出たのが10月16日。それから、どの論考を載せるか、だれに執筆を依頼するかという議論が展開して(MLメール数約200通/日)、10月末に、翻訳や掲載許可の依頼など、本格的な作業がスタートしました(MLメール数300通/日)。
年内に出したい!ということで、11月10日が原稿締切。10日間でほとんどすべての原稿の準備をしたことになります。そして、校正をしながら、細かな詰めを行い、いま、印刷所に回ったところです。これほどの「短期決戦型出版プロジェク
ト」はあまりないので、ギネスブックに載るかも(^^;)。
忙しかったけれど、とてもおもしろいプロジェクトでした(まだ完全には終わっていませんが・・・)。ほとんどお互いに会ったこともないメンバーのグループなのですが、うまく専門を活かした役割分担が自然にできて、励まし合いながら進められたこともよかった。
私は主に海外執筆者を担当しましたが、「思いは通じる!」という体験を何度もしました。私のHPにも載せさせてもらっている手紙や論考もいくつか本に含まれていますが、ネットメディアで流れていた情報がほとんどだったので、本に掲載する許可をもらうために、執筆者を突き止めるのにいちばん苦労しました。
まさに怒濤のような1ヶ月。しかも11月は通訳・講演のハイシーズンでしたから、ほとんどスケジュールに空きがない中での作業・・・ということで、ニュースが犠牲?になったのでした。ご心配をかけた方々、すみませんでした。m(_ _)m
~~~~~~~~~~~~~~引用ここまで~~~~~~~~~~~~~~~~~
宮内さんの文章も、今なお強く訴えかけるものの多い一遍です。こちらに当時のメールニュースをアップしましたので、よかったらご一読ください。
『非戦』が生まれるまで(2001.11.26)
まったくフラットなネットワーク型チームでしたが、坂本龍一さんは、原動力として、北極星をつねに指し示すリーダーとして、この怒濤の出版プロジェクトを引っ張ってくれました。大変だったけど、楽しかった思い出です。
そのあとも、私の出版する本の帯を書いて下さったり、一緒にイベントに登壇させていただいたり。富野由悠季監督と、音楽家の坂本龍一氏がこれからの時代に求められる創造性について語る、という『エコ+クリエイティブ』が起こすイノベーション」シンポジウムではコーディネータ役を仰せつかって、どうしようかと思いましたが、これまた楽しい時間でした(^^;
本を出して世に問い始めたばかりの私を、帯や序文まで書いて応援して下さったことも、本当にありがたく思い出します。
『地球のなおし方 限界を超えた環境を危機から引き戻す知恵』 ドネラ・メドウズ+デニス・メドウズ+枝廣淳子(共著)
帯の言葉(坂本龍一さん)
「これは、ぼくたち人間にとってだけではなく、地球にとって1,2を争うほど大事な本です。」
アル・ゴア著 『不都合な真実』(翻訳 枝廣淳子)
〔推薦のことば〕
「人類の未来のために、なるべくたくさんの人に、手元においてもらい、何度も開いてほしい本です。」  坂本龍一
『私たちにたいせつな生物多様性のはなし』 枝廣 淳子 (著)  
推薦の言葉(坂本龍一さん)
「生物多様性という言葉は知っていても、
それが実際自分たちの生活にどう関係あるのか、
うまく思い描けない人が多いんじゃないかな。
この本を読むと、地球上の全てはつながっていることを
実感できるようになるよ。」
環境関連の2冊目となる本は、自分のメールニュースを編集して作ってもらったものでした。坂本さんはこれに温かい序文を寄せて下さいました。なんとありがたいことでしょう。
「地球のセーターって、なあに?―地球環境のいまと、これからの私たち」
~~~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~
序文
枝廣さんの環境ニュースを読んで誰でもまず圧倒されるのが、その情報量でしょう。「普通の」主婦が、いくら朝2時に起きたとしても、よくもこれだけ多様なテーマを、これだけの深さで扱えるものだと感心してしまう。それだけでなく、その人的交流の幅の広さ、通訳も翻訳もこなし、講演もし、会議にも出席するという、その行動力にも驚嘆。そんな著者をぼくは、ガリガリ勉強してカッカッと素早く歩き、ファッションには全く興味がなくて、男どもを叱咤激励するこわ-いスーパーウーマンじゃないかと想像してましたが、実際にお会いした枝廣さんは意外なことに、人の話をよく聞く、もの静かで才色兼備な女性でした。
この本には、様々な「気づき」へのヒントが散りばめられています。そして気づいたら次にどのように行動すればいいかも。枝廣さんが紹介する多くの事例から浮かび上がってくるのは、人と人との関係、人と他の生物との関係とそれをとりまく自然との関係について、近代を支配してきた思考方法一例えばGNPを豊かさの指標とする、あるいは自然を資源とみなすーではなく、新たな見方、新たな関係を築くことなしには、現在のような自然破壊、生き物破壊の趨勢は止まらないということだと思います。新たな思考は一つではないので、枝廣さんは、観念的、哲学的に一直線に語るのではなく、多くの事例とともに、たくさんの人々の試行を枝廣さん自身が学びながら、人間の関係を再生させることと、環境を再生させることが実は同じ根っこをもつ問題なのだということを、その饒舌な言葉の下で、静かに見つめているような気がします。
実はぼくがこの本で一番印象に残った記事は、No.521(2001.07.25) 「学級崩壊から総合学習へ」でした。これは、ある小学校での学級崩壊の危機から総合学習を通して、子どもたちがお互いに自由に意見を言えるようになり、学級崩壊の危機が救われる過程を紹介したものです。本物の民主主義を「手づくり」で模索する子どもたちと、それをやさしく助ける大人たちがいることに、ぼくはまるで奇跡を見るように感動します。そして、自分たちで問題を考え、議論し、意見を交換し、意見の違いを認め合うという、子どもにできることが、なぜぼくたち大人社会ではなかなか機能しないのか、不思議に感じます。
このように、この本は頭と心で考えることを促します。それをさらに「身体で考える」ことにつなげていくかどうかは、私たち読者が踏み出すほんの小さな一歩にかかっています。
坂本龍一
~~~~~~~~~~~~~~引用ここまで~~~~~~~~~~~~~~~~~
坂本さんが一番印象に残ったというNo.521(2001.07.25) 「学級崩壊から総合学習へ」も、こちらにアップしました。よかったら読んでみてください。
学級崩壊から総合授業へ(2001.07.25)
天国でも教授として非戦の活動に力を入れていかれるのだろうなあ。
坂本さん、私もこちら側にいる間は、できることをできるだけ頑張ります! 
