先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

<風・論説委員室から>差別を無効化する戦略 西村卓也

2023-04-17 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年4月16日 09:44
 自民党の杉田水脈衆院議員がブログでアイヌ民族を侮蔑的に表現した問題は昨年12月、杉田氏が発言の一部を撤回し、総務政務官を更迭されても解決していない。本人が「差別していない」との態度を取るためだ。
 差別とは何か考えたい。富山大学の佐藤裕教授は著書「差別論」で、差別行為を「ある基準を持ち込むことによって、ある人(々)を同化するとともに、別のある人(々)を他者化し、見下す行為」と定義づける。言葉が難しいが、「同化する」は「味方につける」、「他者化」は「排除」と言い換えられる。
 「アイヌの民族衣装のコスプレおばさん」を品格に問題ありとした杉田氏は、「品格」という基準を持ち込み、「応援してくれる支持者もたくさんいる」と味方の存在を示し、アイヌ民族を他者化し、見下している。これが差別でなくて何なのか。
 する側にその意図がなくても、される側に具体的被害がなくても、差別は成立する。差別の事実を告発することで、かえって差別を顕在化させる問題が生じるかもしれない。だが、現実を見えない所に押し込めても問題の解決にはつながるまい。
 札幌市内で2月に開かれた「『人である人』集まろう」と題する抗議集会では、十勝川でのサケ捕獲の権利を求めて国と道を訴えた裁判を続けている十勝管内浦幌町の差間正樹さん(72)がこんな体験談を語った。
 「中学校のころ、学校で廊下に各クラスからアイヌの子たちを引っ張り出してきて、みんなで殴るんですね。先生を呼んでくると、先生も太刀打ちできないんですよ。女の子も乱暴されたりするんですよ」
 このような歴史の断面を見聞きしたことがある人は、道内に少なくないのではないか。
 昨年の内閣府世論調査で「アイヌの人々に対して現在は差別や偏見があるか」との問いに、「あると思う」との答えは21・3%に対し、「ないと思う」の28・7%が上回った。だが、注目すべきは2016年の前回調査との比較だ。「あると思う」は6年の間に3・4ポイント増えた。それ以上に、「ないと思う」が22・0ポイント減っているのである。「ないとは言えない」と感じる人が増えているのだろう。
 民放番組でアイヌ民族への差別表現が問題となった経緯などが背景にあるが、差別が可視化されにくい傾向はなお強い。
 2月の抗議集会では、アイヌ民族遺骨返還問題に取り組む「北大開示文書研究会」共同代表の殿平善彦さん(77)も移住者の立場から訴えた。
 「30代のころ、アイヌの長老に『われわれの土地をおまえらにやった覚えはない』と言われ、ショックを受けた。自分はアイヌの土地に本州から来た者の息子であり、北海道は植民地という事実を知った。途端に居心地が悪いんですね。自分の場所だと思っていたのに、どうも変だぞと。和人が自分を解放していくためには植民地支配(の歴史)を克服しないと」
 殿平さんは「共犯者」としての自覚を起点に、差別に同調しない決意を示しているようだ。
 ・・・・・・・・・・
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/832823/

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アイヌ女性と沖縄戦――「未帰還遺骨」が照らし出す大日本帝国の暗部(前編)

2023-04-17 | アイヌ民族関連
フォーサイト2023年4月16日浜田律子:浜田哲二

春雄さんが戦った壕の入り口でアイヌ式の祈りを捧げる多原良子さん。左は長男・順也さん=糸満市で ©浜田哲二
沖縄で戦没者の遺骨収集を続けるジャーナリスト夫婦のもとを、ある兵士の遺族が訪ねてきた。彼女は北海道在住で、アイヌの血を引いているという。南の島で散って戻らぬ戦死者たちと、先祖の骨を標本として持ち去られたアイヌ民族。偶然に重なり合った二つの「遺骨問題」が、日本近代史の暗部を照射する。
小中学校の裏山に眠っていた8体の遺骨
「キーンコーンカーンコーン」
 お昼休みを知らせるチャイムを合図に、軽快な琉球歌謡が校内放送で流れ始めた。そして、賑やかな生徒たちの話し声や笑いさざめきが、隣接する丘に広がる亜熱帯の森に響いてくる。
 しかし、そこで私たちが手にしていたのは、褐色の土の色に染まった人骨。何人分あるのだろうか。それを一人ひとり仕分けながら、表面についた土の汚れを柔らかな刷毛で落としてやる。
 ここは沖縄本島南部の糸満市にある小高い丘陵地。2021年2月、隣接する小学校と中学校のすぐ裏にある壕から、8人分の遺骨が出土した。成人が6人と、子供とみられる小さな遺骨が2人分。いくつかの骨の部位は内部が炭化している。表面は綺麗なので、壕内が高温になり、蒸し焼きのようになったのかもしれない。

