春を求めて大和国から河内国(かわちのくに)にきました。
下赤阪村です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/10/9bc0562e5815f614f4b2a1a0784bafd2.jpg)
史跡赤阪城(大阪府千早赤阪村)の東斜面の棚田です。
『太平記』には史跡赤阪城について、「彼赤坂ノ城ト申ハ、東一方コソ山田ノ畔重々ニ高シテ、少シ難所ノ様ナレ、」とある。
現在でも、東斜面は、曲線を持った狭い棚田が幾重にも連なり非常に古様を示し、『太平記』の叙述そのままに存在している。
斜面上の水田について「棚田」という表現は南北朝期まで遡れるが、それ以前は「山田」という表現に包括されていた。
楠木正成が最初に軍事拠点として鎌倉幕府軍と戦った赤坂城の東側面は累々とした棚田だったのである。
城郭発達史の上でも貴重な景観である。
(早稲田大学文学学術院 海老澤衷研究室HPより引用)