いつかまたお会いする日まで。
心からご冥福をお祈りします。
https://www.es-inc.jp/insight/2023/ist_id012538.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアの南下政策を警戒!幕末から蝦夷地=北海道は危機に面していた

2023-04-06 | アイヌ民族関連
武将ジャパン2023/04/05
不凍港を求め、何かと言えば南下作戦を強行するロシア。
ウクライナ侵攻が世界から非難轟々であり「日本も決して他人事ではない!」という声も上がっています。
これを「大袈裟な……」と冷笑する方は、今や少数派でしょうか。
事実、ロシアの南下政策に対しては、江戸時代(幕末)の日本でも真剣に検討され、現実に作られた施設もあります。
箱館の五稜郭です。
あのギザギザとしたトンガリスタイル、実は防衛能力的にもかなり優れているのですが。
そもそもは対北方の敵を想定して築かれた要塞でした。
なぜならロシアは、アメリカよりずっと先に日本へ開国のアプローチ・プレッシャーをかけていたのですから。
ペリーばかりが注目され、実はそれよりずっと脅威だった、幕末の対ロシア政策。
本稿では、その様子をまとめてみました。
黒船よりずっと早い! ロシアの脅威
嘉永6年(1853年)。
浦賀沖に姿を見せた黒船に、日本中は衝撃に包まれた――そんな場面は大河ドラマ等でおなじみです。
ただし、これが日本と異国船のファーストコンタクトではありません。
嘉永6年から10年以上前の1840年代。
南端の薩摩藩や、太平洋側に長く海岸線の続く水戸藩では、すでに異国船への対応が課題として認識されておりました。
遡れば文化5年(1808年)にはフェートン号事件も起こっております。
このとき幕府は口をつぐむオランダではなく、別の国からヨーロッパ事情を聞き出しております。
ロシアです。
日本が異国船の脅威、西洋の圧迫感を覚え始めた契機は、実は北方のロシアからのものが最初でした。
しかし、幕府も北方を軽視していたのか。
長崎を襲われたフェートン号事件、そして浦賀の黒船と比較してどうしても重視されません。
ロシアが迫る蝦夷地は松前藩が治めており、「無高(一万石高)」の大名でした。彼らはアイヌとの交易を中心として藩財政を成立させていたのです。
そんな松前藩が広大な蝦夷地を守り切るのは、どうしたって無理がある。
そこで幕府が頼りにしたのは、奥羽(東北)の諸藩でした。
蝦夷地が幕府領だった時代がある
江戸時代を通した蝦夷地といえば、松前藩の領土です。
しかし例外があり、幕府領となった時期もありました。以下の通りです。
◆第一次幕領期(1799〜1821)※松前藩は梁川へ転封
◆第二次幕領期(1854〜1868)
こうして振り返ってみますと、いくつか惜しまれることがあります。
まず、第一次後にあった約30年もの空白期間(1821~1854年)です。
第二次は黒船来航の翌年からであり、実質的に幕末期。
もし、第一次からずっと警備をしていれば、歴史は異なっていたでしょう。
第一幕政期のあいだ松前藩は転封とされてて、注目は第二次幕領期です。
戊辰戦争に奥羽諸藩が巻き込まれ、実質的に蝦夷地がガラ空きになってしまったのです。
奥羽諸藩は、後の中央政府に絡まないため、どうしても軽視されがち。
幕末モノの作品にしても、薩摩藩や長州藩の引き立て役となりがちで、国際感覚が欠如していたという描写も見られます。
しかし、です。
実は彼らは、黒船来航よりもはるかに以前から、ロシア脅威に対して論考を重ね、蝦夷地警備にも駆り出されていました。
それは決して楽な仕事ではありませんでした。
江戸時代の諸藩は、時間を経るごとに、政治的や構造の矛盾によって問題が山積みとなり、特に奥羽の諸藩は飢饉の影響を受けやすく、どの藩も財政難に苦しんでいました。
それでも彼らは、蝦夷地を守ろうとしていたのです。
例えば第一次の幕領期には、以下のような分担が課されておりました。
【第一次幕領期】
弘前藩:西蝦夷地、国後、択捉警備担当
盛岡藩:東蝦夷地、国後、択捉警備担当
仙台藩・秋田藩・鶴岡藩・会津藩:非常時出兵担当
この奥羽六藩は、時に交替しながら警備を担当。
極寒の地においては、栄養不足による疫病の発生により死者が多発することもありました。
樺太が見いだされた
コロンブスがアメリカ大陸を発見した、という言い方は最近否定されつつあるようです。
西洋人が発見する前から、アメリカ大陸は存在しており、人も住んでいたのだと。
樺太についても、似たようなことが言えるのではないでしょうか。
間宮林蔵の探険により、日本が認識したとされる樺太。
それ以前に会津藩が、幕府の命令を受けて対ロシア警備を行っていました。
クシュンコタン(のちの豊原/現在のユジノサハリンスク)がロシアによって襲撃され、その対抗措置として派遣されたのです。
この会津藩による警備は、間宮林蔵の探険よりも早い。
松前藩士が上陸し、探険したこともありましたが、幕府の認可のもとで樺太へ最初に上陸した和人とは、間宮ではなく会津藩士と言えるのではないでしょうか。
間宮の探険は、時代の転換点の象徴といえました。
外からは、北方ロシアの圧迫が迫っている。国内での産業や経済は爛熟し、外との公益も求められるようになっていく。このままでは限界があると、幕府も考えていたのです。
五稜郭は和洋折衷ハイブリッドだ
幕末モノのフィクションですと、京都はじめ西日本で政治活動をしていた西南の藩に対し、のんびりと時代の流れについていけなかったように描かれるのが、東北諸藩です。
重ねて申し上げますが、それは誤解です。
彼らは彼らなりに、ロシアの脅威をひしひしと感じており、蝦夷地警備を担当しておりました。
五稜郭や四稜郭も、こうした中で建築された城塞です。
五稜郭のあの形は、西洋由来のヴォーバン式、クーホールン式、そして日本式を組み合わせたハイブリッドです。
これだけのものを作ることが出来るほど、幕府にだって知識もあったわけです。
設計者は、大洲藩士・武田斐三郎成章でした。
緒方洪庵の適塾で学んだ秀才で、オランダ語を理解していたものの、英語を学ぶ機会はなかったため、函館の捕鯨員から学んだとか。
この武田が、幕政の無茶ぶりに直面します。ペリーは浦賀だけに立ち寄ったわけではなく、浦賀の前に琉球、後に蝦夷地の函館にも立ち寄っております。
ここで幕府側が交渉役に指名したのが、武田でした。当時28歳です。しかも、オランダ語の読み書きはできても、英語はできません。しかも、そこまで身分が高いわけでもない。
それでもペリーの通訳を務めたウィリアムズは、武田について記しています。
「背が高くて、私が出会った日本人の中では最もハンサムな部類に入る。学識もあり、おそらく身分も高い」
当時の来日外国人は、日本人男性の容姿を褒めることは滅多にありません。武田は気品あふれるイケメンだったのですね。
ウィリアムズが思ったほど武田の身分はさ高くはありませんが、これは日本特有の事情もあるのでしょう。日本は他国と比較すると身分が均質的で、立ち居振る舞いや服装を見て、一目でわかるわけでもありません。
そうはいっても、武田はきっと立ち居振る舞いが素晴らしかったのでしょう。
武田には幕末らしさが溢れています。
さほど身分が高くなくとも、彼は長崎と函館で学識を深めることができました。そして実力を認められ、ペリーと交渉するほどの大役を任せられたのです。
そんな武田に、函館へやってきていたフランスの海軍人たちが築城術を教えてきます。フランス人は何が目的だったのか?