2021年に掘り出した8人の戦没者の遺骨。右端には子供二人分の遺骨がある=糸満市で ©浜田哲二
 私たちは、夫が元朝日新聞カメラマンで、妻が元読売新聞記者のジャーナリスト夫婦。沖縄で遺骨収集のボランティアを始めて、もう20年以上が過ぎた。が、この年のように辛く、悲しいギャップに遭遇するのは初めてだ。この小さな遺骨は七十数年間も埋もれたまま、すぐ近くから聞こえる、楽しげなざわめきや校内放送を聞いていたのだろう。
 それが、あまりにも不憫で、胸が締め付けられる。特にこの小さな顎の骨は、永久歯がようやく萌芽し始めている。こんな幼子が、戦禍の犠牲になるなんて……。軽くなってしまった遺骨を手にしたとき、「長い間お迎えに来なくて、ごめんなさい」と思わず呟いていた。白い納骨袋に、一人ずつ分けて収容する。そのなかでも、小さな袋があまりにも軽く、抱き上げると涙が流れてきて、抑えようがない。
 収容した8人の遺骨は、しかるべき手続きを踏んだあと、県の戦没者遺骨収集情報センターに仮納骨した。そして、それぞれの身元を判明させるため、厚生労働省へDNA鑑定を依頼。同時に、遺族側の情報を得るため、当時この場所で戦っていた部隊も調べ始める。
 壕がある丘は、糸満港や市内が一望できる見晴らしで、海から侵攻してくる敵を狙い撃てる好条件が揃っている。私たちが長年取材対象として追いかけている、第24師団歩兵第32連隊第一大隊もこの付近に陣を構えていたので、同大隊長が遺した資料も繙いてみた。
 すると、同大隊の第一機関銃中隊に所属していた、北海道浦河町出身の笹島繁勝さん(享年99)の証言と一致する点が多いことに気づいた。笹島さんは2020年に逝去されているが、それまでに重ねた4回の聴き取りで、この丘の上の陣地から進撃してくる米軍兵士を重機関銃で迎え撃ったと話していた。米側の記録にも、近くを流れる川を渡河した後、丘の上から機関銃で狙い撃たれたと残されているのだ。
 ゆえに、この壕は同大隊の第一機関銃中隊が使っていた可能性が高いと見て、隊に所属した兵士の遺族へDNA鑑定の申請を呼び掛けることにした。
 その結果、35人の遺族が申し出て下さった。そのすべての遺族のもとを直接訪ねて状況を説明。厚労省が指定する書式に則って、DNA鑑定申請書を作り、同省の担当部署へ送付した。
 そして昨年5月、「今回見つかった方々の遺骨はすべて戦没者である。引き続きDNAの抽出が可能かどうかを探る」との鑑定報告が同省から届いた。もし、申し出た遺族と遺骨のDNAが一致すれば、2021年に北海道の遺族へ返還した遺骨についで、新たな成果に繋がる可能性も。今は、遺族の皆さまと心を同じくして、固唾をのんで結果を待ち続けている。
 そんな最中、この機関銃中隊に所属して戦没した兵士の遺族が、沖縄を訪ねてきた。今回は、その物語をお伝えする。
連絡をくれた遺族はアイヌ女性
 多原春雄・元伍長(享年25)。前述した歩兵第32連隊第一大隊の第一機関銃中隊に所属した北海道札幌市出身の兵士で、妻子はなく、独身だった。春雄さんには兄がおり、同じく出征して中国で戦ったが無事に復員している。
 札幌市内にある春雄さんの遺族宅を訪ねたのは、2021年4月。所属した第一大隊長の伊東孝一・元大尉(享年99)のもとへ、終戦の翌年に遺族から356通の手紙が届いている。そのなかに、春雄さんの母・サヨさん(享年87)が綴った一通があった。それを現代の遺族へ返還する活動のために伺ったのだ。
 しかし、最初に接触した、春雄さんの姪とは意思の疎通がうまく図れず、手紙の返還を一旦はあきらめかけた。その時、春雄さんの甥の妻・多原良子さん(72)が、「私が受け取ります」と連絡をくれたのだ。
 良子さんは、北海道むかわ町出身のアイヌ民族。春雄さんと直接の血縁はないが、2018年に亡くなった夫・順俊さん(享年70)の妻として、義祖母・サヨさんや春雄さんらの位牌や遺影などを守り続けている。
 そうさせるのは、順俊さんとの間に生まれた3人の子供たちの影響だ。良子さんは、「この子たちにはアイヌだけでなく、和人の血も流れている。ゆえに、お互いの先祖を敬い、大切にしてほしい」との思いを持っていた。
 民族の違いを超えた「家族の絆」を、良子さんにより強く意識させる出来事があった。
この続きは会員登録をすると読むことができます。
https://www.fsight.jp/articles/-/49696

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「ゴールデンカムイ」不死身の杉元、アシ(リ)パをイメージしたイヤアクセサリー登場♪ マフラーや耳飾りを表現

