4月中旬、学生時代のマンドリンクラブの練習で長野県・千曲市で行われた。
この時に、今話題の真田一族の縁の地と棚田を巡った。その報告です。
ここは上田市・二の丸の「上田城」です。
真田信繁(幸村)の父、真田昌幸によって築城された上田城は、
第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られています。
千曲川の緩やかで深い分流があり、天然の堀となっていました。
「真田石」です。
石垣にある高さ約2.5m幅約3mの大石です。
真田信之(信幸)が松代城移封にあたり、父・真田昌幸の形見として
持っていこうとしたところ、微動だにしなかったという言い伝えが残っています。
六文銭の兜」です。
真田家の「六文銭」は、名前の通り、昔 使用されていたお金を6枚並べた家紋となっています。
昔の人は死んで三途の川を渡る際に、船賃として六文銭が必要だと伝えられていました。
そんな六文銭を取り入れた意味として、合戦で出陣した際には、決死の覚悟で
臨んでいる意味合いがあるようです。