幕末函館に訪れたフランス人には、“怪僧”ことメルメ・カションもおります。カションも栗本鋤雲と熱心に対話しており、ともかく親切です。
フランス人気質と言えるのかどうか。彼らには目論見があったことは確かです。当時、フランスでは蚕に伝染病が流行し、絹糸生産が止まるという危機を迎えていました。
絹産業を復活させるためには、本場である清か、あるいは日本からの導入が近道です。頑なな清よりも、日本の方がよいのでは? そういった思惑もあったようです。
かくして五稜郭設計と建設について詰められていた安政3年(1856年)――この歳30歳になった武田は、旗本に準じる幕臣として取り立てられました。
ここで武田は、横須賀造船所の函館版のような事業を展開します。製鉄に、銃砲製造に取り組み、五稜郭に備え付けることとしたのです。
しかし、不運にも暴風雨にあい中断。再開するほどの財政的な余裕も幕府にはなく、中途半端に終わってしまいました。
中途半端といえば、五稜郭の立地もそうです。
戦国時代の城郭は、地理的条件を踏まえ、険しい地形に建てられることもありました。しかし、都市が形成され、役所としての機能を備えるとなると、それでは不便なのです。
武田自身は、五稜郭はもっと奥まった場所に建てるべきだと考えていました。とはいえ、箱館奉行所としての機能も備えるとなえると、そうもいかない。
五稜郭は和洋折衷です。そうした様式のみならず、軍事要塞と役所機能というハイブリッド型でもありました。
【箱館戦争】の短期決着から、五稜郭はしばしば酷評されます。
しかし、機能と役割を踏まえれば限界もりました。
箱館戦争の勝敗には、列強の思惑も大きく絡んでいて、幕府軍最大の強みである海軍は、開陽丸を事故で失ってしまい、力を大きく落としました。
そうはいっても、これが決定打ではありません。
新政府軍の背後にいるイギリスが、アメリカから戦艦ストーンウォールを取り寄せたからには、優位性は失われてしまったのです。
エンジニアとして五稜郭に携わった武田は、軍人として【箱館戦争】には参戦しておりません。明治維新以降は新政府の陸軍に仕えました。
華々しく幕府に殉じたわけでもなく、寡黙な技術者肌であった武田。そのため知名度が高くないことが惜しまれます。
ちなみにあの新島襄も、この武田に会うために函館まで渡ったと言います(タッチの差で、会えなかったそうで)。
現在、五稜郭には武田の顔がレリーフに刻まれております。
確かに気品ある、なかなかの美男です。
上掲の画像をご覧のように、顔だけがテカテカとしてますよね?
なんでも「触ると頭がよくなる」という伝説のせいで、すり減っているんだとか。
※続きは【次のページへ】をclick!
陣屋もあった
五稜郭と四稜郭だけが、こうした建造物ではありません。
函館市内には、三稜郭、七稜郭とみなせるものがあります。函館のものは、幕府軍が築いたものと推察されます。
しかし、実はこれだけではないのです。
蝦夷地には、奥羽六藩や松前藩が築いたとみられる、警備のための陣屋跡が各地にありました。
そうした跡は、歴史の流れの中、建物は壊されて跡も消され、ひっそりと消えていったものも多いのです。
とはいえ、全てが消えてしまったわけではなく、保存されて見学できる場所もあります。
白老にある白老仙台藩陣屋跡は「仙台藩白老元陣屋資料館」として整備されています。
戸切地の戸切地陣屋は、整備事業が行われており、見学もできます(参考:北斗市歴史年表)。
国指定史跡に指定された陣屋も存在します。
 幕末の南樺太警備
幕末期、幕府は南樺太の警備も行っておりました。
彼らの認識では、南樺太を「北蝦夷地」とみなしていたのです。
例えば安政元年(1854年)。
秋田藩が樺太警備を命じられました。
安政3年(1856年)から、シラヌシ(白主/のちの好仁村、現シェブニノ)とクシュンコタンに、夏期のみ警備をつけることになったのです。
会津藩は、京都守護職となったため途中で抜けるものの、さらには仙台藩・鶴岡藩(庄内藩)も加わり、幕府は南樺太の警備を行いました。
南樺太にも、こうした奥羽諸藩の陣屋が残されたのです。
明治維新後に一転して
ロシアへの備えとして不十分とは言えるものの、まったくの無警戒でもなかった――それが幕府の蝦夷地政策です。
それがノーガードとなってしまうのは、戊辰戦争が原因。
この戦乱期、会津藩と庄内藩は蝦夷地をプロイセンに割譲することを条件に、支援を取り付けようとしました。
「あまりに酷い外交政策だ」と非難される行為ですが、そもそも蝦夷地に警備空白の状況を作ってしまったのは、戊辰戦争を仕掛けた側といえるのではないでしょうか。
争いの中、蝦夷地は、最後まで屈しなかった幕臣たちが希望をつなぐ場所となりました。
彼らは松前藩を蹴散らし、幕臣として最後の望みを繋いだのです。
そして戦争が終結し、明治維新となってから、北海道と名を変えた蝦夷地と、東北出身者の関係は別の縁でつながれます。
東北諸藩の人々は、蝦夷地警備の経験もあることだからと、屯田兵として北海道開拓に従事させられます。
そもそも戦争敗者として、他に行き場もありません。
過酷な北の大地。
現代のように整備のされてない、荒涼とした野原。
条件は日本で最悪と言っていいでしょう。
彼らに蝦夷地の滞在経験があったとかそういうことではなく、戊辰戦争の敗者ゆえに開拓で苦労するのは自業自得――新政府側にはそんな考え方があったと目されます。
開拓と流刑をセットにした一石二鳥の待遇=屯田兵。
大人気作品『ゴールデンカムイ』には、中央への不満を露骨に漏らし、その冷淡さを怒る人物が出てきます。
『ゴールデンカムイ』単行本10巻収録第97話より土方のセリフ
「旭川の発展をもたらした『上川道路』
札幌と旭川を結ぶ道路脇には…
おびただしい死体が埋まっている
ヒグマと狼に怯えながら寒さと飢えに苦しみ
死んでいった囚人たちだ」
「樺戸集監に収容されたのは
戊辰戦争や西南戦争で負けた国事犯と呼ばれる武士たちだ
勝てば官軍
負ければ賊軍
戦争というのは負けてはいかんのだ」
『ゴールデンカムイ』単行本14巻収録第131話より鶴見中尉のセリフ
「蝗害も暴動も 中央の人間がこんな地の果てまで確かめに来ることはまず無い 中央なんぞいつだって事後報告で充分だ」
北海道の歴史があまり語られないため、
『この人たち、何でこんなに怒っているの?』
と疑問を感じる方がおられるかもしれません。
しかしそこには、幕末から繋がる歴史があったのです。
江戸幕府も、異国船の脅威に対して重い腰を本格的にあげたのは、江戸に近い浦賀に黒船がやって来てから。
明治政府は、北海道開拓を東北出身者中心に実質ぶん投げていた。