2023-04-17 | アイヌ民族関連
アニメアニメ2023年04月16日(日)11:30

TVアニメ『ゴールデンカムイ』より、世界観を表現したイヤアクセサリー「- マイラ ゴールデンカムイ アイコニック イヤオブジェ -」が登場。受注販売の受付が開始されている。
野田サトルが「週刊ヤングジャンプ」で連載していた冒険活劇マンガ『ゴールデンカムイ』は、明治時代後期の北海道を舞台に網走監獄の死刑囚たちが隠した莫大な埋蔵金を巡る壮大な物語だ。2022年4月に大団円を迎え、連載完結を記念した「ゴールデンカムイ展」が各地で開催された。
TVアニメでは主人公・杉元佐一役を小林親広、アイヌの少女・アシ(リ)パ役を白石晴香、天才脱獄犯・白石由竹役を伊藤健太郎が担当。これまで第1期~第3期が制作され、2023年4月3日より第4期が放送開始となった。
“不死身の杉元”こと杉元佐一とアシ(リ)パが、高級感あふれるイヤアクセサリー「- マイラ ゴールデンカムイ アイコニック イヤオブジェ -」となって登場だ。2人をモチーフに力強さと温かみを兼ね備え、幻想的なデザインに仕上げられた。
小ぶりで着用しやすい「シルベリーセット」とゴージャスでこだわりの詰まった「ゴールデンセット」、その2種をそろえた「コンプリートセット」の3パターンでそれぞれ展開する。
杉元佐一の「シルベリーセット」は、彼の着けるマフラーのラインをシャンパンゴールドにバーミリオンカラーで表現。シルバーのスターが耳元を輝かせる。「ゴールデンセット」は軍帽のネイビーカラーがアクセントになり、力強くゴージャスなデザインになった。
アシ(リ)パの「シルベリーセット」は彼女の着用する耳飾り、毛皮をモチーフに繊細に作られた。雪のように柔らかく、優しい雰囲気が見事に表現されている。「ゴールデンセット」は上部に鉢巻をイメージした装飾、下部は弓を表現。中央の大きなストーンは濃紺の瞳を連想させる仕上がりだ。スノーホワイトの配色にはラインストーンを散りばめた。
いずれのセットもピアスタイプとイヤリングタイプが用意され、ピアスホールが空いていない人でも安心して使用できる。各アイテムとも購入特典として、TVアニメの場面写真を使用した限定じゃばらポストカードが1商品につき1枚付属する。
また、商品は作品の世界観が表現されたオリジナルBOXに封入。外側は雪景色、内側に二人の姿があしらわれたデザインだ。男性ファンでも楽しめるように高級感あふれるゴールドのフレームも付属し、イヤアクセサリーをインテリアとして飾ることも可能になっているのがうれしい。
「- マイラ ゴールデンカムイ アイコニック イヤオブジェ -」はMAYLA公式ECサイトにて2023年5月25日12時まで受注販売を受け付ける。価格は各アイテムとも「シルベリーセット」が9,790円、「ゴールデンセット」が24,640円、「コンプリートセット」が32,450円(各税込)。商品発送は9月下旬より順次行われる。
(C)野田サトル・集英社/ゴールデンカムイ制作委員会
https://www.excite.co.jp/news/article/Animeanime_76791/

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焦点:アマゾン保護と農業ビジネス、ブラジルで新たな両立の試み

2023-04-17 | 先住民族関連
ロイター2023年4月16日8:06 午前
[リオデジャネイロ 11日 トムソン・ロイター財団] - ブラジルのアマゾン地域には、森林破壊の大きな原因となっている大規模な大豆栽培や牛の放牧を基盤とする経済の他に、もっと歴史のある、家族や協同組合経営による持続可能な形態の農業が存在する。ヤシ科の果物アサイーやゴム、製薬材料といった林産品の生産を行う産業だ。