中央はあまりに冷たいのではないか?
そんな無関心への怒りが、劇中の彼らの胸中にあったとしても無理のないことではないでしょうか。
今では立派な観光シンボルに
そんな五稜郭は、時代の荒波を潜り抜け、今では函館市民の憩いの場となりました。
函館市民をワクワクさせる五稜郭の歴史は長いもの。かつて北海道名物として「函館氷」がありました。
幕末の日本人は、居留地の外国人が氷を求めることに驚きました。
江戸時代の氷といえば、将軍様や殿様が山から取り寄せ食べるもの。それを外国人は使いこなし、アイスクリームなんてものまで食べているのです。
「これからの時代、氷を売れば、大儲けじゃねえか!」
そう思いついた中川嘉兵衛という商人がおりました。輸入頼りの氷を国内で産出販売すればビジネスチャンスだと考えたのです。
そして目をつけたのが、五稜郭の堀でした。
幕末から明治にかけて、【箱館戦争】へ向かう中、氷を求めた連中もウロウロしていたのですから、興味深いものがあります。ドラマにしたら面白そうです。
こうして売られた「函館氷」は北海道名物になりまして、銀座には「函館屋」という店までできました。
モダンな店に、エプロン姿の女給がいて、アイスクリームを提供する――そんな浪漫あふれる店にまで、函館氷は届いていたのです。
そうはいっても、気になることは衛生面です。次第に人造氷ができるようになると、函館氷は役割を終えます。今では函館銘菓にその名を残しているのでした。
そして昭和ともなると、高度経済成長期が訪れます。
昭和30年代から40年代にかけて、北海道旅行ブームが到来。
五稜郭にはタワーができます。五稜郭最大の特徴である形を見るために、タワーは最適。城郭跡にタワーがあるなんて、五稜郭の大きな個性といえます。
展望台には土方歳三のブロンズ像が飾られ、函館の街を見守っているようです。立派な観光資源として、修学旅行生はじめ観光客が訪れる定番スポットとして、五稜郭は存在しています。
幕末の動乱から、観光立国のシンボルとして――日本が歩んできた150年が、五稜郭には凝縮されています。
その歩みを知る書籍として、濱口裕介氏『「星の城」が見た150年: 誰も知らない五稜郭』(→amazon)は必読の一冊です。
北海道の歴史を凝縮したおもしろさがぎっしりと詰まった一冊です。
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2023/04/05/116089

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンダバイオテック、南ユート成長基金アカ・アグとの画期的資本提携を発表

2023-04-06 | 先住民族関連
時事通信April 5, 2023 18:41 UTC
南ユート成長基金の子会社アカ・アグが、パンダバイオテック社のパンダ高地ヘンプジンの資本パートナーになる契約に合意
米ダラス--(BUSINESS WIRE)-- (ビジネスワイヤ) -- パンダバイオテック社は、パンダ高地ヘンプジン™(PHPHG)プロジェクトと南ユート先住民族成長基金(成長基金)の間で画期的な資本提携契約を締結したことを発表しました。成長基金は、連邦政府公認の部族である南ユート先住民族が所有するものです。今回の戦略的提携は、成長基金の子会社であるアカ・アグ合同会社との間で締結されました。
本プレスリリースではマルチメディアを使用しています。リリースの全文はこちらをご覧ください。:https://www.businesswire.com/news/home/20230405005297/ja/

Panda Biotech's Panda High Plains Hemp Gin Facility in Wichita Falls, TX (Photo: Business Wire)
この投資は、PHPHGが待望していた2023年第4四半期の操業開始に向けて大きく前進したことを意味します。PHPHGはテキサス州ウィチタフォールズに位置し、米国最大の麻精選センターかつ世界最大の産業用麻加工施設となる予定です。
ディクシー・カーター社長は、この提携について「パンダバイオテックは、最初のプロジェクトであるパンダ高地ヘンプジンのために、これ以上ないほど優れた資本パートナーを選べたと言えます。南ユート先住民族とその子会社は、数々の戦略的な機会をもたらす長期的で有望なパートナーシップになることが期待されます」と述べています。
南ユート先住民族は、長年にわたる着実な経営と慎重な事業取引により、全米で初めて「AAA」の信用格付けを獲得した先住民族です。南ユート先住民族の事業部門である成長基金は、アカを通じて環境志向のビジネス投資機会を支援することを目的としています。麻は、生態学的に見て他の繊維よりも持続可能な選択肢であることが証明されているため、成長基金のアカ・アグ部門は、PHPHGで目指そうとしているパンダバイオテック社のビジョンと共通しており、共に天然麻繊維の革命的な可能性を秘めています。
成長基金の理事であるシェーン・セイベルは、「成長基金は、パンダバイオテックとPHPHGプロジェクトで提携できることを光栄に思っています。パンダとはさまざまな事業で何十年も成功を収めてきました。PHPHGの投資は、我々の企業価値と合致しており、将来にわたって持続可能なソリューションを提供する事業を実現するための補完的かつ戦略的なパートナーシップであると捉えています。」と付け加えました。
産業用麻は、二酸化炭素を大量に吸収することが科学的に証明されており、栽培に必要な水や除草剤・殺菌剤・殺虫剤が、繊維製造に使われるほとんどの作物よりも大幅に少なく済みます。繊維業界はPHPHGの取り組みに注目しており、多くのグローバルブランドや世界トップクラスの紡績工場など、業界のリーダーたちがパンダとのパートナーシップの可能性についてアプローチしています。
現在までに、必要な麻加工機器の約95%が製造され、そのほとんどがウィチタフォールズにある50万平方フィートの施設に搬入されています。PHPHGは、本年第4四半期に稼働開始する予定です。
PHPHGの施設では、米国産の麻藁のみを加工することになっています。パンダは、2023年の栽培シーズンに向けて生産者と契約しており、農家向けに種子を用意しています。この提供種子の遺伝子は、ウィチタフォールズ周辺の地域でうまく育つことが証明されています。生産者のお問い合わせやその他の詳細については、以下をご覧ください。www.pandabiotech.com.