4月11日、 ブラジルのアマゾン地域には、森林破壊の大きな原因となっている大規模な大豆栽培や牛の放牧を基盤とする経済の他に、もっと歴史のある、家族や協同組合経営による持続可能な形態の農業が存在する。写真は1月、ブラジル・パラ州で、ハーブを収穫する生産組合の女性(2023年 ロイター/Cícero Pedrosa Neto)
この「バイオエコノミー」に従事しているのは、先住民族のコミュニティーを含む多数の小規模生産者らだ。だが、大豆栽培や牧畜に流れ込む膨大な投資に比べれば、そこに向かう金額は極めて少ない。
ブラジルは、急激に縮小している熱帯雨林を保護し、経済的な不平等を正し、持続可能性の高い経済を構築しようと試みているが、バイオエコノミーの拡大に向け投資の転換を促すことこそ、アマゾンとそこに住む人々を守るために最善の道だという指摘が出ている。
「既存モデルでは、搾取という観点から天然資源を捉えている」と語るのは、ブラジルの非営利団体(NPO)「コネクサス」の創設者カリナ・ピメンタ氏。同NPOは、伝統的生産者が成長のために必要なビジネスの専門知識や資金を得られるよう支援を行っている。
ピメンタ氏は、天然資源の搾取の代わりにバイオエコノミーを積極的に開発・強化することで、ブラジルは森林を保護し、気候変動や生物多様性に関する国際公約を達成できるだけでなく、経済を活性化し、地域のコミュニティーに投資を振り向けることができる、と語る。
「こうした持続可能なシステムにする方が、経済的利益も大きくなる」とピメンタ氏は言う。アマゾンの破壊が続けば、ブラジルの牧畜、大豆栽培を軸とする経済にとって不可欠な降水量も減るとなれば、なおさらだ。ピメンタ氏は先日、シルバ政権の環境省バイオエコノミー担当局長に任命された。
「残念ながら、私たちはこれまで、バイオエコノミーを成長の道として推進してこなかった。国民は別の生産手段に慣れてしまっている。これは公共政策により誘導されなければならない文化的転換なのだ」
<チョコレートからアサイーまで>
コネクサスは今月、その革新的な取り組みを評価され、反貧困を掲げる米国のスコール財団から225万ドル(3億円)の賞金を受け取った。現在コネクサスは、現場でアサイーやチョコレートなどの小規模生産者を支援し、スキル向上や資金調達を後押ししている。
コネクサスの目標は、小規模な協同組合と自給自足レベルの生産を、成長する持続可能なビジネスへと変貌させることだ。
例えば、コネクサスはアマゾン川流域のパラ州において、独自ブランド「カカウウェイ」のチョコレートを生産するカカオ栽培農家の協同組合「クーパトランス」に、より高品質のカカオ豆の生産方法を技術支援した。
クーパトランスの組合員は、成長事業をより効果的に運営する方法について指導を受けられる。低利の与信枠が与えられたことで農家への迅速な支払いが可能となり、関係が改善された。
「以前は、農家への支払いに30─60日、場合によってはもっと長くかかっていた」と組合員のヘリア・フェリックスさんは語る。「最近は協力農家の側でも、収穫物を納品すれば即座に支払いを受けられると分かっている」
コネクサスの支援により、「私たちは(クーパトランスを)単なる共同体ではなく、ビジネスとして捉えている」とフェリックスさん。
同様にコネクサスは、パラ州のマラジョ島一帯でも、アサイー生産農家が無駄を省き、融資を受け、アサイーを付加価値の高い製品に加工し、学校などへの供給契約を締結できるよう支援している。
「マラジョ島ではうまく行っている。この方式を加速させ、ツールやソリューション、投資を提供して、もっと早く軌道に乗せる可能性はある」とピメンタ氏は語る。
<進む森林破壊>
コネクサスの誕生は2018年。当時、ピメンタ氏をはじめ、アマゾン地域に詳しい持続可能な開発の専門家は、大豆栽培と牛の放牧が拡大してアマゾンの森林破壊が加速したことを失望の目で眺めていた。
コネクサスの暫定エグゼクティブ・ディレクターで、発足当時の40人からなる専門家グループの1人のマルコ・バンデアリー氏は、自分たちの経験を活かして森林破壊の加速傾向を逆転させ、もっと持続可能性の高い経済活動への投資を促進しようと、コネクサスを立ち上げたと語る。
ブラジルを代表する科学者で、気候変動の専門家であるカルロス・ノブレ氏によると、降水量の確保や大気の浄化、気候の安定など、森林がもたらす寄与による利益を考えれば、アマゾンの原生林には、同じ面積の土地が牛の放牧地に転用された場合に比べ4倍の経済的な価値がある。
だが、「金融システムは、そのような見方をしない」とバンデアリー氏は指摘する。大部分の投資が牧畜と大豆栽培の拡大に向かう理由の1つだ。
ピメンタ氏によれば、現在、ブラジルの公的金融機関を経由する農村向け補助金付き融資のうち、バイオエコノミーに投じられるのはわずか22%だ。ここを変えたいと同氏は願う。
さらに重要なのは、ブラジルの民間銀行に、バイオエコノミーが優れた投資先であると説得することだ。バンデアリー氏は、そうした変化を促進するには、政府による新たなインセンティブや政策のほか、投資実績が必要だと説明する。
「変化を生み出すのは大変な仕事だ」とバンデアリー氏は言う。だが、民間銀行が投資収益を得られるようになれば、バイオエコノミーのための資金調達が自律的に続くようになると期待している。
<広がる目標>
コネクサスの取組みの約半分はアマゾンに集中しているが、同NPOは、消滅が危惧される熱帯サバンナや大西洋岸のマタ・アトランティカ熱帯雨林などの他の主要なブラジルの生態系にも目を向けている。
「どこの生物群系でも、驚くべき生物多様性が見られる」と、バンデアリー氏は指摘する。
国内バイオエコノミーの構築に向けた取組みは、土壌が劣化した国内5000万ヘクタールに及ぶ地域でも実施可能だ、とピメンタ氏は語る。
もっとも、森林保護に由来する炭素排出権を売ることが、持続可能性の高いブラジル森林経済の主力になるかどうかはまだ不透明だ、とピメンタ氏は言う。
炭素排出権は土地回復の費用を調達する際には重要な役割を演じる可能性がある、だが、既存の森林の保護を理由に炭素排出権を発行するとなると話は複雑になる、とピメンタ氏。炭素市場が整備されておらず、土地の所有権は曖昧なことが多く、利潤狙いの不正な排出権取引業者が入り込んでくるからだ。
「ブラジル全土に広がる問題だ。地方のコミュニティーでは準備もリソースも十分ではない。だからこそ、彼らの権利を守るために規制が重要になる」とピメンタ氏は語る。
ピメンタ氏によれば、炭素排出権に頼るよりも、アマゾンにおいて自然を基盤とした持続可能なビジネスを築く方が確実性の高い選択肢だという。大規模な大豆栽培や牧畜、多くの炭素排出権取引に比べ、「地域に定着する富を生み出すから」だという。
(Laurie Goering記者、Fabio Teixeira記者、翻訳:エァクレーレン)
https://jp.reuters.com/article/brazil-agriculture-amazon-idJPKBN2WA0EV

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「牡丹社事件」和解の石碑=鈴木玲子(コンテンツ編成センター)

2023-04-17 | 先住民族関連
毎日新聞 2023/4/17 06:00(最終更新 4/17 06:00) 有料記事 2049文字
鈴木玲子 オピニオン

カママ嶺公園に移設された「愛と和平」の石像。琉球人(右)と台湾・パイワン族の若者が並んで酒を酌み交わし、「和解」への思いを込めている=沖縄県宮古島市で2023年4月1日、鈴木玲子撮影
 見晴らしの良い小高い丘に、その石像があった。沖縄県宮古島市のカママ嶺公園はシーサーをかたどった滑り台があり、子どもたちにも人気の場所だ。石像が市内の中学校から公園に移されたと聞き、さっそく現地を訪れた。
 石像は台座を含め高さ約160センチ。琉球風の衣装を着た琉球人と台湾先住民パイワン族の若者2人ががっちり肩を組んで、二つのさかずきがつながったパイワン族伝統の酒器「連杯」で酒を酌み交わしている。「愛と和平」と名付けられた石像は、19世紀に台湾で起こった「牡丹社事件」を巡る台湾と沖縄の「和解」の象徴だ。でも牡丹社事件って何? 少し長くなるが、概要はこうだ。
・・・・・・・・・
https://mainichi.jp/articles/20230416/k00/00m/030/009000c

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雑誌コヨーテ、石巻出身の自然写真家・高砂さんを特集 「僕の旅、生き方凝縮」

2023-04-17 | 先住民族関連
河北新聞2023年4月16日 12:00

石巻市出身の写真家・高砂さんを特集した雑誌「coyote」表紙
 「旅」をテーマにした雑誌「coyote(コヨーテ)」最新号が、石巻市出身の自然写真家高砂淳二さん(60)=東京都=を特集している。地球という大自然をフィールドに人や生き物と出会う旅を続けてきた高砂さんの40年近い写真家人生をたどっている。
 特集は「高砂淳二 THE WATER IS WIDE」と題し、約60ページにわたって組まれている。表紙の写真も高砂さんの作品が使用されている。
 昨年、ロンドン自然史博物館主催の写真賞「ワイルドライフ・フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー」自然芸術部門で、日本人初の最優秀賞を受賞した「ヘブンリー フラミンゴズ」など代表的な作品を紹介しながら、自然や生き物と謙虚に向き合い、愛情を持って撮影してきた高砂さんの生き方に焦点を当てている。
 ハワイ先住民の知恵、夜の虹との出合いについて自らつづった「Hawaii 悠久の時、伝説の島」、同市渡波で過ごした少年時代やダイビングを始めたきっかけなどについて振り返った戌井昭人さん(作家・劇作家・俳優)との対談「自然とひとつになる」、撮影ではテクニックより自然や生き物と一体となることを心がけてきたという「高砂淳二の写真術」と、どの章も高砂さんの魅力にあふれている。
 故郷を襲った東日本大震災とどう向き合おうとしたかも率直に語られている。
 写真集など全著作も網羅。そこでしか見ることのできない光景や感動を分かち合いたいという高砂さんの思いを凝縮した33冊を年代ごとに紹介している。
 高砂さんは「自然や生き物にリスペクトして向き合ってきた写真家としての僕の旅、生き方が、この1冊に刻まれている」と話す。
 定価1320円。「coyote」は3、7、11月の年3回発行。高砂さんを特集した本書は第79号で、3月15日発行。
https://kahoku.news/articles/20230415khn000048.html

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シャワンダ・コーベットが語る、複雑な歴史のレイヤーを剥がす芸術実践