パンダバイオテック会社概要
テキサス州ダラスを拠点とする株式非公開のパンダバイオテック社は、米国の新興産業である麻繊維・麻がら産業における第一人者です。パンダバイオテック社の経営陣は、クリーンエネルギーの大規模インフラ施設の開発・融資・建設・運営に豊富な経験を有しており、これまでに、約120億ドルの投資資金に相当する22のプロジェクトを開発してきました。同社は現在、大規模な産業用ヘンプジン施設を建設中です。パンダの最初の施設であるパンダ高地ヘンプジン™LLC(PHPHG)はテキサス州ウィチタフォールズにあり、2023年第4四半期に稼働開始予定です。同施設は、西半球で最大の麻加工・機械綿化施設となる予定です。詳細については、以下をご覧ください。www.pandabiotech.comおよびInstagram、Twitter、LinkedInの@pandabiotech。
南ユート成長基金
コロラド州の南ユート先住民居留地に拠点を置く南ユート成長基金は、南ユート先住民族の繁栄と多様なビジネス・ポートフォリオを管理しています。成長基金は、部族の事業を責任を持って実施し、新たな成長機会を慎重に開発することで、部族とその家族の経済的繁栄を実現するために存在しています。南ユート成長基金は、レッドウィロー生産会社、レッドシダー収集会社、GFプロパティーズグループ、GFベンチャーズ、GFプライベートエクイティ、アカ・エネルギーグループ、アカ・アグから構成されています。南ユート族は、アメリカ先住民族として初めて一般債の格付け「AAA」を獲得しました。
本記者発表文の公式バージョンはオリジナル言語版です。翻訳言語版は、読者の便宜を図る目的で提供されたものであり、法的効力を持ちません。翻訳言語版を資料としてご利用になる際には、法的効力を有する唯一のバージョンであるオリジナル言語版と照らし合わせて頂くようお願い致します。
businesswire.comでソースバージョンを見る:https://www.businesswire.com/news/home/20230405005297/ja/
https://www.jiji.com/jc/article?k=20230405005297&g=bw

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米国議会図書館(LC)、アーカイブ・歴史・文化遺産に関するインターンシッププログラム参加者を募集中

2023-04-06 | 先住民族関連
カレントアウェアネス-R2023年04月05日
米国議会図書館(LC)が、2023年9月11日から11月17日まで実施されるアーカイブ・歴史・文化遺産の高度なインターンシッププログラム(Archives, History and Heritage Advanced Internship Program)への参加者を募集しています。
同プログラムは、次世代の多様なアーキビストとナレッジワーカーに対し、コレクションやプログラムを分析、整理、解釈する機会が提供されるとしています。
同プログラムの対象は、アフリカ系米国人、ヒスパニック系、ラテン系、先住民族、米国および図書館のコレクションにおいて歴史的に十分な存在感を示していない有色人種コミュニティ等のマイノリティを対象とした高等教育機関に在籍している学生または最近卒業した人などであるとしています。
Library Seeks Applicants for the 2023 Archives, History and Heritage Advanced Internship Program(LC, 2023/3/22)
https://newsroom.loc.gov/news/library-seeks-applicants-for-the-2023-archives–history-and-heritage-advanced-internship-program/s/cd6d36cc-7b0d-4790-8f35-52f0026b84e7
Archives, History and Heritage Advanced Internship Program (AHHA)
https://www.loc.gov/programs/of-the-people/learn/archives-history-and-heritage-advanced-internship/
参考:
米国議会図書館(LC)、2016年夏の大学生・大学院生向けインターンシップ(ジュニアフェロー)申請者を募集中 [2015年12月08日]
https://current.ndl.go.jp/car/30163
米国議会図書館(LC)の米国民俗センター、多様なコミュニティにおける文化や伝統の記録を行う個人・機関を対象とした助成を実施 [2021年07月26日]
https://current.ndl.go.jp/car/44477
E537 – LCの大学生向けインターンシップ
カレントアウェアネス-E No.90 2006.09.06
http://current.ndl.go.jp/e537
https://current.ndl.go.jp/car/179856

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豪最大野党、改憲案に反対 先住民「代表機関」のめず

2023-04-06 | 先住民族関連
時事通信2023年04月05日17時42分
 【シドニー時事】オーストラリアの最大野党・自由党は5日、議員総会を開き、アルバニージー政権が議会に提出した先住民の地位確立のための憲法改正案に反対する方針を決めた。改憲案に盛り込まれた先住民の「代表機関」創設案を受け入れられないことを理由としている。政権側は超党派の支持を期待していたが、改憲実現のハードルが高くなった。