2023-04-17 | 先住民族関連
美術手帖4/16(日) 7:07配信

シャワンダ・コーベット
 シャワンダ・コーベット(Shawanda
Corbett)は、アメリカ出身で、現在はイギリスのロンドンを拠点として活動する新進気鋭のアーティストである。コーベットの芸術実践は、多彩なメディウムを駆使し、ジャンルを超越して複合的に展開される。その表現は、私たちの認知や経験といった側面、あるいは身体と空間の相互関係について重要な問いを投げかける。
 また、アフリカ系アメリカ人のルーツを有し、身体に障害を抱えるコーベットの作品には、しばしば人種/民族と障害に関する鋭い視点と洞察が内包されている。コーベットはイギリスで博士過程に在籍しており、芸術・技術と人種の相互関係についての論文を執筆した。筆者は、現在コーベットの個展
「Down the road」
(~4月23日)を開催している東京・渋谷のギャラリー、SAIにて、4月初旬に作家へのインタビューを行った。インタビューは英語でなされ、翻訳および編集は筆者の手による。
すべての作品が同期するようなメディウムの使い分け
──絵画、パフォーマンス、映像、陶芸、音楽など、あなたの芸術実践は驚くほど領域横断的です。こうした領域横断性は、いかにして形成されたのでしょうか。また、どのようにメディウムを使い分けているのですか。
シャワンダ・コーベット(以下、コーベット)
 最初は陶芸を学んでいましたが、次第に学部時代の副専攻であった演劇の美術的な側面を深く探究したいと考え、制作にパフォーマンスを取り入れるようになりました。さらにギリシャ演劇などを研究するなかで、パフォーマンスが音楽と深く結びついていることや、陶芸がライブパフォーマンスの記録として用いられていた歴史があることを知りました。
 博士課程のスタジオ演習の一環として、ライブパフォーマンスやパフォーマンスを撮影した映像制作に取り組むようになりました。さらに、それをスケッチする過程で抽象的な対称的形態や色彩論に関心を持ち始め、それが絵画やドローイングにつながるのですが、このようなかたちで、徐々にそれぞれのメディウムが相互連関していったのです。
 メディウムの使い分けですが、私は別々の何かをつくるのではなく、すべての作品が同期して初めて機能するようにしたいと思っています。陶芸の基本的原理は、異なる個々に自律する要素が組み合わさってひとつの全体性=器を構成することです。ですから、陶芸の原理をほかのあらゆるメディウムにも応用し、すべてをひとつにまとめたいと考えたのです。
──音楽も、あなたの実践の重要な一部をなしているのですね。芸術における視覚的要素と聴覚的要素の連関については、どうお考えですか。
コーベット
 私は本質的に音楽的な要素を用いて、楽譜をつくるように絵画や彫刻をつくりたいと考えています。作曲の際に図形楽譜を使っているのですが(筆者注:コーベットは映像作品における音楽を自ら作曲している)、それはシンプルに言えばリズムのあるかたちです。線の長さや太さは、ピッチの長さとその回数によって決まるのです。こうしたところに、私の作品における視覚的要素と聴覚的要素の連関があると感じます。
──ありがとうございます。今回のインタビューでは、あなたが用いるメディウムのなかでも「陶器(ceramic)」に注目したいと思います。なぜなら、陶器は一般的に「工芸」、すなわちしばしば「美術」から疎外されてきた領域に属するからです。これはとくに近代日本に特有の状況ですが、程度の差はあれ、欧米圏でも似たような面があります。陶器というメディウムを、どうとらえていますか。
コーベット
 私にとって、陶芸を学ぶことは自身の視覚言語を開発するために必要なプロセスだったので、自らのルーツに関わる黒人の身体性と結びついた器や表現を追求しています。その過程で、陶芸という表現形態に一種の神聖な要素があることを知り、文化的盗用を慎重に避けるという意識を持つようになりました。ですから日本の陶芸だけでなく、アフリカの陶芸やアメリカ先住民の陶芸の独自の意義も認めています。それぞれの土地の人々が、多様な系統の陶芸を発展させてきたことに、私たちは敬意を払う必要があります。つまり、陶芸は文化ごとの特殊性が表れたものなのです。
 また、どのような場所で陶芸の作品が展示されるのかで、すべての要素が変動します。すなわち、それが置かれる空間により、作品がどれくらいの大きさ/高さな/ボリューム感なのかが決まってくるのです。それによって、どのような種類の粘土を使うかを判断することになります。
──それに関して、陶器は様々なメディウムのなかでも、制作過程において完成形をコントロールしにくいものだと思うのですが、いかがでしょうか。
コーベット
 最終形態の予測不可能性、制御不能性という(ネガティブな)表現より、個人的には、窯とコラボレーションするというとらえ方が気に入っています。窯とのコラボレーションのなかで、器の一部が完全に圧縮されず、少しゆったりとした部分ができることがあります。だから私はこの協働が大好きで、ある意味で(即興を重視する)ジャズに似ている部分があるとも感じます。
アートを介した脱植民地化や人種的平等の探求
──興味深いとらえ方ですね。ここで話題をガラリと変えましょう。帝国主義や植民地支配の遺産からの解放は、いまや人類にとって喫緊の課題です。通常、帝国主義や植民地支配の主体は欧米諸国だと考えられがちですが、ここ日本もまた、ほかのアジア諸国を侵略・支配した旧帝国であり、脱植民地化の問題と無関係ではありません。あなたの実践における「脱植民地化」という概念の位置づけについて、お聞かせください。
コーベット
 私はアフリカ系アメリカ人の歴史を、植民地支配だけではなく、奴隷制の開始から学んできました。そうして、自分たちが、どのようにして先祖と切り離されてきたのかを理解したのです。その過程で、心理学者との対話を通して、暴力にはどのような種類があるのかについて考えてきました。暴力は肉体的なものだけでなく、言葉などによって他者を傷つけるような精神的なものも含みます。また、暴力には相手のモラルに反する行為をさせたり、異なる事実を信じ込ませたりするものもあるということについても議論しました。植民地主義が行使した暴力にはこうしたタイプの暴力もあり、故に精神的な脱植民地化が不可欠なのです。
 ポスト植民地的な世界において、かつての被植民者は「他者の現実」のなかで生きています。「自己の現実」がなんであるかを見つけるには長い時間がかかるのですが、脱植民地化のプロセスは、それを発見していくプロセスにほかなりません。
 私はここ数年、自分の作品を脱植民地化し、白人・西洋人の歴史に立脚しないものにするよう努めています。自分自身のルーツにまつわる植民地的遺産を正しく認識し、それがいかに複雑なものであるかを把握し、西洋、アフリカ、先住民、そしてイランによる複合的な文化を作品のなかで活用できるようになりました。そうして私自身や私の考え、そしてほかの地域から歴史を読み替えることが脱植民地化につながり、故に、私がミケランジェロなどの規範的とされてきた芸術作品を制作の基準にすることはないのです。
──アートの可能性については、どうお考えですか。「脱植民地化」という挑戦に対して、アートはどのように取り組むことができるのでしょうか。
コーベット
 アートが関わる視覚的・感覚的なものは、植民地化するための道具でしたが、脱植民地化するための道具にもなりえます。それは、私たちの潜在意識に働きかけることができるからです。
──先ほどおっしゃっていたように、植民地主義は暴力を通じた領土支配の終焉後も、私たちの心の領域で機能する認識論的植民地化とも呼べるものを残しました。ですから、アートは独自の視覚的・感覚的言語を使って、そうした形態の植民地的遺産に対して脱植民地化を図るわけですね。
 コーベット
 はい。とくにオックスフォード大学では(筆者注:コーベットはオックスフォード大学ラスキン美術学校で博士課程に在籍している)、あなたが言うような「認識論的植民地化」に関する様々な記録にアクセスできるので、とても参考になりました。
──「脱植民地化」について、非常に重要な点を指摘していただきました。さらに視点を重ねたいと思います。あなたの芸術実践は、人種/民族と障害の交差点を探索しています。これらの領域は、どのように相互連関していますか。また近年盛んになっている「交差性(インターセクショナリティ)」に関する議論は、異なる領域の重なり合いだけでなく、その対立や衝突に着目するものです。人種/民族と障害という2領域のあいだの摩擦を、どのように見ていますか。
コーベット
 歴史的に見て、障害者は多くの場面で社会に貢献する存在とは見なされてきませんでした。社会的重要性に関しても非常に低いと考えられています。また、障害者のなかにも分離と階層が存在し、それは障害の内容によって異なります。そうした事態は、黒人のコミュニティにも、米国以外の地域にも、とても深く根づいているのです。
 (人種的平等を訴える)ブラック・ライブズ・マターの問題点は、それがもともと概して健常者のための運動であったということです。私も含めた黒人障害者が感じていることですが、私たちが運動の行われている場所に物理的にアクセスできない場合、自分たちの文化に貢献できず、他者と交流することができないなら、どのように自らの存在を証明すればいいのでしょうか。私たちは建物や部屋のなかにいることが多いため、いつも屋外で他者と一緒にいるわけではありません。しかし、どうすれば運動をよりアクセシブルにできるのかといった、アクセシビリティに関する議論は、ほとんどなされてきませんでした。
 司法制度や監獄制度、警察制度の問題など、黒人の身体がいかに軽んじられ、虐待されているかに関する議論からも障害者の存在は排除されがちです。障害者は往々にして、人種的コミュニティの視覚的な一部とは見なされていないからです。
人間、動物、機械の境界を超えて
──あなたが述べられたことは、アンジェラ・デイヴィスやベル・フックスといったブラック・フェミニズムの先駆者たちが、第2波フェミニズムの運動に対して提示した批評的指摘を想起させます。彼女たちは、白人フェミニストが「私たち女性」と言うとき、例えば黒人女性や十分な教育を受ける機会に恵まれなかった女性の存在はそこに含まれていないことを批判しました。「私たち」という集合名詞が用いられるとき、誰が包摂され、誰が排除されているかに注意深くありたいと思っています。
では、最後の質問です。議論の射程を人間ならざるものへと拡張しましょう。あなたは、ドナ・J・ハラウェイの論考「サイボーグ宣言」(1985)に大きなインスピレーションを受けたと公言しています。実際、あなたの作品は人間・動物・サイボーグ(機械)のあいだの境界を撹乱します。今日こうした芸術実践が有する意義について、どのように考えますか。
コーベット
 私はAI(人工知能)のデータパフォーマンスなど、非人間的と思われるものに関心があります。ただし、そうしたものは同時に、非常に人間的です。人間の心をモデルにしているからです。しかし、それらはコンピュータのように感情を持たず、ただ命令されたことをこなすだけです。では、非人間的とされるものとは何か。道徳の範疇にあるものなのか、道徳の欠如したものなのか。人間性や共感性の欠如なのか。たんに西洋の常識にすぎないのか。そうした無数の問いに関心があるのです。
 私や私の作品にとって、仮に人間や人間の感情に焦点を当てたものであっても、視覚表象は人間ならざるものの現前であると言えます。それは私たちが当初、必ずしも人間表象として考えていなかったものを含むからです。そしてそれは、植民地主義やその視覚表象に通じる部分があります。
 医療分野では、障害者や戦争帰還兵など、様々なかたちで身体に影響を受けている人たちを表現する用語がたくさんありますが、例えば、身体の延長線上には何があるのか。身体の一部とされる部分はどこまでを指すのでしょうか。人間的なもの、非人間的なもの、人工的なもの、身体の延長線上につくられたものを再定義する必要があると思います。というのも、非人間や人間について議論するとき、私たちは身体の完成形について考えますよね。そのうえで、車椅子や義肢装具のような機械的道具を使っています。人間にとって「完全な身体」とはどのような状態を表すのでしょうか。
 また、人間以外の生物や有機体について思索を巡らすことは、こうした問いを考えるうえでも有用です。私たちは、地球上に存在するほかの生物の延長線上にあるとともに、地球自体の延長線上にもあるですから。
──では、人間と非人間との境界を再定義するテクノロジーの役割については、どうお考えですか。テクノロジーに関する思索は、あなたの芸術実践において、どのように文脈化されているのでしょうか。
コーベット テクノロジーは前提として誰もがアクセスできるものでなければなりませんが、現在はそうではありません。まず、その点には大いに改善の余地があります。
 私が作品制作に使用する3Dモデリングは、AI技術によって大きく発展しています。そのような意味でのテクノロジーは、とても役に立っています。様々な感覚や手掛かりを駆使し、身体的な能力の差異はあっても、制作においてできることが技術によって飛躍的に増大します。つまり、テクノロジーを用いることは異なる言語を身に付けるようなものでもあります。それは作品を通じたコミュニケーションに柔軟性を持たせることができるだけでなく、その方法を変えることさえできるのです。
聞き手・文=山本浩貴
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe2e044b9e7d63d5260ca7ae53baa9c6c69a1e13