 改憲案は「代表機関」を「先住民に関係する問題で議会や政府に意見を表明できる」と規定。自由党のダットン党首は総会後の記者会見で、先住民の地位を憲法に明記すること自体は容認するものの、「(代表機関の設置は)国民を分断しようとするものだ。良い結果をもたらさない」と批判した。自由党と保守連合を組む国民党も、同様に改憲案に反対している。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023040500923&g=int

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業に人権尊重の点検促す 経産省、実務者向け資料

2023-04-06 | 先住民族関連
共同通信2023年04月04日
 経済産業省は4日、企業が事業活動で人権侵害をしていないかどうかを点検するための実務者向け参照資料を発表した。海外で強制労働などが問題となる中、業種や製品、地域ごとに侵害事例を挙げ、まだ点検を本格化していない企業に対応を促す。
 業種別では漁業での人身取引を伴う労働、製造業での児童労働や、先住民の生活様式に影響を与えるような場所での原材料調達を問題視した。国際労働機関(ILO)などの資料に基づき、人権侵害が指摘されている産品の例としてコーヒーや紅茶、パーム油のほか衣服、靴、金、銀、サファイアなどを挙げた。
https://www.47news.jp/news/9150554.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【限定クーポンあり!】ノーザンテリトリー視察体験談~旅のプロが伝えるウルルの今とその魅力~

2023-04-06 | 先住民族関連
YOKKA2023/04/05 10:00

【限定クーポンあり!】ノーザンテリトリー視察体験談~旅のプロが伝えるウルルの今とその魅力~
(YOKKA)
PALYA(パリヤ)!(ウルルの先住民であるアナング族の挨拶)
次の休暇の旅行先はお決まりですか。
今回、ベルトラオーストラリア担当の私は、2泊3日でウルル(エアーズロック)を様々な角度から楽しみ尽くす視察ツアーに参加してまいりました。
この記事では、最新情報やツアーのポイントなど、現地を視察した私ならではの視点で詳細をお伝えしていきます。
また、今回はスタッフ厳選のおすすめツアーで割引クーポンを発行します!人気の観光地へお得な料金で訪れることのできる大チャンスです!人数に限りがあるのでぜひお早めにご予約ください!(クーポン詳細は記事下部でご紹介します。)
ウルル(エアーズロック)や独特の景観や気候を味わえる国立公園など、ノーザンテリトリーには心からの感動を味わえる観光地がたくさんあります。
組み合わせなど、旅行会社向けにアレンジされた日程もありますが、ツアー内容や行程は基本的にご予約して参加いただけるものばかり。 参加したツアーのポイントや感想を余すことなく共有します。
【1日目】空港お迎え&ウルル麓めぐりとサンセットツアー
ウルル(エアーズロック)に到着!
これからどんな冒険が待っているのか期待に胸を膨らませて、いよいよ2泊3日の滞在がスタートです。
安心の日本語スタッフのお出迎え
エアーズロック空港に到着すると、日本語スタッフがフライトに合わせてお迎えに来てくれます。詳細な現地情報、行程表、その他必要なものなど、一番最初にいただけて 安心感がすごい と感じました。
海外旅行に慣れている方でも、砂漠の真ん中に降り立つのは不安ですよね。でも、そんな心配は御無用です!どんな方でも安心してウルル滞在をスタートできます。
ウルル麓めぐりとサンセットツアー
到着日は早速「 ウルル麓めぐりとサンセットツアー 」へ参加しました。
はじめにウルル・カタジュタ国立公園にあるカルチャーセンターに立ち寄りますが日本語の説明があってとても分かりやすかったです。これから行くウルルについての歴史や文化を母国語である日本語で読み、深い知識を得ることができました。
散策路まではバス移動。途中撮影禁止のエリアなどガイドからきちんと説明があります。 現地の文化を尊重すべく、ルールはしっかりと守りましょう。
そして、ウルルを訪れた人しか見ることのできない「ウルルの裏側」を鑑賞。そこに伝わる物語もとても興味深いです。(ちなみに、「ウルルの裏側」は撮影禁止でバスからの鑑賞となります。)
ここではなんと言っても「 ウルル散策中のガイド説明が分かりやすい! 」と感じながらツアーを楽しみました。おもしろい歴史をiPadを使って視覚的にもとても分かりやすく説明してくれました。
さて、ウルル散策が終わればまたバスに乗ってサンセット会場へ移動します。私は2月中旬に訪れたのですが、なんとバスで移動中に雨が降ってきました!ウルルに雨が降るのは珍しく、とても貴重な「ウルルに流れる滝」を見ることができました。雨に包まれた白いウルルも、荘厳で神秘的です。
https://northernterritory.com/jp/ja/uluru-and-surrounds#utm_source=yokka2&utm_medium=display%2Bmobile+&utm_campaign=veltra%2Bjp2223&utm_content=article
ウルルサンセット鑑賞
珍しいと言われる雨の中をバスで進み、ウルルサンセット会場に到着。飲み物(スパークリングワイン、赤・白ワイン、ソフトドリンクなど)や軽食(カンガルー肉、クラッカー、フルーツ数種類、チーズ、野菜スティック、ナッツ、チップスなど)が豊富でとても美味しかったです。
この夜はBBQディナーにも参加する予定だったのですが、残念ながら雨の影響で中止に。急な事態にもスタッフが臨機応変に対応してくれ、急遽ホテルのブュッフェに変更となりました。変更後の食事もオイスターなどの魚介類が新鮮でとても美味しかったです。メニューが種類豊富で大満足でした!