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小玉貞良作「江差屏風」が函館市指定文化財に【函館】

2023-04-17 | アイヌ民族関連
函館新聞2023.04.16
 函館市教委は12日付で、江戸時代中期(18世紀中頃)に松前で活躍した絵師・小玉貞良(生没年不詳)による「江差屏風(びょうぶ)」(道所有、道立函館美術館収蔵、六曲一隻)を市指定文化財とした。ニシン漁で栄えた江差のにぎわいを詳細に描いている。
 新指定の江差屏風は貞良が宝歴年間(1751~64年)ごろに松前と江差の繁栄を描いた「松前江差屏風」の一部で、その最初期の作品とみられる。六曲一双で現存するのは大阪の個人蔵のみで、松前町が所蔵する「松前屏風」(道指定有形文化財)とは対にはならないため、少なくとも3作を描いたと伝わる。1988年に米国で発見された後、京都の個人が購入。さらに函館の個人蔵を経て、2019年に道が購入した。
 「江差の春は江戸にもない」とうたわれ、ニシン漁でにぎわった様子と、鴎(かもめ)島で花見に興じる町人の様子が生き生きと描かれている。市教委文化財課は「江戸時代中期における南北海道の街並みや活況がうかがえる風俗画。道内の最初期の日本画として貴重な資料」と文化財としての価値を評価する。
 道立函館美術館では直近では3月まで開かれた特別展で江差屏風を公開した。同館は「保存の観点から常設展示は難しいが、近いうちに市民にお披露目できるように検討したい」としている。
 市の指定文化財は19年の戸井貝塚出土品以来で90件目。貞良の作品では1962年指定のアイヌ民族を和人の視点で描いた風俗絵「蝦夷国風図絵」がある。

函館市文化財に指定された「江差屏風」(提供)
https://hokkaido-nl.jp/article/28998

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