ちなみに、このBBQディナー会場は2022年から新しくなった会場で、ウルルの麓(文字通り目の前です!)に設置されています。
参加したツアー
https://www.veltra.com/jp/oceania/australia/ayers_rock/a/113208
https://www.veltra.com/jp/oceania/australia/ayers_rock/a/6734
【2日目】ウルルサンライズとカタジュタツアー、夜は神秘的なディナーと星空を
ウルル滞在2日目は、サンライズ鑑賞からスタートです!日が昇る瞬間を ベストスポット で迎えられるよう、時間に余裕を持ってスタッフがホテルへお迎えに来てくれます。
ウルルサンライズ鑑賞&カタジュタ散策
ホテルを出発する時間帯はまだ夜明け前で、美しい星空が頭の上に広がります。
カタジュタも見えるサンライズ用の展望台に到着すると、朝日が登るのを今か今かと待ち受けます。
いよいよ朝日が昇り始め、ウルルを太陽が染めていきました。刻一刻と表情を変えるそれはまさに「パワースポット」、 全身で強い生命力を浴びているような感覚 です。
サンライズ鑑賞を終えるとカタジュタへ移動。移動中も日本語ガイドが歴史や文化について説明してくれます。中央オーストラリアの成り立ちから現地の植物に関してまで、 本当に知識豊富で「なんでもこい!」という印象でした 。
カタジュタに到着すると、36個の奇岩群や水たまりなどSNS映えも間違いないたくさんの写真を撮影できます。ウォルパ渓谷散策では、なんだか違う惑星に来たような感覚に陥りました。ウルルの岩肌の性質とはまた異なり、岩が日に焼けてとても赤くなっています。岩や気候の特徴の詳細もガイドが詳しく説明してくれますよ。
足場はとてもゴツゴツしているので注意して進んでください。 しかし、時々立ち止まって周囲の絶景を楽しみましょう。
また、夏場はとても暑くハエがたくさんいるので、「 ハエよけネット 」を持参することをおすすめします。現地でも購入できますが、日本で「ガーデニング用ネット」などを購入するのもいいです。
ランチは、デザートガーデンホテルで取りましたが、食事も全て美味しかったです!もしも参加予定のツアーに食事が含まれていない場合でも、エアーズロックリゾート内にはホテルのレストランをはじめ、スーパーもあるので食事には困らないと思います。
なお、空き時間にはシアターでブッシュフードについてのアクティビティに参加できたり、リゾート内のお土産屋さんに立ち寄ったりもできます。
サウンド・オブ・サイレンス
この日の夜は、「サウンド・オブ・サイレンス ディナー」と「フィールド・オブ・ライト」に参加しました。場所はリゾートからそう遠くない国立公園外のウルルが見えるスポットで、バスで移動します。
到着したらまずは カナッペ&ドリンクと共にサンセットを鑑賞 。軽食とアルコールを含むドリンク(オーストラリア産)を楽しめました。
サンセットが終わったら少し歩いた先にあるディナー会場へ。砂漠の真ん中にテーブルがセットされ、横にはキッチンが!そんな非日常的な空間で美味しいブュッフェを楽しみます。テーブルの上にはキャンドルが灯され、 雰囲気がとてもロマンチック です!
大自然の真ん中ではありますが、落ち着いた雰囲気でゆったりとディナーを堪能できます。
食事が少し進むと、先住民の音楽の生演奏が聴こえてきます。伝統的な楽器で奏でられる音楽がより一層雰囲気を盛り上げてくれました。
デザートまでいただくと、いよいよ星空鑑賞!今回のツアーでは特別に日本語ガイドが説明してくれました。ディナー会場では明かりがあるのですが、 少し離れただけで暗くなり上を見上げると満天の星が広がります 。南半球でしか見られない南十字星の見つけ方や、星座の話など日本語で聞くことができてよかったです。何億光年も先の光をみんなで見ているという現実に、とてもロマンを感じますよね。
その後は、英語版の星空鑑賞。この時だけはテーブルのキャンドルも周りの明かりも全て消して、溜め息が漏れるほどの美しい星空が見られました。こちらもポインターを使って分かりやすく説明してくれます。しかし、星について詳細を説明をしてくれるので、英語が全く分からないとせっかくの内容を理解できないかもしれません。そのため、やはり 日本語ツアーにご予約いただくのがおすすめ です。
フィールド・オブ・ライト
星空鑑賞が終わったら、また少し歩いてフィールドオブライト会場へ移動。思ったより広大な場所でびっくりしました!
そして、ウルルを背景に”光の芸術”フィールド・オブ・ライトを一望。辺りは一面真っ暗でしたが、 球状のガラスに光が灯っていくのがとても幻想的で、満天の星とのコラボレーションはまさに大自然とアートの融合 です。
また、ここでは散策コースがあり、ライトの間を縫うようにして歩くことができます。ショートコースとロングコースが選べるので、その時の体力に合わせてご選択ください。
https://northernterritory.com/jp/ja/tours/field-of-light-tours#utm_source=yokka2&utm_medium=display%2Bmobile+&utm_campaign=veltra%2Bjp2223&utm_content=article
参加したツアー ※私が参加したのは関係者向け視察ツアーのため一部行程に変更あり
https://www.veltra.com/jp/oceania/australia/ayers_rock/a/6736
https://www.veltra.com/jp/oceania/australia/ayers_rock/a/16179
https://www.veltra.com/jp/oceania/australia/ayers_rock/a/135150
【3日目】迫力満点!ヘリコプター遊覧飛行
ウルル滞在3日目。アクティビティがたくさんあり、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
最終日の今日は、「 ヘリコプター遊覧飛行 」に参加。セスナ遊覧飛行のアクティビティはもともと存在したのですが、なんと今回は「ヘリコプター」が 新登場 !
このツアーも、バスがホテルまでお迎えに来てくれます。
安心できる丁寧な説明あり
空港に到着すると、まずはバス車内で注意事項の説明があります。「 ヘリは後方が危険なので周囲を移動する時は前方のみ 」など、知らなかったこともちらほら。安全のため、 しっかりと理解してご参加ください 。
バスから降りたら滑走路を歩いてヘリコプターまで向かいます。普段できない経験で期待が膨らんでワクワク!ヘリコプターの中でパイロットが準備していてますます期待が高まりました。
なんと、飛行中はヘリコプターの ドアを外す ことも選択できます。ドアを外すと窓に光が反射しないので綺麗な写真を撮影できますよ。しかし、風がとても強いのでその点はご注意を!またターンする時は機体がかなり傾くので、ドアを外している場合は荷物が落ちないように気を付けてください。
さて、いよいよ離陸の時が!飛行機とは違い真上にふわりと浮いて徐々にコードを上げ、すぐにウルルへと向かいます。
https://northernterritory.com/jp/ja/tours/ayers-rock-helicopters#utm_source=yokka2&utm_medium=display%2Bmobile+&utm_campaign=veltra%2Bjp2223&utm_content=article
360度の地平線の世界に浮かぶウルル
上空から見下ろしたウルルは壮大の一言!地上からの見え方とは全く違いました。
ウルルはアナング族(ウルルの先住民族)が撮影禁止としている方角があるそうで、彼らの意思尊重のためそちら側には飛行しません。片側の前を通過するかたちになりますが、その後ターンして反対側に座る人も撮影できるように、きちんと配慮がされているのでご安心ください。
ウルルの後はカタジュタへ。上から見るカタジュタも本当に雄大で息を呑むほど。カタジュタは地上で見るともっと密集しているのかと思っていましたが、思ったより一つ一つの岩の間隔が空いていてそれもおもしろいと感じました。
その後はカタジュタを少し離れ、空港に戻る途中で多くの植物が生えている地域も通ってくれました。砂漠が広がっていると思ったら、こんなに植物が多い地域もあるのかと驚きました。そこではたまにカンガルーやラクダなど野生動物が見えるとのことで、比較的低空飛行をしてくれます。(今回は残念ながら見られなかったです!これも野生の醍醐味ですね。)
30分間の遊覧飛行はとても壮大でエキサイティングな空の旅でした! 上から見るウルルの大地はそれはそれは雄大で素晴らしく圧巻。
しかし、今回はドアを開けていたので強風が直接入ってきました。髪が長い方は、縛っていくことをおすすめします!私はポニーテールにキャップでばっちりでした。
Video by VELTRA
※参加したツアー(ヘリ遊覧飛行)のVELTRA予約サイトはただ今準備中です。
セスナ遊覧飛行
https://www.veltra.com/jp/oceania/australia/ayers_rock/a/1495
日本人観光客にお伝えしたい「ウルルの今!」
今回私が滞在した3日間だけでも、感心するところ、皆さまにお伝えしたいこと、アドバイスなどがたくさんありました!いくつか共有させていただきますので、ウルルを訪れる際は参考にしてみてください。
最優先すべきは先住民への敬意と配慮
滞在中やツアー参加時など、全体を通して 先住民への敬意 が感じられました。とりわけ、ウルルの先住民である「アナング族」の文化への理解、尊重することを現地スタッフやガイド全員が心得ていて、ツアー中も、撮影禁止スポットや立ち入り禁止場所をきちんと案内してくれます。
観光とサステナビリティの両立
先住民にとっての大切な場所が「観光業」で壊れてしまうのは一番起きてはいけないことです。そのため、ウルルでは現地の環境維持や先住民への敬意としてツアー売上の一部をコミュニティに返還し役立てているそう。
また、エアーズロックリゾートの電力が太陽光発電だったり、食事にもブッシュフードを取り入れたりと、随所に SDGs精神 が伺えました。
日本語ガイドツアーに参加するメリット
現地では、英語ガイドと日本語ガイドのツアーがありますが、日本語ガイドツアーの方に参加されることを強くおすすめします。理由は「 安心 」と「 深い理解 」です。
まず、どんなに旅慣れている人でも交通網も整っていない広大な地域に行くのは多少なりとも不安であると思います。しかし、日本語ガイドのツアーに参加すれば、到着時の空港お迎えやツアーでの説明も日本語となるので、 万が一何かトラブルが起きた時も日本語ですぐに相談・対処ができます 。
また、私が日本語ガイドを強く勧めるもう一つの理由が「 先住民や現地環境の歴史と文化をきちんと理解していただきたい 」という点です。
現地の歴史や文化を理解し、その想いにも触れていただきたいのですが、それを英語で理解するのは難しいこともあるでしょう。ウルルで触れる風景は見るだけでも感じることがたくさんありますが、言葉で伝えられることも大いにあります。
せっかく訪れたからにはきちんと腑に落として理解し、先住民文化に向き合っていただきたいので、ぜひ、日本語ガイドをご検討ください。
先着250名様限定!2,000円OFFのクーポンキャンペーン実施
今回は特別に、ノーザンテリトリー(ウルル、ダーウィン、アリススプリングス)のアクティビティをご予約のお客様に割引クーポンを配布するキャンペーンを実施します!
人気の旅行先であるノーザンテリトリーをお得に楽しめる大チャンスです。ぜひ、この機会をお見逃しなく!
クーポンの詳細・取得はこちら
ウルル(エアーズロック)以外にもノーザンテリトリーの魅力はたくさん!
今回は日程の都合上、ウルル(エアーズロック)周辺のみの視察でしたが、「 トップエンド 」と呼ばれるノーザンテリトリーの北部にもぜひ訪れてほしい場所がたくさんあります。
弊社でおすすめのツアーを紹介しますので、ぜひ旅程の参考にしてみてください。
世界遺産カカドゥ国立公園&イエローウォーター日帰りクルーズツアー
https://www.veltra.com/jp/oceania/australia/darwin/a/1192
世界複合遺産であるカカドゥ国立公園は変化に富んだ自然景観と動植物の宝庫です。
ダーウィン市内発着で1日で効率よく回るツアーなので滞在期間が短めの方にもおすすめ!
国立公園内では、古くから残る壁画など先住民の文化にも触れることができます。
ダーウィン遊覧飛行ツアー
https://www.veltra.com/jp/oceania/australia/darwin/a/174684
ヘリコプターで行くダーウィン遊覧飛行ツアーへでかけましょう!空から見下ろすダーウィンの街並みはトロピカルで新鮮。美しく透き通った青い海やモンスーンの森、広大なマングローブなどをご紹介していきます。迫力満点のヘリコプターの旅をぜひお楽しみください!
リッチフィールド国立公園の滝巡りツアー
https://www.veltra.com/jp/oceania/australia/darwin/a/173944
リッチフィールド国立公園は熱帯雨林の真ん中にある、豊富な緑が見どころの公園です。その中の有名な滝フローレンス フォールズ、トルマー フォールズ、ワンギ フォールズを中心に散策します。森の遊歩道を散策しながらガイドによる地域の歴史解説も聞ける、大自然を満喫できる1日になるでしょう。
先住民の文化と大自然に触れる旅に出よう
「観光地」としてはとても有名なノーザンテリトリーの大自然。
しかし、そこには先住民の歴史や文化、大切に受け継ごうとする現地の人々の熱意、想像を超える絶景など多くの魅力があります。
自分の足で歩くのもよし。ヘリコプターやキャメルライドなど、違った視点から楽しむもよし。初めての人も、訪れたことがある人も、何度でも新発見があるでしょう。
キャンペーンも実施するこの機会に、ぜひ、ノーザンテリトリーを旅行してみてはいかがでしょうか。
ノーザンテリトリー政府観光局公式Facebook では、現地の最新情報やおすすめスポットを随時発信しています。こちらも合わせてご覧ください!
https://news.goo.ne.jp/article/yokka/trend/yokka-northern-territory-by-a-travel-professional.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする